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投稿日:2025年12月31日
ぐっと拳を握ると、ギールは口を開いた。
「……僕は……いえ、私は……イシュカル教会を否定しようとは思いません。先程貴方が仰ったように、我々は、新たな治世を築く同志であるべきだと考えています。ですが……」
そこまで言って、ギールは再び黙り込む。
長い間、なにも答えられずにいると、見かねた騎士が、差し出していたローブを畳んで持ち直した。
「些か、急なお話でした。レドクイーン卿には元より、後日の朝会でリラード猊下との場をご用意する予定でしたので、お返事はまたその時に。猊下にも、そのようにお伝えしておきますゆえ」
「…………」
腹の底が読めない、柔和な口調でそう言うと、騎士は再度丁寧な礼をして、病室から出ていった。
やがて、騎士の気配が扉の向こうに消えていくと、アレクシアは、受け取ったローブを床に放って、寝台にどかりと座った。
「そのようにお伝えしておきますゆえ……ですって。何をどう伝えるつもりなのかしら? 貴方、しばらくは寝首をかかれないように気をつけることね」
ギールは、睨むようにアレクシアを見ると、怒りを抑えた声で言った。
「アレクシアさん、一体どういうつもりですか。腕章を踏みつけにした挙句、あんな簡単に新興魔導師団への入団を決めてしまうなんて……」
アレクシアは、肩をすくめた。
「別に? 捕まって焼かれるなんて御免だし、今はあちらの方に分があると思っただけよ。貴方こそ、一体どういうつもりなの? 反召喚師派として、以前から教会に入れ込んでたじゃない」
「いっ、入れ込んでなどいません! 僕はただ、教会と衝突している場合ではないと言っているんです。我々軍部の目的は、この国を護り導くことですよ。内部抗争や組織の腐敗にばかり気を取られて、殿下や召喚師の死体捜索など、最重要事項を後回しにしているようでは──」
「──あーはいはい、その答えは散々聞いたわ。質問した私が悪かった」
強引に話を打ち切られて、ギールは、出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。
騎士に対しても、アレクシアに対しても、はっきりと最後まで主張できなかったのは、どうせ受け入れてもらえない、という諦めが、頭の片隅に生まれていたからだ。
自分は、誰もが分かりきっているはずの、正しいことを言っている。
それなのに、その主張を聞き入れようとする者がいないのは、アレクシアの言う通り、自分がまだ一介の宮廷魔導師に過ぎないからなのだろう。
以前ジークハルトに、地位や権力のために正しさが捻じ曲げられるのは間違いだと言った、その気持ちに変わりはない。
だが実際に、地位も権力もないギールだけでは、軍部の変革はおろか、ハインツの冤罪一つ晴らすこともできない。
これが、この数月で思い知った、どうしようもない現実であった。
(……それでも……)
ギールは、ぎゅっと目を閉じた。
そして、あの時「逃げて」と言った、ハインツの姿を思い浮かべた。
(……それでも、今回のハインツさんの勾留に関しては、絶対に諦めちゃ駄目だ。唯一現場を間近で見ていたのに、僕はあの時、一時退避する選択をした。その僕が声を上げることをやめたら、ハインツさんの冤罪が成り立ってしまう。そんな理不尽すら見過ごして、我が身可愛さに教会側につくなんて、魔導師としてやってはいけない……)
ギールは、目を開くと、アレクシアに向き直った。
「アレクシアさん。ハインツさんが、主塔の地下牢のどこにいるのか、視てもらえませんか?」
「……は?」
怪訝そうに眉を寄せたアレクシアが、首を傾ける。
その態度から、拒否されるだろうということは分かったが、ギールは構わず言い募った。
「どうしても、あの時ヴィルマン卿に何があったのか、ハインツさんに聞きたいんです。面会の要望は教会に何度も出しましたが、許可が下りないので、もう主塔に忍び込んで、自力で聞いてこようと思います。真実が分かれば、ハインツさんの無実を証明する手立てを講じられるかもしれません」
アレクシアは、呆れたように首を振った。
「馬鹿なこと言わないで。もし途中でばれたら、貴方も脱獄を手助けしようとした罪人として、教会に捕縛されて、吊るされることになるわよ」
ギールは、頑なな表情になった。
「目的は、真実を聞き、正式な手順を踏んでハインツさんの無実を証明すること。そして、冤罪をかけてきたことを揺する材料に、教会にバーンズさんの釈放を要求することです。その場での脱獄までは考えていません。仮にそういう流れになって、僕が捕まったとしても、アレクシアさんの力を借りたことは絶対に言いません」
「……だとしても、無理よ。できないわ」
「なぜです? アレクシアさんの命が助かったのは、操られたヴィルマン卿の相手を一手に引き受けて下さった、ハインツさんのおかげですよ。少しくらい協力してくれたって──」
「──そうじゃない。私ができないって言ってんのよ」
強い口調で遮られて、ギールは言葉を止めた。
何の痕跡も残らないアレクシアの遠見の能力は、ギールが口を割らなければ、その関与を証明されることはないだろう。
おまけに彼女は、先程イシュカル教への入信を果たしたわけだから、教会に罪人扱いされるようなこともないはずだ。
彼女の身に危険はないだろうに、なぜここまで協力を拒むのか──。
そこまで思い至ってから、ギールは、アレクシアの顔を見つめた。
思えば、この病室に入ってから、一度も彼女と目が合っていない。
アレクシアは、ずっと前を向いている。
すぐ近くにあるローブや腕章にも気づかない、そんな彼女の"できない"という言葉の意味に、ギールは、ようやく気がついた。
「ア、アレクシアさん、まさか……」
こんな状態でも、ギールからの視線は感じたのだろう。
小さく吐息をつくと、アレクシアは、自らの青い眼を、掌で覆った。
そ
「……あの時、完全に両目を潰されたわ。今、目に入っているのは義眼だから、何も見えてない。……新興魔導師団に入ろうが、宮廷魔導師団に残ろうが、どの道もう戦えない状態ってこと。それなら、残り少ない魔導師生命、待遇が良さそうな教会側について、巻き上げられるものは巻き上げてから出ていった方がお得でしょ?」
ギールは、絶句した後、震える声を押し出した。
「……そ、そんな……いや、大丈夫ですよ。盲人の魔導師でも、訓練を積んで、遠征に参加したという話を聞いたことがあります。目が見えなくても、詠唱さえできれば、行使できる魔術はありますし……。それに、魔導師団での仕事は、必ずしも戦場に出るものばかりでは──」
「──嫌よ。面倒な訓練を積んでまで、魔導師団に残りたいなんて考えてないし」
あっさりと答えながら、アレクシアは、垂れている青髪をくるくると指先に巻きつけた。
「別に今回のことがなくても、そろそろ潮時だと思ってたのよね。お貴族様と同等の生活ができると思って、宮廷魔導師団に入ったのに、実際は私生活に気が回らないほど忙しいし、周りは理性のない熱血馬鹿と頭の沸ききった老害ばっかり。いい加減、うんざりしてたのよ」
アレクシアは、寝台の上に、仰向けに倒れ込んだ。
「教会の台頭で、ここ数年、世俗魔導師団は存続自体が危うくなっていた。粘って抵抗していたジークハルトが無様に捕まって、総帥だった召喚師と、それを追って行ったトワリスも死亡。ハインツも投獄。ヴィルマン卿だって、ノーム老殺害の容疑者。地方の古参共も当てにならない」
「…………」
「……ここまでね、私達」
「…………」
ギールは、何も返せずに、ただ立ち尽くしてアレクシアの言葉を聞いていた。
何か言ったところで、抵抗しようとしたところで、どうせ自分には何もできないという現実が、喉元を締め付けていた。
やりきれない思いが、消化できない熱となって、胸の中で燻っている。
今は明るく室内を照らす朝日も、やがては水平線へと沈んでいき、闇に飲み込まれていく。
そうして嫌でも光を奪い去っていく、夜のような現実が視界を覆っていくのを、ギールは、暗澹と感じていた。
目を閉じると、アレクシアは言った。
「……汗臭い正義ごっこは、もう終わり。分かったら、もう一度自分の身の振り方をよく考えて、女神像とローブに熱い口付けでもしに行くことね。ま、好き好んで吊るされたいっていうなら、止めはしないけど」
「…………」
アレクシアが口を閉じると、室内に重苦しい沈黙が満ちた。
二人は長い間、何も言わずに黙り込んでいたが、しばらくして、ギールが弱々しく呟いた。
「……そう、ですね。自分がどうするべきか、今一度、ちゃんと考えてみます。……アレクシアさんは、ひとまず、よく休んでください」
アレクシアは、何も答えなかった。
返事がないと分かると、ギールは頭を下げて、静かに病室を出ていった。
ギールの足音が、徐々に遠ざかっていく。
その単調な音を聞きながら、アレクシアは、再び無機質な義眼の表面に触れた。
見た目だけでは気づかれなかったということは、かなり精巧な義眼なのだろう。
経験豊富な宮廷医師、義眼職人といえど、奇怪な青い眼球など用意したことがなかっただろうに、よくも忠実に再現してくれたものだ。
今は、その腕の良さと、余計な気の回し方が、ひどく憎らしく思えた。
不意に、訓練生時代に破壊した魔導人形、偽のラフェリオンが装着していた、ちゃちな作り物の眼球のことが脳裏によぎった。
アレクシアの亡き姉、トリーシアは、妹がイシュカル教徒になったと知ったら、一体なんと言っただろうか。
信じてもいない神を崇めるなんて滑稽だ、と嘲笑ったかもしれないし、案外、保身のためなら仕方がなかったと、認めてくれたかもしれない。
いや、きっと性格の悪い姉のことだから、内心では認めていても、結局は罵ってくるだろう。
そうしたら、もうとっくに姉の年齢を抜かした今の自分が、倍にして言い返してやるのだ。
「お前こそ、死ぬ間際にみっともなく泣いて、神にすがりついていたくせに」と。
アレクシアは、口元に笑みを浮かべた。
久しく思い出していなかった、生き汚い姉の憎まれ口が、耳の奥で返ってきたような気がした。
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