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投稿日:2025年12月31日






 類を見ないほど、寒い朝であった。
あまりの寒さに、風や雪雲さえ萎縮したのか、昨夜から続いていた吹雪の唸り声もしない。

 目を開けたシャルシスは、意識が覚醒してからも、しばらく起き上がることができなかった。
凍った手足の感覚がなく、まるで、内臓まで氷漬けになってしまったかのようだ。
ようやく動けるようになったのは、全身の筋肉が体温を取り戻そうと、ブルブル震え始めた頃であった。

「おい……シャル、生きてるか?」

「あ、ああ……なんとか……」

 震え声で問うてきたのは、鉄格子の外で、同じく凍えていたナジムであった。
ナジムは、かじかんで上手く動かない指先で、なんとか取り外した燭台の蝋燭に火を灯し、石室内を照らしてくれる。
ガチガチと歯を鳴らしながら、シャルシスは辺りを見回した。
それぞれの毛布にくるまって寝ていた少年たちが、血の気のない顔で震えながら、ぼんやりとこちらを見上げる。
自分の分の毛布を、まだ眠っているクロッカにかけてやりながら、シャルシスは声かけをした。

「起き上がれる者は、起きて、動け……。眠ったままでは、こ、凍え死んでしまう……」

 何人かが、指先に白い息をかけながら、のろのろと立ち上がる。
彼らが、まだ動けずにいる少年たちの腕や脚をさすってやっているのを見て、シャルシスも、クロッカの身体に手を伸ばした。
クロッカの体調が、この寒さで一層悪化しているのではないかと、心配であった。

「……クロッカ……クロッカ、起きろ。大丈夫か?」

 呼びかけながら、毛布越しに触れたクロッカの腕は、氷のように硬かった。
嫌な予感がして、強引に彼の身体を仰向けすると、クロッカは、昨夜シャルシスと手を繋いで寝た姿勢のまま、右腕を少し伸ばした状態で、ゴトッと転がった。

「……クロッカ?」

 その青白く乾いた唇が、返答を紡ぐことはない。
彼の身体は冷たく固まっていて、まるで石像のようであった。
いくら声をかけても、肩を揺らしてみても、クロッカは、目を覚まさなかった。

 やがて、地下室の出口──主塔の入口扉を開けた『蛇の毒牙』の男が、作業の時間だと言いながら、階段を降りてきた。
ナジムは石室内を見遣って、まだ眠っている少年たちの人数を数えると、「四人死んだ」と男に報告をした。
男はチッと舌打ちをすると、クロッカたちを見て、「作業の前に埋めてこい」と言った。

 シャルシスたちは、クロッカを含む四人の凍死体を地下から運び出すと、掘削作業用のくわやスコップで、古城の裏手に穴を掘った。
雪の下にある凍土は硬くて、掘るのに時間がかかったが、掘っている長い間、誰も、一言も発しなかった。
泣いたり、怒ったりする者もおらず、皆、感情の失せた無表情で、黙々と穴を掘っていた。

 凍死体を埋める瞬間になると、その時になって、泣き始める者が出てきた。
シャルシスは泣かなかったが、自分が遺体を担いで穴に入れよう、という気にはどうしてもなれなかった。
呆然と立ち尽くしていると、見かねたナジムが、遺体を担いで穴に投げ入れてくれた。
死体の処理など日常茶飯事だとでも言わんばかりの、慣れた所作に見える。
シャルシスは、汚物を捨てるような乱暴さで遺体を海に捨てていた、船上でのナジムの姿を、ぼうっと思い出していた。

 四人の痩せた遺体が底に積み重なると、一同は再びスコップを持って、掘った雪や土を穴に戻した。
その作業の間も、誰も、何も言わなかった。
自分が何を考えてこうしているのか、気持ちが追いつかないまま、シャルシスは、スコップ一杯にすくった雪を、埋もれていくクロッカの顔の辺りにかけた。

 遺体を埋め終わると、シャルシスとナジムは狩りに向かい、他の少年たちは掘削作業に入った。
盗賊たちは、死んだ四人が狩り組だと思ったのか、最初に指定した六人という人数を越さなければどうでも良いと考えているのか、狩猟に行ったのが二人だけだと気づいても、口を出してはこなかった。
昨夜散々揉めた作業組の少年たちも、匿うはずだったクロッカが死んだからか、何も言わずにシャルシスたちを見送った。

 山の天気は変わりやすいが、今日は珍しく、朝から澄んだ青空模様が続いていた。
けれども、依然として気温は低く、どれだけ歩いても、なかなか身体が暖まらない。
シャルシスとナジムは、冷えて感覚の無くなっていく足を動かしながら、黙々と前へ進んだ。

 くくり罠を仕掛けていた場所に行ってみると、数日ぶりに、ユキウサギが一羽かかっていた。
シャルシスは、石を取ってきて、暴れているユキウサギの頭を殴って気絶させた。
そして、小刀で首の太い血管を切って血抜きをし、腹部を裂き、内臓を取り出した。
開いた腹を雪に押し付けると、真っ赤な血が、みるみる雪に吸い込まれていく。
初めてこの放血方法をクロッカに教わった時は、自分には絶対に出来ないと思ったものだが、いつの間にか、考えずとも手が動くくらいには慣れて、上手にできるようになっていた。

 発動した括り罠を仕掛け直したナジムが、シャルシスの元に戻ってきて、複雑そうにぼやいた。

「久々の肉に喜びてぇところだが、こいつ、仔ウサギか? なんか小さくねぇ? こんなん全員で分けたら、一口分にもならないぜ……」

 くるくるっと自分の小刀を掌上で器用に回し、ナジムは肩をすくめる。
それから、腹が減ったなぁ、とぼやいて、どこかへ歩いて行ったかと思うと、立ち並ぶ裸木の樹皮を、片っ端から小刀で削ぎ始めた。
どうやら、食べられそうな樹皮がないか、調べているらしい。
剥ぎ取った樹皮を口に咥えてみては、顔をしかめて、ぺっと吐き出していた。

 シャルシスは、ナジムから視線を戻すと、手に持ったユキウサギを見つめた。
言われてみると確かに、いつも見るユキウサギよりは、小さく痩せているような気がする。
肉の多い後肢や胴回りなどは、きっと盗賊たちに持っていかれてしまうから、ナジムの言う通り、自分たちが食べられる分は、一口あるか、ないかくらいの量かもしれない。

(……でも、クロッカたちが死んだから、四人分は取り分が増えるよな……)

 ふと、そんなことが頭に浮かんで、シャルシスはほっと息を吐いた。

「…………」

 しかし、不意に瞠目し、うっと手で口を押さえた。
己が何を考えたのかを自覚した途端、強烈な吐き気が込み上がってきたのだ。

「──うっ……うえ……っ」

 ユキウサギを取り落とすと、シャルシスは膝から崩れ落ち、その場で吐いた。
心に沈澱していたものが一気に溢れて、ぼろぼろと涙がこぼれる。

 自分は今、人として最低なことを考えた。
昨夜、クロッカ達が嬉しいことや楽しいことを簡単に見つけられる日々を作る、なんて言って励ましたのに、彼の仲間として、友として、決して思ってはならないことを思った。

 雪に額を擦り付け、シャルシスは、声を上げて泣いた。
ナジムは樹皮をしゃぶりながら、その泣き声を無言で聞いていたが、やがて、面倒臭そうに溜め息をつくと、シャルシスの隣に腰を下ろした。

「……お前さぁ、いい加減慣れろよ。まさか、まだ自分たちの立場が分かってなかったわけ? それとも、ここ最近は死ぬ奴がいなかったから、脳みそお花畑に戻っちまったのか? このクソ寒い食糧難の状況で、脱走作戦なんて進めりゃあ、いずれ何人か死ぬことなんて分かりきってただろう。船でも言ったように、俺たちは簡単に死ぬ虫ケラなんだ。虫が数匹死んだくらいで、いちいち泣いてんじゃねぇよ」

 シャルシスは、嗚咽をこぼすばかりで、何も答えない。
というより、答えられなかった。
胸が痛くて、息が苦しくて、声を出すことができなかったのだ。

 ナジムは、呆れたように言い募った。

「……そりゃあ、クロッカの北領民としての知識を失ったのは、惜しいけどな。……でも正直、俺は、死んだのがあの四人で良かった、と思ってるぜ」

 シャルシスが、濡れた顔でナジムを見上げる。
ナジムは、皮肉げな笑みを浮かべた。

「考えてみろよ。知識や経験があったところで、あんなに怪我が悪化したんじゃ、クロッカはこの先、生きてても足手まといにしかならなかった。他の三人に至っては、文句を言いながら堀を掘ってただけの、何の取り柄のないチビ共だった。もし死んだのが、お前やホレスだったら、脱走計画に支障が出ていたかもしれんが、実際に死んだのは、今後役立つ見込みのない四人だ。獲ったこの兎肉を分けなきゃいけねぇ奴が減ったと思えば、むしろありがてぇことじゃねえか。死んだのが自分じゃなくて、お荷物の方で良かった、くらいに考えて、喜んでおこうぜ。……ま、こんなことを言うと、お前はまた『理解できない!』とか怒り出して、俺を軽蔑するんだろうけどさ」

「……っ」

 喘鳴しながら、シャルシスは首を振った。
ナジムを軽蔑することなど、できるはずもなかった。
だって、シャルシスは先程、彼と同じことを考えた。
死んだ四人分の食糧が浮き、少しでも自分の食べる分が増えたと思って、心の底から安堵したのだ。

 一層激しく泣いて、シャルシスは首を振り続けた。
蓋を開けてみれば、己の本性はくも愚かしい。
そのくせ表では、手段を選ばずに生きてきたナジムの強かさを、「理解できない、同意できるわけがない」と批難していたのだと思うと、自身の浅はかさに嫌気が差した。

「……俺の方が、もっとひどい……」

 絶え絶えの呼吸の間に、シャルシスは呟いた。
弱々しい震え声を聞き取ったナジムは、少し意外そうに瞬いたが、返事はしなかった。

 ナジムは、何かを思いついたような腰を上げると、落ちているユキウサギを持ち上げて、その毛皮をむしり始めた。
脚の方から服を脱がすように、血に濡れた毛皮を剥ぎ取っていく。
このやり方も、初めてクロッカに教わった時は、案外簡単に剥けるのだな、と驚いたものだ。

 ようやくシャルシスが泣き止んだ頃には、ユキウサギは、肉だけになっていた。
ナジムは、また小刀を持ってどこかへ行ったかと思うと、少しして、乾いた枝木の束を抱えて戻ってきた。
バラバラと雪上に落とした枝木を、シャルシスの前で重ねて、ナジムは言った。

「なあ、このユキウサギ、俺ら二人で食っちまおうぜ。火、魔術でつけられんだろ?」

「え……」

 目を見開いたシャルシスに、ナジムは鼻を鳴らした。

「持って帰ったら、蛇連中や他のガキ共に分けてやらないといけない。俺たちが獲ったのに、そんなの阿呆らしいじゃん。さっさとここで食っちまって、帰ったら、今日も獲物はゼロでしたって報告しようぜ」

「…………」

 シャルシスはまだ何も答えていないのに、ナジムは、解体して切り分けたユキウサギの肉を枝に刺し、着々と焼く準備を進めていく。

 逡巡の末に、濡れた目を拭うと、シャルシスは雪上に魔法陣を描いた。
そして、積まれた枝木に火を灯した。
古城では、空腹に耐えながら作業をしている仲間たちが待っているのに──なんて綺麗事を吐くのは、今更なような気がした。

 焼き上がったユキウサギの肉は、残酷な現実も、仲間たちへの罪悪感も、全てを忘れてしまうほどに美味しかった。
粗食続きで胃が縮んでいるところに、いきなり大量の肉を食べるのは危険だということは、本能的に分かっていたが、それでも、手が止められなかった。
立ち昇る湯気や、ポタポタと滴る脂すらうまい。
シャルシスとナジムは、噛んで飲み込む間さえ惜しむような勢いで、次々と焼けた肉にかぶりついた。

 全ての肉を食べ終わると、身体が生き方を思い出したかのように、全身が温かくなってきた。
火の始末を終えたナジムが、今度は下りの山道のほうを指して、ぽつりと言った。

「……俺たちが目星をつけてきた下山道、合ってるか分かんねえけど、一か八か、今から下ってみようぜ。行きも、山登りだけなら半日程度で終わったんだ。運が良ければ、明日の朝には麓に辿り着けるかもしれないだろ。そこからの馬車で来た道は、戻るのに数日かかるだろうが……まあ、その時のことは、まず麓まで行けたら、改めて考えりゃいい」

「……ナジム……。だが、それは……」

 シャルシスは、赤くなった目を伏せて、返答を濁した。
最初に狩りに行きたいと提言した時、『蛇の毒牙』の盗賊頭は、もし日没までに狩りから戻ってこなければ、作業組の少年たちの片目を抉り出す、と言っていた。
ハクジカ狩りを命じられた際の話であって、その後の狩りでもそうすると脅された訳ではない。
だが、帰らなければ、残っている子供達がひどい仕打ちを受けるのだろうということは、経験則から分かりきっている。

 シャルシスが何か言おうとしたのを遮って、ナジムは、ふっと口角を上げた。

「いいじゃん、あんな奴らのことは。……俺たちが必死で食糧調達をしてる間、あいつらは、俺たちが狩りをサボって、自分らだけで逃げようとしてるんじゃないか、って疑ってたんだぜ? そんな連中、もうどうなったっていいじゃねえか。足手纏いもいないことだし、望み通り、俺とシャルだけで逃げてやろう」
 
「…………」

 気づくとシャルシスは、ナジムと一緒に、下山道を下っていた。
今までにつけてきた道標は、雪に埋れて分からなくなっていたが、探索を重ねてきたおかげか、木々の並びを見るだけでも、なんとなく道程を思い出せた。

 会話もなく雪道を進んでいると、やがて、天に分厚い雲が立ち込め、灰のような雪が舞い始めた。
雲間に見え隠れする空は、暮れの朱色に染まり出している。
日が沈めば、大気は更に冷え込み、辺りが暗くなれば、足元も見えなくなる。
仲間を裏切り、凍死や遭難することも覚悟で麓を目指し続けるのか。
やはり引き返して、盗賊たちに咎められることを承知で古城に帰るのか。
選択しなければならない時が、夕闇と共に迫ってきていた。

 今までに探索してきた範囲を超え、更に進んでいくと、木々のない切り立った山崖さんがいに出た。
途絶えた道を前に、二人は立ち止まり、言葉を失った。

 眼下には、広大な平野が広がっていた。
山間部ほど深くはないものの、雪が積もり、見渡す限り白一色に染まっている。
だが、山道に入る手前の地帯だけ、人為的に雪が溶かされ、深く掘られていた。
──塹壕ざんごうだ。平野に敷かれた道を塞ぎ、今いる山を囲むように、塹壕が築かれている。
これでは馬が山道に入れないから、あの塹壕は、シャルシスたちが古城に連れてこられた後に作られたものなのだろう。
目を凝らすと、周囲には、兵士らしき小さな人影が、蟻のように隊列を成して蠢いているのが見えた。

 その光景を見た瞬間、シャルシスは、本当に北領はシュベルテと開戦するつもりなのだ、と実感した。
別にナジムを疑っていたわけではないが、これまでは話に聞いていただけだったから、あるのは自分たちの身に対する危機感だけで、それ以外の危険は真に迫った感覚がなかった。
しかし、兵士が集められ、対魔導師用の塹壕など掘られているということは、眼下の一帯が、高い確率で戦場になると想定されている、ということだ。
もしウェーリンの宣戦布告をシュベルテが受け、東側に位置するスタン平野が突破されたら、自分たちを含む大勢の人間が、この山岳部で戦って死ぬかもしれないのだ。

 隣で呆然と景色を見下ろしていたナジムが、不意に、乾いた笑みをこぼした。

「……はは……連絡が取れないって聞いてたけど、準備はちゃんと進んでたみたいだな。これじゃあ、麓まで下りられたって、俺たち、逃げ場がねえじゃん」

「…………」

 シャルシスは、ナジムを一瞥してから、もう一度、塹壕の周辺を眺めた。
無数にいる兵士たちは、裾野すそのに沿って死角なく配置され、塹壕の壁に杭を打ちつけている。
確かにこの状況では、無事に下山することができても、身一つで彼らの目を掻い潜り、平野を突破することはできないだろう。
もしかしたら盗賊たちは、このように、万が一にもシャルシスたちが逃げられないと分かっていたから、狩りに行く許可を出したのかもしれない。

 鉛色の雪雲を見上げ、シャルシスは、沈んだ声で言った。

「……やっぱり帰ろう、ナジム。……今から急けば、夜までには古城に戻れるだろう。獲物を追いかけていて、帰るのが遅れてしまったのだと説明すれば、殴られる程度で済むかも……」

 言葉を続けようとして、シャルシスは口を閉じた。
一体、どちらが良いのだろう。
このまま山中で夜を迎えて、凍死するほどの寒さに苛まれるのと、古城に戻って、盗賊たちにいたぶられるのと、どちらの方が苦しいのだろう。
一方を選んで、仮に生き延びられたところで、その先に希望があるようにも思えない。

 黙っていると、ナジムがふうっと白い息を吐いた。
それから、「そうだな、帰るか」と呟いて、踵を返した。
ナジムは、殺されるくらいなら山で凍死する、と言い張るだろうと予想していたので、彼が大人しく戻ることを選んだのは、少し意外であった。

 ナジムの後ろに着いて、シャルシスも、来た道を戻り始めた。
そうした方がまだ生き延びられるかもしれない、と思ったわけではない。
ただ、どの選択肢を選ぶ方が苦しむかなんて考えたくなかったから、悩むことを放棄して、ナジムについて行った。
虚勢を張って、危険な綱渡りを続けるような計略に思考を費やすことに、シャルシスは、もう疲れてしまっていた。


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