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投稿日:2025年12月31日
* * *
「おい、あれはなんだ? 何を運んでるんだ?」
ルーフェンの外套をぐいっと引っ張って、シャルシスは、喧騒に負けない大きな声で尋ねた。
指差した先では、華やかな装いの音楽隊に囲まれて、巨大な荷馬車が大通りの雑踏の中を進んでいる。
荷台に積まれた大量の樽を見て、ルーフェンは答えた。
「お酒だよ。カルガンの名産、アンバーペールの初酒」
「ということは、あれが醸造所の酒売り馬車か!」
興奮したように飛び跳ねながら、シャルシスは、改めて人波に埋もれた荷馬車を見やった。
御者、もとい商人が馬を停止させると、音楽隊の男たちが配置につき、軽快な音楽を奏で始める。
その旋律に合わせて、踊り出した舞手たちが、色とりどりのスカートを靡かせる。
人々が手を叩き、音楽の拍子をとると、辺りは心地よい活気と一体感に包まれた。
人だかりから少し離れたところで、同じように手を叩いていたシャルシスの腹が、その時、グウゥと音を鳴らした。
朝食は街に入る前に摂ったが、腹の虫は、早くも限界のようだ。
この状況では、それも致し方ないことだろう。
何せここは、周辺を広大な農園で囲まれた食の街、産業都市カルガンだ。
しかも今は、大規模な酒の祭典『金穀祭』の真っ最中。
農村的な雰囲気も残した、古き良きレンガ造りの街並みは、鮮やかな花飾りに彩られ、通りにズラリと並ぶ屋台や露店では、様々な食料品が売られている。
香ばしい肉の匂いや、瑞々しい果物の香りを嗅ぐだけで、つい食欲がそそられてしまうのだった。
音楽が止み、商人の男が一つ目の酒樽を開栓すると、ワァッと大きな歓声が上がった。
待っていましたと言わんばかりに、人々は杯と小銭を手に、酒樽の周りに群がっていく。
大人も子供も関係なく、自前の杯いっぱいに注がれたアンバーペール (麦酒)を飲み、しまいには、口の端についた泡まで頬張っている。
その楽しげな笑い声と、芳醇な酒の香りに包まれるだけで、雰囲気に酔ってしまいそうだった。
シャルシスは、背負っていた荷から、木製の椀を取り出した。
普段、野宿した時に、煮炊きしたスープや粥を入れるのに使っているものだが、この際、酒を注げるなら何でも良いだろう。
椀を片手に、隣に立っていたトワリスの方に振り向くと、シャルシスは、金をくれ、ともう一方の手を出した。
「ダメです」
「え」
「ダメに決まってるでしょう。見るだけっていう約束だったはずですよ」
断固とした態度で、トワリスが首を振る。
シャルシスは、信じられぬものを見るような目になった。
そして、横で笑いを堪えているルーフェンを睨み、再びトワリスに視線を戻すと、わなわなと唇を震わせた。
「み、見るだけって……確かにそう言ったが、そこに買い食いくらいは含まれているだろう⁉︎ この人混みだぞ? 誰も俺たちの正体なんて気づかない!」
大袈裟な身振り手振りを交えながら、全力で反対の意を示す。
しかし、トワリスは腕組みをして、もう一度首を振った。
「ダメなものはダメです。第一、お金がありません」
「嘘をつけ! 懐の巾着に、いくらか入ってるだろう!」
「これは必要な旅費です。私たちの身の上じゃ、道中どこかで働いて稼ぐこともできないんですから、無駄遣いは禁物です」
シャルシスは、ぐっと押し黙った。
仮にも王族、元召喚師、元宮廷魔導師がそろっていて、酒一杯を買う金もないとは、なんたることか。
渋々椀を荷物にしまうと、シャルシスは、今度は恨めしそうにルーフェンを見た。
「なあ……ちょっとくらい良いだろう? 俺たち、十分切り詰めた旅をしてるじゃないか。それでも困窮するほどの金しか、王都から持ち出さなかったのか?」
すり寄ってきたシャルシスに、ルーフェンは苦笑した。
「そんなこと言われても、色々と予定外なことが起きたからなぁ。……ま、いいじゃない。あっちで見世物もやってたよ。遠巻きに見る分には、お金とられないんじゃないかな」
シャルシスは、スゥッと鼻を膨らませた。
「いやだ! 見るなら近くで見たい! アンバーペールも飲みたいし、肉の串焼きも食べたい! 年に一度の金穀祭だぞ⁉︎ この機を逃したら、俺はもう二度と、こうしてカルガンを巡ることなんて出来ないかもしれない! 買い食いくらい、許してくれても良いだろう! ケチ!」
ルーフェンたちの目の前を、屋台を指差しながら「買って買って」と泣き叫ぶ四、五歳ほどの男の子が、母親に引きずられて通り過ぎていった。
その声に負けず劣らずの声量で、今年十四歳のシャルシスが叫び、地団駄を踏む。
ルーフェンは、苦笑を深めてトワリスを見た。
トワリスは、やれやれとため息をつくと、懐の巾着から小銭を取り出し、シャルシスに握らせた。
「……仕方ないですね。それだけですよ。その金額内なら、好きなもの買って良いです」
シャルシスは、途端に表情を明るくすると、掌上の銅貨の枚数を確かめた。
渡されたのは、五百ゼル。
思ったよりも安かったが、酒と串焼きは買えそうだ。
これ以上騒いで、トワリスの機嫌を損ねてもいけないし、妥協点として五百ゼルなら上々だろう。
シャルシスは、銅貨を大切そうに握り込むと、トワリスに礼を言った。
「ありがとう! 早速買ってきても良いか?」
「いいですよ。遠くの屋台に行くなら、ついていくので声をかけてください」
「わかった!」
シャルシスは、跳ねるような足取りで人混みをかき分け、最初は腹の膨れるものを買おうと、周囲の屋台や露店を見回した。
買うのは串焼きと決めていたのに、改めて種々様々な陳列台を覗いてみると、つい目移りしてしまう。
まず、厚みのある豚肉と野菜が挟まったパンの、香ばしいタレの良い香りが鼻をついて、いきなり心が揺らいだ。
その隣で売られている鶏の串焼きの、少し焦げた皮から油が滴る様を見て、やっぱり串焼きにしよう、と思い直したが、通りすがりの子供がかじっている、細い棒に刺さったブドウ飴が目に入ると、その宝石のような光沢にも、視線が釘付けになった。
肉も良いが、折角麦畑と果樹園の有名なカルガンに来たのだから、農園自慢の甘味も堪能するべきではないだろうか。
向かいの通りを見ると、色とりどりの果物が使われた飴や砂糖漬け、出来立てのタルトやパイなんかも売られている。
こういう時、一ヶ所に立ち止まっていると、呼び込みの商人に捕まって面倒なことになるので、早くどれを買うか決めなければ、と思ったが、シャルシスの心は、なかなか定まらなかった。
だって、どれもこれも、とても美味しそうなのだ。
シャルシスが、街中で売っている食べ物の美味しさを知ったのは、この旅に出てからだった。
きっかけは、南方の城塞都市ライベルクの出店で食べた、揚げ肉の串焼きだった。
到着するや、いきなりルーフェンに「リオット族としばらく地下に隠れていてほしい」と言われ、不満でごねたら、彼が買ってくれた。
とりあえず食べ物で黙らせよう、というルーフェンの魂胆は気に食わなかったし、立ち寄ったのは、いかにも安物の塩漬け肉を扱っていると分かる薄汚い店だったが、それでも、気の良さそうな主人が焼いてくれた串焼きは、こってりと脂っこくて美味しかった。
多分、揚げたてを食べたから、余計にそう感じたのだろう。
野宿をした時にトワリスが作ってくれる、手持ちの食材を突っ込んだだけの色味のないスープも、歩き通しで疲れた身体によく沁みる、優しい味がする。
特別な食材を使っていなくても、盛り付けが適当でも、空腹時に食べる作りたての料理は、毒味を経てから決まった時間に出される、冷め切った晩餐よりもずっと美味しいのだ。
「…………」
シャルシスは、それぞれの屋台が出している値札を確認してから、手に持った五百ゼルに目を落とし、果物の砂糖漬けを売っている屋台の方へ足を向けた。
五百ゼルでは、串焼きは一本しか買えないが、砂糖漬けは安いから、三人分買ってもまだ酒を買えるくらいの釣りが来る。
腹を満たすにはちょっと物足りないが、砂糖漬けと酒を分け合って、ルーフェンとトワリスと三人で食べようと思った。
大通りの角にある、砂糖漬けを売っている屋台の前にたどり着いた時。
突然、路地の方から凄まじい歓声が聞こえてきて、シャルシスは、思わず銅貨を落としそうになった。
歓声といっても、アンバーペールに喜ぶ人々の嬉しげな声とは違う。
怒鳴り声にも似た、ドスの効いた太い声だ。
路地をのぞくと、奥まった先の石畳の広場に、色のついた木札を手にした男たちがひしめいていた。
ちゃんと数えてみると、大した人数はいないのだが、皆 体格が良いので、なんだか窮屈そうに見える。
興味本位で少し近づいてみると、男たちの中心で、これまた屈強な男二人が、素手で殴り合っているのが見えた。
一方が強烈な拳を叩き込むと、興奮したような雄叫びが上がり、むっとした熱気が立ち昇る。
受付らしき卓の前には、"喧嘩賭博"と乱雑に彫られた木板が、説明板と一緒に立てかけてある。
どうやら観衆の男たちは、殴り合っている二人のどちらが勝つかを予想して、賭けをしているようであった。
シャルシスは、説明板にサッと目を通すと、砂糖漬けは買わずに、トワリスたちの元に駆け戻った。
そして、「ちょっと来い!」とだけ言って、ルーフェンの腕を引っ張ってくると、再び路地の見える位置まで移動して、男たちの方を示した。
「ルーフェン! あれに参加して、優勝してこい!」
「えぇ、なんで急に……?」
怪訝そうに聞き返したルーフェンが、鬱陶しそうにむさ苦しい男たちを見やる。
同時に、トワリスに睨まれて、シャルシスは慌てた。
そうだった、人前でルーフェンや自分の名前を口に出してはいけないのだった。
咳払いをしてから、シャルシスは、遠くの説明板を指差した。
「見えるか? 説明板によれば、あれは"喧嘩賭博"というらしい。殴り合いの勝敗を予想して、当て続けた者には、賞金が支払われるそうだ。飛び入り参加も可能だと書いてあったから、俺たちも賭けられるぞ。俺とトワリスで賭けて、お前が優勝したら、この五百ゼルが大金になるかもしれない!」
シャルシスは、名案だろう、とでも言いたげに瞳を輝かせて、手の中の銅貨を見せつけてくる。
ルーフェンは、目を凝らして、自分でも説明板の文面を読んだ。
確かに、今シャルシスが言ったようなことが、それっぽく書かれているが、なんとも胡散臭い文面だ。
まず、この賭けの参加者たちが、説明板の内容を把握しているかどうかが怪しい。
賭博場の中には、識字できる富裕層だけを呼び込むために、あえて案内を文字だけにしているところもあるが、こんな街中で行われている賭博の主催者に、そのような意図があるとは思えない。
殴り合っている男たちも、その周りで盛り上がっている男たちも、見るからに、腕っぷしに自信があるだけの平民層といった感じだ。
主催者側の目的は、彼らが読み書きや計算ができないのを良いことに、ルールも曖昧なまま参加させ、賞金を誤魔化し放題、イカサマし放題の状況を作って、一儲けすることなのだろう。
ルーフェンが答える前に、トワリスが口を出した。
「あんなのに関わったら、ろくなことになりませんよ。あの説明板、一応賞金の分配方法についても書いてますけど、具体的な数字は全く書かれてません。明らかに怪しいです。多分、それっぽい用語を並べて参加者を騙そうとしてるか、そもそも主催側も賭けの仕方がよく分かっていないか、そのどちらかですよ」
シャルシスは、強気な態度で言い返した。
「だが、勝てば賭け金が何倍にもなって返ってくる、という大元のルールは変わらないだろう。多少分配率を誤魔化されたとしても、全ての予想を当てれば、損はしないはずだ。金が増えたら、屋台の食べ物も買い放題だし、今後の旅費にも余裕が出るぞ」
「それはそうですけど……」
旅費に余裕が出る、という部分には心惹かれたようだが、それでもトワリスは、首を縦には振らない。
シャルシスは、ルーフェンの腕を掴んだ。
「な? お前なら、全勝できるだろう? 何せお前は、この国で最も強大な力を持った家系の生まれだ。一般人をのしてやるくらい、朝飯前だろう」
分かりやすくおだててきたシャルシスに、ルーフェンは肩をすくめた。
「やだなぁ、物騒なこと言わないでよ。あれ、魔術や武器の使用は一切禁止の、殴り合い勝負だろう? 俺、そういう暑苦しいのは苦手なんだよね」
「何を言う。お前、シュベルテで物見塔から脱出する時、兵士を取っ組み合いで倒していただろう。忘れてないぞ」
言い返してきたシャルシスが、なぜか得意げにこちらを見上げる。
つかの間、見つめ合ってから、ルーフェンは小さく吹き出した。
「……残念ながら、勝てばいいって問題じゃないんだなぁ、これが。ああいうのは、こっちが儲からないようになってるわけ」
「どういう意味だ?」
顔をしかめたシャルシスが、ルーフェンとトワリスを交互に見る。
嘆息して、トワリスが答えた。
「最終的には、主催者側が得するようにできている、ってことです。こちらは損をする確率の方が高くて、運良く儲かったとしても、ほんのちょっとだけです。金持ちの道楽じゃあるまいし、そうじゃなきゃ、開催する意味がないでしょう? 度が過ぎる場合は、魔導師団が取り締まる対象になるくらいですから」
シャルシスは、再び説明板を見てから、納得がいかなさそうに返した。
「だが、あそこに『最大で百万ゾルを手にした者もいる』と書いてあるぞ。あれは嘘ということか?」
ルーフェンは、頷いた。
「嘘かもしれないし、そもそもの賭け金が高額だったのかもしれない。あるいは、一時的には大金を稼げた、って意味だろうね。ただ、そういう奴は、途中までは予想を的中させ続けても、最後には大概すっからかんの状態で帰る羽目になる。損をしたくないなら、悪目立ちする前に引かないといけない。仮に五百賭けたとして、あの参加人数なら……勝っても負けても、三、四試合くらいで切り上げた方が良いだろう」
シャルシスは、ぱちぱちと瞬いて、改めて騒いでいる男たちの方を眺めた。
ルーフェンは、彼らの何をどう見て、三、四試合くらいで切り上げた方が良い、と判断したのだろうか。
殴り合っている男たちの勝率も、実際に発生している賭け金も分からないので、明確なことは弾き出せないはずなのだが、それでも、何かしらの根拠はあるはずだ。
最近、シャルシスはこうして、ルーフェンが言ったことの意味を、まずは自分の頭で考えるようにしていた。
別に、そうするように言われたわけではないが、ルーフェンの考え方は、王宮にいた頃に学んでいたどんな学問にも倣わない、型破りなものが多かったので、自力で当てられると、今までは見えなかった新しい道筋が開けたような気がしてくる。
それに、掴みどころのない言動が目立つルーフェンだが、なんだかんだで、一生懸命出した答えを伝えると褒めてくれた。
頑張りを認めてもらえると、やはり嬉しい。
普段は厳しいトワリスにも褒めてもらえると、その嬉しさは二倍だった。
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