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投稿日:2025年12月31日
日が傾き、空が蜜色に染まり始めた頃。
ようやく男が、「終わりにしろ」と一声発した。
足枷が擦れ、赤紫色に腫れた足首で、子供達がよたよたと船端に集まると、水夫たちが、用意していたパンとスープ、少量の酒を配ってくれた。
今日、初めて口にできた食事だったが、薄いスープからは酸っぱい匂いがして、なかなか飲む気になれなかった。
食欲がわかないのは、シャルシスだけではなかったのだろう。
他の子供たちも、土塊を口に突っ込まれているような苦しげな面持ちで、無理矢理食事を喉に流し込んでいた。
夕食が終わると、シャルシスたちは、再び床下の船室に入れられた。
その際、相方を海に放り投げられて、一人になった四人が、鎖で足枷を繋がれて、二人一組になった。
新しくシャルシスの相方になった子は、色素の薄い髪と肌をした、そばかすの目立つ少年であった。
空気の澱んだ船室内は、一人一人が寝転がることもできないほどに狭く、汚臭に満ちていた。
天井の入り口の隙間から、わずかな月明かりが差し込んでいたが、雲が月光を遮ると、自分の手元すら見えないほどに真っ暗になる。
子供たちは、相方と痛む足をそろえ、硬い床に座りこんだまま、休むしかなかった。
唸り声のような不気味な海鳴りと、夜風に揺れる船の軋み音が、波立った心を煽る。
不意に、すすり泣く声が聞こえてきて、シャルシスは隣を見た。
相方の子供が、泣いているのだろう。
触れ合った肩が、細かく震えていた。
「……大丈夫か?」
小声で尋ねて、背中をさすってやると、泣き声が大きくなった。
それに触発されたのか、周囲からも、嗚咽が聞こえ始めた。
甲板に声が届かないよう、懸命にしゃくり上げながも、抑えきれずに喘鳴している子供達の声が、室内に響いている。
その声を聞いているうちに、シャルシスは、混乱で思考停止していた頭の中が、ようやく冴えてくるのを感じていた。
ここは一体どこなのか。
自分たちは、これからどうなってしまうのか──。
恐怖と不安に押し潰されそうなのは、皆一緒だ。
この子供たちが、船に乗せられた経緯は知らないが、シャルシスと同じ境遇ならば、何らかの形で拐われてきたのだろう。
中には、まだ十歳に満たないような子供もいる。
十歳を超えていたとしても、ほとんどが十一、二歳ほどで、シャルシスよりも年下の者が大半に見えた。
おそらく剣も握ったことがないであろう、まだ幼い一般の子供達が、いきなり暴力を振るわれ、過酷な状況に追い詰められて、正気を保っていられるわけがない。
シャルシスとて、この状況に適応できる気はしなかったが、まずは、自分が気をしっかりと持たねば、という思いに駆られた。
相方の背中をさすりながら、シャルシスは、少しだけ声を大きくして、周囲に語りかけた。
「……皆、一旦落ち着こう。わけがわからず混乱する気持ちはわかるが、だからといって、泣いていても仕方がない。とにかく気持ちを強く保って、この船の上では、自分たちが生き延びることを最優先に考えるんだ。いずれ陸につけば、逃げ出せる機会も出てくるだろうし、俺たちを探す者たちと、連絡をとることもできるかもしれない」
相方の少年が、涙声で答えた。
「む、無理だよ……。この船、どこに向かってるのか分からないし、父ちゃんだって、きっと僕のことなんか探してない。港に着いたら、全員売られちゃうんだ。それで、死ぬまで奴隷として働かされるんだよ。ここで死ぬのも、この先で死ぬのも、おんなじだよ……」
少年の言葉に、周囲から漏れ聞こえていた泣き声が、より激しくなる。
眉をひそめて、シャルシスは聞き返した。
「奴隷? お前たち、奴隷としてこの船に乗せられたのか?」
幾分か冷静な子供の一人が、か細い声で返した。
「ここにいる何人かは、そうだよ。人買に捕まって、荷馬車で運ばれてたんだ。でも山道で、さっきの蛇の刺青が入った男たちに襲われて、荷馬車ごと乗っ取られて、この船まで連れてこられた。従わないと殺すって脅されて、この船室に閉じ込められて……その時は、まだ五十人くらいしかいなかったかな。でもそこから、どんどん新しい別の子供たちが部屋に放り込まれてきて、一日くらい経った頃に、船が動き出したんだ。結局、人買が襲われた理由はよく分からないけど、僕たち奴隷を攫ったってことは、ここにいる男たちは、奴隷商なんだと思う」
同じ人買に捕らえられていたのであろう何人かが、頷いたような気配があった。
暗闇を見回して、シャルシスは更に尋ねた。
「何人か、ということは、そうでない者もいるのか? 他の五十人は、どうしてここに?」
しゃくりあげながら、別の子が答えた。
「僕は、カルガンの金穀祭に参加してたんだ。出身は違うけど、父さんの行商に着いていって。呼び込みに、家を一軒一軒回ってたら、路地で急に誰かに口を押さえられて……目が覚めたら、ここにいたよ」
鼻水をすすって、また相方の少年が口を開いた。
「僕も行商で、北方ハデネ山脈の麓から、カルガンを目指して南下してきたんだ。途中のヤッカラ村までは、父ちゃんと一緒だったけど、山道ではぐれたところを、人買に捕まって、気づいたら、荷馬車に乗せられてたよ。あとは、さっきの子と一緒」
「…………」
シャルシスは、話せる状態の子供たち一人一人から、ここに至るまでの事情を細かく聞いた。
結果、親に売られた、地方から出てきたところを人買に攫われた、シャルシスと同じく唐突に街中で襲われた、など、経緯は様々であったが、全員が同じ年頃の少年で、カルガン周辺で捕えられた、という点は共通していることがわかった。
そして皆、なんとなくだが、自分たちはこの船で知らない土地へ送られて、奴隷商に売り飛ばされるのだ、と思っているようであった。
(……カルガン周辺で捕えた子供を、まとめて奴隷として売るために、船に乗せた……? まあ、ありえない話ではないが……)
頭にサーフェリア西部の地図を思い浮かべて、シャルシスは首をひねった。
産業都市カルガンから更に西に進むと、沿岸部にササラ村という農山漁村がある。
もちろん、他にも港はあるが、複数の子供たちを抱えて、遠くの船着場まで移動したとは考えにくい。
この船が出航したのは、カルガンから最も近い、ササラ村であると考えて良いだろう。
人狩りの行われた場所が、奴隷制の禁じられているカルガン周辺であっても、他領のササラ村まで子供たちを運んで、そこから海に出てしまえば、秘密裏に奴隷の売買を行うことも可能なのかもしれない。
ただ、気になるのは、今乗っている船が、ただの密売組織では到底用意できないであろう、立派な帆船であるということだった。
子供たちと刺青の男たち、水夫も合わせれば、百五十人近くが乗船している大型船。
甲板の高さと広さから判断するに、シャルシスが閉じ込められている船室以外にも、床下には大きな船倉がいくつもありそうだった。
少なくとも、その辺で盗める漁船などには見えない。
刺青の男たちに後援者がいると考えれば、船を用意できていることも、操縦に必要な水夫を雇えていることも頷ける。
だが、奴隷制を禁じている王都シュベルテの管理下近辺で、こうも分かりやすく人身売買に大金を注ぎ込む権力者などいるだろうか。
捕まったのが、労働力になりやすい大人ではなく、同じ年頃の少年のみという点も不可解だ。
奴隷ならば、商品として生かしておかなければならないはずなのに、うまく走れなかったというだけで、三人も海に投げ捨てられてしまったことも妙に感じる。
人身売買の一言では片付けられない、水面下に隠された暗く深い思惑が、この船上からはまだ見えていないように思えた。
しばらく考え込んでから、シャルシスは言った。
「奴隷として売られるのかはまだ分からないが……皆がこの船に乗るまでの経緯は、なんとなく分かった。俺もカルガンで襲われて、目が覚めた時には、この船に乗せられていた。話を聞く限り、俺たちが捕まったのは、カルガンの金穀祭の前日から当日にかけてだ。出港場所は、おそらく西沿岸のササラ村。あとは、行き先が分かれば、逃げる算段も立てられるのだが……誰か、航路が予想できるような情報を持っていないか? 出発前に何か見たとか、あの男たちが話しているのを聞いたとか、どんな些細なことでも良いのだが……」
シャルシスの問いに、子供たちは黙り込んだ。
仮に何か見聞きしていても、それを覚えていられる余裕などなかったのだろう。
ギィ、ギィと船が揺れ、軋む音が不気味に響いている。
手がかりなしか、とシャルシスが呟こうとした時。
船室の奥の方で、誰かが口を開いた。
「……お前らさぁ、さっきからコソコソ話してるけど、俺がいるの、忘れてんだろ。俺は、お前らの目付け役みたいなもんだからな。逃げ出す計画なんて立てたら、全部あいつらにチクるぞ」
聞き覚えのある、特徴的な嗄声だ。
暗くて姿は見えなかったが、船室を出る時に縄梯子を下ろしてきた、あの褐色肌の少年の声だと分かった。
シャルシスは目を凝らして、声がした方の暗闇を見た。
「えぇっと、お前は……男たちと一緒にいた、あのチリチリ頭だよな?」
「ナジムだ! 変な呼び方してんじゃねえよ!」
勢いよく、ガタンッ、と立ち上がる音がする。
金属音はしない。ナジムには、足枷がつけられていないようだ。
思えば、彼の存在は不思議だった。
年はシャルシスと同じか、少し上くらいに見えるが、どうやら捕まって船に乗せられているわけではないらしく、日中も甲板で走らされてはいなかった。
かといって、完全に男たちの仲間というわけでもないようで、その頬に、蛇の刺青は入っていない。
シャルシスは、ぽりぽりと頭をかいた。
「ごめん、名前が分からなかったから……。じゃあ、ナジム。お前はなんなんだ? 目付け役ということは、あの男たちの命令で、俺たちを監視しているのか?」
ナジムは、フンと鼻を鳴らした。
「そんなところだ。あいつらの目がない時でも、俺はお前たちを見てるからな。脱走計画とか、集団自決計画とか、馬鹿なこと考えるなよ。痛い目に遭いたくなきゃ、諦めて、大人しくしてるこった」
「…………」
シャルシスは、ナジムのほうをじっと見つめた。
自決されては困る、ということは、ただ単に子供たちをいたぶって殺すことが目的ではないらしい。
だが、痛い目に遭いたくなきゃ、という言い方から察するに、商品として丁重に扱うつもりもないようだ。
──やはり、ただの人身売買が目的ではない。
言葉の意味を考えながら、シャルシスは尋ねた。
「……ナジムは、どうしてあの男たちに協力しているんだ? お前も脅されているのか? この船、ただの奴隷船ではないのだろう。俺たちをどうするつもりだ?」
ナジムは、くつくつと笑った。
「俺から情報を引き出そうって? この状況で、案外肝が据わってるじゃねぇか。そういうお前は、アレだろ? 初っ端、相方を海にぶん投げられて、ブルブル震えてたパッツン頭だろ。お前の情けない泣きべそ顔、まだ覚えてるぜ」
「話をそらすな。百人近い子供を誘拐するなんて、露見すれば、ただでは済まないぞ。この子達の親兄弟だって、今、必死に俺たちの行方を探しているだろう。魔導師団や騎士団に一報入れば、こんな大型船の追跡、あっという間だ。お前たち、自分達のしでかしている罪の重さが、分かっているのか?」
「…………」
煽りに動じず、シャルシスが脅し返してきたことが、気に食わなかったのだろう。
ナジムは、舌打ちをして、つかの間押し黙った。
しかし、ふとため息をこぼすと、嘲るような声で言った。
「……お前らに渡す情報はねえけど、一つだけ、教えてやるよ。俺たちはな、何度もこうやってガキを攫って、船で運んでる。でも、一度だってバレたことはないぜ。……なぜだか分かるか?」
シャルシスの答えを待たずに、ナジムは笑った。
「お前らみたいな貧しい虫ケラは、探す価値なんてないからさ! さっき、何人かも言ってたろ。親に売られたんだって。街の路地裏をうろついて、ゴミを漁ったり食い物を盗んだりしてるガキも、大体は孤児だ。行商に出なきゃ食っていけない貧乏商人の子だって、似たようなもんだろう。お前らの父ちゃん母ちゃんがやってるのは、魔導師団や騎士団に素性がバレても続けられるような、まともな商売か? 生活の糧を失う覚悟でガキを探すほどの、真っ当な親なのか? よーく想像してみろよ。お前らの親兄弟、皆、穀潰しが一人いなくなって、きっと清々してるぜ!」
収まっていた泣き声が、再び子供たちの間から上がり始める。
不意に、シャルシスの脳裏に、ルーフェンとトワリス、そして祖母バジレットの顔が浮かんだ。
そもそもシャルシスは、ルーフェンに誘拐されたという体で、魔導師団や騎士団に探されている身だ。
王宮を出て、もう半年近く経ったし、バジレットが今どのような状態なのかも分からないが、まだ捜索は続いているはずである。
なぜなら自分は、この国でたった一人の次期国王だからだ。
ルーフェンやトワリスだって、きっと、自分を探しているだろう。
彼らの身の上では、目立った行動は取れないし、魔導師団や騎士団に通報することもできないが、それでもなんとかして、シャルシスの居場所を見つけてくれるに違いない。
これまでの道中で、二人の頼もしさはよく分かっている。
刺青の男たちがどんな組織だったとしても、ルーフェンとトワリスなら、すぐに壊滅させてしまうだろう。
ぎゅっと拳を握って、シャルシスは言った。
「助けは、来る」
「……あ?」
聞き返してきたナジムに、シャルシスは、はっきりと言い放った。
「助けは、絶対に来る。肉親でなくても、俺の友人や家の者たちが、絶対に来てくれる。そうしたら、ここにいる子供たちは助かるぞ。そして、お前たちみたいな悪党は、全員地下牢行きだ!」
一拍置いて、ナジムはまた笑った。
シャルシスの言葉を全く本気にしていない、小馬鹿にしたような笑い方であった。
「ははは! なんだよ、家の者って。お前、もしかして金持ちの貴族か? 親に見放された穀潰しでも、帰る場所のないきったねえ孤児でも、まとめて引き取って面倒見てやろうって? そりゃあ素晴らしい博愛精神だなぁ!」
「…………」
言い返そうとして、シャルシスは押し黙った。
殺されるくらいならいっそ、自分は王族だ、と明かしてしまっても良いが、この場でそんなことを言っても、誰も信じてはくれないだろう。
王宮は、未だにシャルシスの失踪を公にはしていないし、王都外に住む民たちは、王子の顔なんて知らない。
実際ナジムは、シャルシスの言い分を、完全なハッタリだと思っている様子だ。
ひとしきり笑い飛ばしてから、ナジムは、冷めた口調になった。
「……まあ、希望を持っていたいなら、助けでもなんでも期待してろよ。ただ、さっきも言った通り、脱走しようとか自決しようとか、妙な気を起こすのはやめてくれよ。問題さえ起こらなければ、俺は、道中お前らがどんな気持ちで過ごそうが、どうでもいい」
「…………」
「……あと、今後はビビっても、その辺で小便漏らすなよ。するなら、そこに用意してある壺の中にしろ。お前らが床に漏らしたら、後で掃除すんのは俺なんだからな」
シャルシスがどう返すか迷っているうちに、ナジムは、言いたいことを言い切ったのだろう。
最後に、部屋の隅に置いてある、汚臭を放つ壺を蹴って音を出すと、ナジムは元の位置に座って、寝支度を整えたようだった。
船室内は、再び重苦しい沈黙に包まれた。
ややあって聞こえてきた寝息は、おそらくナジムのものだろう。
こんな状況で、呑気に寝息を立てて眠れるのは、彼くらいしかいない。
膝を抱え込んで、シャルシスは、詰めていた息をゆるゆると吐き出した。
目を閉じると、瞼の裏に、海に飲まれていった少年の顔が浮かぶ。
金穀祭で彼を追いかけなければ、きっとこんなことにはならなかった。
小汚い子供の盗人も、スリに遭った老女も無視して、ルーフェンたちの元に戻っていれば、自分は今も、祭りを堪能しているはずだったのに──。
「…………」
シャルシスは、フルフルと首を振って、膝の間に顔を埋めた。
「泣いていても仕方がない」と発言した手前、涙は堪えなければ、と思ったが、下を向くと、目に熱いものがにじんだ。
嗚咽を漏らさぬよう、歯を食いしばっていると、不意に、横から肩を叩かれた。
慌てて目をぬぐい、顔を上げる。
「どうした?」と尋ねると、隣に座っている相方の少年が、控えめな声で囁いた。
「あの……ありがとう。僕たちのこと、勇気づけてくれて」
真っ暗闇でも、なんとなく、少年がこちらを見ているのが分かる。
シャルシスは、小さく首を振った。
「いや……そんな。勇気づけるというほどのことは、何もしていないが」
少年が微笑む、小さな息遣いが聞こえた。
「そんなことないよ。色々言い返してくれて、嬉しかったし……。僕たちが乗ってるの、こんなに大きくて目立つ船だもん。確かに、誰か気づいて助けに来てくれるのかも、って思ったら、なんか元気出た」
探るように腕を伸ばして、少年は、シャルシスの手を握った。
「僕、クロッカ。北方ホルスト村の、クロッカ・ロンド。……君は?」
「俺は……」
シャルシスは、言いかけた名前を一度飲み込んだ。
しかし、すぐにクロッカの手を握り直すと、答えた。
「俺は、シャル。……王都から来た、シャル・チェスコットだ」
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