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投稿日:2025年12月31日





 ジークハルトの言わんとしていることを察した様子で、ギールが、再び口を開いた。

「僕が……バーンズ団長とハインツさんの釈放を教会に要求した後、もう一度、ノーラデュースに行って、その魔法陣を探してきます。魔語の読解はできませんが、エイリーンと関わりのあるものなのかどうかだけでも分かれば、大きな手がかりになります。そして、召喚師の足取りを改めて洗い出し、行方不明のシャルシス殿下を捜索します。今後エイリーンがどう動くにせよ、今の軍部で対抗するには、教会の協力が必要です。僕が殿下を連れ帰れば、リラード猊下の暴走を止めることもできるかもしれません」

 ジークハルトは、一度言いかけた言葉を飲み込んでから、静かな声で返した。

「……俺は、もうお前の上官というわけではない。お前がそうするべきだと考えたのなら、好きにすればいい。だが、ノーラデュースに行ったとして、本当に魔法陣や殿下を探し出すことができるか? 分かっているだろうが、ノーラデュースの地下は気軽に出入りできる場所ではない。現地のリオット族たちも、ルーフェンを殺した俺たちには、手を貸そうとしないだろう。殿下の捜索も、もちろん急務ではあるが、人手がなければ難しい」

 ハインツも、おずおずと口を出した。

「お、俺も、ギールの言ってること、大変……と思う。エイリーンのこと、俺、何度も教会に言った。けど、信じてくれなかった。ギールの気持ち、嬉しいけど、俺と団長、釈放させるの、多分、時間かかるし、無理だと思う」

 ギールは、ぎゅっと唇を噛んだ。

「……僕では力不足だということは、もちろん分かっています。ですが、エイリーンによる襲撃は、今ではないと想定しているだけで、実際にはいつ何が起こるか──」

「──いや、お前では無理だと言っているわけじゃない。お前一人では難しいだろう、と言っているんだ」

 ギールの言葉を遮って、ジークハルトは言った。

「お前の言う通り、教会と話をつけるためにも、確かな情報と魔導師団の地位を守る後ろ盾は必要だ。だが、またノーラデュースまで行って、魔法陣も殿下も見つからない、なんの収穫もなかった、では済まされない。今はそういう状況だ」

「そ、それは分かっていますが……僕以外に、動ける宮廷魔導師は……」

「…………」

 ジークハルトは、険しい顔つきで俯き、今ある選択肢を一つ一つ、頭に思い浮かべた。
話を整理したおかげで、やるべきことの道筋は見えたが、それを実際にやり遂げられるかどうかは別問題だ。
限られた手数と時間で、何かを確実に叶えるには、明確な優先順位を決め、どれかは諦めなければならない。

 ややあって、顔を上げると、ジークハルトはハインツを見た。

「……ハインツ、お前、団を抜ける覚悟はもうできているな?」

 眉を寄せて、ハインツは、ジークハルトを見つめ返した。
離反者、つまり規律違反者として罪を問われる覚悟は、トワリスと共にルーフェンを追うと決めた時に、もうできていた。
だが、ジークハルトのこの先の発言次第では、頷けない。

 ハインツの返事を待たずに、ジークハルトは言った。

「お前、このままなんとか脱獄して、ギールと共にノーラデュースへ行け。お前がいれば、ノーラデュースで野垂れ死ぬことはないだろうし、運が良ければ、リオット族の協力も得られるかもしれない。それにお前、アーベリトで、召喚術の魔法陣を見ているだろう。魔語は読めなくても、ノーラデュースに敷かれた魔法陣が、アーベリトで行使されたものと同じかどうか、それが分かるだけでも十分な収穫になる。まあ、ヴィルマン卿を襲った疑いが晴れないまま脱獄なんてしたら、教会からは、間違いなく罪人として認識されるだろうが……堪えてくれ。全てに片がついて、魔導師団も復権させられたら、お前の地位を取り戻すことも不可能ではないだろう」

 ハインツは、顔をしかめた。

「罪人扱いとか、そんなのは、今更構わない。でも、団長どうするの? 行くなら、一緒に行こう」

 ジークハルトは、微苦笑を浮かべた。

「俺は、世俗魔導師団の権威を落とした責任をとって、ここに残る。……評議の場さで口走ったことは、俺が軍部に対してずっと抱いてきた、紛れもない本音だった。こうして牢にぶちこまれても、間違ったことを言ったとは思っていないし、教会に楯突いたことも、後悔していない。してはいないが……団を背負う立場の人間として、あの状況では、口に出してはならないことだった。たったの七年、それでも、宮廷魔導師団の長を勤めた者として、せめて、自分の発言の責任くらいは取りたい」

「バーンズ団長……」

 思わず呟いてから、ギールは身を乗り出した。

「教会は、貴方を見せしめに処刑するつもりですよ。そうして魔導師たちを動揺させ、イシュカル教に入信させて、新興魔導師団に引き込むのが目的なんです! 貴方の投獄は不当だと訴えて、正式な手順で釈放させるのが理想でしたが、この状況で、もし脱獄しか道がないというなら、協力します。僕だって、それくらいの覚悟は決めて、ここに乗り込んできたのですから」

 ジークハルトは、首を横に振った。

「教会の狙いは、反教派の魔導師たちの動揺を誘うこと……だからこそだ。俺まで脱獄したとなれば、奴らは、俺に代わる別の有力者を捕らえて、見せしめにしようとするだろう。そんな暴挙を許すくらいなら、評議の場を乱した罪に、ハインツを脱獄させた罪も加えて、俺が反教派の魔導師だからではなく、あくまで罪人だから処された、ということにしたほうが、まだ魔導師団の面目が立つ。……まあ、なんだ。俺も大人しく殺されるつもりはない。直前まで潔白を訴えて、それでも処刑台に上がることになったら、見物人に今回話したエイリーンのこと、魔導師団と教会のこと、全てぶちまけて、また騒ぎを起こしてやるさ」

 そう言うと、ジークハルトは、自身の右手甲に焼きついた、焼印に視線を落とした。
わずかな燭台明かりの下、目を伏せたジークハルトの姿が、ぼんやりと薄闇に浮かび上がっている。
静かに現実を見据えている、その表情を、ハインツは、不思議な気持ちで見つめていた。

 ジークハルトの目には、自身の死を悟った人間らしい、恐れや諦めを孕んだ仄暗さがない。
それどころか、牢で彼を見つけ出した時よりも、この国の置かれている絶望的な状況が浮き彫りになった今の方が、ジークハルトの瞳の光が、ずっと強くなっているように思える。
薄汚れた囚人服の上からでも分かる痩せた肢体を見れば、消耗していることは見て取れるが、話している内に、その弱りきった仕草が気にならなくなっていた。

 きっとジークハルトは、まだ挫けていない。
こんな地下の暗闇で、自分の命は諦めようとしているのに、サーフェリアの未来は、諦めきれていない。
まだ魔導師団には、自分の命を投資する価値があるのだと、期待することをやめていない。
──この人は、正義を冠し、時に盲目的に、国に命を捧げる魔導師としての生き方が、身の芯まで根付いてしまっているのだろう。

 ハインツは、不意に立ち上がると、ジークハルトを見下ろした。

「……ノーラデュース……俺、団長が行くべき、だと思う」

「……は?」

 突然言ったので、驚いたのだろう。
ぽかんとした顔つきで、ジークハルトとギールが、こちらを見上げてくる。

 すっと息を吸って、ハインツは言い直した。

「ノーラデュース、ギールと、団長が行くべき。……それで、俺がここに残って、二人を脱獄させる役、やる」

 ジークハルトは、険しい顔つきになった。

「何を言ってる。ノーラデュースに行くのは、どう考えても、お前の方が適任だ。……俺のことは、気にしなくていい。今は冷静になって、何が最善かを考えろ」

 ハインツは、頑なに首を振った。

「冷静じゃないの、団長のほう。確かに、ノーラデュース、行くだけなら、俺でもできる。……けど、魔法陣とか、殿下とか見つけた後、その先どうするか、俺、多分、思い浮かばない。考えるの、あんまり得意じゃない。でも、牢に残るの、俺の方が適任」

 驚きが勝って、ジークハルトはつかの間、言葉を失った。
ハインツとは、七年ほど付き合いがあるが、彼がこんな風に反論してくるなんて、初めてのことだった。

 ハインツは、尚も言い募った。

「というか、団長が俺たち、脱獄させるというのは、ちょっと無理ある。普通の人間、鎖ちぎれない。俺が、脱獄させたという方が、教会の人たちに、説得力ある」

「……いや、それはそうだが……そんなことは、説明次第でどうとでも──」

 言い含めようとしてくるジークハルトに構わず、ハインツはしゃがんで、彼の足枷と岩床とを繋ぐ鎖に手を伸ばした。
ただの鎖ではない。輪状になっていて、繋ぎ目には、魔法錠が取り付けられている。
両手で握り、力を込めて左右に引っ張ると、錠から、バチバチと火花が散った。

「──ハインツさん! 危険です、これはただの鉄鎖ではありません。魔法錠は、解除の術式を知らないと外せないんです!」

 慌てたように言って、ギールが制止してくる。
だが、ハインツは、鎖から手を離さなかった。

 力を強めるほど、散る火花が激しさを増し、鎖が赤みを帯び始める。
伝わってきた鎖の熱で、掌の皮膚が焼け、痛みが骨にまで響いてくる。
やがては、両手が溶けて崩れてしまうのではないかと思うほどであった。

「やめろ、腕が使い物にならなくなるぞ。お前の言い分は分かったから、とにかく一度手を離せ」

 見かねたジークハルトが、厳しい口調で、鎖を手放すよう促してくる。
それでもハインツは、言うことを聞こうとはしない。

 ジークハルトは、舌打ちをした。
力づくで鎖を取り上げようと、ハインツの腕を掴む。
そして、その異様な硬さに驚愕した。
リオット族の皮膚は、元々硬質だが、今のハインツの腕は、もはや岩膚そのものだ。
まるで、ハインツの腕を熱傷から守ろうとするように、皮膚が硬く厚く変化して、岩の如く装甲しているのであった。

 いつの間にか、ハインツは、熱も痛みも感じなくなっていた。
今までの自分が遠ざかっていき、代わりに、内に深く眠っていたものが、呼び起こされていく感覚。
唐突に迫ってきた、濁流のような肉体の記憶を、ハインツは、抗うことなく自然と受け入れた。

 ふと脳裏に蘇ったのは、エイリーンの言葉だ。

──その選別でふるい落とされた種族の一つが、力と破壊の一族、地の祝福を受ける民。お前たちリオット族の祖、巨人族だ。

 ずっと、周囲の人々に怖がられないよう、誰かの後ろで人間のフリをして、小さく縮こまってきた。
ルーフェンやトワリスが与えてくれた、人間としての居場所を、大切にしたかったからだ。
けれども、本来の力を隠して、人間のフリをすることは、本当の人間らしさなのだろうか。
そんな在り方が、地上に出てからも優しくしてくれた皆と確立してきた、自分の人間としての権利と言えるのだろうか。

 自分は──リオット族は、地下を脱して、人間になった。
けれども、内に持った力は、純粋な人間由来のものではない。
そのことを認めた瞬間、全身に、自分でも恐ろしいくらいの力が湧き上がってきた。

 大きく息を吸うと、歯を食いしばって、ハインツは、鎖を思い切り引っ張った。
びくともしなかった魔法錠が、ギリギリと悲鳴を上げ始め、鎖素子がねじれていく。
肩の筋肉が震わせて、ハインツは、渾身の力を込めた。

 硬化した腕の筋肉が、更に厚く、大きく盛り上がっていく。
その岩膚に浮いた汗が、鎖の熱で白煙となる。
やがて、魔法錠がガチンッと音を立てて軋んだ。
──瞬間、赤みをなくした鎖が、勢いよくちぎれ飛んだ。

 咄嗟に伏せたジークハルトとギールの周囲に、発散された火花が落ちて、ぽつぽつと消える。
ややあって、顔を上げたジークハルトは、しばらくの間、自身の足枷にぶら下がった鎖を、呆然と眺めていた。

「……俺は」

 ちぎった鎖を片手に、ハインツは、ゆらりと立ち上がった。

「……俺は、こんなところで、団長、死ぬべきじゃない、と思う。俺より、誰より、団長は生きるべき。サーフェリアを守る、魔導師団の先に、必要な人だから」

「…………」

 口に出して初めて、ハインツは、自分はこのために魔導師団側に残ったのだろう、と自覚した。
自分には、この世の未来を見通せるような慧眼も、先見の明もない。
だから、ルーフェンが正しいのか、ジークハルトら魔導師団が正しいのか、はたまたモルティスら教会が正しいのか、今でも分からない。
ただ、評議でのジークハルトの言葉に、心揺さぶられたことは確かであった。
あの言葉は、どの立場にいれば良いのか、何のために戦うべきなのかと迷っていたハインツの行先を、はっきりと示してくれた言葉だった。

 きっと、誰か一人が絶対的に正しいということはない。
だから、どれかを選ぶ必要などないのだ。
これは、神でも召喚師でもない、自らが国を作り守る、その礎を築くための戦いである。
ジークハルトの言う通り、時代を作るのは、世を生きる人々の民意であり、それを受けてまつりごとに関わる、一人一人なのだ。

 ジークハルトは、ハインツを見上げて、ふと目元を歪めた。

「……ハインツ、お前はそれで良いのか? ここに残ったら、お前は……」

 ハインツが頷くと、ジークハルトは吐息を震わせて、下を向いた。
長い間、そうして黙っていたが、ふと立ち上がると、ジークハルトは答えた。

「……分かった。……俺とギールで、ノーラデュースに行く」

 その返事を聞いて、ハインツは、ようやく詰めていた息を吐き出した。
身体が脱力すると、硬化して肥大していた腕の皮膚が元に戻り、一気に疲労感と安堵感が襲ってきた。

 ルーフェンは、長く続いてきたサーフェリアの強固な歴史を、身を賭して破壊する役に、自分自身を選んだ。
次は、未来を紡がねばならない。
その役を担える可能性を、ハインツは心のどこかで、ジークハルトに感じていた。
ノーラデュースでも、この地下牢でも、仲間としてジークハルトに死んでほしくない、と思ったことも事実だが、それ以上に、国のためにこの人を死なせてはならない、と感じていた。
だからハインツは、一人の魔導師として、ここでジークハルトの足がかりとなる。
彼一人に、国の行末を委ねるためではない。
他でもない、ハインツ自身が思い描いた未来に、ジークハルトが必要だと思ったからだ。

 ハインツが表情を緩めると、ジークハルトは、その思いを汲み取ったかのように、深く頷き返した。
それから、ハインツの肩に手を置いて、力強く言った。

「ただし、教会に何を言われても、罪を認めるな。ヴィルマン卿の件はもちろん、俺たちを脱獄させたことも、あえて言わなくていい。お前は俺と違って、教会に反抗したわけでもなく、本当にただ冤罪でぶち込まれただけだ。いいか、諦めずに否定し続けろ。俺たちが戻るまで、なんとか時間を稼げ。お前には、リオット族の命運もかかってる」

「……うん」

 返事を聞くと、ジークハルトは、ギリッと歯を噛み締め、一呼吸おいた。
そして、その場で頭を下げると、低い声で呟いた。

「……すまない。必ず戻る」

 ハインツは、小さく微笑んで、首を振った。


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