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投稿日:2026年01月06日
* * *
「──これは、 葬樹という、死体を喰う樹だ。闇精霊の召喚師、エイリーンの本来の姿でもある」
「そう、じゅ……? 闇精霊って……」
ふわりと、吐息が白く濁る。
ルーフェンの答えに、トワリスは、ただ言葉を繰り返すことしかできなかった。
凍てつく夜風が、髪を揺らす。
舞い上がった灰雪は、月光を受けて煌めいている。
闇の中に並ぶ立木は、静寂に沈む 葬樹の樹根とは対照的に、裸の枝をざわざわと騒がしく揺らした。
風が止んでから、ルーフェンは再び唇を開いた。
「……俺が、他国の存在を明確に認識したのは、今から七年前。アーベリトが没して、シュベルテに戻った時のことだった。俺の前に突如、アルファノルの召喚師を名乗る闇精霊が現れて、言ったんだ。『精霊王グレアフォールを弑逆するために、サーフェリアの人間たちの死体を差し出せ』、と」
トワリスの瞳に、動揺の色が滲む。
トワリスは、思考が追いつかない様子で、ルーフェンの話を遮った。
「ちょっ、ちょっと待って下さい。アルファノルの召喚師が、直接ルーフェンさんに接触してきたんですか? サーフェリアで?」
頷いて、ルーフェンは目を細めた。
「……君も、ミストリアや、帰還後にリリアナちゃんの元で療養していた時に、会ったことがあるはずだよ。長い黒髪の闇精霊……あれがアルファノルの召喚師、エイリーンだ。覚えていない?」
「…………」
こくりと息を呑み、トワリスは、自身の右肩に触れた。
胸から肩にかけて、今でもくっきりと痕が残っている古傷。
これは二年ほど前、ミストリアのロージアン鉱山にて、ファフリの父リークス王の傍にいた、黒髪の術者に負わされた傷だ。
あの時は、とにかくファフリたちを移動陣でサーフェリアに逃そうと必死だったし、リリアナの家に一時匿われていた時も、王宮に戻るまではずっと意識が混濁していたので、自分に攻撃してきた術者が誰だったのかなんて、考える余裕がなかった。
後になって、リークス王の従者だったのだろう、と朧げにその姿を思い出すことはあったが、冷静に考えると、その推測は誤っていた。
ミストリアで魔力を持つのは、召喚師一族のみである。
魔術で攻撃してきた時点で、あの術者の正体は獣人ではないし、サーフェリアからの唯一の渡来者であるトワリスが把握していない存在でもあったのだから、人間でもない。
あれは、他国に渡る力を持った来訪者──ルーフェン曰く、アルファノルの召喚師エイリーンだったのだ。
唖然として黙り込んでしまったトワリスに、ルーフェンは淡々と語った。
「……かつて、南国ツインテルグの召喚師、精霊王グレアフォールは、種族間の争いを治めるために、大陸を分け、異種族の干渉を禁じる"世の理"を作った。そして、そんな自分に従属しない精霊たちを鎮定し、北地に張った結界内に幽閉した。その北地が、俺たちがアルファノルと呼ぶ大陸で、そこに封じられた精霊たちが、闇精霊と呼ばれる存在だ。幽閉されたまま何百年、何千年と経ち、今なお肉体と自我を保っている闇精霊は、召喚術の才を持つエイリーン一人だけ。
……まあ、今生きている人間では想像もできないような遠い昔の話で、精霊族と闇精霊族の間に実際どんな衝突があったのか、俺も見聞きしたわけではないから、真実は分からない。ただ、俺が聞いたこの世界の成り立ちと、四国と四種族が現在の形に治まるまでの過程は、確かに腑に落ちる部分があったし、少なくとも、グレアフォールに怨みを持ったエイリーンが、俺やファフリちゃんの父親に接触してきたのは、紛れもない事実だ」
一度言葉を止めてから、ルーフェンは、巨大な 葬樹の根を見上げた。
「接触といっても、エイリーンは、本当に海を渡ってきたわけじゃない。奴の実体は、今もアルファノルの中にある。俺や君が見たのは、正確には、グレアフォールの結界外に元々残っていた 葬樹の生命力を、魔力で可視化、一時的に具現化したものに過ぎない。そんな方法でもとらないと、現在のエイリーンは、アルファノルの外に干渉できないんだ。
だからこそ奴は、グレアフォールの敷いた理や結界に関係なく他国を行き来できる、俺の移動陣を敷く召喚術を必要としている。加えて、滅ぼされた同胞に肉体が残っていないから、外で物理的に動ける多くの実体──すなわち人間の身体を、屍兵として欲しがっている。ミストリアの獣人たちがハイドットの武具を作り、他国への侵攻を謀り始めたと知った時には、国同士の隔たりが崩れかけているこの一連の流れを、グレアフォールをツインテルグ外に引きずり出すきっかけにしようと画策していた。……エイリーンは、他国をも巻き込んで、ツインテルグに復讐しようとしているんだ」
「…………」
黙ったまま、トワリスも顔を上げ、葬樹の根を見遣った。
こうして直に闇精霊の存在を突きつけられて、実は数千年にも渡るアルファノルの復讐に関わっていたのだ、などという途方もない打ち明け話をされて、トワリスは確かに、言葉を失うほどの衝撃を受けていた。
その一方で、不思議なくらいに拒否感なく、ルーフェンの説明を聞くことができていた。
それは、自分がまさしく、他国との交わりによって生まれた非理の混血で、ミストリアの変事を目の当たりにした当事者だからだろうか。
あるいは、心のどこかで、ルーフェンは何か大きな秘密を隠し持っているのだろう、と勘づいていたからかもしれない。
自分はきっと、何を言われても受け入れる覚悟で、全てを知ってしまうこの瞬間を待っていたのだ。
「……それで……ルーフェンさんは、エイリーンの復讐に加担すると、頷いたんですか」
ルーフェンに視線を戻して、トワリスが尋ねる。
どこか遠くを眺めながら、ルーフェンは答えた。
「……頷いたよ。そうしなければ、どうなるか分からなかったからね。……例えば、殺されるだけなら、むしろ良い機会だと思って抵抗したかもしれない。俺が死ねば、こんな回りくどいことをしなくても、サーフェリアの召喚師制は、強制的に廃止になる。
……だけどエイリーンは、死体を喰う葬樹の精霊だ。喰った死体を糧にできるし、死体を利用した魔術や召喚術にも長けている。俺が捨て身で抵抗したところで、死ねばその身体や魔力を利用されて、結局はエイリーンの操り人形になるだけだ。サーフェリアの召喚師の血を絶やせない、新しく移動陣を敷く必要があるという理由で生かされたとしても、相手が実体じゃない以上、俺からの攻撃は無意味だ。抗う術がないなら、最初から抗わず利用されていた方が、隙を狙う機会が生まれる。だから頷いた。エイリーンが、どこまで俺を従順な駒として信じているは、分からないけどね」
「…………」
事態を冷静に見据えた上で、諦めてしまったような口ぶりであった。
諦観の浮かぶ、その静かな横顔を見て、トワリスは改めて、このルーフェンという人の孤独な性分を呪った。
人々に望まれ、時に疎まれながら、召喚師として、数々の死の上に立ってきた。
そして、その歪な在り方に誰よりも早く気づき、自身の力を否定し続けてきた。
母シルヴィアによって、旧王都アーベリトを落とされてからは、忌まわしい召喚術の存在を、人々の記憶や認識にすら残すまいと誓った。
七年間、ずっとだ。ずっと彼は、こうして一人で考え、実行してきた。
だから、エイリーンに復讐への協力を持ちかけられた時も、周囲に助力を乞おうなんて、思いもしなかったのだろう。
彼は自分のことも、エイリーンのことも、召喚師一族に関することは全て、その秘密を闇に葬るために、血族の中で消し去ろうと決めている。
信頼できる誰かに相談しようとか、共に戦って生き残る道を見つけようとか、そんな勝率の低い選択肢は、はなから彼の中に存在していなかった。
ましてや、その先に未来の可能性を思い描くなんて、願うことさえしてこなかったのだろう。
ルーフェンの思い浮かべる未来には、自分自身も、当然トワリスも、誰もいない。
そう思うと、泣き出したいような、怒り出したいような──。
それでも、そのルーフェンが、こうして真実を打ち明けてくれたことを嬉しく思ってしまうような、綯い交ぜの気持ちになった。
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