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投稿日:2025年12月31日
すぐに治る、というクロッカの言葉は叶わず、その左腕の傷の具合は、日に日に悪化していった。
試しに、盗賊たちにシャルシスの浅く擦りむいた膝を見せ、「膿んだら困るから薬が欲しい」と頼んでみたが、ナジムの予想通り、彼らは頷かなかった。
もっと酷い傷を見せてみれば、結果は変わるかもしれない、とも思ったが、その賭けに出る勇気は、どうしても湧かなかった。
なんとか説得しよう、と意気込む度に、容赦なく子供らを殺してきた盗賊たちの笑い声と、「死にたくない」と言ったクロッカの震え声が、耳の奥に蘇るからだ。
やはり、自分たちで治療するしかないのだろうと、溶かした雪で傷口を洗ってみたり、小刀で小さく切開して排膿を試みたりもしたが、シャルシスたちの苦闘も虚しく、クロッカの状態は、回復に向かわなかった。
赤黒く変色した腕の腫れは引かず、むしろ一層膨れ上がり、今や、皮膚が破裂するのではないかと心配になるほど膨張している。
傷口から沁み出した体液からは、饐えた臭いが漂い、熱も日増しに高くなっている。
怪我が判明してから、五日経った頃には、クロッカは、肩を貸してやらねば歩けぬくらい衰弱していた。
クロッカが、ついに自力で立てなくなった夜。
寝起きしている薄暗い石室内で、シャルシスは、ナジムと話していたことを、他の少年たちに向けて言った。
「……こうなってしまった以上、もうクロッカを狩りに連れて行くことはできない。明日からは、俺とナジムの二人だけで狩りに出るから、皆は、クロッカのことが蛇連中にバレないように注意しながら、いつも通り作業を進めてくれ。運搬や掘る作業は無理でも、石を取り除く作業なら、さして動かずともできるだろう? クロッカが、しゃがんで作業している風を装えるよう、皆で協力して、なんとか監視の目を誤魔化すんだ。できることなら、暖かい場所で寝かしておいてやるべきだが……それは許されないだろうからな」
はあ、と吐いた息が、石室の中でも白く曇る。
暖炉のない冬夜の地下室は、支給されている上着を着込んでも、仲間たちと身を寄せ合っても、震えが止まらないほどに寒い。
クロッカは、毛布にくるまって、氷の如く冷たい石床の上に横たわっていた。
シャルシスの話を聞いて、エトが怪訝そうに尋ねた。
「ちょっと待って。クロッカくんがもう狩りに行ける状態でないってことは分かるけど、どうして僕たちまで? 僕たちは、大した怪我はしてないよ」
シャルシスは、エトの方に身体を向けた。
「このところ、ほとんど獲物が獲れていないだろう。多分、当面の間はそういう徒労が続く。山狩りになるほどの大人数で行って、分散して狩れるならまた話は別だが、五人で行くのと、二人で行くのでは、正直、結果はそう変わらないと思う。だったら、極力少人数で行って、近場に仕掛けた罠を見回る程度に済ませるべきだ。獲物を持ち帰れる望みがゼロではない以上、狩りを中止すべき、とまでは思わないが、最近は一日中 吹雪いている日も増えてきたし、山中を歩き回ること自体が危険だ。いつ雪崩に巻き込まれるか分からないし、遭難するかもしれない。もちろん死ぬ気はないが、命を賭ける人数は少ない方が良い。だから、最初に狩りに行くと言い出した俺と、蛇連中に監視を命じられているナジムの、二人で行く」
「…………」
特段おかしいと異見できる、反論の余地はない。
しかし、ホレス、エト、ラシアンの三人は、まだ腑に落ちない様子だ。
彼らの心中を察して、シャルシスは、あえて穏やかな声で続けた。
「俺とナジムは街育ち、海育ちだが、皆に色々と教えてもらったおかげで、だいぶ山歩きにも慣れてきた。だから、心配しないで待っていてくれ。今は、危険で成果の望めない狩りに半端な人数を割くよりも、蛇連中に従っているフリをすることに人数を回した方が得策だ、と判断してのことだ」
「……うん。まあ、言ってることは分かるけど……」
三人は、何か言いたげながらも、納得してくれたようであった。
だが今度は、いつも掘削作業の方に参加している少年の一人が、不服そうに口を開いた。
「ねえ、狩り組だけで、勝手に話を進めないでよ。クロッカのことが蛇連中にバレないようにって、そんな簡単に言うけど……もしバレたら? 怪我を理由に作業をサボってる奴がいるって、連帯責任で怒鳴られて、俺たちまで巻き添い食って殴られるかもしれない。狩りの監視はナジムだけなんだから、匿うっていうなら、そっちで連れて行ってよ!」
思いがけず、きつい口調で反論されて、シャルシスは驚いた。
これまでも、この石室内ではいろんな話し合いをしてきたが、こんな風に衰弱している仲間を足手纏い扱いするような、刺々しい意見をぶつけられたのは初めてである。
最初こそ、恵まれない境遇の他人同士の集まりでしかなかった自分たちだが、過酷な船上生活と古城生活を経て、この場で脱走計画を掲げている皆の間には、仲間としての確かな絆が芽生えている。
少なくとも、シャルシスはそう感じていた。
故に、怪我や体調不良で弱っている仲間がいたら、一丸となって庇い助けようとしてきたし、その思いやりや優しさに、不満など出たことはなかった。
狩りに出る人数を減らして、今は体力温存とクロッカの回復に尽くそう、という提案に対しても、不安や疑問は挙がったとしても、反対意見は出ないだろう、と踏んでいた。
しかし実際には、意見してきた少年だけでなく、作業組の多くが、批判的な目でシャルシスを睨んでいる。
動揺を押し隠しながら、シャルシスは答えた。
「腕の怪我が痛むというだけじゃない。クロッカは、動けないほどの高熱なんだ。そんな状態で、吹雪く雪山を歩かせるわけにはいかないし、俺かナジムが背負って移動するにも、行動範囲が限られる。動きが限られていては、運良く獲物を見つけられても仕留めることができないだろうし、有事の際にもうまく逃げられない。さっきも言った通り、雪山で狩りをすることは、万全の状態であっても危険なことなんだ」
言いながら、シャルシスは、気遣わしげにクロッカの方を一瞥した。
クロッカは、話が聞こえているのかどうかも分からない、朦朧とした表情で、荒い呼吸を繰り返している。
別の少年が、苛立たしげに言った。
「じゃあシャルくんは、作業中にクロッカの怪我が見つかって、僕ら全員が蛇連中に殴られても良いっ言うの? あいつら、機嫌が悪い時は、手じゃなくて剣の鞘で力一杯殴ってくるんだよ」
「だから、見つからないように皆で協力してくれ、と言っている。冬になってから、監視の目は緩まったのだろう? 特に寒い日は、蛇連中が外に出るのを嫌がって、見張りのない中で作業したこともあったと聞いた。この状況なら、クロッカの不調を隠し通すことも不可能ではないはずだ。もしバレたとしても、腕のひどい傷さえ見られなければ、いくらでも誤魔化しようがある。どうせすぐに雪が積もるから、掘る作業が滞っても、今なら分からないし──」
「──つまり、狩りに行くのは大変だけど、僕たちの作業は楽だから、怪我人のクロッカを回しても大丈夫だろう、ってこと? ……なにそれ、そんな言い草ある? シャルくんたちこそ、毎日呑気に山ん中ほっつき歩いてさぁ。僕たちが蛇連中の監視下で、どんな理不尽な思いをしながら堀を掘ってきたのか、君らには想像もつかないんだろ」
カチンときて、シャルシスは、わずかに語気を強めた。
「そんな話はしていないだろう? 俺たちだって、最初は掘削作業に参加していたのだから、その辛さは分かっている。俺たちが狩りに出ている間、作業を続けてくれていたお前たちには、ちゃんと感謝もしている。だが今は、狩りよりも作業をしていたほうが安全だと言っているんだ」
「分かってない! 全っ然分かってないよ‼︎ 本当に僕たちの苦労を分かってるなら、クロッカを匿えとか、作業の方が安全だとか、そんなこと言えないはずだもん!」
声を荒らげたシャルシス以上の勢いで、作業組の少年たちが言い返してくる。
その取り憑かれたような激昂ぶりに気圧されて、シャルシスは、思わず黙り込んでしまった。
彼らの怒りを宥める言い回しをしたつもりであったが、場に満ちた苛立ちは、言い含めるほどに濃くなるばかりだ。
不意に、鉄格子の外で傍観していたナジムが、全員に聞こえるような、露骨な溜め息をついた。
「ああ、もう、ガタガタうるせぇなぁ。おいシャル、下手なご機嫌取りなんかやめて、はっきり言ってやれよ」
「はっきり……?」
眉を寄せたシャルシスに、ナジムがフンと鼻を鳴らす。
ナジムは、立ち上がって鉄格子を掴み、柵越しに作業組の少年たちを見下ろした。
「……この中で、クロッカの他に、雪山での狩りに慣れてる奴はいるか? ただの山じゃないぞ。北部の冬の、雪山での狩りだ。あと、小刀や弓、縄の扱いに慣れている奴は? 何かあった時に、蛇連中に交渉できる奴は? 雪害や獣に襲われて死ぬかもしれない、それでも戦ってやろうっつう、覚悟のある奴は?」
「…………」
困惑した様子で黙った少年たちに、ナジムはフハッと吹き出した。
「ほら、いない。お前ら自身が、狩りに出られない無能なくせに、どの口が怪我人を連れて行けとかほざいてんだよ? ……もう一度言う。狩りに怪我人を連れていくのは、絶対に無理だ。こんなことは、クロッカ自身が一番分かってるだろうが、雪山は危険だからな。だが、誰も狩りをしなければ、俺たち全員、この冬に飢え死ぬ。だったら、俺とシャルで行くしかねえだろ。ここには、俺たちの代わりが勤まる奴がいねぇ。まあ、雪山での動き方に関しては、俺とシャルもまだ慣れたとは言えないが、獲物を仕留める方法は、この一月で大体わかったし、武器類の扱いは元より心得ている。何より俺たちは、お前らより体力があって、いざって時に一人でも考えて動ける。つまり、チビで頭の悪い役立たずのガキどもは、怪我人と一緒に居残って、黙って穴掘りしてろ、って言ってんだよ」
「……っ」
「なっ、馬鹿ナジム‼︎ なんてことを言うんだ! 俺はそんなこと思ってない!」
あまりの言われように愕然としている少年たちが、何かを言い返す前に、シャルシスは、慌ててナジムの言葉を遮った。
しかしナジムは、言葉を撤回するつもりはなさそうだ。
腕組みをして、ナジムは口の片端を上げた。
「ハッ、思ってない? でも、お前が言いたいのは、つまりそういうことだろ? 知恵も知識もねえ、ただですら消耗してるガキどもが雪山をうろついても、無駄死にするだけだ。俺とシャルで狩りを続けて、それ以外が人質も兼ね、蛇連中の注意を引きつける。これが一番効率的だ」
「け、結論としては、確かに同じだが……言い方というものがあるだろう!」
作業組の少年たちは、しばらく怒りに震えながら、シャルシスとナジムの言い争いを聞いていた。
その目が、みるみる剣呑とした暗さに飲み込まれていく。
ややあって、少年の一人が、激情を抑え込んだような低い声で言った。
「……そんなこと言って……シャルくんとナジムくんは、こっそり下山するつもりなんじゃないの? 狩りに行くって嘘をついて、俺たちみたいな役立たずを囮にして、蛇連中から逃げるつもりなんだ。だから、二人だけで行きたがってるんだ……!」
はっと向き直って、シャルシスは、胸を貫かれたように硬直した。
開き切った少年たちの瞳には、混乱と憎悪が綯い交ぜになったような、仄暗い闇が広がっている。
その目はどこか、ハクジカやユキウサギが仕留められる直前に見せる、恐怖と絶望の眼に似ていた。
流石に黙っていられないといった様子で、ホレスが口を出した。
「皆、ちょっと落ち着けよ! 少なくともシャルは、そんなこと考えるような奴じゃない。ナジムだって、口は悪いけど、立場を危険に晒して協力してくれてる。そもそも、狩りに行こうって話になったのは、十分に食えてなかった俺たちのためだったんだぜ? 二人がブン殴られながら蛇連中に交渉をしてくれたこと、もう忘れたのか?」
「知らないよ! そっちが勝手に俺たちのためって意気込んでただけで、俺たちがそうしてって頼んだわけじゃない! 大体、偉そうに狩りに出るようになったくせに、最初のハクジカ以来、ろくな獲物を獲れてないじゃないか! 狩りをサボって、六人だけで下山道を探すことに夢中になってたんでしょ⁉︎」
エトとラシアンも、顔を紅潮させて反論した。
「確かに下山道探しもしてたけど、それだって、僕ら全員のためだよ! 自分たちだけで逃げようだなんて、考えたことない! 現に、僕たちはこの古城に戻ってきて、ちゃんと情報を共有してきただろう!」
「そんなの、街に繋がる下山道がまだ見つかってないから、戻ってきてるだけだ! ていうかどっちにしろ、山道の探索は、シャルとクロッカで狩りに行き始める前からやってたのに、なんで未だに下山道を見つけられてないんだよ⁉︎ 俺たちが役立たずだっていうなら、そっちだって役立たずだろ!」
「それこそ、狩りに集中してたからだよ! 獲物を追ったり、罠を仕掛けたりするのは、君たちが思ってる以上に重労働で、時間のかかることなんだ! それに今は、下山道を探そうにも、つけた道標が雪で覆われてすぐ見えなくなる。さっき、掘削作業が安全だとか言うなって怒ってたけど、君たちだって、狩りや探索の大変さなんて分かんないだろ⁉︎」
「ああ、分かんないね! そんなこと考える暇もないくらい、毎日毎日、無駄な穴掘りをさせられてたんでな! でもあんたたちは、俺たちと違って有能なんだろ? だったら全部、やってみせてくれよ! それで、あの蛇連中を全員ぶっ殺してくれよ……!」
追い詰められた獣のように目を光らせ、息荒く罵り合う少年たちの応酬を、シャルシスは、ただ呆然と見つめていた。
彼らはもう、シャルシスの知っている仲間たちとは、全くの別人であった。
全員で協力してここから逃げよう、と拳を突き出して誓った、あの晩秋の夜のことが、もう上手く思い出せない。
ズキズキとこめかみが痛め始めて、シャルシスは、うめきながら耳を塞いだ。
──きっと皆、ひどく疲れているのだ。
お腹が空いて、痩せ衰えた四肢には力が入らなくて、全身がだるいのに眠ることもできない。
毎日寒くて、あかぎれや肉刺のせいで皮膚が痛くて、でも垢の溜まって痒くて、苛立ちが募る。
いっそ死んだ方が楽なのかもしれないと思うのに、生きていたくて、もう頭の中がぐちゃぐちゃだ。
まともな思考が働かなくなっている自分たちには、他人を気遣う余裕など、残っているはずもなかった。
「……うるさい、うるさいうるさい‼︎ いい加減、黙ってくれ……!」
唐突に石壁を叩き、シャルシスが怒鳴ると、不意を突かれたように、全員が沈黙した。
驚きに満ちた視線が、シャルシスに集中する。
唸り声にも近い息を吐いて、シャルシスは、強引に話を切り上げた。
「……とにかく明日からは、俺とナジムで狩りに出る。クロッカは、作業側に残す。どうしても納得がいかない者は、自力での脱走を試みるなり、蛇連中を説得して雪山をほっつき歩く許可をとるなり、好きにしろ! それであいつらの機嫌を損ねて、殺されたって構わないというならな……!」
勢いよく言い切って、毛布にくるまると、シャルシスは、クロッカの隣に寝転んだ。
こんな投げやりな態度をとれば、火に油を注ぐことになるだろうと分かってはいたが、感情的にならずにはいられなかった。
この場にいる全員、シャルシス自身も含めて、まともな発言ができる精神状態にない自覚はある。
それでも、「狩り組だけで下山して逃げようとしていたんじゃないのか」と疑われたことが、すごく悔しくて、腹立たしかった。
自分はこの中では年上で、仮にも王族として生まれた男なのだから、いかなる状況下でも、怯える子供たちを守り導く存在であるべきだ。
そう己に言い聞かせて、船に乗せられてからずっと、必死になって皆の先頭に立とうとしてきた。
別に賛美され、尊敬されたかったから、そうしてきたわけではない。
けれども、感謝されるどころか、疑われて批難されたのだと思うと、懸命に勇気を振り絞ってきた自分が馬鹿馬鹿しかった。
ホレスたちは庇ってくれたが、それだけでは、とても怒りがおさまらない。
ナジムも大きく嘆息すると、鉄格子の外の石壁に寄りかかり、座って目を瞑った。
他の少年たちも、今夜は眠ってしまおうと、毛布の中に潜り込んだ。
誰も、もう何も言わなかったが、冷え切った石室内には、まだ苛立ったような、殺伐とした空気が漂っていた。
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