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投稿日:2025年12月31日
息荒く殴り合う、二人の大柄な男。
その奥に並んだ樽に腰掛け、次に喧嘩試合をするのであろう選手は四人。
観衆はざっと二十人。
主催者は、喧嘩賭博の立て看板近くに座っている、受付の男だろうか。
遠目ながらじっくりと観察し、説明板に書かれている賞金の情報も加味しながら、シャルシスは、頭の中で計算をした。
(仮に選手の実力が五分、観衆全員が賭けに参加していたとして、こちらが五百ゾル賭けたとすると……)
暗算の結果をまとめると、シャルシスは、ルーフェンに向き直った。
「……なんだ、分かったぞ。お前、小細工されるのが怖いのだろう」
シャルシスは、フフンと鼻を鳴らした。
「こちらが喧嘩に勝つ、予想も確実に当てる前提でも、あの人数だと、五百ゾルが倍以上に儲かり始めるのは三試合目からだ。つまり、お前のいう"悪目立ち"をして、主催者側に作為的に大外しさせられるような小細工を仕掛けられるとしたら、三試合目以降。言われてみれば確かに、三つ目の樽に座っている選手の男は、他に比べて妙に落ち着いているような気もする。もしかしたら、奴は主催者側の回し者で、稼ぎすぎた奴が最終的には大損するように、何かしらの小細工を仕掛けてくるつもりなのかもしれん。だから、ほとんど稼げはしないが、大損もしない線として、三、四試合目くらいで切り上げるのが妥当だろう、ということだな」
ルーフェンは、眉を上げて微笑んだ。
「ま、そういうこと。欲を出して、まんまとヤラセに引っかかるなんて、馬鹿馬鹿しいだろう? そんなに沢山買い食いしたいなら、屋台の人に可愛くおねだりして、まけてもらった方がお得だよ」
じゃ、これでこの話は終わり、と踵を返そうとしたルーフェンの腕を、シャルシスは慌てて引き止めた。
「待て待て! 話は最後まで聞け!」
立ち止まって、振り返ったルーフェンに、シャルシスは食い下がった。
「今のは、あくまで勝率が五分と考えた場合──つまり、観衆の約半数が一方の選手に賭けて、残りの半数がもう一方の選手に賭けた時の話だ。しかし、実際には、そうはならないだろう。賭け率が一方に偏れば、話は変わってくる。要は、俺だけがお前に賭けるような状況になれば、二戦、いや一戦だけでも、かなりの大儲けなるということだ」
「……それって、見た目的には俺が弱そうだから、俺に賭ける奴は少ないだろうって言ってるの?」
「その通りだ!」
力一杯肯定したシャルシスを見て、トワリスは、思わず吹き出してしまった。
確かにルーフェンは、体格が良いほうではない。
華奢というほどではないのだが、軍部関係者や喧嘩賭博などしている男たちに比べれば細身だし、何より顔立ちが中性的なので、知らぬ者が見れば、彼がこの国の魔導師団の統括者だったとは思わないだろう。
それにしたって、仮にも召喚師一族であるルーフェン本人に堂々とこんなことを言えるのは、王族であるシャルシスくらいだ。
トワリスが笑ったので、ルーフェンを丸め込む勝機が見えたのだろう。
シャルシスは、ルーフェンを指差して、興奮気味にトワリスを見た。
「な、トワリスもそう思うだろう! 対戦相手が誰になるかは分からないが、あの中にいる連中なら、誰だってルーフェンより強そうだ。初戦からルーフェンに賭ける者など、きっとほとんどいない! そうなれば、連勝賞金は上乗せされなくても、一戦目の段階で五百ゼルが十倍、いや百倍になる可能性だってあるぞ!」
「……まあ……そうかもしれませんね……」
トワリスが笑いを噛み殺して、肩を小刻みに震わせる。
ルーフェンは、にっこりと笑って、シャルシスの頬をつねった。
「へぇ、俺を煽って出場させようって? そんなに稼ぎたいなら、君が出ればいいだろう」
「いああっ、はんへほうはるんはぁ!」
バシッとルーフェンの手を叩き落とし、シャルシスは、赤く伸びた頬をおさえた。
「な、なんでそうなるんだ! 急に俺みたいな子どもが参加したら……その、お、驚かれるだろう!」
ルーフェンは、わざとらしくため息をついた。
「まーた都合の良い時だけ子どもヅラして。君、王宮で一通り武術は仕込まれたんだろう。一般人を軽くいなすくらい、当然できるよね? でも、はたから見たら、大人と子どもの喧嘩。子どもの方に賭けようなんて奴は、まずいない。つまり、俺が出るより、君が出た方が賭け率が偏って、大儲けできる可能性が高い」
「…………」
やけに爽やかなルーフェンの笑顔を一睨みしてから、シャルシスは、歓声を上げる男たちの方へ振り返った。
いつの間にか、喧嘩の勝敗がついていたらしい。
賭けに勝って沸き立つ男たちの間から、喧嘩に負けた選手の大男が、身ぐるみを剥がされた状態で運び出されてきた。
大男は、思い切り顔面を殴られて、意識を失っているようだ。
まるでゴミのように路地の端に打ち捨てられた姿は、なんとも哀れで痛々しかった。
ギクシャクとした動きでルーフェンに視線を戻すと、シャルシスは、もごもごと口ごもった。
「……あ……相手は、一応一般人だぞ。娯楽とはいえ、民に暴力を振るうほど、俺は落ちぶれていない……」
ルーフェンは、すっと目を細めた。
「ふーん……もしかして、勝てる自信がないの?」
「そ、そんなことは言ってないだろう! ただ、俺の立場は、お、重いんだ……。善良な民を害することなど、決してあってはならない……」
目を逸らしつつ、苦し紛れにそう答える。
ルーフェンは、おかしそうに唇を歪ませて、大袈裟な口調になった。
「ははあ、なるほどねぇ。流石、王子様は言うことが立派だなー。俺もその精神を見習って、お金欲しさに殴り合うなんて野蛮な画策はしないでおくよ。やっぱり、弱い者いじめは良くないよね。ってことで、目をつけられる前に、さっさとこの場から離れようか」
「……くっ、ルーフェン、お前ぇえ……!」
シャルシスは、腹立ち紛れに、ルーフェンの脛を蹴り上げようとした。
しかしルーフェンは、一歩後退して、ひょいと蹴りを避けてしまう。
冷静に考えてみれば、シャルシスには、そこまで喧嘩賭博に執着する理由はない。
だが、丸め込んでやろうとしていたルーフェンに、逆に言い負かされて、このまま引き下がるのは癪だった。
それに、やはりお金はほしい。
お金があれば、酒でも肉の串焼きでも、果物の砂糖漬けでも、いろんな種類の屋台の食べ物を、三人分買うことができるのだ。
立ち去ろうとしているルーフェンの袖をつかみ、トワリスに協力を仰ごうとした時。
シャルシスは、ついさっきまで近くにいたはずのトワリスが、いなくなっていることに気がついた。
そういえば、またルーフェンの名前を口走ってしまったが、いつもの小言が飛んでこなかった。
一体どこに行ったのだろう、と辺りを見回し、路地の隅に小柄な後ろ姿を認めてから、シャルシスはギョッとした。
トワリスは、先ほど喧嘩賭博に負けて放り出された、下着姿の大男のそばで屈んでいたからだ。
「な、なな何をやってるんだ⁉︎」
慌ててシャルシスが駆け寄ると、トワリスは、折れているらしい男の左腕に裂いた布をまいて、患部を固定しているところだった。
トワリスは、シャルシスには構わず、男の肩を軽く叩いた。
「聞こえますか? 起きてください。こんなところで倒れてると、また喧嘩に巻き込まれますよ」
「…………」
何度か声をかけるが、男はぐったりとしていて、反応しない。
脂ぎったヒゲ面は鼻血まみれで、開いた大口からは、折れた歯がのぞいていた。
後から来たルーフェンが、男とトワリスを見下ろして、呆れたように言った。
「ほっときなよ、別に死ぬような怪我じゃない。気にしてたらキリがないよ」
トワリスは、少し迷ったように視線を動かしてから、彼女らしい頑なな顔つきになった。
「そうですけど、これは流石に見過ごせません。せめて、巡回の魔導師の目につきやすいよう、表通りに転がしておきましょう」
「いやいや、そんなことして、俺たちの方が目をつけられたら──」
「──私だけなら、最悪どうにか誤魔化せます。二人は見つかるとまずいので、目立たないように隠れていてください」
言いながら、トワリスが男の片腕を肩に回し、その巨体を支え起こそうとする。
ルーフェンは、嘆息して肩をすくめた。
関わるとろくなことがない、目立つことはするべきじゃない、と口酸っぱく注意喚起していたのは彼女のほうなのに、いざ放っておけないと思う場面に遭遇すると、直情的に動いてしまうのがトワリスだ。
冷静そうに見えても、ふとしたきっかけで衝動的になってしまうところと、一度言い出したら絶対に貫く頑固さは、昔から変わらない。
こうなった彼女を説得できる自信はなかったので、ルーフェンは、それ以上何も言わなかった。
その時、喧嘩賭博の受付に立っていた男が、こちらに気づいて近づいてきた。
顔に大きな古傷がついた、若い男だった。
違法ギリギリの賭博を開催している者にとって、「巡回の魔導師の目につきやすいよう」などという言葉は、聞き捨てならないものだろう。
トワリスの声が聞こえていなかったとしても、敗者の男は、おそらく賭けにも負けて借金を背負い込んだ身だ。
主催者側からすれば、みすみす解放して良い存在ではないはずであった。
「おい女、なに勝手なことしてやがる。そいつはなぁ、自分に賭けて、五十万も借金したんだ。こき使って、売っぱらったって、そいつ一人で賄える額じゃねぇ。それを分かってて、俺たちに喧嘩売ってんのか?」
男の威圧的な発言を聞いて、シャルシスは、思わず息を飲んだ。
そうか、賭けをして返せないほどの借金を背負ってしまうと、自分自身を売る、なんてことにもなりうるのか。
五十万ゾルは確かに大金だが、シャルシスが王宮を出た時に身につけていた上衣の金のボタンをいくつか売れば、簡単に作れる金額だ。
倒れている大男の命がボタン以下であることと、それを当たり前のように語っている男の価値観がこの場では普通であること──この二つが、事実として目の前に迫ってくると、急に恐ろしくなってきた。
トワリスは、一度大男の身体をその場に下ろすと、落ち着いた口調で言い返した。
「祭りで浮かれるのは結構ですが、カルガンでは、人身売買は禁止ですよ。魔導師に捕まりたくなかったら、怪我人を手当てして、速やかに解散して下さい」
男は、トワリスの毅然とした態度に驚いた様子であったが、まさかこの女が、元宮廷魔導師であるとまでは思っていないだろう。
嘲笑ってから、男は、トワリスをじろじろと眺めた。
「じゃあなんだ、こさえた借金を踏み倒すのは、罪じゃねぇってのか。なんなら、あんたが肩代わりしてくれてもいいんだぜ? 顔、見せてみろよ。見目次第じゃ、このクズ男よりは高値で売れるだろう」
男の手が、目深にかぶられたトワリスの頭巾へと伸びる。
横で傍観していたルーフェンは、小さく吐息をつくと、その手を制して、男とトワリスの間に入った。
「まあまあ、落ち着いて。君たちだって、大事にはしたくないだろう? 借金が帳消しになるのは気の毒だけど、そもそも、死傷者を出すような賭博自体が取り締まり対象だ。お互い、ここらで手を引いた方が、色々と穏便に済ませられるんじゃないかな」
「ぁあ? なんだテメェ! 何が取り締まりだ! そっちが先に口出して来やがったんだろうが!」
乱暴に手を振り払った男が、ルーフェンの胸ぐらに掴みかかる。
勢いで外れかけた頭巾を押さえて、ルーフェンは、振り上がった男の拳を見た。
このまま殴られるのは御免だが、反撃すれば、火に油を注ぐことになるだろう。
さて、どうしたものかと思案しながら、指先に魔力を込めた──次の瞬間。
突然、男がギャッと悲鳴をあげて、鼻血を撒き散らしながら大きくのけぞった。
トワリスが、ルーフェンの背後から出てきて、思い切り男の顔面を殴り飛ばしたのだ。
よろけた男が、受付の木卓にぶつかって、仰向けに倒れる。
喧嘩賭博の立て看板が、木卓に巻き込まれて倒れると、その音に驚いて、観衆たちがこちらへ振り返った。
つかの間、沈黙が流れる。
彼らにとって、揉め事は日常茶飯事だろうが、主催者の一人が見知らぬ女に昏倒させられたとあっては、流石に無視できない様子であった。
「……あーあ、折角穏便に済ませようとしたのに」
ルーフェンがぼやくと、トワリスは、しまった、という顔で自身の拳を見た。
しかし、すぐに居直ると、ルーフェンに反論した。
「だ、だってしょうがないでしょう! あんな至近距離で胸ぐらを掴まれて、髪や瞳の色を見られたらどうするつもりだったんですか。魔術を使うなんて以ての外です! だから目立たないように隠れてて下さいって言ったのに!」
「そんなこと言ったって、君も耳とか見られたら困るでしょう。どっちかというと、この場で目立つのは君の方だし」
「私より、貴方が目立つ方が問題だって言ってるんです!」
「……おい」
ルーフェンとトワリスの小声の応酬を、野太い声が遮った。
三番目の空樽に座っていた、剃毛頭の男が、観衆たちを押しのけて、トワリスたちの前に立つ。
これまた大柄で、ただのならず者とは思えない、やけに迫力のある男だった。
「女、いきなり俺の弟に殴りかかるたぁ、一体どういう了見だ? 俺たちはな、俺たちのルールの中でやり合ってんだ。通りすがりのアバズレに、賭けの外で喧嘩売られて、このまま帰すって訳にはいかねぇよなぁ?」
ルーフェンが止める間もなく、トワリスが一歩前に出た。
「貴方たちが勝手に作ったルールは知りませんが、この街にもルールがあります。個人間で高額のやりとりが発生するような賭博、付随して暴力沙汰や人身売買が起こるような催しは総じて禁止です。というか、先に手を出したのはそちらですよ。喧嘩を売られたのは私たちの方です」
「……ほう、言うじゃねえか。で、その喧嘩、買うってぇのか?」
口端を上げて、男は、懐から抜いた小刀を、見せつけるように左手から右手に持ち替えた。
口元は笑っているのに、目は全く笑っていない。
両者の間に、緊迫した空気が漂い始めたのを感じて、シャルシスは焦った。
手っ取り早く手持ちの五百ゼルを増やしたかっただけなのに、なんだか大変なことになってしまった。
トワリスが半獣人で、女ながらに宮廷魔導師を勤めていた実力者であることは分かっているが、今は、公には魔術が使えない状況だ。
カルガン常駐の魔導師たちに、万が一にも魔力を感知されるわけにはいかないからである。
それに対し、相手はトワリスよりも──いや、ルーフェンと比べてみても、体格が一回りも二回りも大きい、武器まで持ち出している巨漢だ。
向かい合って立つと、その体格差は顕著で、とてもではないが、トワリスが敵うようには見えなかった。
シャルシスは、首を巡らせて、受付近くに積まれている複数の木箱に目をつけた。
木箱の中には、沢山の色分けされた木札──賭け札が入っており、その裏面には、賭けた金額が表記されている。
シャルシスは、倒れていた木卓を立て直すと、その上に持っていた五百ゼルを置いた。
そして、木箱の中から"五百"と書かれた赤の賭け札を取ると、それを高く掲げて、咄嗟に叫んだ。
「お、俺は女に五百ゼル賭けるぞ! これは喧嘩賭博、武器は使用禁止の殴り合い勝負だ。お前、その小刀を捨てろ!」
トワリスとルーフェンが、驚いたようにシャルシスを見る。
同じく、観衆たちも呆然とシャルシスを見ていたが、不意に男が吹き出すと、つられて一斉に爆笑し始めた。
女の次は子供が出てきた、と面白がっているのか。
あるいは、五百ゼルという格好のつかない端金に呆れているのか。
何にせよ、シャルシスを馬鹿にして起こった嘲笑の渦である。
だが、観衆の一人が木卓に金を置き、青の賭け札を取ったのを皮切りに、笑いながらも、この一戦に参加する者たちが次々と現れた。
「いいぞ、いいぞ! やっちまえ! 俺はドリックに五千ゼル!」
「俺は六千! 手加減してやれよ、ドリック!」
「いやいや、あの女、さっきネリオをぶっ飛ばしたんぜ? 俺は女に二百だ!」
木卓の上に、空いた木箱の中に、硬貨の山が築かれていく。
数人だけ、ふざけ半分でトワリスに少額を賭けている者もいたが、ほとんどは主催者の男──ドリックに賭けている。
この賭け率でトワリスが勝てば、シャルシスの五百ゼルは、何百倍にもなって戻ってくることになる。
逆に、相手側にとっては、勝ったところでほとんど儲けのない、つまらない状況だ。
肝心のドリック本人が、この賭けに乗ってくるかどうかは、まだ分からなかった。
笑い涙を浮かべながら、ドリックは、シャルシスを見た。
「おいおいガキ、正気かぁ? 姉ちゃんがボコられて、その大事な小遣いがなくなっちまっても、メソメソ泣くんじゃねえぞ」
「……ね、姉ちゃんではない……。その二人は、なんというか……俺の友人みたいなものだ」
シャルシスが真面目にそう答えた途端、男たちの間に、再びゲラゲラと笑いが起こった。
ドリックの手には、未だ小刀が握られている。
なんとか小刀を捨てるように誘導したいのに、何を言ったところで、まともな受け答えをしてもらえる気がしない。
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