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投稿日:2025年12月31日






  *   *   *


 カーン、カーンと、甲高い鐘の音が響いた。
朝、王宮の鐘の音は、合計で三回鳴る。

 一回目の鐘は、夜明けを知らせる鳴鐘めいしょうである。
城下の人々は、この音を聞いて起き、それぞれの仕事に取りかかる準備を始める。

 二回目の鐘は、王宮の通用門の開門を知らせる鳴鐘だ。
市街に住んでいる王宮勤めの人々は、この音を合図に登城し、通用門を通って、各々の配置場所につく。
地下牢にいる夜番の番兵たちが、朝番の番兵たちと交代するのも、いつもこの時間帯であった。

 そして、三回目の鐘は、通用門の閉門を知らせる鳴鐘だ。
この鐘が鳴ると、特別な来客でもない限りは門は全て閉ざされ、外郭には防護結界が巡らされ、厳重な警備が城壁沿いに敷かれることになる。
移動陣を使えない、ジークハルトとギールが王宮外へと逃げ延びるならば、通用門が開く、二回目と三回目の鐘が鳴る半刻ほどの間を狙うしかなかった。

 二回目の鐘が鳴ったのと同時に、ギールが執務室に入ると、そこには、既にイシュカル教会の幹部である司祭や騎士たち十数名が、そろって長卓を囲んでいた。
彼らは、王宮内の礼拝堂で朝の祈りを終えると、隣接した司祭館の執務室で、いつも朝会を行っている。
ギールが足を踏み入れたのは、ちょうど新興魔導師団の人員に関する報告がなされている最中であった。
軍務卿ジョナルドが立ち上がって、新たに新興魔導師団への入団、すなわちイシュカル教への入信を決めた魔導師たちの名を、上座に座るモルティスに向けて、淡々と読み上げている。

 召喚師ルーフェンが失踪して、約半年。
随分と多くの世俗魔導師団の者たちが離反し、教会側についてしまった。
しかし、宮廷魔導師以上の位を持つ者で移籍を決めたのは、まだアレクシア一人のようだ。
今回の朝会の場で、モルティスは、ギールにも迫るつもりなのだろう。
イシュカル教徒となり、新興魔導師団に尽くすか。
あるいは、ジークハルトたちと同様に神を信じず、背教罪を犯した罪人となるのかを。

「……遅くなってしまい、申し訳ございません。宮廷魔導師のギール・レドクイーンです」

 ジョナルドの報告が終わったところで、改めて声をかけると、全員の視線が、扉の前に立っているギールへと集まった。
朝日の差す窓を背に、一番奥に座っていた大司祭モルティスが、鷹揚に頷く。

「いや、朝早くに呼び立てたのは我々の方だ。よくぞ来てくれた、レドクイーン卿。そこに座ってくれたまえ」

 モルティスは、そう言って下座の一席を示したが、ギールは動かなかった。
背筋を伸ばしてから、その場にいる司祭や騎士たちの顔を見回すと、ギールは、意を決したように頭を下げた。

「重ねて、大変申し訳ありませんが、火急の任に出ることになりましたので、朝会は欠席させて頂きます。事前のご連絡が間に合いませんでしたので、一言、お詫びだけ申し上げに参りました」

 瞠目したモルティスの顔から、ふっと笑みが消える。
彼が口を開く前に、その隣に座っていた初老の司祭が、訝しげに問うてきた。

「何を言うのだ、レドクイーン卿。猊下が何のために貴公を招いたのか、分からずに来たわけではあるまい」

「……はい。この神聖な司祭館に踏み入れることをお許し頂いた意味は、十分承知しております。ですが、とかく急ぎ任に出ることになりましたので、どうか、ご容赦ください」

 つかの間、執務室が静まり返る。
穏やかだったモルティスの表情が、険しく歪んだ。

「……その火急の任とやらは、一体何かね? 私は、そんなものを言い渡した覚えはないのだが」

 ギールは頭を上げて、モルティスを見据えた。

「未だ行方不明の、シャルシス殿下を捜索いたします。今この国で、何よりも優先すべき、重大な任の一つであると認識しております。仰る通り、猊下からの命ではありません。世俗魔導師団は、教会の管轄ではありませんゆえ」

「…………」

 ギールのはっきりとした拒絶に、執務室の空気が凍りついた。
司祭たちは、血の気のない顔で、モルティスの反応を伺っている。
モルティスは、深く息を吸うと、低い声を押し出した。

「残念だ……非常に残念だよ、レドクイーン卿。君のことは、我々の崇高な志を理解できる同志だと思っていたのだがね」

 ギールは、モルティスから目を逸らさなかった。

「私も残念です、リラード猊下。……私は、貴方様に感謝しております。猊下がハイドットを提供して下さらなければ、私は、レーシアス王政を陥れた召喚師に、一矢報いることはできなかったでしょう。ですが、だからといって、神の下に下るつもりはありません。新興魔導師団に入団することも、できません」

 モルティスは、冷ややかな笑みを浮かべた。

「血生臭い正義にしがみつく愚か者め。お前たち宮廷魔導師は、何故そうも頑ななのだ。私は何も、従来の魔導師団の在り方を、全て否定しているわけではない。以前、君も言っていたように、サーフェリアの安寧を望んでいるという大枠の中では、我々は昔日せきじつからの同志だ。しかしながら、思想の違いというのは、些細なものであっても対立を生む。故に我々は、唯一のイシュカル神を崇め、皆で同じ理想を信じ、同じ方向に突き進むことで、清浄かつ公正な軍政を新たに目指すべきだと言っているのだ。どうしてこれが理解できない? それこそ、お前たちが速やかに信徒となり、新興魔導師団の編成が整えば、今すぐにでも殿下の捜索を再開できるというのに……」

「…………」

 ギールは、拳を握り、微かに目を伏せた。
何故こうも頑なに、従来の血生臭い正義にしがみつくのか──本音を言うと、ギールの中に、まだ明確な答えはなかった。
ギールは元々、実家の工房のために魔導師を目指したのだ。
しかし、そのレドクイーン商会が没落したことで、父デイルの助けになりたいという目標は潰え、代わりに根差した召喚師ルーフェンに対する復讐心も、今や心に虚な穴を残して消え去った。

 復讐を遂げれば、晴々しい気持ちで魔導師を続けられるだろう、などとは最初から思っていなかった。
当初は、召喚師が自ら逆賊に堕ちる事態など予想していなかったから、むしろ、自分が逆賊となって召喚師を討ち、団を追放されて罰せられるくらいの覚悟でいた。
目的を果たし、カーライル王政の軍部が、夢見ていたほど潔白な存在でなかったと思い知った今、魔導師の地位に、そこまで執着する理由はない。
それなのに、なぜ自分は、世俗魔導師団の掲げる正義の下で、未だに足踏みをしているのだろうか。
強いて、現在の答えを出すなら、その正誤を自分の目で見極めるために、ギールは、まだ何者にもなりたくないのだ。

 視線を上げると、ギールは再び、定まった目をモルティスに向けた。

「私は、召喚師制の下で築き上げられてきた軍政の在り方が、正しかったとは思っていません。ただ、イシュカル神を信じたその先に、清浄で公正な軍政があるとも思えません。貴殿方の目指す国が、例え今よりも流す血の少ないものであったのだとしても、それが信徒にしか恩恵をもたらさず、信ずるものが違う者を罪人と見做して投獄、罰するようなものならば、そんなものは、清浄でも公正でもない。……私は、神を通してではなく、この目で国に降りかかる災いの正体を見定め、そして、何をするべきかを考えたいのです」

「…………」

 モルティスは、怒りに打ち震えながら、席を引いて立ち上がった。
ギールのことを捕らえるようにと、外に控えている兵に命じるつもりだろう。
ギールが身構えた──その時だった。

「──猊下、猊下! 朝会中のところ、失礼いたします! ご報告がございます!」

 突然、慌ただしい足音が近づいてきたかと思うと、扉の外から、切迫した兵の声が聞こえてきた。
モルティスは、ギールの方を一瞥してから、返事をした。

「──入れ。何事か」

 兵士は、引きつった顔で入室してくると、ギールの横にひざまずき、口早に報告を始めた。

「主塔の地下牢に、ジークハルト・バーンズの姿がありません。今、牢内をくまなく探させておりますが、既に主塔内からは逃亡したものと見られます」

「なんだと? 番兵は何をしておった?」

「それが、先ほど監視の交代に向かった兵たちの報告によれば、夜番の番兵たちは、全員眠っていたと……」

 司祭や騎士たちの顔が、騒然と強張る。
表情を変えなかったのは、ギールだけであった。

──突如、ギールは身を翻すと、詳細な報告を続けようとする兵を尻目に、素早く執務室を出た。
そして、短く詠唱しながら、閉めた扉に、勢いよく己の掌を押しつけた。
掌を中心に、魔術で作り出された分厚い氷層が広がり、扉全体を覆う。
これでしばらく、内側から扉を開けることはできないはずだ。
といっても、窓から叫べば助けは呼べるだろうし、大した時間稼ぎにはならないだろうが、自分たちが王宮の外に出るまで、モルティスたちを室内に足止めできれば、それで十分である。
ギールが朝会に顔を出したのは、こうして司祭たちを、執務室内に留めておくためだったのだ。

 そもそも、ジークハルトの脱獄を手助けすると決めた段階で、ギールは、教会の朝会はすっぽかすしかないだろう、と考えていた。
しかし、それにあえて参加するよう提案してきたのは、他ならぬジークハルトである。
二人がノーラデュースに向かうにあたり、第一に問題となるのは、王宮・王都の門外を強固に守る防護結界だ。
そこで、ジークハルトが立てた作戦はこうだった。

 まず、王宮を常に覆っている防護結界に関しては、朝の二回目と三回目の鐘が鳴る間に、登城のために開く通用門を通じて突破する。
一方、王都全体を覆う結界は、緊急事態にのみ展開されるものだが、一度張られると、検問を突破する以外に王都を出る方法はなくなる。
ただ、緊急事態を宣言して、防護結界の展開を命じることができるのは、各団の団長以上の権限を持つ者に限る。
国王は病臥、召喚師は死亡、世俗魔導師団の幹部は軒並み教会に潰された現在、その権限を持つのは、朝会に出席していた大司祭モルティスと軍務卿ジョナルドのみ。
つまり、彼らをうまく足止めして、王都の防護結界が展開される前に門外に出られれば、ジークハルトたちの脱獄は果たされる。
──ここからは、時間との勝負であった。


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