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投稿日:2026年01月06日





「ご婦人方! ご無事ですか……!」

 聞き覚えのある、ハキハキとした若い男の声と共に、忙しない足音が近づいてくる。
冷や汗がこめかみを伝うのを感じながら、トワリスは、外套の頭巾を深く被り直した。
それから、放心状態のゼナマリアの腕を掴み、慌ててこの場から走り去ろうとした。
だが、間に合わなかった。

 似たような防寒用の外套を着込んだ二人の男が、難なく岩場を登って、トワリスたちの元へと駆け寄ってくる。
彼らもまた、目深く頭巾をかぶっていて、顔はよく見えなかった。
だが、トワリスは、この二人をよく知っている。
特別な魔槍を操れる人物も、矢や魔術を使わずに正確に敵を狙撃できる人物も、他には思い浮かばない。

 何故ここにいるのか、と動揺するトワリスの心境など知るはずもなく、先にやって来た一方の男──ギールが、心配そうに声をかけてきた。

「お二人とも、怪我は……ないようですね。間に合ってよかったです」

「……え、ええ、おかげさまで。……どうもありがとうございます」

 咄嗟に声色と口調を変えて、トワリスは礼を言った。
宮廷魔導師に昇格して、まだ一年程しか経っていないギールは、ゼナマリアとは面識がない。
話しかけた女の一人がトワリスであることにも、まだ気づいていない様子だ。
けれども、そもそも何故こんな谷道を女二人で旅しているのかは疑問に思うはずだし、頑なにこちらを見ようとしないトワリスの態度にも、不自然さを感じたようであった。

 トワリスのほうをじっと見ながら、ギールが言った。

「失礼ですが、貴女方は行商が何かで? 何にせよ、こんな谷道を女性二人で渡るのは危険です。よろしければ、街道近くまでお送りしますよ」

「……いえ、単なる旅途中です。折角ですが、護衛は私一人で事足りますので遠慮させて頂きます。──さあ奥様、行きましょう」

 言いながら、掴んだゼナマリアの腕を引き、トワリスは先に進もうとした。
ゼナマリアを「奥様」と呼んだことで、ギールは二人を、事情があって屋敷から逃げ出した女主人とその使用人、とでも思ったのだろう。
少し警戒を緩めた様子で──しかし、それでもトワリスの肩に手を置いて、尚も引き留めてきた。

「待って下さい。この辺り一帯は、どうやら賊どもの根城になっているようです。確かに貴女は剣を扱えるようですが、先程のように複数人に囲まれては大変でしょう。僕たちも街道を経由する予定はありませんし、貴女方と会ったことを他言するような真似もしません。せめて、この渓谷を抜けたところまでは同行しますよ」

「…………」

 ギールの正義心とお節介さが、今はひどく疎ましかった。
さて、どう誤魔化そうかと必死に頭を回転させていた、その時。
ギールの後からやってきた男を見て、ゼナマリアが、驚愕の声を上げた。

「──バ、バーンズ卿……? もしや、バーンズ卿ではありませんか⁉︎」

 トワリスの手をすり抜けて、ゼナマリアは、ジークハルトの元へ走り寄った。
顔を上げたジークハルトが、怪訝そうに眉を寄せる。
二人は、互いの姿をまじまじと見つめて、つかの間黙り込んでいた。
どちらも汚れた格好をしていたし、特にゼナマリアは、王都にいた頃と比べて別人かと思うほどに痩せ細っていたので、両者とも、ぱっと見ただけでは、相手が誰なのか確信が持てなかったのだろう。

 ややあって、微かに目を見開いたジークハルトが、虚をつかれたように呟いた。

「……まさか、ストンフリー夫人か……?」

「は、はい! そうです! ラッツェルの妻の、ゼナマリアです……!」

 亡き夫と深い親交のあった、宮廷魔導師の長と再会できて、よほど嬉しかったのだろう。
ゼナマリアは、今までには見たことがないような、生気を取り戻したような顔で喜んだ。
対してトワリスは、もう逃れようのない事態に陥ったことを悟った。
この場で「あの護衛の女は誰なのか」と問われれば、事情を知らないゼナマリアは、躊躇いなくトワリスの名前を口にしてしまうだろう。

「えっ、ストンフリーって……あのストンフリー家ですか⁉︎」

 名を聞いて、ギールも驚いたらしく、ジークハルトの方に振り返った。
その隙をつき、肩に置かれたままのギールの手を掴むと、トワリスはふっと身を沈ませて、彼の身体を勢いよく背負い投げた。

「────っ⁉︎」

 反応しきれず、受け身を取り損ねたギールが、地面に強く打ち付けられる。
トワリスは、息を詰まらせた彼の鳩尾みぞおちめがけて、拳を叩き込もうとした。
こうなったら、自分がトワリスであると発覚する前に、ジークハルトとギールを気絶させるしかない。
この二人を相手に、そんなことができるかどうかは分からなかったが、やるしかなかった。
ノーラデュースで奈落に落ちたはずのトワリスが生きていると知られれば、共に落ちたルーフェンの生死も、疑われることになるからだ。

 しかし、拳を突き下ろそうとしたところで、トワリスは後ろに跳ばざるを得なくなった。
反射的に頭をそらすも、鋭い痛みが首筋をかする。
トワリスの拳と同時に突き出されたギールの袖口から、いきなり細い筒が飛び出して、針のようなものがシュッと発射されたのだ。

 トワリスが離れると、ギールは横転して、すかさず起き上がり、銃剣を構え発砲した。
バンッ、バンッと、足場や背後の岩壁が、次々に弾けていく。

 銃撃を後方転回して避けると、勢いで頭巾がとれた。
翻った赤褐色の髪を見て、ギールの表情が強張る。
構わず大きく跳ね上がり、三人の頭上を飛び越えると、トワリスは、ジークハルトの後方に着地した。
──が、閃光の如く飛来してきた魔槍ルマニールに阻まれて、彼の背後を取ることはできなかった。

 双剣で斬り返すと、ルマニールは甲高い金属音を上げて、宙に高く弾け飛んだ。
ルマニールは、回転しながら滑空し、やがて、ジークハルトの手中に納まる。
ジークハルトとギールは、それぞれの得物を持ち直し、険しい顔つきでトワリスと対峙した。

「……トワリス、生きていたか……」

「…………」

 トワリスは、血の気のない顔で、双剣を構え直した。
喉が、カラカラに乾いていた。
耳鳴りがして、拍動が激しくなって、呼吸すらままならない。

 一同は、距離を保ったまま微動だにせず、しばらく睨み合っていた。
沈黙を破ったのは、狼狽えたゼナマリアであった。

「あ、あの……っ、どういうことですか? 何故バーンズ卿とトワリスさんで、争う必要があるのです?」

「…………」

 浅く息をしながら、トワリスは、尚も黙り込んでいた。
顔が割れてしまった以上、もう引き下がれない。
命を賭けてまで争う必要があるのかどうかは、ジークハルトとギールの反応次第であった。
もし二人が、ルーフェンの生存を確信し、再び彼を追跡して討とうというならば、その時は──。

 双剣を握る手が力んで、細かく震えている。
触れれば切れてしまいそうな、緊迫感が張り詰めている中。
最初に構えを解いたのは、ジークハルトであった。

 伏した盗賊たちを見回してから、ジークハルトは、ルマニールの穂先を振って、谷道の先を示した。

「……トワリス、お前には聞き出したいことが山程あるが、ここは場所が悪い。……移動するぞ」

「…………」

 ギールが銃剣を下ろしたことを確認してから、トワリスも双剣を納刀した。
そして、来い、という風に顎を動かしたジークハルトの後ろを、慎重な足取りでついていった。
ゼナマリアも、不安げな面持ちでトワリスの隣を歩く。
ギールは最後尾につき、トワリスが逃げ出さないかどうかを警戒しているようであった。

 しばらく歩き、見通しの良い、死角となる茂みや木々が少ない岩場に出ると、一行は足を止めた。
周辺に、人の気配はない。
先頭に立っていたジークハルトが、振り返って、トワリスを睨みつけた。

「……で? まず聞くが、どうしてお前が、ストンフリー夫人と共にこんなところにいる?」

「……それはこちらの台詞です。バーンズさんとギールこそ、何故ここに?」

「今はこちらが尋ねている」

「…………」

 二人の間に、ひりついた空気が生まれた。
殺気立っているトワリスに代わり、ゼナマリアが、恐る恐る口を開く。

「トワリスさんは、マイゼン卿に囚われていた私を、助け出してくれたのです。……北方ウェーリンで起きた、内乱未遂事件。今は北部支部も捜査に動いているようですから、貴方がたも、耳にはしているでしょう?」

 ゼナマリアは、ジークハルトとギールに向けて、我が身に起こったここ半年の出来事を語った。
イシュカル教会の弾圧により、ストンフリー家の屋敷が焼かれたこと。
運良く逃れた自分は、侍女たちと共に、召喚師派であるはずのマイゼン伯が治める、北都ウェーリンに向かったこと。
しかし、ゼナマリアがシュベルテの内情を打ち明けた相手は、ウェーリンの領主ガシェンタ・マイゼンではなく、彼の失脚を望む異母弟のイヨルド・マイゼンであったこと。
シュベルテの軍政の乱れを知り、カーライル王家への宣戦布告を目論んだイヨルドは、盗賊団『蛇の毒牙』や私兵らを従え、異母兄ガシェンタの名を使って、水面下で開戦準備を始めていたこと。
そしてゼナマリアは、イヨルドに囚われ、各地から攫われてきた少年兵候補の哀れな孤児たちと共に、ウェーリン山脈の古城に幽閉されていたこと。
そこで奇しくも、王子シャルシスと出会ったこと。
イヨルドに抵抗してみせたシャルシスは、どうやら下山して北部支部の魔導師たちに保護されたらしく、そのおかげもあって、古城にイヨルドを捕らえんとする魔導師たちが突入してきたこと。
ただゼナマリア自身は、教会の手に落ちたシュベルテに戻っても、修道騎士会の者に捕らえられるだけなので、先に救出に来てくれたトワリスと共に、今度はハーフェルンを目指していること──。

 話している内に、また憎しみの感情が蘇ってきたのだろう。
ゼナマリアの声は、次第に弱々しく震え始めたが、それでも彼女は、最後まで語り切った。

 ジークハルトとギールは、終始険しい顔つきで、話を聞いていた。
だが、その表情に、驚きは一度も浮かばなかった。
黙り込んでいるジークハルトに、ゼナマリアは詰め寄った。

「今、王都はどうなっているのでしょうか? 貴方が無事ということは、世俗魔道師団と宮廷魔導師団は、まだ存続しているのですよね?」
 
 祈るような、願うようなゼナマリアの眼差しを受けて、ジークハルトは、眉間の皺を深くした。

「半年前に、俺が王宮に戻った時には、まだかろうじて存続していました。……が、少なくない魔導師たちが、既に新たに設立された修道魔導師会に移籍している状況でした。モルティスは新たな軍務卿を立てて、我々宮廷魔導師にも、その麾下きかに入れと命じてきました。今は、どうなっているか分かりません」

「そ、そんな……」

 顔面を手で覆って、ゼナマリアはよろめいた。
それから、今にも倒れそうな足取りでジークハルトの近づき、すがりついた。

「……ならば、バーンズ卿。トワリスさんの問いを繰り返すようですが、貴方は何故、五体満足でこのようなところにいるのです。召喚師様の権威が失墜した今、他の誰でもない貴方が、王宮で従来の魔導師団の名を掲げ続けるべきだったでしょう。そのことが、何よりの反教意思の表明となり、教会への抑止力となるというのに……」

「…………」

 それは、現状を嘆いているだけでなく、ジークハルトを責めているようにも聞こえる言葉であった。
宮廷魔導師団の長という立場にあるならば、例え命を危険に晒すことになろうとも、王宮で弾圧に対する抵抗の意を見せるべきだったのでないか、と。


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