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投稿日:2025年12月31日






 他の少年たちもつられて笑い、石室内の雰囲気が、わずかに和らいだ。
こんな風に頰を持ち上げて笑ったのは、本当に久々である。
しかし、その空気に打ち壊すように、ナジムが、不機嫌そうに声をかけてきた。

「……終わったんなら、早く蝋燭を返せよ。一本だって、冬場になりゃ、高価なものなんだからな」

「あ、ああ……すまん。ナジムも、手伝ってくれてありがとう」

 慌てて立ち上がったシャルシスが、蝋燭を返そうと振り返る。
しかし、ナジムの手に蝋燭を渡す寸前、シャルシスは動きを止めた。
ナジムが協力してくれた──今までになかったこの機会を、みすみす逃して良いのだろうか。
そんな考えが、不意に頭をよぎったからだ。

 たかが蝋燭一本、燃やせるものがない石室内では、大した使い道がない。
ナジムもそう思ったから、シャルシスたちに蝋燭を渡してくれたのだろう。
されど、何の望みも通らない、何かを考えることすら億劫になってしまう今の状況で、これは、利用するべき好機と言えるのではないか。

 シャルシスは、その場にしゃがむと、がたついた石床の隙間に、蝋燭を埋め込んだ。
その行動を見て、ぴくりと片眉を上げたナジムが、訝しげに目を細める。

 意を決して、シャルシスは言った。

「ナジム……その、お前の厚意につけ込むようで、申し訳ないのだが。……この蝋燭を返してほしければ、いくつか、俺の頼みを聞いてくれないか」

 和らいでいた空気が、一転して張り詰める。
少年たちは笑みを消し、鉄格子を隔てて向かい合う、シャルシスとナジムを見た。

 蝋燭を受け取ろうとしていた手を下ろして、ナジムが鼻を鳴らした。

「……なんだよ、取引でもするつもりか? お前、この環境で半月も過ごしてきて、まだ俺たちのやり方が分かっていないんだな。返す気がないなら、血反吐を吐くまでぶん殴って、力づくで奪うまでだぞ。……お前だけじゃない。この場にいる全員、俺に逆らった罰を与える」

 ヒッと身を萎縮させた少年たちが、怯えた目で、早く蝋燭を返せと訴えてくる。
しかし、その視線を無視して、シャルシスは言い返した。

「お前たちのやり方は、よく分かっている。そうやって脅し続けて、俺たちが何も考えない、従順な操り人形のようになるのを待っているんだろう。でも俺は、まだ考えるのをやめていないし、諦めてもいない。力づくで奪うっていうなら、やってみるといい。その鉄格子を開けて、中に入ってきて、直接この蝋燭を奪ってみろ。そうしたら俺たちは、お前を取り押さえて、開いた鉄格子から外へ逃げる。……お前は一人、俺たちは二十四人いる。結果がどうなるかは、簡単に想像がつくだろう」

 半笑いしていたナジムの口元が、不愉快そうに歪んだ。

「……ああ、そうだな。簡単に想像がつくよ、お前らが皆殺しにされるところが。いいか、俺を押さえ込んで逃げたところで、この城には、武器を持った男たちが大勢いる。どうやって逃げ切るつもりだ? 言っておくが、堀を掘る労働力だから、安易に殺されはしないだろう、なんて甘い考えは捨てろよ。必要なのは、従順な手足であって、それ以外はいらないんだ。あいつらは、反抗的な虫ケラを踏み潰すことに、何の躊躇いもない連中だからな」

「そんなことは、船の上で思い知っている。だがナジム、それは、お前にも言えることなのではないか?」

「……なんだと?」

 ナジムの感情を逆撫でするように、シャルシスは、あえて挑発的な口調で答えた。

「もし、あの男たちと対峙するような事態になったら、殴られようと、殺されようと、俺は叫ぶぞ。『俺たちをこの石室から逃がしてくれたのは、見張りのナジムだ。ナジムは、鉄格子の鍵を開けてくれたし、困った時に蝋燭も貸してくれた』と。それを聞いたら、男たちは、お前のことも、命令違反をした"反抗的な虫ケラ"だと判断するんじゃないのか」

 ナジムは、不意を突かれたように瞠目し、黙り込んだ。
その瞳が、怒りと悔しさに染まっていくのを見て、シャルシスは、ずっと疑問だった、ナジムの立ち位置を確信した。

 ナジムは、刺青の男たちと対等ではない。
でなければ、蝋燭を貸したくらいで、男たちに見限られるのではないか、なんて恐れを抱きはしないだろう。
海上では、「自ら望んでこの船に乗ってる」などと言っていたが、おそらくそれは、自分が食べていくために、やむを得ず男たちの犯罪に加担している、という意味だ。
男たちにとって、所詮ナジムは、どんな病を持っているかも分からない子供たちの監視や、汚物や死体の処理をさせるための都合の良い下働きでしかない。
ナジムが、そういう扱いを受けていることに不満を抱えているのだとすれば、やはりこれは、絶対に逃してはならない好機だ。
こちらの説得次第で、ナジムが男たちを裏切り、シャルシスたちに助力してくれる可能性があるからである。

 少なくともナジムは、下働きとしては、男たちからある程度の信頼をされている。
こうして一人で見張りにつくこともあれば、男たちに子供らの様子を報告することもある。
ということは、ナジムを味方につければ、彼の監視下においては、自由に動けるようになる。
目的も分からぬまま、一方的に搾取され続ける──この膠着状態を打破するための協力者として、ナジムほどの適任者は、他にいないように思えた。

(……なんとか説得して、この場でナジムを引き入れるんだ。うまくいけば、男たちと戦ったり、城から逃げたりする手段が見つかる。それが無理でも、自由に動ける時間ができれば、ルーフェンやトワリスに、俺の居場所を知らせることができるかもしれない)

 シャルシスは、一呼吸おいて、口調を柔らげた。

「……俺は先程、すぐに返すからと言って、この蝋燭を借りた。その約束を破り、こんな脅迫まがいのことをして、本当にすまないと思っている。だが、今の俺たちは、お前と同じく、手段を選んでいられない状況にある。そのことは分かって欲しいんだ」

「…………」

「……体力のない幼い子たちや、元々病や怪我で弱っていた子たちは、皆、船の上で死んでしまった。お前の言うところの、探される価値のない虫ケラでも、誘拐されなければ、まだ生きて、いずれは居場所を見つけられたのかもしれないのに、男たちに殺された。俺は、そのことがたまらなく悔しいし、恐ろしい。これから先、自分も殺されるのかと思うと怖いし、これ以上、罪のない子供たちの死を見るのも嫌だ。今、ここに残っている全員、生きて解放されるべきだと願っている。そして、いかなる理由があったとしても、こんな非行を平然と行う刺青の男たちを、絶対に許したくない。……お前もそうは思わないか、ナジム」

「…………」

 息を震わせた少年たちが、ナジムの反応を伺っている。
ナジムは、シャルシスを睨みつけ、黙ったままでいた。

 彼の表情を注意深く観察しながら、シャルシスは、次の言葉を考えた。
たった半月、一緒に過ごしているだけだが、それでも分かるほどに、ナジムは打算的な少年であった。
煽ると食らいついてくる、感情的な面もあるが、大事な局面では心情に流されず、冷静に物事を見ている。
誰にへつらうのが得で、どうすることが自分にとって一番良いのかを、合理的に考え、判断している。
ナジムと協力関係になるには、まず彼を話に乗せ、最終的には、自分たちについた方が得だと思えるように説得しなければならないだろう。

 打って変わって、シャルシスが下手したてに出たからだろう。
ナジムの目に滲んでいた怒りが、警戒に変わった。

「……シャル・チェスコットだったか。お前、諦めの悪い馬鹿だな。怖いとか許せないとか、そんなこと、考えるだけ無駄だってことがどうして分からない? 仮に男たちの目を掻い潜って、奇跡的に城から逃げられたとしても、その後はどうするんだ。ここは、地元の人間すら近づかない山奥だぞ。お前たちだけで、大した防寒道具もなく、武器もなく、どうやって迷わず下山するつもりだ。現在地が分からないんじゃ、助けだって呼べないし、自力で家に帰ることも出来ない」

「……ここは、北方ネール山脈の中腹あたりだろう」

 はっきりと答えたシャルシスに、ナジムは瞠目した。
少年たちも、驚いて顔を上げ、シャルシスを見る。
男たちは、船が停泊した時から子供たちに目隠しをし、徹底的に行き先を悟られないよう工作していた。
それなのに、どうしてシャルシスが現在地を把握しているのか、誰にも分からなかった。

 動揺して、凍りついているナジムに代わり、ふと、クロッカが声を上げた。

「……あ、そっか! ギッチュ (鹿喰い虫)がいたんだもん。ここは、ハクジカの棲んでいる森、つまり、北部山地ってことだよね。道理で、寒さの感じが、ホルスト村に似てると思った!」

 自分の故郷である北方ハデネ山脈の一帯と、そう遠くないと気づいて、嬉しかったのだろう。
クロッカのそばかすの浮いた頬が、微かに紅潮する。

 一方のナジムは、それを聞くと、どこか安堵したような、小馬鹿にしたような態度になった。

「……ハッ、アホらし。鹿なんて、どこの山にもいるだろ。まさか、寒いからってだけで、北部山地だと思ったのか?」

 クロッカが、ムッとしてナジムを睨んだ。

「ハクジカは、ただの鹿じゃないよ。その辺にいるヤマジカよりずーっとでっかくて、角もこーんなに長くて、毛皮は綺麗な雪色なんだ! 熟練の猟師だってなかなか仕留められない、特別な鹿なんだよ! でもってギッチュは、普段は体内にいるんだけど、ハクジカが弱ってくると体表に出てきて、僕たちにその状態を知らせてくれる目印で──」

「──特別だぁ? じゃあお前は、サーフェリア中の山を巡って、そのハクジカとやらが北部にしかいないか調べたのか? んで、全部の鹿の腹をかっさばいて、あのウネウネは、ハクジカにしか寄生しないと確かめたのか?」

「そっ、そういうわけじゃないけど……でも、僕たち北領民は、皆そう言ってるよ。麓のじっちゃんだって、ハクジカは山の主の一族だから、月に二度の祝肉日にしか狩っちゃいけない、神聖な存在なんだって言ってたもん!」

「馬鹿馬鹿しい。そんなの、頭の硬い田舎猟師しか信じない、山岳民の言い伝えか何かで──」

「──俺が現在地をネール山脈だと判断した理由は、他にもある」

 シャルシスが、ナジムとクロッカの応酬を遮る。
聞いたことのない、シャルシスの毅然とした物言いにびっくりして、クロッカは思わず口を閉じた。

 ナジムをまっすぐに見て、シャルシスは続けた。

「……確信したのは、確かにクロッカの話を聞いた時だが、判断材料はそれだけではない。まず、乗っていた船の針路が、おおよそ北だった。晴れの日中は北進し、日に約二百七十ガロほど移動していた。それが九日間続いたから、合計の移動距離は約二千四百ガロ。俺たちの捕まった場所から、出港場所が最西沿岸のササラ港であったと仮定して、そこから約二千四百ガロの範囲内にある港は、北のホルプール港湾くらいしか思い浮かばない。そこから更に、馬車で数日移動して着く北部山地、かつ、このような古い城が残っている場所と考えると、ここはかつて、ウェーリン侵攻で戦場となったネール山脈内の旧砦である可能性が高い」

「…………」

 少年たちは、途中からポカンと口を開けて、シャルシスの話を聞いていた。

 全員が前々から感じていたことだが、"シャル・チェスコット"という少年は、それぞれ出自の違う子供の寄せ集め中でも、一際浮世離れした存在であった。
普通に生活していれば聞いたことくらいあるだろう、というような常識を知らなかったりする一方で、どうしてそんなことを思いつくのだろう、と驚くような知識や見解を持っていたりする。
この過酷な状況下で、シャルシスがどうやって船の針路や速度を予測し、北部の地理知識を以て現在地を割り出したのか。
文字の読み書きすらできない貧民出の少年たちには、全く見当がつかなかった。

 ごくりと息を呑んで、ナジムが尋ねた。

「……当てずっぽうで俺を丸め込もうったって、そうはいかねぇぞ。羅針盤も持ってない、航海の知識もないお前が、どうやって船の針路や速度を確かめたっていうんだ」

 変わらぬ態度で、シャルシスは返した。

「針路は、太陽の位置から判断した。速度は、お前が毎日のように船から放り投げていた、子供たちの遺体の流れを見て測ったんだ。どれも目測だが、船体の外壁を支える鉄骨が、大体三ロの間隔で並んでいた。その三ロの間を、海に浮かんだ遺体は、一寸刻もあれば過ぎていった。つまり、船はおおよそ一寸刻で三ロ、一刻で二十二ガロ、一日で二百七十ガロほど進んでいたことになる。といっても、雲の多い日や夜間は、当然ながら太陽は見えなかったし、速度だって、風向きによって大きく変わっていただろう。今話しているのは、あくまで俺が見た時の平均値というだけだから、実際には、誤差が大きいかもしれない。……が、なんにせよ、停泊したのがホルプール港湾、というのは合っていると思う」

「……根拠は?」

「一つは、さっきも言った通り、クロッカの話。もう一つは、ホルプール港湾が、数年前にマイゼン伯の意向で、表向き廃港になった停泊場だからだ。つまり、他街との定期的なやりとりは中止しているから、伯の命令いかんで、停泊する船を選ぶことができる。
捕まった時から、お前たちには、何か強力な後ろ盾があるのだろうと疑っていた。その後ろ盾が、この辺り一帯を治めているマイゼン伯だと考えれば、あのような大型船や水夫たちを用意できたことも、さして怪しまれずに出航、停泊できたことも、旧砦を拠点にできていることも、全て頷ける。
お前たちは、何らかの目的で、他領から身寄りのない十歳前後の男児を攫っている。そして、その後ろには、ウェーリンの領主ガシェンタ・マイゼン伯がいる。……違うか?」

「…………」

 ナジムはつかの間、何も答えることができなかった。
あまりの衝撃に、声が出てこなかったのだ。

 攫われた子供たちを多く見てきたナジムの目には、シャルシスの異質さが、余計に際立って映っていた。
最初は、育ちの良い没落貴族の子が身を落としたのだろう、程度に考えていたが、とんでもない。
現在地を突き止めてみせた、その胆力と知力にも驚いたが、ホルプール港湾が廃港になっている背景や、この古城が数百年前に起こったウェーリン侵攻で利用された砦であることなどは、ただの下位貴族の一子が、知り得るような情報ではないはずだ。

 ナジムもまた、教育を受けた経験などない、貧しい水夫の子であった。
だが、刺青の男たちの目的は知っていたので、動揺を隠せなかった。
今、シャルシスが語った数々の推測は、そのほとんどが当たっていたのだ。

 こわばった顔で、ナジムが呟いた。

「……お前、なんなんだよ。どうしてそんなことを知っている奴が、俺たちに捕まってるんだ? 俺たちは、街や村の掃き溜めにいるような、薄汚いガキしか攫わないようにしてるのに……」

 ナジムの気持ちが、混乱して揺らいでいるのを感じ、シャルシスは、内心ほっとしていた。
正直、推測が当たっているかどうかは、シャルシスにとって重要なことではなかった。
ただ、この場にいる少年たちからは出ないであろう知見を、あえて披露することで、ナジムがこちらに価値を見出してくれれば良い。
狙いは、シャルシスたちへの助力に意味があると、ナジムの心を傾かせることだ。
彼と協力関係を結べさえすれば、一連の出来事を取り巻く真実は、改めて聞き出せば良いのである。


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