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投稿日:2025年12月31日
翌朝、掘削作業用に渡された革靴と、分厚い毛皮の防寒着と着込むと、シャルシス、ナジム、クロッカ、ラシアン、ホレス、エトの六人は、ちゃちな弓矢を一丁携えて、森へと入っていった。
今までもシャルシスとクロッカは、作業中に盗賊たちの目を盗んで山中を探索していたが、丸一日使って奥深くまで進むのは、初めてのことだ。
とはいえ、時間に余裕があるとは言えない状況である。
晩秋の日が出ている時間は、決して長くはない。
今日は、日没までの間に、雪色の毛皮を持つ大鹿──ハクジカを捕らえなければならないのだ。
幸い、明け方に降っていた灰雪は止んでいた。
しかし、分厚い雪雲に覆われた空は青暗く、身を切るように冷たい空気からは、今にも降り出しそうな、濃い雪の匂いがする。
視界一面に立ち並ぶ裸木は薄らと白く染まり、雪と泥が入り混じった凍土は、踏むたびにザクザクと音が鳴った。
人の通り道にハクジカは現れない、というクロッカの助言で、いつも探索していた経路とは別の獣道を進むと、四半刻ほど歩いたところから、周辺の風景が変わり始めた。
凍てついた黎明の景色の中に、繁々とした木々や草地が現れ始める。
どうやら、森の下の方は、まだ落葉しきっていないらしい。
枯れかけの大木に、びっしりと巻き付いている蔓草を指さすと、クロッカが口を開いた。
「あ、あれ! 夏になると、シビっていう大きい果物が生る蔓なんだけど、木を登るときの足の取っ掛かりにもなるくらい、太くて丈夫なんだ。縄とか針金の代用に使うなら、これが良いと思う」
近づいて見てみると、確かにシビの蔓は、一般的に思い浮かべる蔓よりも、肉厚でがっしりとしていた。
太さは人間の指ほどもあり、人力で引っ張っても剥がせないほどの強さで、木に巻き付いている。
持っていた矢の矢尻部分で、蔓を何度か突き刺し、強引にちぎり取ると、シャルシスは、シビの蔓を両手で引っ張って、その頑丈さを確かめた。
「……うん、普通の縄くらいの強度はあるか。これを括り罠とやらに使えば、ハクジカは捕まえられそうか?」
クロッカは、悩ましげに眉を下げた。
「ハクジカは力が強いから、正直、長時間はもたずに千切れちゃうと思う。それで捕獲するっていうよりは、首とか角とか、脚の付け根とか、噛みちぎれない部分に引っ掛けて、走れなくなってる間になんとか仕留める、って感じかな」
シャルシスが握っている蔓を横から覗き込んで、エトが言った。
「ね、それと矢、ちょっと貸してくれる?」
「え? ああ……はい」
シャルシスは、背中の矢筒から矢を一本取って、エトに渡した。
エトは、その矢尻を使ってもう二本、別の木に巻き付いていたシビの蔓を取ってくると、それらにシャルシスが持っていた蔓を合わせて、一本に編み始めた。
結んでいるわけでもないのに、蔓同士が複雑に絡み合って固定された、不思議な編み方であった。
一本一本が太くて硬いため、編みづらそうに見えたが、それでもエトは、慣れた手つきで指先を動かしていく。
やがて、長い一本の蔓縄を完成させると、エトは、それをシャルシスに戻した。
「ちょっと結びが粗いから、横に引っ張ると解けちゃうかもしれないけど、縦の力にはすごく強いはずだよ。これなら千切れないと思うんだけど、どう?」
シャルシスは、蔓縄の先端を手繰り寄せて、ナジムに投げた。
「ナジム、せーのでそっち、引っ張ってくれ」
「は? なんで俺が」
「お前が一番背が高くて、力も強そうだからだ」
指図されたことは気に食わないものの、力が強そうだから、と言われたことに関しては、満更でもなかったのだろう。
ナジムは、渋々といった様子で蔓縄の先端を握ると、わずかに腰を落とした。
せーの、の掛け声で、ナジムとシャルシスが、蔓縄を両端から引っ張る。
ピンと張った蔓縄は、確かに裂ける気配がない。
一本だけの時は、本気で引くと千切れてしまうのではないか、という不安感があったが、三本編んだ状態だと、まるで鉄鎖でも引いているかのような安心感があった。
引っ張り終えたところで、横から手を出したクロッカが蔓縄を触り、目を丸くした。
「これ、すごいね。初めて見る編み方だ。牽引結びとは違うよね?」
エトは、どこか懐かしそうに目を細めた。
「葛編みっていう編み方なんだ。葛編みの蔓縄は、商品の見栄えを気にする商人なんかだと、まあまあの値段で買い取ってくれるよ。酒売り馬車で荷台に大樽を固定する時は、ブドウの蔓や麦を編んだ蔓縄を使いたいんだって」
シャルシスは、感心したように唸って、改めて手に持ったシビの蔓縄を見た。
確かに、ただの縄や鎖で縛られた酒樽よりも、その酒由来の植物の蔓縄で固定した酒樽の方が、装飾されているように見えて雰囲気が出るかもしれない。
金穀祭で見た酒売り馬車でも、葛編みの蔓縄が使われていたのだろうか。
あれからまだ数月しか経っていないのに、あの夢のような金穀祭での光景が、もう何年も昔のことのように思える。
蔓縄を軽く束ねると、シャルシスは、周囲の木々を見回した。
「よし、じゃあナジムとラシアンは、エトに葛編みを教えてもらって、三人で蔓縄作りをしてくれ。括り罠は、俺とクロッカとホレスで設置しよう」
ナジムは何やら不服そうだったが、他の四人は、すぐに頷いた。
来た道のほうをチラッと見て、ラシアンが言った。
「シャルくん、葛編みの作業にキリがついたら、少しだけ戻って、ケシャの実を取ってきていいかな? さっき見かけたんだ」
「ケシャの実? なんだそれは?」
尋ねると、ラシアンは親指と人差し指で小さな輪っかを作り、へらっと笑った。
「これくらいの小さな黒い実で、搾ると油が獲れるんだ。薪に染み込ませると、雪の上でもよく燃えるよ。……獲った獲物の一部を盗賊たちに渡すって約束だったけど、きっと一部なんて言わず、ほとんど取り上げられちゃうに決まってる。だから、もしハクジカを仕留められたら、余った時間で鳥や兎を狩って、皆で食べちゃおうよ。古城に残ってる子達の分も焼いて、隠して持って帰ろ」
反対しようとしたナジムを視線でなだめて、シャルシスは、ラシアンの意見に同意した。
目当てのハクジカすら捕れずに終わる可能性の方が高いのだから、そんな実を集めている時間はない、と諫める言葉が喉まで出かかったが、ぐっと飲み込んだ。
ラシアンは十一歳で、年の割にしっかりした少年ではあったが、六人の中では一番年下である。
差し迫った現状をいまいち理解できていないような、けれども本気で希望を見据えている彼の言い分を否定することは、自分達の虚勢まで否定することのように思えた。
蔓縄作りをエトたちに任せると、シャルシス、クロッカ、ホレスの三人は、"括り罠"の仕掛け場所を選定するため、ハクジカの痕跡を探しに出た。
括り罠とは、動物の首や脚を、針金や縄で括って捕獲する方法である。
狙う獲物の種類によって、様々な仕掛け方があるが、エトやホレスたちの話では、大鹿は、木板を踏み抜いた瞬間にバネの力で跳ね上がった針金の輪が、脚の上部を括って締め付ける方法で捕えることが多いらしい。
といっても、この場ではバネや針金は用意できないので、道中話し合って、先ほどの蔓縄と木でなんとか代用することにした。
まず、蔓縄の先端を、引っ張られると結び目が動いて輪が締まる"罠縛り"で結ぶ。
その輪を拾った枝に引っ掛け、ハクジカの足先が沈むくらいの小さな落とし穴の入り口に埋める。
そして、もう一方の蔓縄の先を、よくしなる弾力の富んだ"跳ね木"の上端を曲げて、そこに括り付ける。
これを、ハクジカの足跡や糞、角研ぎの痕跡などが見られる獣道に、時間の許す限り、何ヶ所も設置する。
もしハクジカが、落とし穴の上を通って枝を踏み抜くと、引っ掛かっていた罠縛りの輪が、跳ね木の戻る勢いで上に引っ張られ、ハクジカの腿を括るというわけだ。
しかし、ハクジカは警戒心が強い、というクロッカの言葉通り、山中を散策していても、なかなかその気配や痕跡を見つけることはできなかった。
正確には、明け方まで降っていた雪のせいで、昨夜までの痕跡が白く覆われてしまい、素人目では足跡や糞などを見つけることが難しい状況になっていたのだ。
慌てて役割交代をして、狩り経験のあるエトとラシアンをクロッカとホレスに合流させ、シャルシスは、ナジムと二人で蔓縄作りの方に入ることにした。
それでも、やっと見つけたハクジカの角研ぎ跡の近くに、弾力のある跳ね木を探し、括り罠を仕掛け、それがちゃんと作動するかを確かめていく作業は、かなり時間がかかった。
ひたすら獣道を歩き、一方では蔓縄を編み続け、ふと気づくと、辺りは昼前の明るさに満ちていた。
三つ目の括り罠を仕掛け終えたところで、蔓縄の補充に戻ってきたクロッカが言った。
「シャルくん、一度場所を移した方がいいかもしれない。この辺り、痕跡はあるけど、僕たちが留まっていたらハクジカは戻ってこない。別の場所にも仕掛けながら、ここらの罠にハクジカがかかるのを待った方がいいと思う」
編んでいた蔓縄をまとめながら、シャルシスは上を向いた。
出発時には、稜線から覗いていたはずの太陽が、真上に鎮座している。
もう少し罠を仕掛けたいところだが、クロッカの言う通り、そろそろハクジカを捕らえることも考えるべきだろう。
夜までには、ハクジカを仕留めて古城に戻らねばならないのだ。
膝や尻についた雪と泥を払いながら、シャルシスは立ち上がった。
「そうだな、移動しよう。……蔓縄はもう十分に編めたから、俺とナジムも、次の場所では罠を仕掛ける方に回るよ」
声をかけると、ナジムも億劫そうに腰を上げて、作り置いていた蔓縄を束ねて肩にかけた。
その中には、先端の輪に小石をくくりつけた、投げ縄も含まれている。
いざハクジカが括り罠にかかっても、繋ぎ止めるものが脚をくくる蔓縄一本では心許ないので、この投げ縄を角や首にも引っ掛けて、何重にも縛ろうという算段だ。
ハクジカの痕跡や跳ね木に使えそうな木を探しつつ、武器代わりになる太い木の棒や石を拾って、一行は、また別の獣道を下っていった。
木々の葉は、茶や赤に色を変えているが、下草や藪はまだ青々と茂っているところも多い。
歩きながら、ホレスは藪の葉を一枚とると、それをクルクルと細長く丸めて口に咥え、プーッと吹き鳴らした。
気の抜けるような、何とも言えない細い音が、山中に響いていく。
眉をしかめて、シャルシスはホレスの方に振り返った。
「……なんだ、今のは。それが鹿笛というやつなのか?」
咥えていた葉を唇から離して、ホレスが肩をすくめた。
「正しくは、鹿笛の真似をした草笛、だな。本物の鹿笛は、木を彫って作るんだけど、今はできないから。吹きながら歩いてたら、寄ってきたハクジカが、さっき仕掛けた括り罠にかかってくれるかもしれないだろ?」
言い終えると、ホレスはまた丸めた葉を咥えて、プーッと吹いた。
昨日の話では、鹿笛の音はオスの求愛音を真似たもので、鳴らすとそれに惹かれたメスや、闘争心を煽られた他のオスが寄ってくるということだった。
求愛音というからには、もっと雄々しい咆哮のような鳴き声を想像していたのだが、ホレスが吹いているのは、北領民には神聖視されているというハクジカ像を壊すような、なんとも間抜けな音であった。
見かけたケシャの実を採って、上着の内側に貯め込んでいたラシアンが、自分も手近な葉をちぎって、言った。
「もうちょっと高い音じゃない? 鷹の声にも近い、こういう感じのさぁ……」
同じように草笛を作り、ラシアンがピーッと吹く。
ホレスの音に比べて甲高い、口笛にも似た真っ直ぐな音であった。
「いや、もっとヒョロヒョロした、抑揚がついた鳴き声だよ。まあ、ヤマジカの話だけど……」
今度は、エトが草笛を咥えて、ピィプゥピィプゥと空気の抜けるような音を吹く。
それを聞きながら、クロッカも草笛を作り、うーんと首を傾げて唸った。
「改めて草笛で表現するってなると、難しいなぁ。ハクジカの場合、確かに抑揚はあるんだけど、もうちょっとこう、遠くに響く感じなんだよね……」
ああでもない、こうでもないと話し合いながら、四人で草笛の音程や音量を調整し始める。
山育ちだと、草笛を吹く技術は自然と身につくものなのだろうか。
当たり前のように吹き鳴らしている四人を見て、シャルシスも、試しに藪の葉をちぎり取り、細長く丸めて咥えてみた。
だが、吹いてもスーッと息の通る音が鳴るだけで、笛らしい音は出ない。
四人が、丸めた葉の先をつぶして、その隙間の大きさを調整することで音程を変えていることに気づくと、シャルシスも、それに倣って先端を潰してみた。
その状態で吹いてみると、プゥ……と弱々しい音が鳴った。
もっと音量が上げようと、吹き込む息の量を変えながら、プゥ、ブッ、プスゥ……と試行錯誤を繰り返す。
すると、隣で聞いていたナジムが、もう我慢ならないといった勢いで、ゲラゲラと笑い出した。
「ブハハハッ、おい、お前ら聞いたか! 一人だけ、口から屁こいてる奴がいるぞ!」
顔を上げた四人が、ブゥ、と草笛を鳴らしたシャルシスを見て、思い切り吹き出した。
自分が笑われているのだと気づくと、シャルシスは、顔を赤くした。
「わ、笑うな! 仕方ないだろう、草笛なんて吹いたことないんだから!」
腹立ちまぎれに、持っていた草笛をナジムに投げつけると、ナジムは、わざとらしく鼻をつまんで見せた。
「うわ、口から屁こいた奴が、なんか言ってらぁ。臭いからしゃべんなよ、シッシッ」
「そ、そんなに言うならお前も吹いてみろ! ホレスたちが慣れているだけで、意外と難しいんだぞ!」
憤慨するシャルシスを見て、五人が一層笑い出す。
狩りの最中なのだから、静かにしなければ、という意識はあったが、込み上がってきた笑いは、どうにも抑えきれなかった。
その時、笑い声に紛れて、遠くの方からプゥウゥー……と間延びした音が聞こえてきた。
全員がハッと口を押さえて、笑い声を飲み込む。
息を殺して、しばらく耳をすませていると、先程まで罠を張っていた森の奥の方から、もう一度プゥ、プゥ……と音が響いてきた。
口から手を外して、クロッカが小声で囁いた。
「……今の、聞こえた? 誰も草笛吹いてないよね?」
手で口を覆ったまま、五人がこくこくと頷く。
クロッカは、真剣な面持ちで周囲の気配を探っていたが、やがて、三度目のプゥゥー……という音が聞こえてくると、さっと身を屈めて、来た道を示した。
「ハクジカの鳴き返しだ! 一番最初にかけた罠の方だと思う。頭を下げて、なるべく足音を立てないようについてきて!」
クロッカを先頭に、一行は、歩いてきた道を引き返し始めた。
途端に湧き上がってきた緊張が、ドクドクと心臓を逸らせる。
吐いた息が濁るほど寒いのに、身体の芯が発熱して、額には汗が噴き出していた。
正直なところ、クロッカには、この先でハクジカを仕留める自分たちの姿が想像できていなかった。
気配に敏感なハクジカが運良く近くを通って、奇跡的に罠にかかってたとしても、きっととどめを刺すまでには至らない。
なぜなら、シャルシスたちはそれぞれ頼もしい仲間だが、ハクジカ狩りに関しては素人だからだ。
そして、本当はクロッカ自身も、ハクジカ狩りに成功したことがない、ずっと無能扱いされてきた半人前の狩人であった。
シャルシスたちに教えてきた山暮らしの知識は、正真正銘、クロッカがハデネの北領山岳民として得てきたものである。
ハクジカ狩りの経験者扱いをされて否定しなかったのも、見栄を張るつもりだったわけではなく、シャルシスの力になって、皆に少しでも希望を見せられる存在になりたかったからだ。
本物のハクジカを相手に、狩りに出たことがあるという話も、決して嘘ではない。
──ただ、出たことがある。正確には、それだけであった。
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