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投稿日:2025年12月31日






 涙を拭いながら、ふと、クロッカが顔を覗き込んできた。

「そういえば、シャルくんは、どうして家出したの……? 没落貴族だって言ってたけど、貴族なら、口減らしなんて起こらない、よね……? 家族とケンカしちゃったとか?」

 シャルシスは、クロッカの視線から逃げるように、下を向いた。
話の流れで尋ねてきただけで、クロッカに他意がないことは分かっている。
だが、この質問には、平然とした顔で答えられるか分からなかった。

 少し言葉に迷ってから、答えた。

「……両親と兄弟は、俺が幼い頃に亡くなった。唯一の肉親は、お祖母様だけで……そのお祖母様が、なんというか、とても厳しい方だったんだ。俺がどんなに頑張っても、褒めてくれたことなんてなかったし、笑みを向けられた記憶もない」

 硬い声で答えると、クロッカが、悲しげに眉を寄せた。

「ぇえ? ひどいね。シャルくん、何でもできるのに。貴族でも、そんなことがあるんだね」

「…………」

 うつむいたまま、シャルシスは首を横に振った。

「……俺が、未熟だったんだ。本当に、何も理解できてなくて……だから、いつも怒られていた。お祖母様は、何を話しかけても、『もっと精進しろ』としか言ってくれなくて……」

 鼻の奥が、ツンと熱くなった。
──それでも自分は、バジレットに嫌われていたわけではなかったのかもしれない。
そんな風に思ったのは、たった今、ホレスたちの家族の話を聞いたからだ。

 バジレットは、シャルシスが何を求めても、冷たい反応しか返してくれなかった。
けれども、こちらを侮辱するような言葉を使ったり、無視したりするようなことは決してなかった。
本当に庶子しょしであるシャルシスをうとましく思っていたのなら、老体に鞭を打って政界に関わり続けるような無茶はせず、さっさと幼いシャルシスに王位を譲って、後のことは摂政役の座を狙う臣下たちに任せればよかったのに、そうしなかった。

 ふと、頭の中に、祖母の姿を思い浮かべた。
バジレットの瞳には、老いも病の進みも感じさせぬ、強い威厳の光が宿っていた。
普通なら背が丸まって、杖をつかねば歩けなくなるような年齢なのに、その華奢な背はいつも真っ直ぐに伸びていて、王族として在るべき姿を、自らで体現していた。
そして、事あるごとに、「時間を無駄に使うな。お前は成人したら王位を継ぐのだから、未熟な内は、ひたすら必要な勉学や武芸の修練に励め」と、厳しくシャルシスをたしなめていた。
まるで、老い先短い自分が、シャルシスが十五で成人する前に倒れてしまうことを、覚悟していたかのように──。
祖母は、そういう人だったのだ。

 目からしみ出した涙を拭いながら、シャルシスは呟いた。

「……多分俺は、つらいと弱音を吐いたり、寂しいと甘えたりすることを、誰かに許してほしかったんだ。以前の暮らしでは、どんなことも学べたし、飢えることもなかった。だから、俺が感じていた苦しさは、お前たちからすれば、きっと鼻で笑えてしまうようなことなんだろうが……それでも、当時の俺は、すごく苦しかった。それで、もうこんな生活は嫌だと駄々をこねて、自分から、外に飛び出したんだ……」

 シャルシスまで泣き出したので、クロッカは目を丸くした。
他の三人も、手を右往左往させながら、全員で近寄ってきて、背をさすったり、泥臭い上着の裾を目に押し当てたりしてくれる。

「わ、笑わないよ……。貴族も、大変なんだなって思う。責任とか、重圧とか? そういうのは、僕たち、全く考えずに生きてるし……」

「そうそう、俺たちは、自分のことだけ考えて生きてるもんな。でも貴族の人たちは、自分の領地のこととか、政のこととか……なんか、よく分かんないけど、色々考えないといけないんだろう?」

 エトとホレスが、慌てたように捲し立てる。
震えるシャルシスの手を握って、クロッカが微笑んだ。

「……ぼ、僕ね。正直、貴族の人たちって、毎日贅沢三昧で、周りを見下してる嫌な連中だ、って思ってたんだ。でも、シャルくんを見てて、そんな人ばっかりじゃないって思ったよ。シャルくんが勇気を出して、僕たちを引っ張ってくれてなかったら、今、この時間はなかったもの」

 みっともないから早く泣き止まねば、と思ったが、皆の手の温もりを意識してしまうと、余計に涙が止まらなくなってしまった。
きっと、生まれも育ちも違う自分たちが理解し合うことは、難しいことなのだろう。
それでも、互いに分かり合おうと歩み寄れたことが嬉しかったし、同じ輪の中には入れずとも、クロッカたちの視線の先に希望を灯せる存在で在りたいと思えた。

 しゃくりあげながら、ようやく収まってきた涙を拭っていた時。
突然、鋭い石片のようなものが、目の前をビュンッと飛んでいった。

 びっくりして、石片が飛んできた方向を見やると、ずっと会話に参加していなかったナジムが、矢尻をガツガツとハクジカの角に打ち付けていた。

「あ、わり。……やっぱ矢尻じゃうまく削れねぇな……」

 心のこもっていない謝罪を一言述べて、ナジムは、近場から適当な小石を拾ってきた。
そして、ハクジカの角の根本を、今度は石の鋭い部分で、ゴリゴリと削り始める。
どうやら、先ほど飛んできたのは、削れて弾け飛んだハクジカの角の欠片だったようだ。

「……ていうか、ナジムくん、さっきからずっと何してるの?」

 ラシアンが怪訝そうに聞くと、ナジムは、手を止めずに答えた。

「角、片方だけ取れないかと思ってな。ハクジカの角は価値があるらしいから、これは俺の取り分として、雪の中に隠しておいて、下山したら売っ払う。このまんま渡しちまったら、蛇連中に全部取られるだろうからな」

「ぇえ⁉︎ ちょっ、やめてよ! バレたら何を言われるか!」

「うっせぇな、最初から折れてたって言や分かりゃしねぇだろ! このハクジカは、俺がいなきゃ逃げてたんだ。角一本くらい、俺にはもらう権利があるはずだぜ」

 制止しようとしてきたエトを追い払って、ナジムは作業を強行した。
エトは、納得がいかなさそうに唇を尖らせたが、しつこく咎めはしなかった。
ナジムは不機嫌になると、手がつけられなくなるのだ。

 呆れたように、ホレスが苦笑を浮かべた。

「まあ確かに、ナジムの投げ縄、すごかったよな。あの速さで走ってるハクジカに、引っかかるなんて思わなかったよ」

 ナジムは、偉そうに鼻を鳴らした。

「そりゃあ、これでも俺は、船乗りの端くれだからな。水中の小さな魚を狙ってもりや網を投げることに比べたら、目の前を走るデケェ鹿なんて、当てやすいまとだぜ」

 濡れた顔をめちゃくちゃに拭ってから、シャルシスは、鼻声で尋ねた。

「船乗りといえば、ナジム。今更だが、もし無事にここから逃げられたとして、お前はその先どうするんだ? 以前、自分は水夫の子だと言っていたな。マイゼン伯が雇っていたあの水夫たちの中に、お前の親がいたのなら、共に逃げる算段を立てなければならないだろう」

 ナジムは、片眉を上げて、面倒臭そうに手を振った。

「余計な気回しは必要ねえよ。俺は、物心ついた時から船に乗せられてたから、水夫の子だって自称してるだけだ。実際んとこ、父親と母親が誰なのかは分かんねえ」

 シャルシスは、赤くなった目を大きくした。

「え、でも、船に乗ってたってことは、乗組員の誰かが父親だったということではないのか?」

 ナジムは、大袈裟に肩をすくめた。

「さあ? どうだろうな。雇われの船乗りなんて、大抵ろくでなしだ。金になる密航を繰り返して、その日暮らしで各地を点々として、いろんな場所に女作って、孕ませて、でもガキが生まれる時には、また別の地域に渡ってる。多分、ガキを養えない売女ばいたが、産んだものの困って、俺を船着場に捨てたんだろ。んで、見つけた船乗りたちには、それぞれ心当たりがあった。だから、自分のガキかは分からんけど、とりあえず下働きとして船に乗せた……ってとこだろう」

 淡々とした語り口で言い終えると、ナジムは、角を削る作業に戻った。
何と返すか迷った末に、シャルシスは、しみじみと言った。

「……そうか。それは……なんというか、お前も大変だったんだな」

 ナジムは、うえっと舌を出した。

「やめろやめろ、気色悪りぃ。別に俺は、そんなことはどうだっていいんだ。親がどこのどいつで、何をしてるかなんて関係ない。……俺は俺だ、好きなように生きる。今は無理でも、自力で金を貯めて、いつかハーフェルンみたいなでっかい港湾都市に行って、まともな漁師連に入って働くのが、俺の夢なんだ」

「…………」

 一同は、意外そうに目を見開いて、ナジムを見つめた。
誰よりも現実的で、何かと皮肉を言うナジムの口から、"夢"なんて言葉が出てくるとは思わなかったからだ。

 ふっと笑って、シャルシスは、再び仰向けに寝転がった。
いつの間にか、雪が降り始めていた。
軽やかに舞う灰雪が、ぽつり、ぽつりと肌に落ちてきて、頬の上で溶ける。
低く垂れ込めた雪雲は、稜線りょうせんに沈み始めた夕陽に照らされて、青や紫、赤や橙と、様々な色調を帯びて揺蕩たゆたっていた。

 分厚い茜雲を眺めながら、シャルシスは、不意に呟いた。

「……俺は俺だ、好きなように生きる、か。……良い言葉だ。……そんな臭い台詞も吐くのだな、ナジム」

 言葉尻に、うっかり噛み殺していた笑い声が混じった。
つられて吹き出したクロッカたちが、クスクスと笑って、小刻みに肩を揺らす。

 ナジムは、浅黒い頬を微かに赤らめると、掴み取った泥雪を、シャルシスたちに投げつけたのだった。



 シャルシスたちが内臓を抜き取ったハクジカを持ち帰ると、予想通り、『蛇の毒牙』の盗賊たちはひどく驚いた様子だった。
やはり、本当に仕留めてくるとは思っていなかったのだろう。
盗賊たちは、ハクジカの肉を居住区内に運んだ後、全身傷だらけで帰城してきたシャルシスたちに、桶一杯分の湯を渡し、血と汚れを拭う時間をくれたのだった。

 ハクジカの死体は、焦げ跡や泥で真っ黒になっており、はたくと焼け死んだギッチュの死骸がボロボロと出てくる、ひどい有様であった。
ナジムが削り取ろうとしたせいで、片角は傷だらけになっていたし、矢尻で無理矢理に血抜きや内臓処理をしたために、肉の切り口はズタズタだ。
しかし、その悲惨な有様が、このハクジカ狩りがいかに限界ギリギリの戦いの末に成し遂げられたものだったかを伝える、何よりの証明になったのだろう。
他にも道具があれば、もっと確実に沢山の獲物を獲ってこられるとシャルシスが力説すると、盗賊たちは、ナジムの監視付きで狩りに出ることと、その間には刃物や縄などの狩猟道具を貸すことを、当初の約束通り許してくれた。

 その日の食卓には、久々に肉が並んだ。
シャルシスたちが獲ってきた、ハクジカの肉だ。
食べやすい部位はほとんど盗賊たちが取っていってしまったのか、少年たちの分のスープに入っていた茹で肉は、白っぽくて硬く、少量であった。
しかも、年老いたオスの肉だったせいか、処理に失敗していたせいか、妙な獣臭さがある。
苦労して狩った割には、正直不味かった。
それでもシャルシスたちは、一噛み一噛み、味わって食べたのであった。

 狩りに出られるようになってからは、過酷な兵役生活に、わずかに活力が戻った。
道具があれば、兎や鳥などは安定的に獲れたからである。
勿論、時に命懸けの狩猟は大変だったし、日中シャルシスたちが抜ける分、雪を掻き出すだけの無駄な掘削作業を強いられる他の少年たちの負担も大きくなった。
だが、夕食に肉が食べられるというだけで、皆の心持ちは大きく違った。
持ち帰った獲物は、盗賊たちにも譲らねばならなかったが、全てを取り上げられるようなことはなかった。
彼らも、成果物を独占するような真似をして、シャルシスたちがやる気を失ってしまっては、肉が手に入らないと考え直したのだろう。
獲物を多く獲れば獲るほど、夕食の量も増えたので、シャルシスたちは、毎日朝から日没まで、狩りに勤しんだのであった。


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