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投稿日:2025年12月31日




  *   *   *



 詰所の方から、番兵たちの賑やかな笑い声が響いてきて、ハインツは、びくっと身をすくませた。
岩床と足枷とを繋ぐ鎖が、ジャラリと重々しい音を立てる。
鉄格子のすぐ近くに立っていた番兵は、その音に反応して、油断のない目をこちらに向けたが、ハインツが単に身じろいだだけだと分かると、元の体勢に戻った。

 ヨークを傷害した疑いで、ハインツがこの地下牢に入れられて、既に十日が経った。
ハインツを捕えるように命じた司祭は、尋問を行えと言っていたが、詳しい取調べなどは、結局一度も行われていない。
何度も無罪の主張を繰り返し、ヨークの中に入り込んでいた闇精霊、エイリーンの話も出してみたが、番兵たちには聞く気がないのか、それとも信じられないのか、鼻で笑って流されるだけだ。
あの後、怪我を負ったヨークやアレクシアがどうなったのか。
エイリーンはどこへ行ったのか。
何も分からぬまま、ハインツは、暗い地下牢の中で、鬱々とした時間を過ごしているのであった。

 投獄された当初は、同じ地下牢のどこかに収容されているであろうジークハルトを見つけて、共に脱獄しようかとも考えた。
大司祭モルティスは、おそらくジークハルトのことを、教会に楯突いた魔導師団の有権者として、見せしめに処刑するつもりだ。
ハインツのことも、最初からそうするつもりで捕らえたのかもしれない。
反教主義の有力者たちが、次々と首を晒されたとなれば、残っている魔導師たちは、いよいよ教会に膝を折るしかなくなるだろう。
魔導師団のためにも、エイリーンの策謀の真実を確かめて阻止するためにも、今、ここで殺されるわけにはいかなかった。

 幸いというべきか、王宮の城壁と一体になって建てられているこの主塔は、主に見張り台の役割を果たしているため、牢獄としての規模はさほど大きくない。
牢の数も二階層分と少なく、収容されるのは一般的な囚人ではなく、王宮で処刑を行うような貴人や要人、存在を公にはできない特殊な扱いの罪人である。
過去の例を言えば、旧王都アーベリトを没落させた前召喚師シルヴィアや、ミストリアからやってきた獣人たち。
そして、類のない政変が起こっている現在、教会が始めた弾圧により反逆者として捕えられたジークハルトやハインツもまた、その特殊な罪人にあたるというわけだ。
その分、牢の造りは一般的な監獄に比べて強固であったが、見たところ、格子も拘束具もただの鉄製で、鎖は岩床に打ち込まれているだけだ。
普通の人間であれば、到底壊せるものではないが、ハインツであれば、力づくで破壊することも不可能ではなさそうであった。

 問題なのは、規模が大きくない故に、監視の目が隅々まで行き届いていることであった。
教会側が、それだけこちらを警戒しているということなのだろう。
定期的な番兵の見回りがあるだけでなく、牢の前には、常に見張りの兵が一人立っている。
彼らは、魔導師団とは一切関わってこなかった修道騎士会の兵たちで構成されていたので、うまく話を通すことも難しそうであった。

 牢が並ぶ石回廊の中心には、詰所が建っており、番兵たちはそこで食事や仮眠をとりながら、交代で巡回や見張りを行っているようだった。
交代の間隔は大体一刻程度で、それとは別に、夜明けと日没の時間になると、外から他の隊の兵がやってきて、地下牢の番兵たち全員が入れ替わる。
一日中、番兵の目が途切れることなく替わるので、その監視体制には集中が切れる間もなく、油断も生まれづらい。
かといって、兵たちを襲って脱獄するような真似をすれば、ハインツは本物の罪人になって、身の潔白を主張できなくなってしまう。
互いに殺すつもりはなくとも、一人を傷つけて、増援を呼ばれれば、結局は乱闘騒ぎになって死傷者が出る可能性はある。
既に何人もの魔導師たちを陥れてきたイシュカル教会に対し、そのような躊躇をするべきではないのかもしれないが、それでも、強硬手段は窮策きゅうさくとしたかった。

 詰所の方から聞こえる談笑の声は、まだ続いている。
先程、夜の交代で入れ替わった休憩中の番兵たちが、持ち込んだ夜食を食べているようであった。
ハインツの牢の前に立つ見張りの兵は、既に食事を終えてきたのだろう。
腰の剣帯に手を添え、背筋を伸ばして、どんな事態も見逃すまいと、監視の任を全うしている。

 そんな環境下で、なんとか逃げ出せる隙はないか、番兵の意識が逸れるようなことはないかと気を張っている獄中生活は、想像以上に消耗するものであった。
自分も含めた宮廷魔導師たちにいつ処刑を言い渡されるか分からない、エイリーンの目論見の真相も分からない──そんな不透明な状況に身を置き続けていると、精神的に参ってくる。
そして、現時点で何より気掛かりなのは、ジークハルトの安否であった。
番兵たちとは違って、罪人に与えられる一日の食事は、乾燥して硬くなったパン一つと、椀一杯の水くらいなものだ。
ハインツは、水の一滴すら入手困難なノーラデュースでの地底暮らしも生き抜いたので、特別に忍耐強い身体をしている自覚があったが、ジークハルトは違う。
彼は、魔導師団内きっての実力者であるが、身体は普通の人間である。
普通の人間が、怪我を負った状態で、飢餓感と口渇感に苛まれながら、暗く不衛生な牢内に何日も枷で繋ぎ止められては、処刑以前に死んでしまうのではないか。
その不安感と焦燥感が、余計にハインツの心を追い詰めていたのであった。

 石壁に設置された燭台の炎が、不意に揺らいだ。
そのパチっという微かな音が耳に届いて、ハインツは、周囲が静けさに包まれていることに気づいた。
いつの間にか、詰所から響いていた声が止んでいる。
番兵たちが、食事を終えて仮眠でもとっているのかと思ったが、それにしたって、不気味なほど静かだ。
聞こえてくるのは、蝋燭の炎が燃える音と、時折湿った石の上を走るネズミの足音、そして、自分と見張り番の身じろぐ音くらいであった。

 見張り番も、この静寂を異様だと感じたのだろう。
詰所に向かって、どうかしたのか、と声をかけたが、返事は返ってこない。
そういえば、今の見張り番が牢の前についてから、もう一刻以上経っているように思うが、まだ交代が来ていない。
地下牢を見回ってる巡回の番兵も、ここ数刻、見ていないような気がする。
何かがおかしい、と思い始めたのは、ハインツも、見張り番も同じであった。

 見張り番は、しばらく落ち着かない様子で、その場で周囲を見回したり、ハインツの様子を窺ったりしていた。
一方のハインツは、抱えた膝に顔を埋め、疲れ切って眠っている風を装っていた。
今までなかった事態に、鼓動が速まっていた。

 ややあって、念入りな牢の施錠確認を終えた見張り番が、ついに、詰所へ番兵たちの様子を見に行った。
一瞬でも持ち場を離れることを躊躇っているようだったが、このまま夜通し自分一人が見張りを続けるわけにもいかない、と考えたのだろう。
地下牢に入れられて十日、初めて監視に隙ができた瞬間であった。

 それでも、すぐには行動せず、ハインツは寝たふりをして聞き耳を立てていた。
──が、ややあって、はっと顔を上げた。
突然、見張り番の声が途切れ、バタッと岩床に倒れるような音がしたからだ。

 ハインツは、慌てて身を起こした。
足が鎖で繋がれているので、鉄格子に手は届かなかったが、その隙間から、周囲の様子を見ることはできた。
詰所の扉のすぐ近くで、先程の見張り番が倒れている。
詰所の中にいるはずの番兵たちが、それに気づいて、出てくる気配もない。
辺りは、依然として静かだ。
何が起きているのかは全く分からなかったが、これはまたとない機会であった。

 ハインツは、両手首を繋ぐ手枷の鎖を掴んだ。
一般的なものより太い、特注の強固な鎖だ。
リオット族がシュベルテで奴隷として使役されていたのは、もう三十年以上も前のことだが、教会側も、ハインツを捕らえておくなら頑丈な拘束具が必要、くらいは思ったのだろう。
だが、その認識は甘い。
教会は、二年前にも、処刑しようとした獣人に拘束を抜けられ、危うく逃げられそうになっていた。
その失態を経ての、この拘束具なのかもしれないが、なんの魔術も施されていないただの鉄鎖てっさなど、ハインツにとっては大した障害にはならない。

 七年前に発足して、突然軍部入りしてきた修道騎士会は、何も知らないのだ。
魔導師団の牽制を受けながら、リオット族が、どんな過酷な環境下を生き延びてきたのか。
そのリオット族の中でも、とりわけ頑強に生まれたハインツが、旧王都アーベリトでどれほど己の異常さに悩み、その力を制限する術を身につけたのか。
歴史の長い世俗魔導師団は知っていても、ろくに戦場に立ってこなかった修道騎士会は、何も知らない。

 ハインツは、すうっと息を吸うと、掴んだ鎖を左右に引っ張った。
手首を捻りながら、徐々に込める力を強めていくと、鉄の輪がギリギリと悲鳴をあげ、やがて、錆びていた箇所がちぎれた。
同じ要領で、足枷と岩床を繋ぐ鎖も引きちぎると、ハインツは、続いて鉄格子に手をかけた。

 鉄格子は、流石に容易には壊せそうになかったが、錠前部分を力一杯殴りつけると、扉が勢いよく開いた。
扉の跳ね返る音が大きく響き、地下にこだまする。
ハインツは、しばらくその場で身をすくませていたが、やがて、辺りに静けさが戻ってくると、牢の外へと出た。

 足枷とちぎれた鎖を引きずりながら、無人の牢が並ぶ通路を抜けると、ハインツは、石壁に背をつけ、詰所に近づいていった。
四方に設置された小さな覗き窓からは、仄かな明かりが漏れている。
入口付近で倒れている見張り番は、気絶しているのかと思ったが、深く眠っているようだった。
こんなところで、いきなり睡魔に襲われるはずもないから、何者かに強制的に眠らされたのだろう。
収容者が少ない主塔とはいえ、その何者かは、何らかの方法で地下牢に侵入し、存在を気取られず、警備を無力化させたということだ。
まだ敵か味方かは判断がつかないが、それなりの手練れのようであった。

 音が鳴らないよう、足枷を持ち上げて、ハインツは、静かに詰所の扉を押し開けた。
そして、中の気配を探り、動く人影がないことを確かめると、そっと詰所内に足を踏み入れた。

 真っ先に目に飛び込んできたのは、卓上の燭台に照らされて、深く眠る四人の番兵たちの姿であった。
眠る直前まで、食事をとっていたのだろう。
皆、食べかけの皿が並ぶ部屋中央の卓に、頭を突っ伏した状態で、胸を上下させている。
スープをすくったところで突然眠りに落ち、匙を取り落としたらしい番兵や、咀嚼したパンを口からこぼしたまま眠っている番兵もいた。
やはり、自然な寝入り方ではない。
卓の上では、パンやスープが散らかっている他にも、場違いな高級ラベルが貼られた酒瓶が倒れて、残り少ない中身を吐き出していた。

 首を巡らせると、ハインツは、扉近くの壁にかけられた、複数の鍵束に目を留めた。
おそらく、牢や拘束具の鍵だろう。
試しに一つ手に取ると、ハインツは、手足首に残った枷の鍵穴に、それが挿さらないかどうかを確かめた。
鎖のちぎれた枷は、拘束具としては無意味だが、動くたびにガチャガチャと金属音が鳴るのは問題だ。
それに、牢の鍵があれば、ジークハルトの救出にも使えるかもしれない。

 一つ一つ鍵穴に挿して、枷に合う鍵を探していると、不意に、詰所の外で何かが動いた気がして、ハインツは手を止めた。
視界の端で、燭台の炎がふっと揺れる。
気配はない。だが、誰か潜んでいる可能性があるとすれば、その者は、見張り番に剣をとる間さえ与えなかった手腕を持ち主だ。
巧妙に姿を隠し、こちらの隙を狙っていたとしても不思議はない。

 ハインツは、持っていた鍵束を壁に戻すと、石壁に背を預け、扉をそっと引き開けた。
壁一枚を隔て、誰かが扉の脇に潜んでいる──そう確信したのは、長い暗闇での生活で研ぎ澄まされた直感によるものだ。
相手が踏み込んできたのと、ハインツが右手を振り上げたのは、ほとんど同時であった。
振り下ろした手刀に、何か鋭いものが当たる。
しかしそれは、硬質なハインツの皮膚には刺さらず、キラリと光を反射して弾かれた。
闇にまぎれる黒い外套が翻り、侵入者は、驚いた様子で頭巾をとる。
顔を上げたハインツの前に立っていたのは、片手剣ほどの長さもない、細い筒を構えたギールであった。

「……ハ、ハインツさん⁉︎ どうしてここに⁉︎」

 筒を剣帯に挟みながら、ギールは、小声で問いかけてくる。
答えを聞くまでもなく、ハインツの手足首の枷を見て、事態を察したのだろう。
ギールは、大きく目を見開くと、ハインツを見上げた。

「ま、まさか、ご自分で枷を壊して、牢を抜けてきたんですか?」

 ハインツは、ちぎれた鎖に目を落とした。

「う、うん……鎖、引っ張ったら、ちぎれそうだったから」

「そ、そうですか……なんというか、その、すごいですね……」

 ギールは、驚愕と感心が混じったような吐息をこぼす。
しかし、すぐに我に返ったように詰所の扉を閉めると、その場でしゃがみこみ、先程ハインツに放った鋭いもの──透明な針を探して床から拾い上げた。

「そうとは知らず、攻撃してしまって申し訳ありませんでした。ここでは、枷の鍵を探していたんですよね? 僕はてっきり、残りの番兵が詰所に戻ってきたのだと思ったものですから……」

 ギールは言いながら、針を筒の中に戻し、次いで、懐から鍵束を取り出した。
そして、その鍵で、ハインツの手枷と足枷を外していく。
自由になった手首を擦りながら、ハインツは、まじまじとギールを見つめた。

「その鍵……もしかして、この詰所の番兵たち、ギールが?」

 ギールは立ち上がると、鍵束をハインツに見せた。

「……ええ、そうです。僕が彼らを眠らせ、一足先に拘束具の鍵を持ち出していました」

「な、なんでそんなこと……」

 感謝よりも動揺が勝ってしまったのは、ギールの地下牢への侵入が教会に露見すれば、いよいよ魔導師団はただでは済まないのではないか、という懸念が真っ先に浮かんだからだ。
ハインツの顔が曇ったのを見て、ギールも、神妙な面持ちになった。

「バーンズさんやハインツさんが見せしめに処刑されるような事態は、なんとしても避けなければならない、と思ったんです。……もちろん、自分がやっていることの重大さは、理解しているつもりです。教会上層部の所業はともかく、その命令に従っている末端の番兵たちは、任務を全うしているだけの無実な人々です。それを害すれば、逆賊と指差されても反論はできません。でも、それを言うなら、ハインツさんだって無実でしょう? 団を維持するためだからといって、無実の貴方が罪人のように扱われるのを、黙って見過ごすわけにはいきません。僕は、ヴィルマン卿に襲われた時、何の一助にもなれず、貴方を置いて逃げ出しましたから……」

 一層顔を歪めたギールに、ハインツは首を振った。

「に、逃げ出したとか、思ってない。あの時、アレクシア、怪我してた。……ので、ああするしかなかった」

 ギールは、声を震わせた。

「……アレクシアさんは、助かりませんでした。あっ、いえ、命に別状はなかったのですが……目に受けた傷が原因で、失明したんです。ご本人も、もう宮廷魔導師を続ける気はない、と」

「え……」

 青ざめたハインツを見て、ギールは、悔しげに歯を食いしばった。

「……僕のせいです。最初にヴィルマン卿と対峙し、その異変に気付いたのは僕だったのに、その攻撃を防げませんでした。アレクシアさんを宮廷医師に預けた後だって、もう少し早く現場に戻れていたら、駆けつけた司祭や騎士たちに、ハインツさんは冤罪だと訴えることができたかもしれない。……宮廷魔導師になってから、僕は口先ばっかりで、何の役にも立っていません。召喚師捕縛の任についていた時も、肝心な場面で気を失って、皆さんの足を引っ張って。……本当に、自分が情けないです……」

 うつむいたギールの目に、薄く涙の膜が張っていることに気づくと、ハインツは焦った。
先程は、つい地下牢への侵入を責めるような言い方をしてしまったが、ギールは、言われずともその危険性を分かった上で、教会の意向に反する覚悟を決めたのだろう。
思えば彼は、まだ宮廷魔導師団に入って一年も経っていない新人だ。
魔導師としての歴はハインツよりも長いようだし、周囲に惑わされない確固たる信念を持った青年ではあるが、それでも、宮廷魔導師に抜擢されて間もなく、召喚師制の廃止や魔導師団の変革といった数々の窮地に立たされて、多くの不安や葛藤を抱えていたのかもしれない。
他の宮廷魔導師たちが次々と除名されていく中で、一人悩み、まずは先の冤罪を晴らそうという決断に踏み切ったのだ。
ギールとはさほど語り合ったことはなかったが、そんな彼の心情を思うと、ハインツまで目頭が熱くなってきた。

 すん、と鼻をすすって、ハインツは言った。

「ぜ、全部、ギールのせいじゃない。あと俺も、ただ殺されるの、待つつもりなかった。でも、ギールが番兵を眠らせなかったら、牢から出られなかったと思う。ありがとう」

「ハインツさん……」

 同じく鼻をすすって、ギールが充血した目を拭う。
続いてハインツは、卓に突っ伏して寝ている番兵たちを一瞥した。

「あの、この催眠……どれくらいもつ? 朝になったら、交代の番兵くる」

 分かっているという風に頷いて、ギールは、剣帯に挿していた細長い筒──吹き矢を示した。

「これは、催眠の魔術ではなく、即効性の睡眠薬によるものです。バーンズさんやハインツさんへの差し入れという体で、睡眠薬入りの酒を番兵に渡しました。面会すら許さない不当留置を続けるような警備体制でしたから、差し入れを言伝通りにあなた方に渡すことはないだろう、と踏んでの策です。酒を捨てられた場合は、別の策を考えていましたが、案の定、横領して自分たちが飲んだようなので、この有様です。あとは残りの番兵たちを、僕が麻酔針で眠らせました。万が一にも魔力を感知されるとまずいと思ったので、魔術はほとんど使っていません」
 
 ギールの説明を聞きながら、ハインツは、先刻詰所から聞こえていた番兵たちの笑い声を思い出した。
彼らがいつもより上機嫌に騒いでいたのは、味気ない詰所内での食事に、差し入れの酒が加わっていたからだったのかもしれない。
休憩時間といえども、任務の最中に飲酒をすることは認められない。
とはいえ、何も起こらなければ退屈な地下牢の警備。
一介の兵士では入手できないような高価な酒を、宮廷魔導師から差し入れられれば、手をつけずにはいられなかったのだろう。

 懐の懐中時計を見やると、ギールは言い募った。

「睡眠薬の効果は、一晩は続くはずです。不測の事態が起こらなければ、交代の番兵が来るまであと二刻。……ですからハインツさん、この間に、ヴィルマン卿と何があったのか教えてくれませんか。彼の身に起きたことが分かれば、宮廷魔導師の地位を捨てて脱獄せずとも、ハインツさんが彼を傷害したという冤罪を晴らせる可能性があります。証拠集めは、もちろん僕がやります。差し入れの酒が僕からだということはすぐに突き止められるでしょうが、それを飲んだのは番兵たちの意思ですし、麻酔針も全て回収してますので、仮に僕の関与が疑われても、酔って寝ただけだろうという反論が成り立ちます。僕の罪が立証される前に、ハインツさんの無罪を証明できれば、それを材料に、バーンズ団長を釈放するよう、教会に交渉することもできるかもしれません」

「…………」

 真っ直ぐな目を向けられて、ハインツは押し黙った。
ギールは、脱獄という最終手段をとらずに済む方法を未だ模索してくれているようだったが、ハインツは既に、その望みは薄いと考えていた。
この十日間、ハインツとて牢の中で放心していたわけではない。
何度もエイリーンの言葉を反芻し、教会とのやりとりを思い出しながら、あらゆる打開策を考えていた。
その上でたどり着いたのが、少なくとも自分とジークハルトは、脱獄するしか道はないのかもしれない、という結論だったのだ。

 ギールの言い分も、決して非現実的なものではない。
うまくいけば、ギールもハインツも、そしてジークハルトも、宮廷魔導師を続けられる妙案と言えるだろう。
しかし問題なのは、鍵となる"ヨークの身に起きたことの証明"が、不可能としか思えないことだ。
ヨークの身体に、呪詛などの魔術で操られた痕跡が残っているならともかく、得体の知れない力でアルファノルの召喚師に依代にされていただなんて、どう証明すれば良いのか皆目見当もつかない。
あの後、エイリーンがどこに消え去ったのかも分からないし、仮に何かしらの証拠を得たとしても、教会に信じてもらえるとは思えない。
ハインツだって、実際に目の当たりにしていなければ、きっとすぐには信じられなかった。
ギールも、まさかヨークの中にアルファノルの召喚師が入り込んでいたなんて想定で、こんな提案はしていないだろう。
 
 もう一つ、ハインツがギールに対して説明を渋る理由に、エイリーンの思惑を明かすことは、召喚術の真相に触れることになるのではないか、という懸念があった。
エイリーンは、サーフェリアの人間たちの死を利用して、精霊王グレアフォールに復讐すると言っていた。
具体的に何をするつもりなのかは、結局分からなかったが、"人間たちの死を利用する"と聞いて、まずハインツの頭に浮かぶのは、旧王都アーベリトの人々の命を使って悪魔を生み出した、前召喚師シルヴィアの姿だ。
エイリーンについて話すことが、ルーフェンが"死神"などという汚名を背負ってまで守り通している召喚術の秘密を明かすことに繋がるかもしれないと思うと、軽々しく口にすることは憚られた。

 エイリーンの言っていたことが本当なら、これはハインツだけが抱えていて良い問題ではない。
だが、現時点でも謎の多いエイリーンの正体を、召喚術の真相には行きつかないよう、それでいて信憑性を持たせて説明をするには、どう話せば良いのか。
あまり口の上手くないハインツには、話の道筋を立てられる自信がなかった。
それに、決してギールの覚悟を無下にしたいわけではないが、最初に話す相手に、彼だけを選んで良いのかも分からない。
選ぶとするならば、実際にアーベリト陥落の元凶を目の当たりにした者であるべきだろう。
ルーフェン本人やトワリスを除けば、そんな人物は、一人しかいない。

 ハインツは、ギールを見つめ返した。

「あの時、ヴィルマン卿に何があったか……バーンズ団長にも、話したい。団長、多分、最下層の牢にいる。話す前に、少しだけ、付き合ってくれる?」

 ギールは一瞬、怪訝そうな顔になったが、ハインツの真剣な眼差しに、何かを感じたのだろう。
腰の吹き矢と銃剣に手を添えると、深く頷いたのだった。


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