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投稿日:2025年12月31日
思うように獲物を仕留められなくなってきたのは、いよいよ冬が訪れ、見渡す限りの景色が白一色に染まった頃だった。
昼夜降り続く雪は、シャルシスたちが作った道標も、獣たちの痕跡も、全てを覆い隠してしまう。
雪の深さが身の丈を越えるようになると、山道を歩くこともままならなくなった。
シビの蔓で作った橇を靴裏に装着すれば、進めないことはなかったが、予測できない唐突な吹雪に巻き込まれては遭難しかねないので、森の奥までは探索できない。
北領民の間では、冬は死の季節だと言われている。
その言葉通り、雪深くなった山々には、生き物たちの気配が一切感じられなかった。
本当に全てが死に絶えてしまったわけではなく、越冬する動物たちは、どこかへ隠れているはずなのだが、彼らとて、エサのない雪道にわざわざ出てくる理由はない。
鳥たちも、暖かい南の地へ飛んでいってしまったのだろう。
晩秋には盛んに鳴き交わしていたハクジカも、身籠って警戒心が強くなったのか、姿を見かけなくなった。
時折、括り罠にユキウサギがかかっていることはあったが、日に二、三羽捕まれば良い方で、古城に住む約八十人の腹を満たすには、とても足りない。
仕掛けておいた罠の大半は、雪に埋まって、使い物にならなくなっていた。
シャルシスの放った矢が、シュッと雪に刺さった。
そのすぐ側を、失態を嘲笑うかのように、ユキウサギが駆けていく。
大きく嘆息して、シャルシスは、弓を構えていた腕を下ろした。
「クソ、外したか……。クロッカ、やっぱり次はお前が射ってくれ。俺はどうにも、弓は苦手だ」
「…………」
「……クロッカ?」
反応が返ってこなかったので、シャルシスは、後方で積雪の影に隠れているクロッカの方を見やった。
寒いのか、クロッカは膝を抱えて座り込み、青い唇を震わせている。
その隣に身を寄せているラシアンも、うつらうつらと目を瞬かせており、ひどく消耗している様子だ。
ザクザクと雪を踏んで近づいていくと、二人は、ようやくシャルシスの声に気づいたらしく、慌てて顔を上げた。
「……あ、ごめん! シャルくん、今、何か言った?」
クロッカが尋ねながら、ラシアンと共によろよろと立ち上がる。
彼らの弱々しい笑みを見て、シャルシスは、言いかけた言葉を飲み込んだ。
クロッカもラシアンも、狩りの経験は豊富だが、六人の中では年下で体格が小さい分、山歩きで雪に足を取られる負担が大きいようだ。
ろくな食事ができず、連日の寒さで寝ることもままならない中、雪山で無謀な狩りに挑む日々が続いて、蓄積された疲労が隠しきれない様子である。
それでも、心配かけまいと空元気に振る舞っているクロッカに、シャルシスは、弓を渡すことができなかった。
返答に迷っていると、不意に、雪を踏む微かな足音が聞こえて来た。
裸木の並びの向こうに、三人の人影が見える。
昨日仕掛けた括り罠の様子を見に行った、ホレス、エト、ナジムであった。
彼らが何も持たずに戻ってきたのを見て、シャルシスは、思わず肩を落としてしまった。
ホレスたちもまた、シャルシスたちの様子を見て、顔に落胆の色を浮かべる。
六人は、それぞれの手持ちを確認し、今日の成果物がゼロであることを悟ると、大きく嘆息したのだった。
「……シャルくん、どうする? もうすぐ日が暮れちゃうけど……あと少しだけ見回って、兎を探そうか」
問うてきたクロッカに、シャルシスは首を振った。
「いや……今日は帰ろう。粘っても獲物が獲れる望みは薄いし、皆、もう疲れただろう。体力を温存することも大事だからな」
六人は、力なく頷き合うと、各々の荷を背負い直して、とぼとぼと帰路へと歩を進め始めた。
今日は何も仕留められなかったと報告すれば、未だ無意味な掘削作業や木材の運搬作業を強いられている仲間たちは、きっとがっかりするだろう。
空腹に苛立っている盗賊たちも、理不尽な怒りをぶつけてくるに違いない。
そう思うと、ただですら雪に沈む重い足取りが、一層重くなった。
先頭を歩くシャルシスに並び、ナジムが不満げにぼやいた。
「ちぇっ、今夜はあのボソボソパンと、水スープだけか。あんなんじゃ、明日一日もたねぇよな」
「……ああ。せめてもうちょっと食糧調達に割ける人手があれば、手分けができて、狩りの成功率も上がると思うのだが……」
何度目とも知れぬシャルシスの溜め息が、白く濁って冷気に溶ける。
ぼんやりと夕暮れ前の空を仰ぎ、ナジムは肩をすくめた。
「俺も、それとなく蛇連中に、『無駄な雪掘りをさせるくらいなら、俺たち全員で山に入ったほうが持ち帰れる獲物が増えるかもしれねぇぞ』って言ってみたけど、聞いてくれなかったぜ。作業組は、人質も兼ねてるんだろうな。
つうか、やっぱり蛇連中は、俺たちなんて餓死したって良いと思ってんだろ。そりゃあ徴兵してきたガキが全員死んだら、マイゼンや、マイゼンに仕えてるウェーリンの兵士たちにとっては損失になるだろうけどよ。実際にここで俺たちをこき使ってるのは、マイゼンに隠れ蓑として金で雇われただけの、忠誠心なんて欠片もない盗賊共だ。お前らを誘拐して監視していることも、ギリギリで生かして管理していることも、多額の報酬が欲しいからやっているに過ぎない。逆に言えば、金のことがなきゃ、マイゼンの命令に完璧に従う理由なんてないわけだ。もし最近になって、蛇連中が『こんなクソ寒い冬山でガキのお守りを続けるくらいなら、金なんていらねぇ』とか考え始めたのだとしたら、多分俺たち、あっさり切り捨てられるぜ。盗賊団に、自分らの命を危険に晒してまで突き通すような信念や矜持なんてないからな。マイゼンからの依頼を完全放棄、とはいかないまでも、ガキは適当に脅しつけて、逃げる気力を奪って、最終的に生き残った頑丈な数人を引き渡せば良いか、程度に考えるようになったのかもしれん。現に、冬になってから、掘削作業の監視体制が緩くなってきた気がしねえか? ……まあ、全部憶測で、マイゼンが蛇連中をなんて言って買収したのかは知らねぇし、生き汚なさに関しちゃ、俺も人のこと言えねぇけど」
シャルシスは、訝しげにナジムを見た。
「しかし、予想外の雪害と食糧難に困っているのは、共通の事実だろう。俺たちを見捨てたところで、備蓄が増えるわけじゃない。だったら、少しくらいは、食糧調達に協力する姿勢を見せてくれても良いと思わないか? 大体、連中は大勢で古城に籠って、何をやっているんだ? 俺たちへの監視が適当になったのなら尚更、人手は余っているはずだろう。武器の管理や他の奴隷たちの監視に、それほど人数が必要とも思えない」
ナジムは、皮肉げに鼻を鳴らした。
「どうだかな。備蓄は増えないが、俺たちが死ねば食い扶持は減る。ここのところ、蛇連中も腹が減ったと苛立ってるし、食糧不足に陥ってるのは本当なんだろう。でも、実際のところ、どれくらい逼迫した状況なのかは俺も聞かされてねぇ。私兵たちと蛇連中が、一冬越せる分の備蓄がまだあるのだとしたら、俺らや奴隷たちを餓死させて、自分たちは有るだけの物資を保たせながら古城に籠ってたほうが安全だ、と考えるのが普通だろ? きっとあいつら、吹雪の中で狩りに出たり、凍えながら俺たちの外作業を見張ったりするよりも、古城内の暖炉の前でぬくぬく過ごしてた方が楽だって気づいたんだろうさ」
「……それはまあ、あり得るが……」
ナジムは、ほとんど確信しているかのような口ぶりで言い切って、腹立たしげに橇の先で雪を蹴った。
だがシャルシスは、彼の話をすんなり受け入れることができなかった。
確かに盗賊たちには、マイゼン家に対する忠義心も、命を賭けて依頼を遂行しようとする誇りも、大層な志などは一切ないのだろう。
ナジムの言う通り、あるのは愉悦と、大金への執着だけ。
シャルシスとて、決して『蛇の毒牙』という組織に詳しいわけではないが、攫われてから四月近く、嫌というほど彼らの粗暴で残忍な振る舞いを見てきたので、その点は納得ができる。
しかしそれは、裏を返せば、金のためならどんなに危険で非合法な蛮行にも手を染める、ということだ。
現実に『蛇の毒牙』たちは、他領で何百人もの子供達を誘拐、大型船に武器と共に載せて密航するなどという、露見すれば死罪を免れないような大罪を犯している。
そもそも彼らは、この件以前にも、各地で殺人強盗を繰り返して、指名手配までされている凶悪な集団だ。
そんな恐れ知らずな盗賊たちが、寒さや飢えを凌ぐためとはいえ、もう報酬はいらないからと暖炉の前で縮こまっていると考えるのは、なんとなく違和感があった。
となると、盗賊たちには、子供や奴隷たちの監視や武器の管理以外にも、古城に留まらなければならない別の理由があるのだろうか。
あの古城には、ナジムも知らない何かが、まだ存在するのだろうか──。
では、一体何があるのだろう、とシャルシスが考え込んだ、その時。
突然、背後でどさりと音がした。
振り返ると、最後尾を歩いていたクロッカが、雪の上に倒れ伏していた。
「クロッカ! どうしたんだ⁉︎」
慌てて駆け寄り、左腕を引っ張って助け起こすと、クロッカの表情が、つっと歪んだ。
今日は獲物を追うこともなかったから、怪我などは負ってはいないはずだが、どこか痛むのだろうか。
青白いクロッカの顔は、改めて近くで見てみると、不自然に頬だけが赤らみ、唇は乾燥してひび割れていた。
クロッカの額に手を当てて、シャルシスは眉を寄せた。
「熱っぽいな……。寒さで風邪を引いたか。古城までもう少しかかるが、歩けそうか? 歩けないほど具合が悪いなら、俺が背負ってやるが」
「う、ううん、大丈夫! ごめんね。ちょっと転んじゃっただけだから、気にしないで!」
クロッカは、少し焦ったように、シャルシスに掴まれていた左腕を引っ込めた。
その仕草に、シャルシスは違和感を覚えた。
周りに集まってきたホレスたちも、心配そうにクロッカを見遣る。
「……ク、クロッカくん、無理しないほうがいいよ。この前から、腕、ずっと痛そうにしてるよね……?」
「…………」
恐る恐るといった様子のラシアンに指摘され、クロッカが、びくっと肩を揺らす。
シャルシスは、有無を言わさずにクロッカの左手首を掴むと、分厚い上着の袖を慎重に捲り上げた。
そして、はっと息を呑んだ。
クロッカの前腕についた傷が化膿して、その周辺が赤紫色に変色し、腕全体がパンパンに腫れ上がっていたからだ。
「……これ……最近の怪我、じゃないよな? ……もしかして、ハクジカに引きずられた時の傷か?」
「…………」
クロッカは、俯いて何も答えなかったが、そうに違いなかった。
ここまでの深手を負った日なんて、ハクジカ狩りを行った、あの日以外に考えられない。
深手といっても、岩にぶつけたり、枝にかすったりしてできた打ち身や擦り傷、浅い切り傷などが大半だったので、シャルシスやナジムの傷などは、数日もすれば、痛みが引く程度には治っていた。
けれども、クロッカの傷は治っていなかったらしい。
医術の知識がなくとも、一目で深刻だと分かるほどに化膿して、腫れや発熱まで引き起こすほどに悪化していたようだった。
痛々しく目を細めて、ホレスがクロッカを咎めた。
「なんでこれほど悪化する前に、俺たちに言わなかったんだよ。こんなに腫れ上がった傷、俺、見たことないぞ。これ、ちゃんと医術師に診てもらわないと、まずいんじゃないのか?」
クロッカは、シャルシスから一歩下がると、手早く捲られた袖を下ろした。
「へ、平気だよ! 見た目ほど痛くないし、ツバでもつけておけば治ると思う。僕、もっと酷い怪我とか沢山したことあるけど、こうして生きてるもん。この程度、あと数日もすれば、腫れも熱も引くよ」
クロッカは、薄く笑いながらそう言ったが、その言葉が、痩せ我慢であることは瞭然であった。
厳しい顔つきになって、シャルシスは首を振った。
「軽んじて良い怪我には見えない。とにかく、急いで古城に戻って、蛇連中に薬がもらえないか聞いてみよう。こんな環境で、消毒も治療もせずに放置しておいたら、命に関わるかもしれない。
……ナジム、また交渉の仲介をしてくれ。山岳戦の拠点となることを想定して武器類を運び込んだのなら、古城には、薬や医療器具も揃っているのだろう?」
話を振られて、ナジムは、ばつが悪そうに頭を掻いた。
「……まあ、そうだな。最低限は揃ってると思う。……けど、あくまで開戦後、助かる見込みのある負傷兵に使うための貴重なものだから、俺たちに分けてくれる可能性は低いぞ。正直、期待はしないほうが良い」
シャルシスは、ぎゅっと拳を握った。
「それはそうだろうが、だからといって、このまま何もしないわけにはいかないだろう。なんとか頼み込んで、せめて消毒薬くらいは分けてもらおう」
「で、でも……大丈夫かな? 交渉した結果、そんな酷い怪我をしてることが知られたら、蛇連中、クロッカを治療するどころか殺そうとするんじゃ──」
言いかけたエトが、はっと自分の口を押さえ、自らの失言を悟り、黙り込む。
クロッカに視線を戻すと、案の定、彼は真っ青になって震えていた。
今でも、少し記憶を遡れば、怪我や病気の子供を用無しだと海に突き落としていった、盗賊たちの非道な笑みがありありと思い出せる。
船上生活と古城生活では状況が違うが、それでも、自分たちの命が、吹けば飛ぶような軽いものとして扱われていることに変わりはない。
それを分かっていたから、クロッカは、怪我の悪化を明かすことができずにいたのだろう。
シャルシスは、クロッカの両肩を掴んだ。
「し、心配するな! 俺がなんとかする。どうにか蛇連中を説得して、薬をもらってくるから、クロッカは安静にしていてくれ」
シャルシスの勇気付けは、しかし、クロッカに取り憑いた不安を拭い去ることはできなかった。
恐怖を抑え込んだ瞳が、大きく開いて、シャルシスをおずおずと見上げる。
「……だ、だけど……もし、説得できなかったら……? 戦で役に立たないって判断されたら、僕、どうなるの……?」
「……それは……」
「……そうなったら、僕、殺されるのかな……?」
「…………」
六人の間に、重苦しい沈黙が落ちる。
そんなことにはならない、と否定することは、誰にもできなかった。
「な、何か他に方法はないか? 傷に効く薬草があるとか、塗ると良い油が採れる動物がいるとか……」
「……そりゃあ、探せば何かしらはあるだろうけど、なんにせよ、今の時期じゃ……」
シャルシスの問いかけに、ホレスが言いづらそうに答える。
一同は、沈痛な面持ちで辺りを見回した。
視界に映るのは、雑草一本見当たらない、白雪と裸木だらけの銀世界だ。
ぎゅっと唇を噛んでから、クロッカは、シャルシスたちを振り切って歩き出した。
「……だ、大丈夫! 大丈夫だから、蛇連中には、怪我のこと言わないで。……お願い。僕、まだ死にたくないんだ……」
「……クロッカ……」
一度振り返ってから、クロッカは、引き攣った笑みを五人に向けた。
「大して痛くないのは、本当なんだ。弓だって引けるし、小刀なら、右手で扱えるよ。……自分の身体のことだもん、僕が一番分かってる。こんなの、すぐに治るよ。……絶対、すぐに治るから……」
自分に言い聞かせるように呟いて、クロッカは、再び古城の方に足を向ける。
シャルシスたちは、動揺の隠しきれない顔をそれぞれ見合わせてから、クロッカの背を追った。
凍てつく寒風に晒され、身体の芯は冷え切っている。
それなのに、全身から噴き出す嫌な汗が止まらなかった。
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