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投稿日:2025年12月31日







  *   *   *


 三人分の鳥の串焼きを買い、温かく匂い立つそれを紙包で包んで小脇に抱えると、シャルシスは、次はアンバーペール (麦酒)を買おうと大通りに戻った。
屋台の並ぶ道は、祭りを楽しむ人々でごった返している。
その混雑ぶりは、一度飲まれると前も見えないほどで、そう遠くはないはずの酒売り馬車までの道のりが、ずっと長くあるように感じられた。

 懐の串焼きをかばいながら、なんとか人混みの中を進んでいると、不意に、すぐ隣をボサボサ頭の少年が通り過ぎていった。
年は、十歳に満たないくらいだろう。
落ち窪んだ目が盛んに動いており、道行く人々を観察している。
擦り切れた服の裾からのぞく、痩せ細った四肢を見れば、その子が浮浪児であることはすぐに分かった。

 一瞬、その少年と目が合ったような気がして、シャルシスは、反射的に手中の銅貨を握り込んだ。
貧しい者が他人の金をろうと、こうして雑踏に紛れていることは珍しいことではない。
シャルシス自身も、王宮を出てすぐに、シュベルテの城下で浮浪児に巾着を掏られかけたことがあるし、立ち寄ってきた他の街でも、身寄りのない者たちが盗みを働いて、飢えを凌いでいるところなど散々見てきた。
明日を生きるのに必死な彼らは、実に巧みに巾着の隠し場所を探り出し、人の懐から金を盗み取っていくのだ。

 少年は、人の間を縫うようにして移動し、やがて、すれ違いざまに、飴売りの露台を覗き込んでいる老女の腰帯から巾着を抜き取った。
そして、流れるような所作で、取った巾着を自身の袖にしまうと、人混みを離れ、薄暗い路地へと消えていった。
周囲の人々は買い物に夢中で、少年の盗みに気付いている様子はない。
気づいていたとしても、わざわざ少年を捕まえようとは思わないだろう。
捕まえたところで、食うに困った浮浪児を、自分が救えるわけではないからだ。

 シャルシスも、路地の方を一瞥しただけで、歩みを止めるつもりはなかった。
けれども、巾着を盗られた老女が、小さな男の子と手を繋いでいることに気づくと、思わず立ち止まってしまった。
年齢から察するに、親子ではなく、祖母と孫だろう。
あれがいい、これがいい、と色とりどりの飴を指差す男の子に、老女は、朗らかな笑みを浮かべて頷いている。
二人とも、決して裕福そうには見えない、農民階級の毛織服を身に纏っていた。

 シャルシスは、また路地のほうを見やって、再び老女に視線を戻した。
ルーフェンたちを呼びにいこうか、とも思ったが、そんなことをしていたら、あのスリの少年はどこかへ行方を眩ませてしまうだろう。
それに、スリを追いかけたいなんて言っても、おそらくルーフェンは頷かない。
トワリスなら追いかけてくれるかもしれないが、追いかけたところで、あんな落ち窪んだ目をした少年から、果たして巾着を取り上げることができるだろうか。

 シャルシスたちにだって、誰かに施しを与えてやれるほどの余裕はない。
いくらか渡すことはできても、それは少年の未来を保証するにはならないし、他にも大勢いるであろう浮浪児たちの現状を根本的に解決しなければ、今日にも明日にも、きっとまた同じことが繰り返される。
地位も権力も王都に置いてきてしまった、今のシャルシスには、できることなど何もないのだ。

「…………」

 ぎゅっと目を瞑り、酒売り馬車の方へ行こうとして、しかし、もう一度足を止めると、シャルシスは振り返った。
買ってもらう飴を決めたらしい男の子が、頬を紅潮させて笑い、老女に抱きついている。
シャルシスは、小さく唸った。
そして、紙包と銅貨を急いで荷に詰め込み、人混みをかき分けると、先程少年が消えていった路地の方へと走り出した。

 スリの少年は、薄暗い路地の突き当たりを曲がったところで、建物の影に隠れるようにして立っていた。
老女から盗んだ巾着の中身を掌に出し、硬貨の枚数を数えている。
突然目の前に現れたシャルシスに気づくと、少年は、慌てて逃げ出そうとした。
シャルシスは、その腕を引っ掴んだ。

「待て! その金は、盗んだものだろう。見ていたぞ!」

 少年は、ハッと顔を強張らせて、シャルシスの手を振り払おうと身を捩った。
しかし、まだ十歳そこそこの少年の抵抗は弱々しく、焦っているせいか、動きも単調で御し易い。
掴んだ腕は、枯れ枝のように細く、少し力を込めただけで、簡単に折れてしまいそうだった。

「ぁあ! は、ああ‼︎」

 意味をなさない、甲高い悲鳴をあげて、少年は、シャルシスに噛みつこうとする。
そのボサボサ髪を咄嗟に手で抑えながら、シャルシスは、何を言うべきか迷った。

 ふと、頭の中に、「どうせ盗むならもっと金持ちそうな人から盗みなよ」などと言って、苦笑するルーフェンの姿が浮かんだ。
──いや、金持ちからなら盗んで良い、というわけではないので、そういう説得の仕方はどうなのだろう。
続いて、「一緒についていってあげるから、お金を持ち主に返しなさい」と説教をする、トワリスの姿が思い浮かんだ。
──でも、そんなことをしたら、あの老女たちは、少年を魔導師に突き出そうとするのではないか。

 悶々と悩んでいる内に、少年が、首を振って泣き始めた。
どうにかしてシャルシスの手を振り解こうと、無茶苦茶に腕を振り、蹴りを繰り出し、大暴れしている。
肩が外れそうな勢いで腕を引っ張ってきたので、シャルシスは焦った。

「ちょっ、お、落ち着け! 別に俺は、怒っているわけではないぞ。逃げないなら、放してやるから……」

 逆上しないよう、努めて穏やかな声で言うが、少年は暴れ続けている。
もはや、絶叫にも近い自分の泣き声で、シャルシスの言葉など、耳に届いていないのだろう。

 あまりにも大声で泣き喚くので、シャルシスは、後ろから近づいてくる、何者かの足音に気づかなかった。

「──……んっ⁉︎」

 突然、背後から伸びてきた男の手が、シャルシスの頭を抱え、口に布を押し当てた。
鼻と喉から、頭に通り抜けるような、強烈な刺激臭が入り込んでくる。
急に目の前がグニャリと歪んで、シャルシスは、その場に倒れ込んだ。

 大きな人影が、怯える少年の首を掴み、同じように布で口を塞ぐ。
バタバタと動いていた少年の手足が、やがて動かなくなる。
シャルシスは、暗くなっていく視界の端で、担がれる少年の姿をただ見ていることしかできなかった。


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