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投稿日:2026年01月06日







 澄んだ初春の青空が、どこまでも続いている。
降り続いていた玉雪ぎょくせつが止んで、今朝は、麗らかな朝日が白い林道を照らしていた。

 ルーフェン、トワリス、シャルシスの三人は、朝食を手早く済ませると、狩猟小屋を発つ準備に取り掛かった。
背負い袋に詰めるようにと、トワリスに渡された食糧は、安くて日持ちする焼き菓子や干し肉など、代わり映えしない保存食がほとんどであった。
しかしその中に、瓶に入った果物の砂糖漬けが混じっていることに気づいて、シャルシスはふと、カルガンでも果物の砂糖漬けを買おうとしていたことを思い出した。
結局その後、喧嘩賭博に巻き込まれたトワリスは、そんなことは知らないはずなのだが、シャルシスは日頃から、乾物はまずくて飽きると不満を言っていたので、もしかしたら、そのぼやきを覚えていて、買ってくれたのかもしれない。
秋の西領では、砂糖漬けは安価だが、冬の北領では、そこそこ値が張ったはずだ。
それでも用意してくれたのだと思うと、なんだか嬉しかった。

 金穀祭のことを考えながら、「そういえば、ウェーリンの冬祭りは、今年はもうできないのだろうな」と呟くと、ルーフェンが肩をすくめて、「こんな状況だからね」と返してきた。
まだ二人だけで旅をしていた頃に、北上したら冬のネール山脈を拝んで、ウェーリンの祭りの氷像を見よう、という話をしたのだが、ルーフェンは、覚えているだろうか。
無事に事態が収まったら、来年こそ見に行こうという約束は、思い浮かんだが、口には出せなかった。

 最後に火の始末をして、出立の準備が終わると、三人はそれぞれの荷を背負って、立ち上がった。
トワリスが戸を開けると、爽やかな冷たい空気が、室内に流れ込んできた。
小屋の外に見える、雪を纏った裸木たちは、日の光を浴びて、キラキラと輝いている。

「……ルーフェン、トワリス。これからの行き先は、決まっているのか?」

 戸をくぐる前に、シャルシスが尋ねた。
二人が振り返って、こちらを見る。
少し微笑んで、ルーフェンが答えた。

「寒いから南下していくつもりだけど、具体的には、決めてないよ。……どこか行きたいところはある?」

「…………」

 かつて、シュベルテを出た時と同じように、ルーフェンは問い返してきた。
シャルシスは、開きかけた唇を閉じて、口ごもった。
少しの間、何も返すことができずにいたが、やがて、心を決めると、再び口を開いた。

「……余は……シュベルテに、帰ろうと思う」

 自分でも驚くくらい、落ち着いた声で言えた。
ルーフェンとトワリスは、表情を変えなかった。
黙ったまま先を促されて、シャルシスは言葉を継いだ。

「……魔導師たちのことを、信用していないわけではないのだ。でも、やはり、古城に残してきたナジムたちの安否は、自分の目で確かめたい。彼らの無事を確かめて、それから、タラン平野に連れて行かれた他の子供達や、昨夜追われていたような徴集兵達のことも、全員助け出して、イヨルドを捕え、ガシェンタとも話をつけて……不安がるウェーリンの民たちに、もう大丈夫だと言ってやりたい。シュベルテでは、教会のことも気がかりだ。あと、お祖母様にも謝って、シャルシスは帰ってきたから安心してほしいと、そう伝えたい。
……サーフェリアのために、俺一人ができることなんて、たかが知れているが、王族としての余に協力してくれる皆の力があるなら、きっといろんなことができるはずだ。……だから、王宮に、帰ろうと思う」

「…………」

 ルーフェンは目を伏せて、シャルシスのことを見つめた。
鼻先が赤く、握られた拳には、力が入っている。
だが、その目には、揺らがぬ決意と、幼さを取り払った、為政者らしい頑なな光が宿っていた。

 小さく吐息をついてから、ルーフェンは答えた。

「……じゃあ、北西に向かって、魔導師団の北部支部を目指そう。そこの魔導師たちと合流できれば、子供たちやマイゼン卿がどうなったか分かるだろうし、最終的には、君を王宮に送り届けてくれるはずだ」

 頷いて、トワリスも言った。

「そうですね。北部支部は、ここからそう遠くありませんし、良いと思います。雪が深いので、山道はなるべく避けないといけませんけど、迂回したとしても、二日あれば着くでしょう」

 まるで、最初からそう予定していたような、驚きも動揺も感じられない口ぶりであった。
そうして、小屋を出ようとした二人の袖を掴み、シャルシスは、慌てて首を振った。

「い、いや、北部支部へは、余一人で行く! 屯所とんしょに近づいて、そなたらまで魔導師団に見つかるわけにはいかないだろう」

 ルーフェンは、目を瞬かせて、トワリスと視線を交わした。
それから、苦々しく笑って、シャルシスの頭に手を置いた。

「見つからないギリギリのところまでは、送っていくよ。またさらわれたら、大変だからね」

 シャルシスは、おずおずと手を離し、俯いて、引き結んだ唇を震わせた。
一晩かけて固めた決心が、また揺らいでしまいそうだった。
ややあって、こくりと頷くと、シャルシスは、二人の後に続き、雪道に踏み出したのであった。



 トワリスは、山道は避けると言っていたが、彼女に案内された街道沿いの林道は、長い登りが続く、十分に険しい道であった。
山中に比べれば、流石に積雪は少なく、身体が雪に埋まって動けなくなるようなことはなかったが、油断すると、足を滑らせて転んでしまう。
途中で疲れ切ったシャルシスは、近くの村に寄ってネール種 (北部山地原産の野生馬を家畜化したもの)を買おう、と提案したが、トワリスに、馬を買うような距離ではないと拒否された。
よく考えてみれば、古城から離れたルーフェンたちが、手負いのシャルシスを抱えていたとはいえ、北部支部から徒歩数日の距離にある村近くの狩猟小屋に駆け込むなんて妙である。
なんとなく感じていたことだが、こちらから言い出さなくても、ルーフェンたちは、シャルシスを北部支部に送り届けるつもりだったのかもしれない。

 出発してから三日目の明け方に、一行は、ようやく北領と西領の境へとたどり着いた。
やっと峠に差し掛かった時、周囲の景色が開けて、シャルシスは息を呑んだ。
今まで木々に隠されて見えなかった、壮大な北部山脈の全貌が、目の前に広がっていたのだ。

 あけぼのの空に、白い峰が突き出し、連々とそびえ立っている。
手前に見えるのがネール山脈で、その奥にけぶって見えるのが、クロッカの故郷であるハデネ山脈だろうか。
シャルシスは思わず立ち止まり、しばしの間、その神々しい光景に見入っていた。
眺めていると気が遠くなってくるような、荘厳で美しい天然の砦の前には、サーフェリア随一と言われるシュベルテの王城も、きっと霞んで見えるだろう。
この山々のどこかに、つい最近まで自分たちが囚われていた古城があって、そこには、まだイヨルドや魔導師たちがいて、今も争っているかもしれないなんて、なんだか信じられなかった。

 永遠に続くかと思われた登り坂が、やっと緩やかな下り坂に変わり始めた頃。
シャルシスは、また足を滑らせて、雪の上にすっ転んだ。
もう立てない、やっぱり左脚の矢傷がまだ痛いとごねると、ついに根負けしたようで、トワリスが休憩を許してくれた。
日中は、どんなに疲れたと文句を言っても、吹雪ふぶかない内に移動しなければならないからと聞いてくれなかったトワリスだが、矢傷が痛いと言われると、我慢して歩けとは返せなかったらしい。

 わずかな休憩の間に、シャルシスは、これが一番重いという理由で、果物の砂糖漬けの瓶を取り出した。
そして、道中で見つけたケシャの実の油を、拾い集めた薪に染み込ませ、「この実の油はよく燃えるのだ」と得意げに解説しながら、焚き火を起こした。
焚き火を囲み、三人で食べた砂糖漬けは、甘くて美味しかった。
本当は、矢傷は痛んでいなかったので、トワリスを騙したことには罪悪感が湧いたが、こんな風に誰かに我儘を聞いてもらえるのは、きっと最後だろうから、どうか許して欲しかった。

 林道が途切れ、街道との合流地点まで来ると、ついに別れの時がやってきた。
街道の先には、物々しい主塔と結界に囲まれた、石造の要塞が見える。
あれが目的地である、魔導師団の北部支部であった。
要塞の周辺には、宿場が広がっており、山越えできる時期を待つ隊商が、多く滞在しているようだった。
北部支部の魔導師たちは、こうして北西の境に駐在し、北領と西領の両方を守護・監視をしながら、街道を行き来する商人たちをも見守っているのだ。

 白い息を吐きながら、シャルシスは、要塞の方を見つめた。
遠目に見た宿場は、夕刻とは思えぬほどひっそりと静かだったが、街道に積もった雪には、真新しい馬蹄の跡がいくつもついている。
街道を示して、トワリスが口を開いた。

「ここを真っ直ぐに行けば、北部支部です。少し歩いたところに検問があるので、私たちは、この先には行けません」

「…………」

 シャルシスは振り返って、二人の顔を見つめた。
今までの旅程を思い出すと、様々な感情が湧き上がったが、改めてその気持ちを口にしようとすると、上手く言葉にならなかった。
黙っていると、ルーフェンが、懐から何かを取り出して、シャルシスに手渡してきた。

「そういえば、はいこれ。旅のお土産にどうぞ」

 掌に落とされたのは、純金製のボタンであった。
一瞬、なんでこんなものを渡されたのか分からなかったが、よく見るとそれは、シャルシスが王宮を出た時に身につけていた礼服の、王家の紋様が彫られたボタンであった。
礼服は、平民に扮するために物見の塔に置いてきてしまったし、てっきりボタンも、南区の浮浪児に全てあげてしまったものと思っていた。

「ルーフェン、お前、まだこんなものを持っていたのか。……で、どうしてこれが、旅の土産になるのだ?」

 驚いて尋ねると、ルーフェンは、あっけらかんと答えた。

「深い意味はないけど。シュベルテ近くの宿場で、四輪荷馬車ワゴンに泊まった時、持って帰るお土産を考えておかなきゃねーって話したの、急に思い出したから」

「いや、まあ……確かにしたが。これは元々余のボタンなのだから、土産にはならんだろう」

 鋭く突っ込むと、ルーフェンは、へらへらと笑った。

「そう言われると否定できないんだけど、俺たち今、お土産を買うのも痛いほど貧乏だからさ」

 シャルシスは、ルーフェンにボタンを突き返した。

「なら、このボタンを売ればいい。そなたたちの今後の旅費の足しにしてくれて構わぬぞ」

「何言ってんの。そんなもの売りに出したら、俺たちの素性が疑われちゃうよ。……いいから、君が持って行った方が良い。君がそのボタンを持っていれば、この先で魔導師たちに、間違いなく失踪してた王子本人だって、信じてもらえるでしょう?」

「…………」

 手を戻し、渋々ボタンを懐にしまいながら、シャルシスはぼそっと呟いた。

「そのような証明などせずとも、魔導師なら、余の顔を見て、本物のシャルシス・カーライルだと分かるだろう」

 ルーフェンは、目を細めて、シャルシスの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「そうかな、分からないかもよ? 王宮では縮こまって、青い顔で周囲の反応を窺っていた、世間知らずの王子様が、見違えるほど大きくなったからね」

「…………」

 ぎゅっと唇を結び、シャルシスは、ルーフェンの手を振り払った。
大きくなったと言うくせに、こうして子供扱いしてくるあたりが、いかにもルーフェンらしく、その言葉はどうにも胡散臭く感じる。

 シャルシスは、払われた手を大袈裟に痛がっているルーフェンを、キッと睨みつけてやった。
だが、思いのほか顔が近いことに驚いて、返そうと思っていた悪態が、頭から飛んでしまった。
改めて、意識して向かい合ってみると、確かに以前よりも、ルーフェンと目線が近くなった気がする。
そのことに気づいて初めて、シャルシスは、ルーフェンと共に王宮を出てから、もう一年近く経ったのだということを実感した。
馬糞臭い荷馬車に不満を感じながらも、遠ざかっていくシュベルテの城門を見て、密かに心躍らせていたのは、去年の春頃の出来事だ。
──あれから、約一年。あと一月もすれば、今、足元を覆っている雪は、徐々に溶け始めるだろう。
そして木々が芽吹き、また春になったら、シャルシスは、十五で成人となる。


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