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投稿日:2025年12月31日
俯いてしまったギールから視線を外し、ジークハルトは、鎖で繋がれた足を動かして、立膝を立てた。
「……とはいえ、今の俺たちでは、教会に対して何の影響力も持たないし、ギールの言うように、策を講じられるほどの情報がないというのは事実だ。だが、悠長に情報集めをしている時間も人員もないし、こうして集まれる機会も二度とないかもしれない。ある程度はこの場で推測して、話を進めしかないだろう。一度、分かっていることと分かっていないことを整理するぞ」
膝を抱えて座り直したハインツに、ジークハルトは尋ねた。
「まず、襲撃方法についてだが、いつ、どうやって、どこを襲撃するつもりなのか、一切聞いていないんだな?」
「う、うん……。精霊王に復讐するため、力のない人間利用するとか、でも死体腐るから、まだ殺さないとか、それしか……」
縮こまって、ハインツが答える。
ジークハルトは、何かを考え込みながら、指先で顎をさすった。
「……では、最初から推測になるが、とりあえず、まだ殺さないということは、決行は今ではない。そして、真っ先にバジレット王を狙い、王宮に現れたということは、襲撃する都市にシュベルテは入るだろう。シュベルテには軍本部があるし、王都ゆえに人も多い。この二点は、ほぼ確実と言える」
表情を引き締めたギールとハインツに、ジークハルトは続けた。
「方法は推測しづらいが、厳戒態勢のシュベルテを落とすなら、まず王宮を守っている結界と、緊急時に街全体を覆う結界、この二種の防護結界を破壊せねばならない。かつて、セントランスに襲撃された際は、ちょうど花祭りの時期で、他街からも賓客を招く都合上、王宮の防護結界を解除している隙を突かれた。が、今回は、襲撃されることが予想できている。であれば、体制を整えれば良いだけのこと。元より王宮を守る結界は常に展開していて、特定の人間しか出入りできないようになっているし、街を覆う結界も、予測が立ち次第、魔導師を動員して張ればいい。そのエイリーンとやらは、他人の身体に憑依して動けるようだし、既に王宮内に入り込んでいる以上、今更その移動を防ぐことはできないだろう。が、どの道、街一つを一気に落とすような大規模な魔術を行使するつもりなら、防護結界による妨害を受けることになるはずだ。年単位の時間をかけて編み出した術式と、魔導師数百人分の魔力を込めて形成されるこの結界は、いかな強力な魔術であっても、破壊することは容易ではない。
──となれば、相手が考えつくであろうことは、結界では防げない地面から直接魔術をぶつける方法、ということになるが、視界の及ばない広範囲を破壊するような巨大な魔法陣を完成させるには、地形の把握や術式の配置、調整といった準備が必要になる。闇精霊が特別な目を持っていて、例えば上空から街全体を見下ろし、自在に建物の内部構造まで透視できるような能力があるなら別なのかもしれんが、ルーフェンの居場所を知らなかった辺り、エイリーンにそういった能力はないだろう。まだ殺さないという発言をとっても、今はまだ街全体を地面から陥落させる準備をしている最中、という可能性は十分考えられる」
おずおずと手を挙げて、ギールが言った。
「ですが、かつてアーベリトが陥落した際には、同じ術式によって展開された防護結界が、召喚師によって破られています。防護結界の堅牢さは僕も理解しているつもりですが、召喚師一族が相手となると、一般論は通用しないと考えた方が良いのではありませんか」
ギールの指摘に、身を強張らせて、ハインツは、ジークハルトを横目に見た。
レーシアス王政の崩壊、つまり旧王都アーベリトの陥落は、ギールにとっては、実家のレドクイーン商会を失うことになった事件である。
ルーフェンに復讐を誓っていただけあって、やはりよく調べ上げてあるようだ。
七年前のあの日──実はルーフェンはシュベルテにいて、自分が不在の間だからと、アーベリトには防護結界が張られていた。
普通は知られていないこの情報を、ギールは知っていた。
だから、ルーフェンが巨大な魔法陣を敷ける外側から魔術を行使し、結界を破壊して、アーベリトを落としたと思い込んでいるのだ。
しかし、真実はそうではない。
アーベリトを襲った首魁は、バジレット王の発表通り、ルーフェンの母シルヴィアである。
彼女は当時、怪我の治療という名目でアーベリトに長期滞在しており、人知れず、魔導師の少ない街中で、召喚術を発動させる準備を整える時間があった。
そして、ルーフェンの不在時に、結界の内側から、その妨害が及ばない地面に召喚術の魔法陣を展開して、アーベリトの人々を惨殺した。
その過程で、街を囲むように描かれていた防護結界の術式も不安定になり、最終的には消滅した、というだけであって、ルーフェンもシルヴィアも、防護結界の破壊を試みたわけではない。
──というのが真相なのだが、果たしてこれを、ギールに伝えて良いのか。
ハインツは、エイリーンに関する話が、アーベリト陥落にまで及ぶことを、ずっと危惧していたのだ。
そんなハインツの心中を、察しているのか、いないのか。
口を挟もうとしたハインツを視線で制すると、ジークハルトは、凄むような口調で答えた。
「ギール、一体何年前の話をしている? アーベリトが落ちたのは、もう七年も前のことだ。お前は魔導師団のことを、セントランスの襲撃やアーベリトの陥落を経験しても何の策も講じないような、無能の集まりだと思っているのか?」
「い、いえ……そういうわけでは……」
怯んだギールが、緊張した顔つきになって、居住まいを正す。
つい先程まで、悲観的な空気になっていた牢内は、いつの間にか、戦場を前にしたような殺伐感に包まれていた。
ジークハルトが、あえてそういう雰囲気を作り出したのだと思うと、ハインツの胸にも、締め付けるような緊張が走った。
静かながら、口調を崩さず、ジークハルトは言い募った。
「七年前に使っていた防護結界の強度と、今シュベルテを守っている防護結界の強度は、比にならない。これは、ルーフェンが教会に告発された際に、移動陣を使って王宮から逃亡したことが証明している。移動陣は、莫大な魔力を消費するために、感知されれば足がつきやすい。にも拘らず、殿下を抱えた状態であいつが移動陣を使ったのは、召喚師の目線でも、防護結界を破壊するよりは、移動陣を使う方が現実的だと判断したからだ。
……それに、今のシュベルテには、王宮内と市街地に数ヶ所ずつ、妨害用の魔法陣を敷いている。一度完成した魔法陣を上書きして、新しい魔法陣を敷くなら、元あった術式を解除しなければならない。つまり、現下シュベルテに地面から広範囲の魔術を仕掛けようとするなら、発動準備に加えて、全ての妨害用の魔法陣を上書きするという作業も必要になる。それを瞬時に行うというのは、召喚師一族であっても、容易ではないはずだ。内通者がいた場合に、その解除方法を知られるわけにはいかないから、公にはしていないことだが、地面からの攻撃を防ぐ対抗策も、講じていないわけではない」
「…………」
「もちろん、絶対はないと考えるべきだし、エイリーンが、こちらの想像を絶するような強大な力を持った召喚師だと言われれば、これらの推測は破綻する。しかし、ルーフェンやハインツに協力関係まで持ちかけ、襲撃する機を窺っているということは、闇精霊の力も万能、万全ではないと考えて良いだろう。俺たちの抵抗が、全く通じない相手だとは思わないし、仮に通じなくても、人々の命運を守れるかどうかは、俺たち軍部の人間にかかっている。相手が召喚師だろうが神だろうが、その俺たちが、抵抗の意思を放棄するわけにはいかない」
長く冷え切っていた心臓が熱くなり、停滞していた血が全身を巡り始めたような感覚を味わいながら、ギールは、ジークハルトの話を聞いていた。
何の策も講じていない無能の集まり──とは思っていないが、本音を言うと、それに近い不信感を、ギールはカーライル王政に対して抱いていた。
アーベリトを崩壊させた容疑のあるルーフェンを、いつまでも召喚師として抱えたがる王家。
自身の背負う大義を忘れ、下らない"内輪揉め"を繰り返す軍部。
本当はずっと、彼らの唱える口先だけの正義に、猜疑心を持っていた。
ただ、ルーフェンに近づき復讐するためには、宮廷魔導師を続けるべきだという思いがあったから、ずっと堪えていたというだけだ。
けれども、今のジークハルトの言葉には、そんな不信感を溶かし始めるだけの熱が、確かにこもっていた。
ハインツが、躊躇いがちに口を開いた。
「シュ、シュベルテ以外、襲われたらどうしよう。シュベルテは、戦力多いし、防護結界とか、妨害の魔法陣とか、色々あるけど……他の街には、そんなのない。かといって、今から準備するなんて……」
ジークハルトは、目を閉じて眉間をさすった。
「シュベルテ以外──いや、シュベルテを含む全て、サーフェリア全土を一気に落とされることも、十分有り得るだろうな。……正直なところ、話だけ聞くと、そうなる可能性が一番高いとすら思える」
「えっ……?」
聞き返して、ハインツが青ざめる。
立てた膝を指先でトントンと叩きながら、ジークハルトは言った。
「考えてみろ。エイリーンはなぜ、お前に襲撃を仄めかすような真似をした? 協力者を引き入れるための方便だったにしても、そんなことをすれば、俺たちは闇精霊の存在を警戒することになる。そうなれば当然、奴は動きづらくなるはずだ。色々と対抗策を挙げておいてなんだが、極論、エイリーンの目的は利用する人間がいなければ成り立たない。つまり、最終手段にはなるだろうが、人々を街の外に分散させ、シュベルテをもぬけの空にしてしまえば、その目論見は叶わなくなる。にも拘らず、明かしてきたということは、エイリーンの狙いは特定の一カ所だけではないんだ。俺たちに抵抗されようが、逃げられようが、何の問題もない。奴にはそういう、確実な算段がある、ということだ」
ギールは、ごくりと息を呑んだ。
「……その算段が、サーフェリア全土への攻撃、ということですか? それなら確かに、我々に逃げ場はありませんが……」
「あくまで可能性の一つだ。最悪の想定は、しておくに越したことはない」
頷いたジークハルトの気迫に、ギールは、膝上の拳を無意識に握り込んだ。
シュベルテの人々に、各々の家を捨てさせて街の外に避難させる、というのは、襲撃される可能性があるというだけの段階では、実行し難い現実味のない策だ。
そして、サーフェリア全土が狙われている、という推論は、それ以上の空論であるように感じる。
ハインツの話を聞く限りでは、エイリーンが仕掛けてきているのは、ただの戦ではない。
戦ならば、敵軍とその王さえ討てば終わるが、エイリーンの目的は、ヨークのように操れる人間の死体を増やす、ということなのだろう。
それが、どのような魔術なのかは分からないが、そんな複雑怪奇な術をサーフェリア全体に対して行使するなんて、果たして可能なのだろうか。
召喚師を相手に、自分たちの常識が通じるとは思っていないが、それでも、想像に難いことであった。
──ただ、抗えない力と対峙しているという、強い危機感と焦燥感がある。
けれども、その力の実体は見えない、妙な違和感と非現実感が、ギールの思考を鈍らせていた。
「最悪の事態を想定するとして、エイリーンは、具体的にどうサーフェリアを落とすつもりなのでしょうか。話では、闇精霊族は精霊族に滅ぼされたのですよね? それが本当なら、軍勢を率いて攻め込んでくる、ということはできないはずですし、まさか、エイリーン一人で、シュベルテを始めとする都市を潰して回るつもりなのでしょうか」
ギールの問いに、ジークハルトは嘆息を返した。
「協力者を必要としているんだ、同族がいないという言葉には信憑性がある。……が、独力でサーフェリア中の主要都市を潰して回るとなると、力量はあったとしても時間がかかる。それだと、いま人間を殺して放置すれば、利用する死体が腐る、だなんだ言って消えた奴の言動とは、矛盾するような気もする。まあ、一カ所ずつ襲撃されるのであれば、戦場が限定される上、戦力を集中させる余裕ができるから、こちらとしては都合が良いが……最悪の事態、というなら、一気に全域への攻撃を謀られることだろう」
「全域……? 街どころか、国全体を覆うような魔法陣を敷く、ということですか?」
前のめりになって、ギールは顔をしかめた。
先程ジークハルトが言っていたように、強力な魔術行使に用いられる魔法陣は本来、視界が及ばない範囲には描くことが出来ない。
全形が分からない場所に魔法陣を敷くということは、目を閉じた状態で、紙か木板かも分からぬ下地に、寸分狂わぬ図形や文字を正確な配置で描くようなものだからだ。
街一つ分の範囲であれば、時間をかけて地形を把握すれば、成功することがアーベリトで実証されてしまったが、国一つ分となると、その比ではないだろう。
仮に底なしの魔力があっても、できることとは思えなかった。
トントンと動かしていた指先を止めて、ジークハルトは、再びため息をついた。
「そんなことが可能なのか……可能だとしたら、鍵は、協力者の存在だろうな。エイリーンとルーフェンが共謀関係にあったとして、ルーフェンは、どういう形でエイリーンに力を貸していたのか。単純に考えれば、魔力や戦力の補填。あるいは、ハインツに声をかけた理由が、遠い祖に闇精霊の血が入っている、というだけではなかったのだとすれば、単にサーフェリアの情報提供者が欲しかっただけなのかもしれんが……」
「…………」
怪訝そうに言い淀んで、ジークハルトは、長い前髪をかき上げた。
ルーフェンがエイリーンに協力していた、ということは半ば確信していても、その動機については、まだ腹に落ちていないのだろう。
いまいち納得できない気持ちは、ハインツも同じであった。
ルーフェンへの情を抜きにしても、彼が本気でサーフェリアの人々を滅ぼそうとしていたなんて、信じられない。
だって、そんなことをしなくたって、召喚師制を廃すという目的を果たされたのだ。
長く変わらなかった歴史は、既に大きく動かされた。
それとも、そんな理屈ではないのだろうか。
ルーフェンは、本当はずっと、誰にも見せていない心の奥底で、召喚師の運命を強いてきたサーフェリアという国そのものを、強く憎んでいたのだろうか──。
「……あの、一つ、気になっていたことがあるのですが」
黙り込んだ二人を見て、不意に、ギールが言った。
「僕たちが南都ライベルクにいたとき、アレクシアさんが、どこか洞窟のようなところ──ノーラデュースの地下で、何やら怪しげな魔法陣を敷いている召喚師の姿を視た、と言っていましたよね。彼女が何の魔法陣か分からなかったということは、おそらく、魔語で描かれた召喚術の術式なのだと思うのですが……あれって、一体なんだったのでしょうか」
ハッと瞠目すると、ジークハルトは、数月前の記憶を遡った。
確かに、アレクシアがそんなことを言っていた。
ルーフェンたちの足取りを追うのに必死で、細かい発言にまで気が回っていなかったが、思えば、その魔法陣が一体なんだったのか、結局分かっていない。
土蛇しか彷徨かないような、暗い地の底に敷かれた召喚術の魔法陣。
──改めてそう考えると、重大な意味があるもののように思えてくる。
ルーフェンを追っていた時から、何か引っかかってはいたのだ。
彼はどうして、リオット族を巻き込んでまで、潜伏するのに不向きな夏場のノーラデュースに逃亡したのか。
そもそも何故、召喚師制を廃す手段として、王宮から王子を拐かして姿を消すなどという、騒ぎを煽るような手段をとったのか。
ジークハルトの抱えていた違和感、その全ての理由が、南端に敷かれた魔法陣に隠されているような気さえしてきた。
しかし、まだ足りない。推測が確証に変わるには、あまりにも情報不足だ。
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