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投稿日:2025年12月31日
震える声で、ゼナマリアは言い募った。
「なんとか王都の外に逃げ出した私は、教会による理不尽な弾圧を抑止せねばと、港湾都市ハーフェルンに向かおうとしました。ハーフェルンの領主マルカン侯は、かねてより召喚師派です。彼ならば、召喚師制の廃止に異を唱え、教会勢力とも敵対して下さると考えたのです。しかし、その時点では、まだ召喚師様が生死不明でしたから、ハーフェルン方面の街道には、教会派の兵や魔導師たちが多く配置されていました。モルティスもまた、召喚師様がマルカン侯を頼り、北東へ逃げたと予測していたのでしょう。私も教会に追われる身となっていましたから、護衛もなく侍女と二人、その包囲網を抜けられる自信がなくて……」
「……だから、ウェーリンを目指した……?」
「……ええ、そうです」
背筋に、ひやりとしたものが触れた。
北都ウェーリンの周辺も、過去の独立戦から召喚師信仰に篤い土地である。
ハーフェルンに行けないならウェーリンを頼ろう、と考えるのは、自然な流れだろう。
といっても、軍事権をシュベルテに握られ、独自の軍を持たないハーフェルンやウェーリンに、内戦を引き起こせるほどの戦力はない。
ゼナマリアも、そんなことは分かっていたはずだし、おそらく開戦までは望んでいなかったのだろう。
彼女が望んでいたのは、イシュカル教会に対する経済面、貿易面での制裁。
すなわち、これ以上教会が暴虐的な弾圧を続ける気ならば、北都ウェーリンはシュベルテとの関係を考え直さなければならない、とモルティスを脅しつけることだ。
しかし実際には、ウェーリンは、本来敵うはずのないシュベルテを相手に、宣戦布告に踏み切らんとするまでに至っている。
ゼナマリアが、私のせいだと謝罪した意味が、ここでようやく分かってきた。
ごくりと息を呑んで、シャルシスは口を開いた。
「……マイゼン伯に、明かしてしまったのだな。召喚師制が廃止になったこと、シュベルテで教会と魔道師団が内乱状態にあることを……」
「……はい」
涙声で肯定し、ゼナマリアは、再び土下座をした。
「……最初、ウェーリンに到着し、マイゼン家の城館を訪ねた時、私は門前払いを受けました。私の素性が信じられなかったのか、あるいは、話を聞くだけであっても、シュベルテを裏切るような真似はできないと考えたのか、伯は、私にお会いして下さいませんでした。けれど、ストンフリーの名を貶めたまま、夫の屈辱を晴らすこともなく、私までもが身を落とすわけにはいきません。私は、今なら敵に回るのはイシュカル教会だけであると、門衛にシュベルテの内部状況を詳しく話し、伯に伝えるようにとお願いをしました。……すると、しばらくして、城館から出てきたマイゼン伯が、『仇討ちに協力して差し上げるから着いてきてほしい』と、そう言いました。私は、喜んでその手を取りました。そうして、連れて来られたのが、このネール山脈の古城です」
「…………」
シャルシスは、訝しげに顔をしかめた。
頭を上げ、その表情を見て、ゼナマリアは頷いた。
「……そう、おかしいですよね。私も、その時点で違和感を感じるべきでした。イシュカル教会と話をつけるのに、どうして領主のマイゼン伯が、城館を離れる必要がありましょうか。伯が、私の話から『シュベルテに付け入る隙あり』と判断し、開戦準備を始めているのだと気づいたのは、それから少し経ってからのことです。古城に素性の知れぬ盗賊どもがうろつくようになり、武器が集められ、挙句には怯えた目の子供たちや付近の村人たちが労働を強いられ、無理な徴兵が始まっているのだと分かりました。ですが、その時私は、既にこの主塔に幽閉されていて、外に出ることを伯から禁じられていました。宣戦布告など、頼んだ覚えはないと意見することも許されず、出来たことといえば、食事を届けにくる侍女を介して、殿下が食器に彫った古語を読み、麓の魔導師団の北部支部に、救助要請の便りを送ったことくらいで……」
そこで、えっ、と驚きの声を漏らし、シャルシスは目を瞬かせた。
「北部支部に、便りを送ることができたのか? この状況で、どうやって?」
「侍女に頼んだのです。古城に来てから、私は主塔に閉じ込められていますが、共にいた侍女は、先程も申し上げたように、雑用係として働かされています。炊事を任されることが多いようで、まだ山道の行き来が可能だった秋頃には、食材の買い出しに同行して麓まで下りることもあると言っておりました。ですので、買うものを記した覚書の中に、私達の現状と魔導師団への救助要請を書いた便りを紛れ込ませました。見張りの私兵に見つかって咎められたことはなかったようなので、受け取った商人が、その便りを魔導師団に届けてくれていれば、助けが来るはずなのですが……」
眼前に現れた希望の光が、一瞬にして弱まり、シャルシスは肩を落とした。
「……秋頃に送って、未だに助けが来ないということは、便りが届けられていないか、魔導師たちが動けない状態なのだろうな。北西部の監視のために置かれている魔導師団の支部が、他領の不審な動向に関する情報を得ても動けないとは何事か、と嘆きたいところだが……まあ、この状況では、動けない理由などいくらでも考えられる」
「ええ、ウェーリンの宣戦布告は、教会にとっても避けたいところでしょう。仮にモルティスの影響力が、早くも北部支部にまで及んでいたのだとしても、マイゼン家の裏切りを見過ごす理由はありません。ただ逆に、北部支部がまだ教会の手中に落ちていなかったとして、シュベルテでの騒ぎを聞きつけた北部の幹部たちが、一時的に中央部に戻っていたのだとしたら、今の北部は、かなり手薄な状態にあるはず。現状では、ウェーリンを制圧できるほどの魔導師の頭数が、北部にはそろっていないのかもしれません。マイゼン家の主力は、盗賊や雑兵の寄せ集めのようですが、全体の兵力がどれほどかは、私たちには分かりません。この雪ですし、覚書を渡したとはいえ、広大なネール山脈の中腹に位置するこの古城を見つけ出すことも、なかなか難しいでしょう……」
シャルシスの脳裏に、ふと、ナジムと下山しようとした時に見た、塹壕を築いている兵士たちの姿がよぎった。
ウェーリン側の兵士たちが、あの平野、もしくはその付近に留まっているのなら、ゼナマリアの推測通り、北部支部の魔導師たちは、思うようにこの山に近づけないのかもしれない。
盗賊たちには、「宣戦布告をするならば、シュベルテは圧倒的な戦力差を以てウェーリンを叩き潰す」などと脅しをかけたが、実際のところ、本当に容易く勝利できるのかどうかは、もっと情報がなければ分からないことだ。
シュベルテの内政が乱れていることは事実だし、マイゼン家の兵数や作戦次第では、従来の力関係が覆る可能性は十分にある。
そこまで考えてから、シャルシスの思考は、先ほど感じた違和感への疑問に戻った。
怪訝な顔で、シャルシスはゼナマリアに尋ねた。
「……ゼナマリア、一つ確認したいのだが。そなたは先程、マイゼン伯にこの古城に連れて来られた、というようなことを言っていたな。まさかマイゼン伯は、今もこの古城にいるのか?」
「あ……はい、そのはずです。彼は時折、私の様子を見に、この部屋へやって来るのですが、一昨日も会いましたから」
答えを聞いて、シャルシスは、ますます眉間に皺を寄せた。
動かす兵数が多くなればなるほど、巧妙な作戦を練ろうとすればするほど、戦の中心となるガシェンタ・マイゼンの指示が重要になってくるというのに、彼は、なぜ外部との連絡が困難なこの古城に来たのだろうか。
連絡が困難どころか、下手をすれば、冬場は餓死や凍死もしかねない環境だ。
居住区はいくらかマシな生活空間なのかもしれないが、それでも、伯爵家の当主が身を置くのに適した場所とは言えない。
だが、ゼナマリアが嘘を言っている、とも思えなかった。
なぜなら、この古城に四十人近くもいるはずの私兵や盗賊たちが、渋々とはいえシャルシスたちが狩りに行くのを認めたこと、その一方で、自分たちも飢えに苦しみながら、全く狩りに協力の姿勢を見せなかったことを、ずっと不思議に思っていたからだ。
それらの疑問は、ガシェンタ・マイゼンやゼナマリアのような、飢えさせてはいけない、警護もしなければならない対象がこの古城にいたから──つまり、私兵や盗賊たちが、食糧調達はしなければならないが、有事に備えて古城を離れることはできない状況だったのだと考えれば、説明がつくのである。
床に座り込んでいるゼナマリアに合わせて、シャルシスはしゃがみ込んだ。
「ゼナマリア、そなたの話を疑っているわけではないのだが……この古城にいるのは、本当にガシェンタ・マイゼンか?」
「え? どういう意味ですか?」
目を見開いて、ゼナマリアが聞き返してくる。
指先で顎を擦りながら、シャルシスは言い直した。
「どうにも、以前から妙な気がしていたのだ。余は王宮にいた頃に、マイゼン伯に会ったことがある。もう随分と昔のことだし、特別に沢山言葉を交わしたわけでもないのだが、物静かで穏やかな人柄だったのを覚えている。それは、普段のシュベルテとウェーリンのやりとりの中でも感じていたことだ。その伯が、屋敷を追われてきたそなたの存在を、好機とばかりに開戦事由として掲げ、数々の犯罪に手を染めながら、宣戦布告を目論むとは、にわかには信じられないのだ」
ゼナマリアは、戸惑った様子で視線をさまよわせた。
「で、ですが彼は、マイゼン家の城館の正門から、護衛を伴って出て来ました。私は伯とは面識がありませんでしたので、本当に本人だったのかと問われると、絶対にそうとは答えられませんが……。伯の名を語る偽物が、本人の城館から現れることなどあり得るでしょうか?」
シャルシスは、考え込みながら答えた。
「……分からない。が、やはり引っかかるのだ。では、開戦を目論んでいるのがマイゼン伯本人だったとして、彼は何故、このような閉鎖的で、かつ盗賊や奴隷、少年兵などが雑務や開戦準備を進める古城に潜んでいるのだ?」
「この古城が、山岳戦の中心だからではありませんか? 仰る通り立地は悪いですが、言い換えればそれは、敵も侵攻しづらいということにもなります」
「確かにここは、物資さえそろえば、籠城するには良い場所と言えるかもしれん。だがそれは、開戦後にウェーリン側が追い詰められてからの話だ。まだ宣戦布告が為されていない準備段階では、指示を飛ばしやすいウェーリンの城館にいた方が良いに決まっている。もし余がマイゼン伯の立場なら、開戦後だってウェーリンに残ったと思うぞ。街には民がいるわけだし、あの城館とて、決して柔な造りをしているわけではないのだ」
「……それは……言われてみると、そうかもしれませんね……」
そんなこと思ってもみなかった、という驚いた顔つきで、ゼナマリアが呟く。
考えてみればみるほど、シャルシスの中のガシェンタ・マイゼンに対する違和感は、大きく膨れ上がっていった。
彼は、望んで古城に移ったというよりも、ウェーリンの城館にいられないから、古城に移らざるを得ない状況だったのではないだろうか。
その時だった。
不意に、室外から複数の足音が近づいてきて、シャルシスとゼナマリアは、はっと身を強張らせた。
足音の主が、コンコンと扉を叩く。
例の侍女かと思ったが、聞こえてきたのは、固い男の声であった。
「ストンフリー夫人、よろしいですか?」
咄嗟に腰の小刀を抜き、シャルシスが身構える。
まだ乾き切っていない頬を拭ってから、ゼナマリアが、毅然とした声を作った。
「何用ですか? 貴方たちの顔など見たくないと、以前にも言ったでしょう。用件があるなら、その場で言いなさい」
「……私だ。部屋に通せ。そちらに子供が一人、逃げ込んでいるだろう」
返ってきたのは、野太い別の男の声であった。
刹那、凍りついたゼナマリアの表情を見て、シャルシスは、その男の正体を察した。
急いで寝台の毛布を抱え込んだゼナマリアが、小声で耳打ちをしてくる。
「──マイゼン伯です。私が足止めをしますから、殿下はどうぞ、主塔の外へお逃げ下さい」
シャルシスは、頷くしかなかった。
この石室には、脱出できそうな窓も、隠れられそうな収納場所もない。
外に出たところで、行く先がないことは分かっていたが、この狭い室内で小刀一本を手に争うよりは、森に逃げ込んだ方が時間が稼げるだろう。
シャルシスとゼナマリアは、目を見合わせてから、扉の両脇に立った。
「……今、開けます」と答え、ゼナマリアが取っ手に手をかける。
扉が開き、二人の男が部屋に踏み入ってきた。
──瞬間、ゼナマリアが抱えていた毛布を広げ、男たちに投げつける。
一瞬、毛布に視界を奪われた男たちの横をすり抜けると、シャルシスは、素早く外に滑り出した。
物見窓から、眩い朝の光が差し込み、主塔内は明るかった。
ゼナマリアの甲高い声と、怒鳴る私兵の声を背に浴びながら、シャルシスは、脇目も振らずに主塔の螺旋階段を駆け下った。
丁重な扱いを受けていたことからも察するに、ゼナマリアは、ガシェンタにとって大事な"開戦事由"であり、シュベルテを裏切る"大義名分"だ。
不容易に傷つけられることはない、と信じたかった。
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