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投稿日:2025年12月31日
第二章──新たなる時代
第三話『屈従』
バンッ、と空気の爆ぜるような音が響いて、ルーフェンの胸部を、黒い鈍光が貫く。
ギールの放った銃弾が、確かにあの時、彼を殺したのだと思った。
信じたくない。けれど、見間違いであろうはずもない現実。
あの血潮に染まった光景を夢に見るのは、これで何度目だろう。
抱え込んでいた双剣の鞘を握り込むと、トワリスは、ゆっくりと目を開いた。
木々を揺らす夜風は冷たいのに、全身に嫌な汗が滲んでいる。
思わず身震いして、トワリスは、そばに積んでいた細枝を焚き火にくべた。
ややあって、炎が勢いを増し、立ち上った煙は、月の銀光へ溶け込んでいく。
バチッと焚き火が音を立てると、毛布にくるまって寝ていたシャルシスが、ううんと唸って寝返りを打った。
地べたに寝転がると身体が痛くなるだの、野宿は虫が出るから眠れないだのと文句を言っていたシャルシスだが、最近では、毛布一枚あればどこでも熟睡している。
南方ノーラデュースから北上し、西方の産業都市カルガンを目指して、早二月。
合わせて、王都を出てからは、約半年。
世間的には死んだとされるルーフェンとトワリスを伴い、人目を避けながら巡歴するという特殊な状況に、シャルシスは、すっかり慣れてしまった様子であった。
不意に、草を踏み分ける音が聞こえて、トワリスは、片剣を抜刀できるように構えた。
しかし、近づいてきた気配がルーフェンであると悟ると、その場で剣を下ろした。
立ち並ぶ木立の間から、藪を掻き分けて、人影が現れる。
ルーフェンは、纏っていた外套の頭巾をとると、トワリスの視線に気づいて、静かに微笑んだ。
「……ごめん、起こした?」
トワリスは、再び木の根元に腰を据えた。
「起きてました。こんなところで、気配に気づかないほど寝入らないですよ」
そう答えてから、火のそばで寝息を立てているシャルシスを一瞥する。
ルーフェンは、シャルシスの呑気な爆睡ぶりに苦笑してから、トワリスの隣に腰を下ろした。
「やっぱり、この先の街道には検問が敷かれてたよ。カルガンに入るなら、山道から迂回した方が良いだろうね。山越えするのは面倒だけど……」
ぼやいたルーフェンに、トワリスは眉を寄せた。
「検問の設置理由は? この時期だと、金穀祭絡みかとは思いますが……」
「うん。街道にしか設置してないようだったから、君の言う通り、祭りで入る隊商の積荷検査が目的じゃないかな。少なくとも、俺たちを探しているわけではないと思うよ」
ルーフェンが言うと、トワリスは、安堵のため息をついた。
金穀祭とは、毎年秋頃にカルガンで開かれる、その年の豊穣を祝う祭りである。
醸造酒の初酒が振る舞われる祭りでもあって、期間中は、街の至る所に料理や酒を提供する屋台が出るため、商人たちにとっては、良い商いの場ともなっている。
そんな金穀祭を見て回りたい、と言い出したのは、現在、王宮で行方不明とされている次期王シャルシスだ。
大勢の人で賑わう場所に行くなんて危険だと、当然トワリスは反対したが、金穀祭を見に行くのは以前からルーフェンと約束していたことだとごねられて、つい根負けしてしまった。
しかしながら、カルガンは港湾都市ハーフェルンなどと同じく、独自の軍を持たず、宗主都市である王都シュベルテから庇護を受けている街である。
自警団も組織してはいるが、シュベルテから派遣された魔導師たちも多く常駐しているため、その中にルーフェンやシャルシスの顔を知った者がいてもおかしくない。
トワリスには、現在の宮廷魔導師たちの配備状況がどうなっているのか分からなかったが、王都に一時帰還していたハブロや、ルーフェンの追跡に協力していたヨークが、本来の管轄区であるカルガンに戻っている可能性もある。
万が一にも、彼らと鉢合わせするようなことがあれば、最悪の事態になりかねない。
トワリスの曇った顔を見て、彼女が懸念していることを察したのだろう。
ルーフェンは、手近にあった木の枝を拾った。
「そんなに心配しなくても、大丈夫だよ。金穀祭が中止になっていないこと自体が、俺たちの潜伏を疑われていない証拠だろう? 失踪した王子様に関する触れが出たって話も、未だに聞かないしね。隊商が入る時間帯を避けて、検問のない北路を通れば、自警団や魔導師団の目に止まることはないさ」
言いながら、枝で土の上にカルガン周辺の地図を描き、迂回路を示す。
トワリスは、ルーフェンの近くに寄ると、示された迂回路を目で追った。
「北路より、旧セントランス方面から西路で入った方が安全じゃないですか? 北路だと、魔導師団支部の目の前を通ることになります」
トワリスが地図を覗き込んで、西路を指す。
ルーフェンは、肩をすくめた。
「それはそうなんだけどね。見てきた感じ、西路は穏やかじゃなさそうだったから……」
その時、ふと身じろいだ彼の身体から、微かに血の匂いが漂ってきた。
トワリスは、ハッと顔を上げた。
「……何かあったんですか?」
ルーフェンは、小さく鼻を鳴らした。
「さっき、西路を辿ってたら、人買いの一団が追いはぎに襲われてた。この辺、野盗の根城にでもなってるんだろう。後ろ暗いことをしている連中は、皆同じことを考えて、北路は避けたがるみたいだね」
トワリスは、顔をしかめて、改めてルーフェンの全身を見た。
外套の上からでは、単に血で汚れただけなのか、彼自身が出血しているのかどうかの判断はつかない。
心配になったが、怪我をしているのか、とは聞けなかった。
確信を持って尋ねてみて、再び無傷であることを確かめてしまったら、トワリスはきっと、今度こそ平静ではいられないだろう。
ギールに撃たれ、確かに血塗れになっていた彼の胸元に、傷一つなかったと分かった時の違和感は、トワリスの中で、日に日に大きくなっている。
自分の見間違いだった、気のせいだったと思い込めたなら、どれほど気が楽になったか。
膨れ上がった違和感の先に見える、ある一つの可能性から、トワリスは、必死に目を逸らし続けている。
ノーラデュースで、本当のことを教えてほしいとルーフェンに詰め寄った気持ちに嘘はないが、今のトワリスには、まだ全ての真実を彼の口から直接聞く勇気はなかった。
「……交戦になったんですか?」
悩んだ末に、遠回しな聞き方をすると、ルーフェンは苦笑を浮かべた。
「こっちに来たら面倒だなと思って、俺に気づいた数人を脅しただけだよ。深追いはしてないし、顔も見られてない」
「そんなの……」
分からないでしょう、と言いかけたトワリスの言葉を、ルーフェンは、手をあげて遮った。
「なんにせよ、ここはあんまり長居したい場所じゃない。魔導師団に見つかるのも困るけど、勝手の分からない山中じゃ、無法者に絡まれるのも厄介だ。明日は北路の方へ、早めに出発しよう」
「……分かりました」
出かかった言葉を飲み込んで、トワリスは頷いた。
口を閉じると、長い沈黙が二人を包み込んだ。
バチバチと音を立てて、火の粉が爆ぜる。
ぼんやりと焚き火を眺めている、ルーフェンの横顔を窺って、トワリスは再び唇を開いた。
「……ルーフェンさん、もう休んでください。見張りは私が続けます」
ルーフェンは、持っていた枝を焚き火に放り込んだ。
「いや、見張りは俺が代わるよ。君、あんまり寝られてないだろう」
「それはこっちの台詞です。ルーフェンさん、昨晩も勝手にどこか行ってたじゃないですか。気付いてますからね」
鋭く指摘すると、ルーフェンは、こちらに振り向いて、パチパチと目を瞬かせた。
そして、少し困ったように眉を下げた。
「ちょっと周りを見てきただけだよ。人通りの多い日中じゃ、あちこち動けないだろう?」
トワリスは、怪訝そうに顔をしかめた。
「だからって、勝手にフラフラされると困ります。偵察に出るなら、どこに行くのか、どれくらいで戻るのか、ちゃんと私に伝えてからにしてください。……というか、貴方は一応、まだお尋ね者なんですからね。殿下はともかく、私のことは休ませようとか考えなくて良いですから、今は保身を優先して、軽率な行動を謹んで下さい」
「…………」
刺々しく言い放って、ルーフェンを睨みつける。
不満をぶつけたつもりであったが、途端、彼はどこかくすぐったいような顔になって、嬉しそうに相好を崩した。
不意に伸びてきたルーフェンの手が、トワリスの身体を抱き寄せる。
トワリスは、思わず身を固くしたが、抵抗はしなかった。
シャルシスが目覚めたらどうしよう、という気恥ずかしさはあったが、ルーフェンの腕の中に落ち着くと、今更突っぱねようという気も起こらなかった。
「……ごめんね。心配かけて」
ぽつりと、ルーフェンが呟く。
心配というより、怒っているのだと小言を返すと、ルーフェンは、小さく笑って、もう一度「ごめん」と謝った。
計らずも想いが通じ合ってから、ルーフェンは、時折こうして、心底幸せそうな笑みを向けてくるようになった。
別に褒めたわけでも、励ましたわけでもない。
何の変哲もない日常的なやりとりの最中に、唐突に嬉しそうに、締まりなく微笑むのだ。
今まで一緒に過ごしてきた時間の中で、これほど疑いようのない、分かりやすいルーフェンの態度は、見たことがなかった。
正直、調子が狂うし、逃げ出したいような心地になる時もある。
その一方で、ずっと本音の掴めなかったルーフェンが、こんな風に幸せそうな表情を向けてきているのだと思うと、羞恥心も意地も、不安なことも全て忘れて、自分まで幸せに身を任せたくなってしまう。
シャルシスがよく寝入っていることを確認すると、トワリスは、ルーフェンの胸に頭を預けた。
トクリ、トクリと、規則的な鼓動が聞こえる。
当たり前のはずなのに、その当たり前の実感が、トワリスを安堵させた。
──大丈夫。ルーフェンは、ちゃんとこの場にいて、生きているのだ。
外套越しに、温い体温が伝わってくる。
ほっと吐息をつくと、トワリスは、身体の力を抜いたのであった。
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