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投稿日:2025年12月31日







  *   *   *


 身体がゆらゆらと揺さぶられて、シャルシスは、ゆっくりと目を開いた。
よどんだ生温い空気が、汗ばんだ全身を蒸し上げる。
息苦しさに、喘ぐように呼吸すると、吐き気を催すような汚臭が鼻をついた。

 床に手をつき、のろのろと頭を巡らす。
辺りは真っ暗で、何も見えなかった。
ここはどこなのか、なぜ自分はこんなところにいるのか、全く分からない。
経緯を思い出そうにも、頭の中はもやがかかったかのように霞んでいて、うまく思考が回らなかった。

 シャルシスはしばらく、痺れた指先を擦り合わせながら、ぼーっと暗闇を見つめていた。
その内、目が慣れてくると、闇の中に白いものがぼんやりと見え始めた。
目を凝らしてみると、それは人の顔だった。
狭苦しい板張りの室内に、自分も含めた沢山の子どもたちが、俯いて座り込んでいる。

 ギョッと驚いて、シャルシスは後ずさろうとした。
しかし、冷たくて硬いものに足首を引っ張られて、尻餅をついた。
左足に、足枷が取り付けられている。
そこから伸びた鎖は、また別の子供の足枷と繋がっていた。

 シャルシスと二人一組で足を拘束されている子供は、すぐ傍らで倒れ込み、うぅ、うぅ、と小さく呻いていた。
その顔を見て、シャルシスの脳裏に、全ての記憶が蘇った。
──この子供は、老女から巾着をった少年だ。
彼と揉み合っていたところを、突然誰かに襲われ、枷をめられて、この暗い部屋に押し込まれたのだ。

「……な、なんなんだ? ここはどこだ? お前たちも、拐われてきたのか……?」

 恐る恐る声を発してみるが、誰も、何も答えてくれない。
何人かの子供は、ちらりとこちらを見たが、すぐにまた下を向いて、怯えたように瞳を伏せてしまう。

 ゆらゆらと、床が微かに揺れているような気がする。
シャルシスは、改めて暗闇に沈んだ子供達を見回し、次いで、自身の身体を確かめるように触った。
串焼きも金も、背負っていた荷も、外套も護身用の小刀も、全てなくなっている。
シャルシスが身につけているのは、がさついた薄い麻服一枚と、足枷だけであった。

 状況が飲み込めないまま、とりあえず、なんとか鎖を外せないかと足枷を床に叩きつけていると、不意に、頭上から光が差してきた。
ガタン、と天井板の一部が外されて、二人の人影が、こちらを覗き込んでくる。
一人は、頬に蛇の刺青が入った、無精髭の生えた男。
もう一人は、褐色肌に、焦げたような縮毛が特徴的な少年だった。

「おい! ガタガタうっせぇぞ‼︎ 大人しくしてろ!」

 足枷を叩きつけていたのが、誰かまでは分からなかったのだろう。
眼下の子供たちを見渡して、男が怒鳴る。
男は、それだけ言って姿を消したが、褐色肌の少年は、しばらくその場に留まっていた。
逆光になってよく見えないが、手を動かして、何やらごそごそと手繰り寄せている。

 ほどなくして、横広の縄梯子なわばしごが降りてきた。
褐色肌の少年は、鼻をつまみ、嫌そうな顔で縄梯子なわばしごの中程まで下ってくると、シャルシスたちの方を見て、ぶっきらぼうに言った。

「上がってこい。二人で横並びになるか、それでうまく上れないようなら、どっちかが相方を抱えろ」

 子供達は、それぞれ困惑した様子で、顔を見合わせた。
シャルシスたちだけでなく、ここにいる子供たちは皆、二人一組になるよう、鎖で足を繋がれているようだ。
この状態で縄梯子なわばしごを上るには、二人でうまく歩調を合わせなければならない。

 けれども、褐色肌の少年がさっさと上に戻っていってしまうと、近くにいた二人組が、慌てたように横並びになって、縄梯子なわばしごを上り始めた。
また天井を閉じられて、暗闇に押し込められては敵わないと思ったのだろう。
シャルシスも同じ思いだったので、意識が朦朧としているスリの少年の身体に片腕を回し、抱え上げると、口と空いている方の手を使って、縄梯子なわばしごを上った。

 眩しい天井の上に出て、目を細めながら辺りを見回し、シャルシスは愕然とした。
前後左右、視界の果てまで、広大な海原が広がっている。
頭上には、澄み渡った青空。
潮風を受けて、白い帆がパーンと張る。
今、自分たちが立っているのは巨大な帆船の甲板で、先程まで閉じ込められていたのは、床下の船室だったのだ。

「……全員、そっちに寄って、並べ。逆らったら殺すぞ」

 いきなり近づいてきた、頰に蛇の刺青が入った男が、甲板の先端──舳先へさきを指差して言った。
手に持った舶刀はくとうが、日光を受けて、ギラギラと光っている。
男の目には、その反射光と同じくらい、鋭く、残虐な光が宿っていた。

 甲板には、他にも二十人ほど、頰に蛇の刺青を入れた男たちがいた。
刺青のない男たちもいたが、彼らは水夫のようで、こちらには近づいて来ず、黙々と船の操縦や雑務をこなしている。
対して、シャルシスたち子供は約百人。
年齢は大体十歳前後で、全員似たような麻服を着せられ、足を鎖で拘束されている。
殺すと脅されて、抵抗できるはずもなく、子供たちは、ジャラジャラと足枷を引きずりながら、男が指差す方へと移動した。

 子供たちが言われた通りに列を成すと、男は、今度は後方にある高甲板のほうを指差した。

「一組ずつ、端まで走れ。全員終わったら、また舳先まで戻って、もう一度走るんだ。俺が終わっていいと言うまで、走り続けろ」

「…………」

 低い声で命令されて、子供たちは、戸惑ったように足枷を見た。
走れと言われても、足が繋がれているから、縄梯子なわばしごを上った時と同様、二人で息を合わせなければ転んでしまう。
なかなか走り出そうとしない先頭の子供たちを見て、男が、苛立たしげに歩み寄ってきた。

「走れっつってんだろ‼︎ 早くしねぇかガキども……!」

 怒声を上げた男が、先頭の子供の髪を掴み、小さな頭を思い切り床に叩きつける。
その子が倒れ込むと、つられて足枷を引っ張られた相方の子も、悲痛な叫び声を上げた。
勢いよく足を持って行かれて、骨が折れたのかもしれない。
足首が、不自然な方向に曲がっている。

 痛みに悶絶し、起き上がれずにいる二人を見て、次に並んでいた子供達が、真っ青になって走り出した。
といっても、動揺に突き動かされた足は、全く歩調が揃っていない。
子供たちは、何度も転び、互いにもつれるようにして、震える足を甲板の端から端まで動かした。

 混乱している内に、自分たちの番が近づいてきて、シャルシスは焦った。
相方であるスリの少年は、未だにぐったりとしていて、支えてやらねば立つこともできない状態だ。
思えば、カルガンの路地で会った時から、うまく呂律が回っていなかったし、元々具合が悪かったのかもしれない。
これでは、走るどころか、一緒に甲板を歩くこともできないだろう。

 やがて、前の組が走っていき、シャルシスたちの順番が回ってきた。
やむを得ず、少年を担いで走ろうとすると、すぐ横に立っていた男が、訝しげに声をかけてきた。

「おい、そいつはまだ寝てやがるのか?」

 はっと立ち止まって、男の方を見る。
その手に握られた、鋭く光る舶刀が、やけに目につく。
汗まみれの顔を強張らせて、シャルシスは、掠れた声を絞り出した。

「ね、寝ている、というか……体調が悪い、のだと思う。船室にいた時から、苦しそうで。や、休ませないと……」

「…………」

 男は、すっと目を細めると、シャルシスを押しのけて、スリの少年を床に蹴り転がした。
別の男が近づいてきて、少年の喉や舌を見たり、下まぶたを引き下げたりして、焦点の合っていない瞳孔の動きを確認する。
ややあって、男は首を振り、深くため息をついた。

かしら、こいつはダメだ。元からトんじまってる。重度ですぜ、こりゃあ」

「はあ? どいつだ、そんなのを掻っ攫ってきたのは……」

 頭と呼ばれた男は、舌打ちすると、舶刀を腰の鞘にしまった。
それを見て、心臓が縮まる思いで事態を見守っていたシャルシスは、ほっと肩を撫で下ろした。
"トんじまってる"の意味は分からなかったが、納刀したということは、少年が斬り捨てられるような事態にはならなさそうだ。

 しかし、安堵したのも束の間。
男は、懐からおもむろに小さな鍵を取り出すと、少年の足枷を外し、その身体を担ぎ上げた。
一体何をするつもりなのかと、子供たちの間に緊張が走る。
船端まで歩いていった男は、外板に片足をかけ、わずかに身を乗り出した。
そして、次の瞬間──少年を海に放り投げた。

「あ……!」

 思わず船端に駆け寄って、シャルシスは、海面をのぞき込んだ。
少年の薄い身体が、ザブンと音を立てて海中に没し、水しぶきが上がる。
周りには、泳いでたどり着けそうな島影などない。
白い泡が水面に浮かび、それらが呆気なく波に飲まれて消えても、少年の身体は、浮上してこなかった。

 穏やかな潮風が吹き、細波が立つ。
白い帆がはためき、船は悠然と進んでいく。
少年が沈んでいったあたりに、黒い魚影のような集まっていくのを見た途端、強い吐き気が込み上がってきた。
咄嗟に口を手で覆い、床にうずくまったシャルシスを見て、男がせせら笑った。

「お前、運が良かったなぁ? 今日のところは、一人で走っていいぞ。足枷はつけたままだがな」

 言葉を失っている子供たちの怯え様を見て、他の男たちの間にも、小さく笑いが起こった。
彼らの嘲るような視線が、ひどく恐ろしい。
あまりの恐ろしさに、身体が震え、ガチガチと歯が鳴った。
きっとこの男らは、シャルシスたちのことなど、道端の虫ケラ程度にしか思っていない。
状況は何一つ分からないのに、この船上において、命の価値は吹けば飛ぶほどに軽いのだ、ということだけは、その時、身に刻み込まれた。

 男は、再び舶刀を抜くと、その柄でシャルシスを小突き、「オラ、さっさと走れ」と命令した。
よろよろと立ち上がり、足枷を引きずって、シャルシスは走った。
走るしかなかった。
シャルシスが向かいの船端にたどり着くと、男は、満足げに船の縁に座り、腰に下げていた酒をあおり始めたのだった。

 永遠にも感じられるほどの長い時間、走り込みは続いた。
男たちは、必死の形相で走っている子供たちを、酒の肴にして楽しげに眺めていた。
途中、転んで立てなくなった子供が三人、また海に放り投げられた。
それを見て、数人の子が恐怖で失禁してしまうと、男たちは、一層おかしそうに、手を叩いてゲラゲラ笑った。

 狂気的で、異様な空間だった。
喧嘩賭博でガラの悪い男たちに囲まれた時も、王都でルーフェンと兵士から逃げていた時でさえ、ここまでの絶望は感じていなかった。
ここには、シャルシスを守ってくれる者は誰もいない。
男たちの気分次第で本当に殺されてしまう、その不安感と緊迫感が、絶えず首元を締め上げていた。


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