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投稿日:2025年12月31日
シャルシスは、そんな彼らの反応を、遠い景色でも見るように、ぼんやりと眺めていた。
自分たちが暮らす国の統治体制を、まるで他人事のように、「聞いてもよく分からないから」と敬遠する。
そうして、政界を統べる貴族たちまでも忌避する彼らに対し、王宮での生活しか知らなかった以前のシャルシスなら、呆れや哀れみを覚えていたかもしれない。
分からないも何も、理解しないことを選択したのは、お前たち自身じゃないか、と。
確かに人は、生まれる環境を選べない。
けれども、立場に縛られる王族や召喚師一族とは違って、一般の民たちは自由だ。
努力次第では、生活基盤を整え、望む地位、環境を手に入れることもできるだろう。
そうする選択肢が浮かばず、人狩りに目をつけられるような貧しい生活から抜け出せないのは、その土地の領主の統治手腕のせいというだけでなく、そうやって世の中を知る努力をせず、無関心でいる自分自身にも原因があるのではないか──。
だが、王宮を出て旅をし、拐われた貧民の子たちと共に兵役生活を経験している今のシャルシスには、クロッカたちの気持ちが、よく分かっていた。
普通に食べて寝て、人らしく生きるということは、ただそれだけで、とても大変なことだ。
そして、圧倒的な立場の差や貧富の差、暴力によって築かれた支配関係は、どんなに理不尽だと分かっていても、努力だけでは覆せない。
そうやって、息をするのに精一杯な毎日を送っていたら、目に見えない、声も聞こえない遠い為政者たちの考えなど、知ろうという気にもならないだろう。
か細くため息をついて、シャルシスは、ぽつりと呟いた。
「……そうか。……そうだよな。そんなことより、今夜の寝床と食い物が欲しいよな」
「あはは、ほんと、そんな感じだよ」
軽口を言い合っているような調子で、クロッカたちが肩をすくめる。
彼らに合わせて、シャルシスも、苦笑いを取り繕った。
肩にできた打ち身をさすりながら、ホレスが口を開いた。
「だけど、シャルみたいに魔術が使えるようになるなら、親父の反対を押し切ってでも、文字、もっと教えてもらえばよかったなぁ。魔術が使えたら、火を起こすのも楽そうだし、いざという時に身を守る術にもなるだろう? 将来的には、良い仕事について、金持ちになれてたかもしれないしな」
眉を下げて、シャルシスは首を振った。
「残念ながら、魔術の発動に必要な魔法陣や術式に使うのは、古語といって、普通の文字とは違う表意文字なんだ。でも……そうだな。軍部所属の魔導師になることを希望しているわけでなくても、魔術を習いたいという者が、身分に関わらず学べるような場所があれば、生活も豊かになるだろうな」
ラシアンが、不思議そうに首を傾げた。
「こご? ひょうい文字って……普通の字と何が違うの?」
シャルシスは、ホレスから枝切れを借りて、先程使った火の魔法陣と同じものを土の上に描いた。
「普通の文字は、表音文字といって、一つの文字が一つの音を表すんだ。ホレスなら三文字だし、ラシアンなら四文字になる。一方古語は、種類が沢山あって、一つの文字が色んな意味を持つんだ。例えば、先ほど使った火の魔法陣。……この真ん中の文字が"火"、その隣の文字は、一文字で"盛る"を表す。この二文字の組み合わせで、発火する術式が完成するというわけだ」
「へぇー!」
感心したように唸って、ラシアンたちが、食い入るように魔法陣を見つめる。
クロッカが、魔法陣に描かれた、別の古語を指差した。
「ねえ、この下の文字は?」
「これは、術者である俺の名前だ。……えっと、シャルの文字で、"貫く"という意味だ」
本当は、シャル・シスで"貫く・剣"、カー・ライルは"高貴な・王"という意味であったが、彼らにはシャル・チェスコットと名乗っているので、シャル以降の文字には触れなかった。
チェスコットにはどんな意味があるのかと聞かれたら、なんと答えようかと急いで考えていたが、皆の関心は、そこには引っ掛からなかったらしい。
キラキラと目を輝かせて、ラシアンが尋ねてきた。
「ねえ、僕の名前は? 古語だとどうやって書くの?」
「俺の名前も! どんな意味があるのか教えてくれ」
ラシアンとホレスが、ワクワクした顔で身を乗り出してくる。
少し落ち着け、となだめてから、シャルシスは、二人の名前を書き始めた。
古語は、同じ音を示す文字が複数あるので、知らない名詞を表す場合は、当て字になってしまう。
といっても、名前に使うような古語は限られているため、おおよその見当はつく。
多分この字だろう、と考えられるような古語を書いていって、シャルシスは、途中で手を止めた。
ラシアンの文字列の意味は分からなかったが、ホレスの"ホレ"の字には、"捨てられた"という意味があったからだ。
固まってしまったシャルシスを見て、ラシアンが、何かに気づいたように、ぽんっと手を打った。
「あ、でも僕たちの親は、シャルくんの親と違って古語なんて知らなかっただろうから、名付けに意味なんてないか」
その隣で、エトが臆面もなく切り出した。
「あったとしても、昔からよく使われてた古語由来の呼び名ってだけで、ろくな意味じゃないかもよ。僕の村なんか、僕と同年代の子供は皆、"エト"っていう名前だったもん」
「えっ? どういうことだ?」
思わずシャルシスが問い返すと、エトは、あっけらかんと答えた。
「古語では分からないけど、"エト"って、西方の方言で"木偶"、つまり役立たずって意味なんだ。僕が生まれた頃、村で不作が続いて、孤児がいきなり増えたんだって。僕もその孤児の一人で、それでも村の一員だからって、村長の家に住み込んで、仕事をもらってたんだけど、呼びつけられる時は皆"木偶(エト)!"って呼ばれるんだ。それがそのまんま、名前になったって感じ」
「…………」
安い慰めなどとても言えないような、悲惨な話だ。
シャルシスはそう思って、言葉を失ったが、ラシアンは、何でもない笑い話かのように応じた。
「ああ、それなら僕の名前も、"末っ子"とか"四番目"とか、そういう意味かも。確か、僕の村から売られた子にも、ラシアンって名前の子が何人かいたんだよね。ほら、末っ子って、兄弟の中で一番年下で、何をするにも、兄やや姉やほど上手くは出来ないだろ? だから、貧乏な家の男の|末っ子《ラシアン》は、真っ先に人買いに売られるんだ。僕も、借金のカタに売られたんだけど──」
「──す、すまん、もういい! そんな話をさせるつもりじゃなかったんだが……」
慌ててシャルシスが話を遮ると、ラシアンは、キョトンとした顔になった。
シャルシスがなぜ狼狽えているのか、本気で分かっていないらしい。
その無垢にも思える表情を見て、シャルシスは、ゾッとしてしまった。
恐ろしいことだが、親に捨てられた、売られたなんて話は、貧民の子にとって、よくある世間話の一つなのかもしれない。
彼らが孤児であることは、船上で自己紹介をした時から知っていたが、どういった経緯で孤児になったのか、改めて生い立ちを聞くのは初めてであった。
シャルシスの戸惑いの意味を察して、エトが、申し訳なさそうに言った。
「……ごめん、いきなりこんな話。シャルくんは、びっくりしちゃうよね。単なる身の上話だから、気にしないで」
エトが縮こまってしまったので、シャルシスは、咄嗟に否定した。
「い、いや、聞きたくないとか、そういうことではないが。……俺がどうというより、お前たちが、あまり思い出したいことではないだろう。そんな、木偶扱いされたとか、親に売られたとか……」
目を瞬かせてから、合点がいったように、ラシアンは曖昧な笑みを浮かべた。
「どうだろう、思い出したくないっていうほどの思い入れもないかな。……そりゃまあ、借金のカタにされたって分かった時は、絶望したよ。父ちゃんも母ちゃんも、僕のことなんとも思ってなかったんだなぁとか、僕って手押し車より安い価値しかないんだなぁとか知って、その時はすごく悲しかった。でも俺の父ちゃんは、暴力ばっかりのしょうもない奴だったんだ。母ちゃんはいつも疲れてて、話しかけてみても、ため息しか返してくれない。兄やや姉やも、見るたびに僕をなじってくるような、意地悪な人たちだった。……今の生活はつらいし、戦に駆り出されるのは絶対に嫌だけど、じゃああの家に戻りたいかって言われたら、そうは思わない。だから、初めて船で皆と話した時、『故郷に帰りたい』って泣いてる子たちは、きっと今までが幸せだったんだろうなぁって思ったよ。僕、ここから逃げたい気持ちはあるけど、拐われて、似たような境遇のホレスくんやエトくんに出会えたことは、良かったなって思うもの」
どこか嬉しそうに、ホレスが言った。
「俺も、それはそうだな。盗賊たちに殺されたくはないけど、よそへ行ったって、生活が楽になるわけじゃないし。……俺、元は拾われっ子で、兄弟の中で一人だけ血が繋がってなかったから、居場所がなくてさ。親父もお袋も、他の兄弟たちとはよく喋るのに、俺のことは無視するんだ。寝床も食事も俺だけ別で、今思えば、家族として迎え入れられたっていうよりは、労働力が欲しかっただけだったんだろうな。結局また捨てられて、しばらく乞食生活して、最終的には人買に捕まって、こうして雪山送りだ。……まあ、飢え死にしかけてたところを拾ってくれただけ感謝するべきなんだろうけど、俺も、前の生活に戻りたいとは思わないや」
不意に、クロッカが、ズルズルと鼻をすすった。
驚いたエトが、背をさすってやると、クロッカは一層泣き出して、真っ赤になった鼻をこすった。
「……いや、なんか、色々、分かるなぁと思って……」
クロッカは、続けて何かを言おうとしたが、咳き込むように嗚咽をこぼして、震わせた唇を閉じた。
彼は、詳しい身の上話をする気にはなれなかったのだろう。
それ以上は、何も言わなかった。
シャルシスが醸している、沈痛な空気を払拭しようと、ホレスが突然、言い放った。
「もし、無事にここから逃げられたら、生き残った皆で、どこか遠くに行って暮らそうか。俺たち、ハクジカが獲れたんだぜ? 皆で協力すれば、大人の手を借りなくても、きっと生きていける」
エトとラシアンの表情が、パァッと明るくなった。
「いいね、それ! そうしよう。約束だよ、絶対!」
まだ泣いているクロッカも巻き込み、ホレス、エト、ラシアンが肩を組む。
未来の約束を交わしている四人を見て、シャルシスは、自分だけがどこか別の場所にいるような疎外感を感じた。
同時に、自分は彼らのことを、まるで理解していなかったのだ、と思った。
シャルシスとクロッカたちは、同じ脱走計画を掲げ、見事にハクジカを仕留めた仲間同士だ。
けれども自分は、彼らの輪の中には入れない。
彼らと自分は、同じ性別、同じ年頃の人間だが、育ってきた環境や乗り越えてきた苦難の数が、あまりにも違いすぎる。
だってシャルシスは、今すぐにでも、以前の暮らしに戻りたいと思う。
一刻も早くルーフェンとトワリスに再会したいし、今感じている空腹感と疲労感、恐怖感に苛まれる日々に比べれば、あんなに辟易していた王宮生活でも、ずっとマシだったと思える。
シャルシスにとって、この兵役生活は、今まで感じたことのない、痛苦に満ちたものだった。
一方、他人と不幸の度合いを比べることなどできないが、少なくとも、理不尽な状況に慣れすぎたホレスたちにとっては、この悲惨な兵役生活は、特別に過酷なものではなかった。
死にたくないから、状況を変えたいと願う気持ちは同じ。
だが、帰りたいと思える場所が思い浮かぶ自分には、彼らと苦楽を分かち合う資格がない。
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