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投稿日:2025年12月31日






 ネリオが腹に抱えていた約五万ゾルを奪い取ると、シャルシスたちは、足早に路地を立ち去った。
本当なら、もっと高額の賞金を手にできたはずなのだが、計算が終わるまで路地に留まって、騒ぎを聞きつけた魔導師にでも見つかれば、金の受け渡しどころではなくなってしまう。
賭けに負けた観衆たちが、"ドリック叩き"に夢中になっている間に、三人は、屋台の並ぶ大通りへと戻って、姿を眩ましたのだった。

 大通りをしばらく歩いて、巨大な石組の中心に大火が焚かれている広間に出たところで、突然、シャルシスが笑い出した。

「すごかった、すごかったなぁ! 五百ゼルが、五万ゼルになった!」

 頰を紅潮させ、未だ興奮冷めやらぬといった様子で、ずっしりと重くなった巾着を抱きしめる。
トワリスは、ルーフェンと顔を見合わせてから、複雑そうな表情になった。

「今回は運が良かっただけですから、賭けは稼げるなんて思わないでくださいよ。そのお金も、旅費にします。屋台で一気に使うような額じゃありません」

 厳しい口調で言って、巾着を寄越すようにと手を出す。
ごねるかと思ったが、シャルシスは、素直に頷いた。
そして、特にためらう様子もなく、あっさりと巾着を渡してきた。

「分かっている。これは、トワリスが無法者をやっつけた報酬のようなものだしな! でも、千ゼルだけもらってもいいか? それだけあれば、いろいろと買える」

「まあ、それくらいは構いませんけど……」

 少し周囲を気にしながら、トワリスが、巾着から取った千ゼルを渡す。
シャルシスは、満面の笑みでそれを受け取ってから、広場を囲む花壇の縁石に、ルーフェンとトワリスを座らせた。

「よし、二人はここで休んでいろ。俺が屋台で何か買ってきてやる。欲しいものはあるか?」

「い、いえ、特には……」

「じゃあ、串焼きとアンバーペールだな! すぐ戻ってくる!」

 遠くには行かないで下さいよ、というトワリスのお決まりの忠告を背に、シャルシスは、跳ねるような足取りで雑踏に突っ込んでいく。
その小さな身体が、串焼き屋の前の人だかりに割り込んでいったことを確認すると、トワリスは、浮かせていた腰を縁石に戻した。

「……大丈夫ですかね、あの子。今回のことで味を占めて、賭博にハマったりしないといいんですけど」

 トワリスが呟くと、ルーフェンはおかしそうに笑った。

「賭け自体を楽しんでたわけじゃないだろうから、大丈夫でしょ。それより俺は、君に感化されたんじゃないかって心配だなぁ。道行く無法者を、片っ端から成敗しようとするような、命知らずで直情的な王様になっちゃったらどうしよう」

 トワリスは、横目にルーフェンを睨んだ。

「……それ、遠回しに、私が軽率だったって言ってます?」

「いや? 軽率とは言ってないよ。命知らずで、直情的って言ったんだよ」

 バシッとルーフェンの肩を叩いてから、トワリスは、不服そうに唇を尖らせた。

「悪かったですね、喧嘩っ早くて。私だって、好きで騒ぎを起こしたわけじゃありません。でも、そういう流れだったし、賭博で吹っ掛けるどころか、人買いまで担ってるような連中は、放っておけないでしょう」

 それを聞いて、ルーフェンが一層笑い出すと、トワリスの眉間の皺が深くなった。
慌てて手を振り、「責めてるわけじゃないよ」と返すが、赤褐色の瞳は訝しげだ。
ひとしきり笑ってから、ルーフェンは言い変えた。

「君は変わらないなぁ、と思っただけだよ。魔導師団の任務じゃないんだから、正義感とか使命感とか、あんなゴロツキ共相手に発揮しなくても良いのに」

「……別に、正義感ってほどのものじゃ……」

 反論しようとして、トワリスは言い淀んだ。
正義感とか使命感とか、そんな大それたものではない。
ただ、目の前で起きた揉め事を止めに入って、ついでに旅費も稼いだだけだ。

 確かに、一般的な平民の女なら、柄の悪い大男たちに詰め寄られて、殴り飛ばしはしないだろう。
ルーフェンやシャルシスに対して、日頃から「騒ぎを起こすな」と注意していたくせに、かくいう自分が、目立つようなことをしてしまった、という自覚もある。
しかし、だからといって、目の前で起こりかけていた犯罪を見逃すべきだったのか、という話にはならないし、トワリスだって、全くの考えなしだったわけではない。
魔導師団に見つかる前に、早々に片をつけられる自信があったから、売られた喧嘩を買ったのだ。
軽はずみな行動だった、と言われればその通りなのだが、だけど、それでも──。

 ルーフェンは、しばらくの間、仏頂面で黙り込んでいるトワリスの顔を眺めていた。
だが、その思考が堂々巡りを始めていることに気づくと、少し困ったように微笑んだ。

「ね、トワ。本当に責めてるわけじゃないよ。あれでこそ君って感じもするし、自由で気ままな旅途中、好きなようにやればいいさ。そのせいで何か起こったら、また逃げればいい。……俺も、この旅の間は、なんでも付き合うよ」

「…………」

 トワリスは、微かに目を見開くと、ぎゅっと膝上の拳を握りしめた。
深い意味はないのかもしれないが、この旅の間は──という言葉が、やけに重く、心の奥底に沈んだ。

 巨大な焚き火が、広間の中心で揺れている。
トワリスは、何も言わずに俯いていたが、ややあって、目の前の炎を見据えると、「貴方は気を抜きすぎです」とだけ答えた。

 その時、近くを通りすぎていった商人の立ち売り箱から、長さの切り揃えられた麦わらの束が落ちた。
よく見ると、焚き火の周りでは、他にも数人の商人が、同じような麦束を売り歩いている。
集まった人々は、その麦束を買っては、細長く編んで、広場中央の焚き火に放り込んでいく。

 これは、金穀祭の儀式の一つで、古くから行われてきた"豊穣の祈り"だ。
収穫した麦の一部を、天災が起こりませんように、家族が飢えませんように、と祈りながら編み、焼くことで天に返還、奉納する。
そうすることで、人々の感謝と祈りを聞いた天が、翌年の天候を穏やかにし、また多くの実りをもたらしてくれると信じられているのだ。
といっても最近は、何かにつけて儲けたい商人たちの手によって、販促活動と化している。
祈りの儀式というよりは、買った麦束に願いを込める行事として、定着しているのだった。

 トワリスは立ち上がると、落ちた麦束を拾って、商人に渡した。
そして、礼を言う商人から、その麦束をもらって戻ってくると、再び縁石に座って、それを編み始めた。

「……前も思ったけど、君がそういうの信じてるの、ちょっと意外だな」

 ルーフェンが、編まれていく麦束を眺めながら、ぽつりと呟く。
トワリスは、居心地が悪そうに身じろいだ。

「信じてるっていうか……願ってみたら、気持ちが前向きになって、物事が良い方向に進むことってあるじゃないですか。これは、効果を実証済みなので」

「実証済み?」

 聞き返すと、トワリスは、ぼそぼそとした声で答えた。

「訓練生時代に、正規の魔導師に昇格できたら、アーベリトに配属されますようにって、その年の金穀祭でお願いしたんです。まあ、実際に配属されたのはハーフェルンでしたけど……偶然、そこで貴方と再会して、最終的にはアーベリトに行けたので、もしかしたら、あの時のお願いが効いてたのかなって。……今、急に思い出しました」

 ルーフェンは、驚いたように目を瞬かせた。

「お願いしたって……え? 君、訓練生だった頃はカルガンにいたの? 初耳なんだけど」

「……そういえば、言ってなかったかもしれませんね。返事がなかったから、手紙にも書きませんでしたし」

 トワリスは、わざと刺々しい口調でそう言った。
──十二歳で、サミルの城館から孤児院に移った時。
魔導師団への入団を決めた時。
港湾都市ハーフェルンへの配属が決まった時。
まだ十代半ばだった頃のトワリスは、何度か近況を綴った手紙をルーフェンに送ったが、その返事が返ってきたことは、一度もなかった。
けれども、届いていなかったわけではないし、忘れられていたわけでもなかったはずだ。

 「あれは……」と口ごもって、眉を下げたルーフェンに、トワリスは、ふっと表情を緩めた。

「いいんです、分かってます。返事なんて、できないですよね。魔導師団に獣人混じりの存在を口聞きしてくれてた状態で、手紙のやりとりまでしたら、私がアーベリトと通じてるって疑われるから。……だけど、昔の私は、貴方は忙しくて下々の相手をする暇がないんだ、と思ってたので、何通も手紙を送るのは気が引けたし、再会した後も、気軽に身の上話をするのは控えてたんです」

 ルーフェンは、バツが悪そうに視線を動かした。

「下々って……なんか嫌味な言い方だなぁ。俺、アーベリトの人たちとは仲良くしてたつもりだけど、そんなに話しかけづらかった?」

「そういうわけじゃないですけど……」

 トワリスは、周囲を見回してから、小声で続けた。

「ルーフェンさんって、私に対してもそうでしたけど、誰かの前では"皆が望む召喚師様"って感じになるじゃないですか。だから、雰囲気は砕けてたとしても、中身のない雑談みたいなことをするのは、私なりに遠慮してたんですよ。……まあ、今思えば当たり前というか、実際に貴方は召喚師だったから、嫌でも人前では、そういう風に振る舞ってたんでしょうけど……」

 ルーフェンは、虚を突かれたように瞠目した。
それから、微苦笑を浮かべて、細く吐息をついた。

「……そりゃあ、アーベリトに王権を移したのは、こっちの都合だったからね。勝手に三街を巻き込んで、勝手に移籍してきた俺が、別に望んで召喚師の地位にいるわけじゃないとか、自分の選択が正しかったかどうか分からない、なんて言ってたら、渦中の皆は不安になるし、腹も立つだろう。……せめて、俺のやり出したことが続いている間は、あくまで正しいことを突き通してきた、召喚師様ヅラしてないとね」

 ふと、麦束に触れていた手を止めて、トワリスは眉を寄せた。

「勝手な都合、ってことはないでしょう? 当時のシュベルテは、遷都せざるを得ない状況にありました。国が出した結論の責任を、その中心にいたというだけで、まだ十四、五だった貴方が、全て負う必要はないと思いますけど」

 ルーフェンは、銀色の睫毛を伏せた。

「……どうかな。ごちゃごちゃ悩んだ末に、結局は俺も、私情で動いていたところはあったから」

 意味を問うように、トワリスが首を傾げる。
ルーフェンは、苦笑を深めた。

「俺も、君を咎められないくらいには、直情的に動いてきたってこと。アーベリトを王都にしたのは、カーライル家の王権を守るためだったけど、本音を言えば、それだけじゃなかった。俺が、母親から逃げて、アーベリトに行きたかったんだ。リオット族のことだって、そう。元々彼らは、地下で静かに絶えていくことを望んでたのに、それを俺が無理矢理説得して、地上に引きずり出した。
……思えば全部、時勢を建前に、私情でやってきたことだ。教会の動きを助長させたことも、ミストリアの一件も、召喚師の地位を捨てたことも。……こうして、君と一緒に、祭りなんて見に来てることも」

 どこか冗談めかしたような口調で、ルーフェンは呟いた。

「……なんて、こんなこと、俺についてきちゃった君にこそ、言うべきじゃなかったかな」

「…………」
 
 喧騒に飲まれてしまいそうな、小さな囁き声だった。
だが、トワリスには、その声だけが切り取られたかのように、はっきりと聞こえた。

 まるで、二人並んで座っているこの空間だけが、周囲から隔絶されているような感覚だ。
この場で目を閉じ、開いたら、外で起こっている華やかな光景の一幕一幕が、幻の如く消え去ってしまうのではないか、とさえ思える。

 少しの沈黙の後、トワリスは、小声で返した。

「……いいんじゃないですか。貴方だって、もう召喚師じゃないんですし」

 ルーフェンの瞳が、わずかに動く。
視線を落として、トワリスは、再び麦束を編み始めた。

「……私、貴方の見せる召喚師らしさが、必要以上に近づかないでほしいっていう線引きなら、踏み込めないなって思ってたんです。誰だって、触れられたくないことはありますし、一人になりたい時もあります。後ろ向きなことを言ったり、弱いところを見せたりして、失望されたくないって気持ちも分かります。私、貴方のそういう気持ちを、無神経に踏み躙って、ズケズケと心の内を聞き出したいわけじゃないんです。……だけどそれが、貴方個人の気持ちじゃなくて、召喚師としての使命感だったっていうなら、私の前では、そんなこと気にしないでほしいです」

 編み終えた麦束を、指先で確かめるようになぞる。
一呼吸おいて、トワリスは言葉を継いだ。

「……ってことを、本当はずっと、アーベリトで一緒だった頃から、言いたかったんですけど。私に何ができるんだって突っぱねられたらそれまでだし、貴方の言う通り、召喚師は、人より多くの重荷や秘密を抱えなきゃいけない立場で、時には、近寄りがたい雰囲気を出すことも必要だったんだと思うから、言う勇気がなくて。……だけど、今はもう貴方は召喚師じゃないし、私も魔導師じゃなくなったので、いいですよね」

 トワリスは、少し照れ臭げに破顔した。

「お互い、立場を無くして、見栄を張る必要もなくなっちゃったので、今までは言えなかったこと、なんだって言えます。そういう意味では、私も、この旅に出て良かったなって思えるようになりました」

「…………」

 風がそよいで、立ち昇る炎の熱気が、澄んだ空を歪める。
目の前を走って行った二人の子どもが、一緒に編んだのであろう麦束を、焚き火に放り込んだ。
そして、天に昇っていく白煙を見上げながら、両手を組んで、何かを祈っている。

 ふと思いついて、トワリスは、自身の麦束をルーフェンに差し出した。

「……お願いごと、貴方もします?」

 ルーフェンは、曖昧に笑うと、ひらひらと手を振った。

「いいよ、俺は……。ていうか、これ、二人分いけるの?」

「分かりませんけど……やっぱり、欲張るとダメですかね?」

 トワリスの問いに、さあ、と肩をすくめる。
少し考え込んでから、ルーフェンは言った。

「……じゃ、君の願いごとが、叶うように願っとくよ。これなら、二人で一つみたいなもんでしょ」

 トワリスは、編んだ麦束を手元に戻すと、焚き火の方を見つめた。
それから、静かに吐息をついて、言った。

「……私は、貴方と殿下が、これから先、どんな道を行くことになっても、後悔しませんように、幸せに過ごせるようにって、お願いしておきました」

「…………」

 ルーフェンは、口を開きかけたが、何も答えなかった。
ただ、再び前を向いて、焚き火の方を見つめている。
その横顔は、どこか望洋としていて、朧げな夢でも目の当たりにしているかのようだ。

 今、彼が何を考えているのか、トワリスには、なんとなく分かるような気がした。
互いに分かっている。この旅は、永遠ではない。
過ぎ去っていくこの一幕一幕を、繋ぎ止める術がなくて、どうしようもなく胸が苦しい。
指の間をすり抜け、無情に流れ落ちていく砂の音が、どこかでサラサラと響いていた。

 祈りを終えたらしい子供たちが、キャアキャアとはしゃぎながら、母親の元に戻っていく。
現実に引き戻されたかのように、ルーフェンが言った。

「……ところで、あの子、遅いね?」

「え……」

 ぱちぱちと瞬いてから、トワリスも、後ろを振り返る。
そういえば、買い物に出たシャルシスが、まだ戻ってきていない。
花壇の縁石から腰を上げて、先ほどシャルシスが並んでいた串焼き屋の方を見たが、いつの間にか、彼の姿はなくなっていた。

「……別の屋台に移動したんでしょうか。一人で遠くには行かないと思うんですけど……」

 言いながら、周囲の人混みを見渡す。
これまでも、シャルシス一人で買い物に行く機会はあったが、彼がトワリスとの約束を破って、勝手に目の届かないところへ行くようなことはなかった。
祭りとなれば、確かに目移りしそうなものは多いが、今回に限って、断りもなく寄り道をしている、ということはないだろう。

 ルーフェンとトワリスは、しばらくその場で、シャルシスの姿を探していた。
しかし、見渡せる範囲にシャルシスがいないことを悟ると、目を見合わせて、サッと顔を青くしたのだった。


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