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投稿日:2025年12月31日





 執務室に閉じ込められたと気づいた司祭たちの怒鳴り声と、兵士が内側から扉に体当たりする音が、すぐさま聞こえてきた。
だがギールは、それに耳を貸す間もなく、長廊下の二階の窓から竪樋たてどいを伝って、司祭館の外へと飛び出した。

 芝生に転がり落ち、起き上がると、まず目に入ってきたのは、厩舎きゅうしゃの方から上がる火の手であった。
厨房の煙突から上がる白煙とは違う、物々しい黒煙が、真っ青な秋の朝空に立ち昇っている。
混乱を誘うため、厩舎の飼料庫に火をつけたのはジークハルトだ。
盛んな馬のいななきが聞こえ、何事かと騒ぎ出した兵たちが、事態を把握しようと集まっていくのが見える。
脱獄に気づかれたのは思ったよりも早かったが、流れとしては、概ね計画通りであった。

 火事を知らせる早鐘の音を聞きながら、ギールも、厩舎の方へと駆け出した。
風に巻かれた炎が、周囲の建物にも飛び火して燃え上がり、壁のように四方を塞ぐ。
見る間に充満していく熱波と黒煙に、鎮火に乗り出した兵たちも、かなり狼狽えている様子だ。
ギールには、この異様な速さで広まっていく炎が、ジークハルトによる幻術だということが分かっていた。

 幻炎を掻き分け、厩舎のすぐ近くまでやって来ると、動転した馬たちが、目の前を走り去っていった。
既に開け放たれた扉から厩舎内に入り、馬房の中を確認するが、もう残っている馬はいない。
朝の世話に来ていたはずの騎士見習いたちも、逃げ出した馬を追って、外に出て行ったのだろう。
飼料庫をなめる本物の炎と、幻炎とが入り混じって炎上する厩舎の中には、誰もいなかった。

 先程逃げて行った馬を一頭捕まえるしかないと、厩舎を出たギールは、その時、背後から名前を呼ばれて、咄嗟に振り返った。
炎の中から、大きな黒い影が近づいてくる。
それが、二頭の馬を連れたジークハルトであることに気づくと、ギールは、胸を撫で下ろした。

「バーンズ団長! 司祭たちは執務室の中です。しばらくは出てこられないかと」

「よくやった。このまま通用門を突っ切るぞ」

「はい!」

 ギールは、目隠し付きの手綱をジークハルトから受け取ると、引き寄せた馬の背に飛び乗った。
馬は、炎に怯えた様子で足踏みをしたが、踵で腹を蹴ると、前方に走り出した。

 先導するジークハルトに続き、馬を加速させながら、二手に割れた炎の間を進んでいく。
途中、指示を出し合っている兵たちの中に突っ込むと、彼らは慌てて左右に分かれ、馬の突進を避けた。
その際に、兵たちは、馬上のジークハルトとギールを認識したらしい。
背後から、脱獄だと騒ぐ声が聞こえ始め、物見の塔から響いていた火事の警鐘が、緊急事態を知らせるものに変わった。

 早鐘の音に焦りながらも、全速力で馬を駆る。
しかし、炎の向こうに通用門が見え始めたところで、突然、馬が二頭同時に甲高く鳴き、前脚を振り上げて棹立さおだちになった。
いきなり地面から突き出した無数の岩槍が、ジークハルトたちの行手を阻んだのだ。

「惑わされるな! 炎は幻術だ! 囚人を捕えろー!」

 馬から振り落とされたジークハルトとギールを捕らえんと、大勢の怒号と足音が後ろから迫ってくる。
受け身をとって起き上がったギールは、腰の銃剣を握ると、ジークハルトをかばうように前に立った。
兵たちの中には、最近になって新興魔導師団に離反した者も、多く混じっているのだろう。
杖を構え、幻炎を解除しようと詠唱している魔導師の何人かは、見知った顔であった。

 ジークハルトは、抜刀しようとしたギールの手を押さえると、立ち上がって叫んだ。

「構うな! 追いつかれる前に、走って門を抜けるぞ!」

「ですが、馬なしでは──」

「──いい! そんな暇はない!」

 視界の端で逃げ去っていく馬たちを一瞥してから、ジークハルトは、ギールと共に通用門めがけて走り出した。
馬なしで良いとは言ったものの、長らく拘束されていたジークハルトの身体はすっかり消耗し切っていて、走る足にもうまく力が入らない。
だが、再び捕まっては、地下牢に残ったハインツの思いも、協力に踏み切ったギールの決意も、全て無駄になってしまう。
一か八か、自力で通用門を突破し、防護結界を展開される前に王都を出る。
ここで、立ち止まるわけにはいかなかった。

「門を閉めろ! 急げ! 急げーっ!」

 飛んできた怒声に反応して、ジークハルトたちの前方にいた魔導師二人が、慌てて通用門を閉じ始めた。
通用門は、両開きの鉄門だが、王宮勤めの者が出入りするだけの裏門なので、さほど大きくない。
二人がかりで押せば、あっという間に閉門できてしまう。

 ジークハルトは、魔槍ルマニールを発現させると、門を閉じようとしている魔導師たちに向かって叫んだ。

「悪いが、力づくでも通してもらう! そこをどけ!」

 びくりと振り返った魔導師たちが、ジークハルトとギールの方を見る。
彼らは、まだ十代後半くらいの、年若い青年たちであった。
新興魔導師団に入団した経緯は分からないが、大方、正規の魔導師に昇格して早々、王宮内の勢力図を正しく理解する間もなく、イシュカル教に入信させられた、といったところだろう。
その表情には、色濃い不安と戸惑いが浮かんでいた。

 ジークハルトは、歯を食いしばった。
目前の魔導師たちは、たまたま今日、通用門周辺の警備を担っていただけだ。
まだ、己の正義すら定まっていないような、罪のない若者たちだ。
教会側についているからといって、傷つけるべきではない。
だが、この場で通用門を閉じられれば、移動陣でも使わない限り、王宮から出ることは叶わなくなる。

 早く閉めろと急かす声が、絶え間なく響いている。
不意に、若い魔導師二人が顔を見合わせて、互いに深く頷き合った。
その目には、何かを決心したような、揺るぎない覚悟が宿っている。
それは、たとえジークハルトに殺されようとも、引かずに門を閉めようという、教徒としての覚悟なのか。
あるいは──。

 重々しい音を立てて、通用門が閉じていく。
ジークハルトは、ルマニールを握る手に力を込めた。
手の甲についた焼印が、ズキリと痛む。
すぐ後ろで、ギールが抜刀した銃剣を持ち替え、柄の部分から銃口を引き出した音がした。
ギールも、いざという時は、二人を撃つと決めたのだろう。

 ついに閉門する──寸前。
一瞬だけ、門の動きが止まった。
その一瞬を逃さず、門の隙間に飛び込むようにして、ジークハルトたちは城壁の外へと駆け出る。
すれ違い様、魔導師の一人が、敬礼するのが見えた。

「うつむきません、前を見ます! どうか、ご無事で……!」

 ガチャン、と音を立てて、通用門が閉じる。
門の向こうで、兵たちが怒鳴り散らす声と、再び開門しようとする物音が聞こえてきたが、二人は、振り返らずに走り続けた。

 うつむくな、前を見ろ──というのは、ジークハルトが、評議の場で魔導師たちに向けて言った言葉だ。
あの二人も、評議に参加させられていたのだろう。
自分が身をていして放った訴えに、確かに心動かされた者がいたのだと実感すると、思いがけず、込み上がった熱が目に滲んだ。

 カーン、カーンと、三度目の鐘が鳴る。
ジークハルトとギールは、ひたすらに前を見つめて、人が行き交い始めた市街へと消えて行ったのであった。



To be continued....


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