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投稿日:2026年01月06日
沸き立った感情を抑え込みながら、トワリスは、葬樹の根が噴き出す岩壁の移動陣を見た。
「……じゃあ、ルーフェンさんが王宮を出たのは、召喚師制の廃止や、シャルシス殿下に付き合うことだけが目的じゃなかったんですね。
各地を巡ったのは……こうやって、自力ではアルファノルから出られないエイリーンが、サーフェリアに干渉するための足がかりを作るため。……移動陣を敷くため、ですか?」
ルーフェンは、泰然と肯定した。
「そうだよ。エイリーンの狙いは、サーフェリアの人々の肉体を、グレアフォールへの襲撃手段として使うこと。突拍子もない計画に思えるけど、エイリーンの実体は、それを実現させられるくらいの魔力量を貯め込んでいる。それでも、サーフェリア全土を視界に収めて、一気に攻撃できるような手段はないんだ。仮に無尽蔵の魔力があったって、全形を把握しきれないほどの広範囲に術式を施して、魔術を発動させることは、理論上できない。それで、俺の召喚術を頼ってきたんだろう。
エイリーンの目とも手足とも言える、この葬樹の根をサーフェリア中に巡らせられるよう、俺が新しく設置した移動陣は、大元のアルファノルに敷いたものを除き、全部で四つ。──ここに展開したのが、最後の四つ目だ。その全てに根を張り終えたら、アルファノルにいるエイリーンの実体の全てが、サーフェリアに渡ってくる」
「……それが、さっき言っていた、"隙を狙う機会"ですか? 実体のエイリーンが相手なら、こちらの攻撃も通用する」
「ああ。もっと言えば、エイリーンが、サーフェリアに降り立った直後。俺の移動陣を通じて、人々を屍兵とする召喚術を複数箇所で発動させる、その瞬間だ。
……殺せる実体になったところで、同胞の死体を喰って魔力を蓄積し続けてきたエイリーンには、きっと敵わないからね。大規模な召喚術を発動させて、少なからず魔力を消費した瞬間に、移動陣に施した術式を逆展開させて、その効力を跳ね返す。自分が行使した召喚術をそのまま返されれば、規格外の化け物でも、流石に無傷ではいられないだろう」
「…………」
凍った沢水の表面が、パキッと音を立てて割れた。
薄い氷の欠片が、暗く濁った沢水の底に、ゆっくりと沈んでいく。
視線を落として、トワリスは、ぼんやりとその様を眺めていた。
術式の逆展開は、以前ルーフェンが、召喚術 擬きを行使しようとしたセントランスの間者サイに、呪詛返しという形でも使った手だ。
その威力は、トワリスも間近で見ていたから、よく知っている。
エイリーンの人智を超えた力が、どれほどのものかは分からないが、それでルーフェンが対抗できるかもしれないと考えたなら、通用する可能性は十分にあるのだろう。
しかし──。
「……その、跳ね返しを受けることになるのは……経由する移動陣を展開した、ルーフェンさんも同じじゃないんですか……?」
震える喉で声で、なんとか言葉を紡ぎ、問いかける。
青ざめた顔で見上げてきたトワリスに、ルーフェンは、優しく目を細めた。
「……うん。でも、心配しないで。共倒れにならなかった場合は、もちろん想定しているよ」
腹が立つほど、穏やかで落ち着いた声。
呑気すぎるとも思えるような態度で、ルーフェンは綽々と続ける。
「エイリーンの生命力は、正直、俺も測りきれていない。跳ね返しを受けたところで、俺だけが致命傷を負って、エイリーンはほとんど無傷、なんて事態になることも考えられるだろう。
……だから俺は、母が使っていたのと同じ、禁忌魔術に手を出したんだ。禁忌魔術の効力が続く限りは、どんな傷を受けても、俺は動ける。最悪、どうにも足掻けなくなったら、魔力が尽きる前に、エイリーンを連れてアルファノルに飛ぶさ。未知数な部分は多いけど、少なくとも奴は、結界外に動ける思念を作るのに数千年かかってるんだ。余力を残したとしても、もう糧にできる同胞の亡骸もなく、新しく移動陣を敷くことができない状況下でアルファノルにいれば、二度他国に干渉することはできないだろう。
……ま、シャルシスくんとも約束したしね。召喚師崩れなりに、サーフェリアにとっての脅威を減らせるよう、なんとか踏ん張るよ。……だから、トワも安心して。どうか、俺のことは忘れて、幸せになってね」
「…………」
トワリスの顔を見つめて、ルーフェンは微笑んだ。
今口にしたことが叶えば、もう十分だと自分に言い含めているような、精巧で満ち足りた笑み。
その奥に、ふと虚な闇が垣間見える表情は、どこかシルヴィアに似ているような気がした。
目の縁に涙が盛り上がって、トワリスは俯いた。
最後まで取り乱さずに聞いていようと思っていたのに、堪えきれなかった。
どうしてこの人は、笑ってそんなことを言うのだろう。
召喚師にはなりたくなかったのだとか、この国を守りたいなんて思ったことはないだとか、自分でそう言っていたくせに、なぜ自ら放棄したがっていた使命を、この期に及んで果たそうとしているのだろう。
首を振って、トワリスは、白い息を吐き出した。
「……意味、分かりません。召喚師崩れってなんですか? 貴方はもう召喚師じゃなくなったんだから、命と引き換えにしてまで、サーフェリアを守る理由なんてないじゃないですか」
目を瞬かせてから、ルーフェンは、おかしそうに相好を崩した。
「君がそんなことを言うなんて、珍しいね。……そうむくれないで、応援してよ。俺が仕事をサボってると、いつも怒ってたでしょ? フラフラしてないで務めを果たせ、頑張れって……笑顔で言ってほしいな」
もう一度首を振って、トワリスは、ルーフェンの外套を引っ掴んだ。
「元召喚師にその務めがあるなら、元魔導師として、引き続き私も同行します。俺のことは忘れてとか、幸せになってとか、勝手なこと言わないで下さい。……前に、旅についてくるのはトワの自由だからって、そう言いましたよね? 私、あとで撤回されても聞きませんよって、返したはずです。そしたらルーフェンさんは、もう俺の負けだからって、頷いて……今更約束を破るなんて、絶対許しませんから……!」
噛み殺した嗚咽が、語尾を震わせる。
ルーフェンは、外套を掴むトワリスの手を、包みこむように握った。
「……旅は、ここで終わりだよ。これから始まるのは、いろんなものを犠牲にして、召喚師の面を被ってきた俺の罪滅ぼしと、一族の系譜を終わらせる者としてのけじめだ。犠牲の中には、君をこんな血生臭い道に引きずり込んでしまったことも含まれている。これ以上は巻き込みたくないし、不幸にしたくない。……俺の我儘を叶えると思って、君は残って」
トワリスは、キッとルーフェンを睨みつけた。
「犠牲とか不幸とか、そんなのは私が判断することです! なんでもかんでも一人で押し通そうとしないで下さい! 貴方はいっつも強引すぎます!」
トワリスの怒鳴り声に対し、ルーフェンは眉を下げた。
尚も緊張感なく、肩をすくめる。
「強引すぎるなんて、トワには言われたくないよ。君だって、俺に黙って、いきなりミストリアに一人で行くとか言い出したじゃない」
「私は、絶対に生きて帰ってくるつもりでした。ランシャムの耳飾りだって、戻ってきたら必ず返すって受け取って、その約束をちゃんと守りました」
「俺も、進んで死ぬつもりはないよ。さっき言ったのは、最終手段の話。何もかも想定通りに上手くいって、エイリーンの思惑を阻止できたら、ちゃんと戻ってくるよ」
「……疑わしいので、やっぱり私も一緒に行きます」
ルーフェンは苦笑して、トワリスの手を外套から外した。
「俺のこと、信用できない?」
「……少なくとも、言葉は信じられません。ルーフェンさんの言うことは、昔から、嘘ばっかり」
「えぇ? そんなことないよ」
「あります! 笑って誤魔化して、本当のことを言ってる時の方が、少ないんじゃないですか。……嫌なら嫌、迷ってるなら迷ってるって、もっと早くに、はっきりそう言ってくれれば良かったのに」
困ったように、ルーフェンは、つかの間黙り込んだ。
それから、苦笑いを戻して、緩やかに息を吐く。
ゆっくりと両腕を伸ばすと、ルーフェンは、トワリスの身体を抱き寄せた。
「……なら、本当のことを、はっきり言うけど……」
トワリスの耳元に顔を近づけて、ルーフェンがこぼす。
血臭の混じったルーフェンの匂いが、ふっと鼻をついた。
躊躇った後、背中に手を回すと、低い体温が掌に伝わってきて、余計に目の前がにじんだ。
「……この前の、金穀祭でのお祈り。あれ、全然効いてないよ。……君と合流してから、俺、後悔ばっかりしてる」
「え……」
何を、と問う前に、ぎゅっと抱く腕に力を込められた。
ルーフェンの肩越しに見える、裸木に積もった雪が、ぼたぼたっと落ちる。
トワリスは、胸を詰まらせた。
金穀祭のお祈りというのは、秋頃に行ったカルガンで、トワリスが麦束に込めた願いのことだろう。
くぐもった声で、ルーフェンは呟いた。
「……今まで、自分が間違ったかもしれないとか、思わないようにしてたんだけどね。でも君が、幸せに過ごせるように、なんて祈るから……初めて後悔したよ。
王宮から出ず、一族の歪さも理不尽さも、全て受け入れて、一生召喚師でいた方が、本当は良かったのかな。人殺しの罰を受けて死ぬ時まで……いずれ国が滅ぶ、その時まで。運命に逆らわず、わずかな猶予期間にある平穏を噛み締めていたら、もう少し長く、君と一緒にいられたかな……」
「…………」
ぼろろっと、涙がこぼれた。
体温よりもずっと熱い吐息が、首筋をかすめる。
仮定の話ですら、多くを望めない彼の生き方を思うと、切なさが込み上がってきた。
しゃくり上げるように、トワリスは言った。
「……なんで、猶予がわずかだなんて決めるんですか。召喚師制の廃止をやり遂げて、ここまで突き通してきたんですから……これからもずっと、生きて、逃げ続ければいいじゃないですか。……何が相手でも、貴方なら逃げ切れます。今まで戦ってきた分、あとの国を守る戦いは、軍部に任せたって許されるはずです」
赤褐色の髪に頬を寄せて、ルーフェンは、ふっと声を漏らした。
泣いているのか、笑っているのか分からない、弱々しい掠れ声であった。
「……じゃあ俺が、この国も、関わってきた人たちも全て見捨てて、二人だけで遠くに逃げよう、って言ったら……君は、ついてきてくれる?」
答えようとして、息が震えた。
ぐっと歯を食いしばってから、トワリスは、それでも頷いた。
「……いいですよ……。どこへでも、ついていきます」
「…………」
決意を伝えるように、背に回した手に、力を込める。
ルーフェンは身じろいで、トワリスを抱き締め直した。
しかし、その銀色の瞳が、胸中を見透かしたように色めく。
「……嘘。君は、勘は鋭いのに、自分が嘘をつくのは下手なんだ。全て見捨てて逃げようだなんて、心の底では、思えていないのに」
少し上体を離したルーフェンが、トワリスの唇に人差し指を押し当てる。
驚いて、トワリスは黙り込んだ。
見開かれたその瞳の奥を、ルーフェンが覗きこむ。
「嫌な聞き方をして、ごめんね。……今、迷ったでしょ。いろんなものを天秤にかけて、だけど最後は、俺に寄り添おうとしてくれた。
……それだけで、もう十分だよ。君を道連れにして死なせるような真似は、絶対にできないって、改めてそう思った」
少しおどけたような口調に戻って、ルーフェンは、柔らかく目を細める。
幸せに不慣れな、ぎこちない笑みであった。
だが、先程までの綺麗な作り笑みなんかより、ずっと信じられる表情だ。
目を伏せて、ルーフェンは、トワリスの顔にかかる前髪をそっと払った。
「……俺は、一人で行くよ。今更正義なんて語るつもりはないけど、君や、リオット族や、懸命に道を切り開いてきた人たちが歩いて行くはずの未来が、よその復讐に巻き込まれて潰えてしまうのは、嫌だからね。……大丈夫。君は強いから、これから先も、きっとサーフェリアで生きていける」
思わず身を捩って、トワリスは、ルーフェンの腕の中から抜け出した。
溢れた涙が、はらはらと頬を伝う。
「……だ、だから、なんでそういう自己犠牲的な考えになるんですか! ルーフェンさんが戦うことを選ぶなら、私も行きます。私が今更、怖気付くとでも思ってるんですか⁉︎」
「君が怖くなくても、俺が怖いんだよ。……それに、俺は犠牲になるんじゃない。エイリーンと共に、自分も表舞台から完全に姿を消そうってだけ。そうすれば、真に召喚師一族の存在が廃され、俺は、自分がしてきたことの意味を証明できる。……ね、これで良いんだよ」
「何が良いんですか! 私だって、ルーフェンさんだけ背負わせるなんて嫌です。召喚術のことだって、私たちの胸に秘めておけば、それで──……っ」
トワリスは、そこで言葉を切った。
吐き出しそうになった思いを、ぐっと飲み込む。
最後まで反論できなかったのは、ルーフェンの決断も理解できてしまう、もう一人の自分が、心の片隅にいたからだ。
ルーフェンが行かなければ、サーフェリアに接触してきたエイリーンの存在は、仮にその目論見を阻止できたとしても、世間に広まることになるだろう。
そうなれば、ファフリの来訪とはまた違った形で、召喚術に関する記憶が、人々に新たに刻まれることになるかもしれない。
召喚師一族の存在を消し去ろうとしているルーフェンが、何としてもその結末を回避したいと考える気持ちは、勿論、トワリスも汲み取っている。
悔いのない道を行き、その結果死んでも、それは一つの決着のつけ方だと、誰かが言っていた。
命を賭しても譲れないことがある、その気持ちは、トワリスにも痛いほど分かる。
それこそ今、他に何を失ってでも、ルーフェンには生きてほしいと、トワリスはそう願っているのだから。
行き場のない激情を懸命に飲み下し、おずおずと歩み寄ると、トワリスは、ルーフェンの肩に、濡れた顔を押し付けた。
「……どうして……これで良いなんて言うんですか。……召喚師として生まれて、その存在を抹消することに身を捧げて、本当に、それで終わりで良いんですか? こんな風に簡単に切り捨てて、何の未練も残らないほど、ルーフェンさんの人生は、辛くて悲しいことばっかりだったんですか?
……私は、貴方に救われて、楽しいことや嬉しいことが、沢山ありました。……この先のことも、まだ、諦めたくないです……」
「…………」
ルーフェンの手が、トワリスの後頭部を撫でた。
しばらくそうして、髪を梳いてから、やがて、ぽつりと呟く。
「……そんなことないよ。俺も、トワに出会えて良かった。目を瞑れば、幸せなことも沢山思い出せる。……だからこそ、俺の手で、君たちの行く先を守りたいと思ったんだよ」
冷たい指先が、トワリスの頬に添えられて、赤くなった目元を拭った。
促されるまま仰向くと、熱の揺蕩う銀色の瞳と、視線が交差した。
白銀の睫毛を伏せ、ルーフェンが口を開く。
「……ねえ。やっぱり、君を縛りつけるようなこと、言ってもいい……?」
何かを答える前に、うなじを掴まれ、頭を引き寄せられた。
瞠目したトワリスが、はっと息を呑む。
鼻先が触れ合ったところで、彼女が拒まないと悟ると、ルーフェンは、わずかに顔を傾けた。
「……っ」
重なった唇が、ゆっくりと離れていく。
見つめ合ったまま、寂しげな微笑を浮かべると、ルーフェンは、小さく囁いた。
「……どうか、俺のことを、忘れないで」
To be continued....
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