トップページへ
目次選択へ
投稿日:2025年12月31日





 船に乗せられて、九日目の夕刻。
延々と続くかのように思われた大洋の先に、ようやく島影が見え始めた。

 山々の連なる陸地が、空と海の境界線を作っている。
劣悪な環境下で、いよいよ折れかけていたシャルシスの心が、すんでのところで、わずかな希望を取り戻した瞬間であった。

 とはいえ、上陸した先に、何が待ち受けているかは分からない。
繰り返される無意味な走り込みと、理不尽な暴力に脅かされ、子供たちの数は既に半数近くなっている。
夕食のスープを啜り終えた子供たちは、まるで蜃気楼でも見ているような呆然とした面持ちで、徐々に近づいてくる島影を見つめていたのだった。

 いつものように床下の船室で夜を迎え、明け方に目を覚ますと、船は寄港していた。
船の外板越しに、人々のざわめきや積荷を下ろす物音、海鳥のクァクァという鳴き声が聞こえてくる。
慌てて身を起こすと、シャルシスは、船室の壁に耳を押し当てた。
自分たちが今、どこにいるのかが分かる手がかりが、何か聞こえるかもしれないと思ったからだ。

 耳を澄ませていると、頭上の床を踏む、男たちの足音が近づいてきた。
やがて、天井の扉が開き、縄梯子なわばしごが下りてくる。
普段なら、甲板に上がってくるように言われるのだが、今日は、男たちの方が船室に入ってきた。
その手には、黒い覆い布が握られている。
目隠しをされるのだと分かって、子供達は、思わず身をすくませた。
この痛苦に満ちた船上生活が終わるかもしれない、という期待よりも、視界を奪われて、今度は一体何をされるのだろう、という不安の方が、ずっと大きかった。

「全員、この場で四列に並べ。今から足枷を外すが、俺たちが良いというまで、絶対に動くんじゃねえぞ」

 男の一人に命令されて、子供たちは、大人しく立ち上がった。
従わなければ何をされるのかは、この九日間で、散々思い知らされている。
今や、大半の子供たちは、男たちの舌打ち一つで心臓が縮むほど怯えるようになっていたし、抵抗や反論をしようなどという考えは、思い浮かぶことすらなくなっていた。

 子供たちが、一列十人ほどの合計四列に並び終えると、四人の男たちが手分けをして、その細い足首に嵌められた枷を外していった。
しかし、その解放感を味わう間もなく、布で目を覆われ、手首を縄で縛られて、子供たちは一繋ぎにされた。
これで、男が列の先頭に立って縄を引っ張れば、目隠しをされて前が見えない状態の子供たちも、引かれた方向に歩くしかなくなる。
まるで、売りに出される家畜のような自らの有り様を思い、子供たちは涙をにじませたのだった。

 半ば引きずられるようにして渡し板を渡り、ようやく下船した子供たちは、しばし石畳の上を進んだ後、列ごとに分かれて、大型の荷馬車に乗せられた。
短い道中、暗闇の中で、シャルシスは必死に周囲の喧騒に耳を傾けていたが、ここがどこなのか分かるような情報は、何も聞こえてこなかった。
大型船の停泊が可能で、攫われてきたらしい子供たちの行列を見ても騒ぎにならない海港──というところまでは推測がつくのだが、物流の要となっている港町では、人身売買を認めている領家も多い。
法整備の整っていない漁村なども含めてしまうと、そんな町村は、サーフェリア中にいくつもある。
耳に入ってくる人々の会話や規模感だけでは、自分たちの居場所を特定することはできなかった。

 荷台の扉が閉じられると、近くにいた馬の嘶きさえ遠くなった。
車窓は閉め切られているのか、そもそも窓がないのか、荷台内は空気がこもっていて、ひどく息苦しい。
他の子供たちと共に座り込んだ状態で、シャルシスは歯噛みした。
人が往来する場所に出られれば、逃げられる機会がやってくると信じていたが、このままでは、逃げるどころか、自分はここにいたという手がかりすら残せない。
刺青の男たちは、徹底的に行き先を隠し、目的さえも一切明かすつもりはないようであった。

 乗り込んですぐに、御者の掛け声と鞭を振るう音がして、荷馬車が動き出した。
まだ港内の舗装された道を進んでいるはずなのに、揺れが激しい。
一刻も早く、この場から逃げ去ろうとしているような、荒くて乱暴な発進であった。

 車外から人の気配が消え、喧騒が遠ざかっていく。
随分と長い間、子供たちは、ガラガラと回る車輪の音だけを聞いていた。
時間の感覚はなかったが、おそらく、二晩は越しただろう。
途中、何度か停車し、パンを与えられたが、船上での食事よりも更に少ない、ほんの一口、二口で終わってしまうような量だった。
それでも、拷問に近い走り込みがなかっただけ、休める環境だったと言えるのかもしれない。
口渇感と飢餓感に耐えながらも、シャルシスは、必死に辺りの環境音を聞き逃すまいとしていたのだった。



 荷馬車が出発して、三日が経っただろうか。
車体の揺れ方が横揺れに変わり、起伏の激しい道に出たな、と感じ始めた頃。
不意に停車して、外から「降りるぞ、立て」という男の声が聞こえてきた。
荷台の扉が開き、蒸し暑かった車内に、冷たい空気が流れ込んでくる。
手縄を引かれて、シャルシスたちは、久々に地面に足をつけたのだった。

 靴も衣服も、船で目覚めた時には取り上げられていたので、シャルシスたちは、薄い麻服一枚を着ているだけの状態であった。
潮風とは異なる、乾いた寒風が頰をさすり、全身に鳥肌が立つ。
素足にカサカサと触れる紙のようなものは、落ち葉だろうか。
聞こえてくるのは、男たちの話し声と、馬の鼻息。
そして、不安を煽るような木々のざわめき。
未だ目隠しをされたままで、周りの様子は見えなかったが、どうやら自分たちが立っているのは、静かな森の中のようだった。

 御者と別れると、男が手縄を引っ張って、「ここから山道になる。歩いていくぞ」と言った。
まだ目隠しを取らないのか、と誰もが思ったが、それを口に出した子供は一人もいなかった。

 長く細い山道は、岐路のない一本道であったが、進み始めてすぐに息が上がってしまうような、急な登り坂であった。
いつの間にか鳥肌はおさまり、全身が汗ばんでくる。
疲労のせいか、脚の筋肉がぶるぶると震える。
だが、ここでつまずけば、手縄の繋がった子供たち全員が転落することになると分かっていたので、皆 懸命に、一歩一歩を踏みしめて歩いた。

 山道は、進むほどに起伏が激しく、険しくなっていった。
張り出した木の根や小石が足裏に食い込み、歩く度に血が滲む。
ふくらはぎの辺りに触れる下草は、鋭利な刃の如く、皮膚を切り裂いていく。
やがて、周囲に気を配る余裕もなくなり、手縄を強く引かれる痛みも感じなくなった。
誰のものかも分からない、荒い呼吸音と心音だけが、耳元で鳴っている。
目隠しをされている不安感も相まって、山に入って一刻も経つ頃には、皆、立ったばかりの赤子のような足取りでしか、前に進めなくなっていた。

 どれほど長い間、山を登り続けただろうか。
ようやく目的地に着いて、男らに目隠しを外された時、目前に広がっている光景を見て、シャルシスは息を呑んだ。
周りにいる子供たちも、目を丸くして硬直している。
中秋に染まった、茶褐色の枝葉の中。
子供たちの前に現れたのは、繁りの合間から差し込む夕陽に照らされた、小さな古城であった。

 四つの主塔と狭い居住区のみで構成され、ほとんどとりでとしての機能しか果たせないようなその古城は、長年の風雨に晒された影響か、石壁は崩れ、跳ね橋は錆び、荒れ果てた廃墟の如き外観をしていた。
けれども、居住区で人は暮らしているらしい。
薄汚れた窓からは、微かな灯りが漏れ、ほんのりと食欲をそそる良い匂いの煙が上がっている。

 周辺には、古城を取り囲むように、空堀からぼりが掘られていた。
といっても、途中で掘るのをやめてしまったのか、放置されて土砂が入り込んでしまったのか、敵の侵入を防げるような深さはない。
堀の底には、濁った雨水や腐った枯れ葉などが溜まっていた。

 子供たちをここまで連れてきた男の一人が、堀を指差して、言った。

「今日からは、この城がお前らの生活拠点だ。ここで暮らす間は、今いる二十四人で、毎日この堀を掘れ」

 男の言葉を聞いて、シャルシスは、ハッと周囲の顔ぶれを見回した。
四列になって足枷を外された時には、五十人ほどいたはず子供たちが、この場には、二列分の二十四人しかいない。
下船した時か、あるいは荷馬車での移動中に、もう二列とは別れていたようだ。
水夫たちが船に残ったことは分かっていたが、以降は目隠しをされていたので、全く気づかなかった。

 船上生活で生き残った仲間たちが、知らぬ間に半分いなくなっていたことに動揺していると、古城の中から、くわなどを持った複数の男たちが、跳ね橋を渡ってこちらに近づいてきた。
彼らの頰にも、蛇の刺青が入っている。

 先程指示を出してきた男が、再び口を開いた。

「いいか、この堀は、まだ二ロも深さがない。これから毎日、日が昇ってから落ちるまでの時間、ひたすら掘り続けて、春になるまでに、四ロの堀にしろ。作業中は、俺たちが監視につく。余計な手間はかけさせるなよ」

 明け透けに「逆らえば命はない」と脅しながら、男は抜刀して、子供たちの手縄を切った。
古城から出てきた男たちが、身動きできるようになった子供たちに、作業用の革靴と分厚い毛織りの上着、そして鍬を渡してくる。
鍬を握りしめて、シャルシスは、改めて堀を見下ろした。

 この広大な堀を、消耗し切った子供だけで、四ロの深さまで広げろというのだろうか。
雨が降れば泥が流れ込むし、冬になれば雪が積もる可能性だってあるのに、春までの数月、休まず毎日。
魔術にも頼らず、持たされた鍬一つで、死ぬまで掘れというのか──。

 売り飛ばされはしなかったが、どこかも分からない場所で無慈悲な扱いを受けるという意味では、こんなもの、奴隷生活も同然だ。
到着までに十日以上もかかった山奥では、どんなに叫んでも、暴れても、誰にも声は届かない。
きっと、外から探し出すこともできなくて、助けも来ない。
だが、この場で命を投げ出す覚悟はなく、男たちに反抗する気も起こせなかった。
足枷も手縄も外された今なら、来た山道を走って戻ることもできるが、そんな気力と体力は、もう残っていない。
仮に回復しても、走ったところで追いつかれるだろうし、戦ったところで、鍬では男たちの剣に勝てないだろう。

 堀に溜まった泥水を呆然と見つめ、子供たち全員が、同じことを思った。
けれども、絶望感に浸る間もなく、「さっさと始めろ!」と怒鳴られて、子供たちは、傷だらけの足を革靴に通すしかなかったのだった。

 溜まった汚泥を運び出し、硬い土を鍬で掘る作業は、船での走り込みに負けず劣らず、過酷な時間であった。
今日は、古城に到着した夕方から日没までの、数刻しか作業をしなかったが、それでも終わる頃には、腕も脚もパンパンに腫れて、しばらく動けなかった。
明日からは、丸一日こんな苦痛を強いられる日々が続くのかと思うと、気が狂ってしまいそうだった。

 唯一救いだったのは、主塔内で出された夕食が、道中食べていたものに比べて、随分まともなことであった。
古城には食料の貯蓄に余裕があるのか、あるいは、流石の男たちも、これ以上は労働力(こども)を減らすわけにはいかないと思っているのか。
食卓には、水やパンだけでなく、麓から仕入れてきたらしい野菜や肉まで並んでいた。

 これは後で気づいたことだが、どうやら古城の居住区には、炊事や洗濯などをこなす、雑用係が何人かいるようであった。
主塔と堀周辺を行き来することしか許されていないシャルシスたちは、その雑用係と顔を合わせることはなかったので、彼らが何者なのか──自分たちとは違う事情を抱えた奴隷のような存在なのか、それとも刺青の男たちの一味なのか、詳しいことは何も分からなかったが、彼らが毎日食事を用意してくれるおかげで、飢え死にすることは避けられそうだった。
日によっては量が少ないと思うこともあったが、毎回作りたてであることは変わらなかったので、腐ったものを口にして腹を下すようなこともない。
子供たちは、失いかけていた生気を取り戻さんと、皿についた汁一滴残さず、夕食を平らげたのであった。

 食事を終えた後は、主塔の地下にある寝室で、全員で雑魚寝をした。
寝室といっても、何枚か毛布を渡されただけで、寝台があるわけではない。
眠るのは、硬い石床の上だ。
言うなれば、そこは広めの牢のような石室で、入り口となる鉄格子の前には、見張りとしてナジムが立った。

 夕食がまともだっただけに、寝床の環境にも期待していた子供たちは、最初にこの石室の殺風景さを見た時、がっくりと肩を落としてしまった。
海上で寝起きしていた船室より広いとはいえ、湿った石床に転がるだけでは、疲れなど取れない。
それに、まだ秋口とはいえ、暖炉もない石室は、夜になるとひどく冷え込んだ。
眠れないほどに寒い夜は、子供たち全員で身を寄せ、各々の上着と毛布にくるまって、翌朝も無事に目覚められるよう、励まし合いながら眠ったのだった。


- 80 -


🔖しおりを挟む

 👏拍手を送る

前ページへ  次ページへ

目次選択へ


(総ページ数102)