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投稿日:2026年01月06日







 細いため息をついて、リーヴィアスは言った。

「やっぱり貴方たちは、古代樹の一族とは全く違う。グレアフォールであれば、思いがけず同胞を殺されても、その後を追って自分まで微精霊になろうとしたり、私の頭をかち割ろうなどとは考えないでしょう。おそらく、復讐にも走らない。なぜなら、彼が最優先するのは、この大地の維持であり、種族間の衝突の回避であり……それを叶えるためには、グレアフォール自身や、私の存在がまだ必要不可欠だからです。
……ちなみに、東の山に棲む人狼族の長に、同じことを尋ねてみたら、彼はエイリーンと似たようなことを答えていましたよ。『一族総出で地の果てまで追いかけて、その敵の喉笛を噛みちぎってやる』って」

 "臭い獣"扱いしている獣人族と並べられて、腹が立ったのだろう。
エイリーンが、鼻筋に皺を寄せる。
リーヴィアスの話に、面白そうに耳を傾けながら、今度はセルーシャが尋ねた。

「じゃあ、人間は? リーヴィアスは、もし大事な同胞が殺されてしまったら、どうするんだい?」

 リーヴィアスは、つかの間沈黙してから、銀色の睫毛を下ろした。

「……そうですね……私も、セルーシャやエイリーンと近いですかね。人間の中にも色々な考え方をする人がいるので、一括りにはできませんが……。私は、一人きりで真っ直ぐ歩き続けられるほど強くはないので、大切な人が死んでしまったら、同じ場所にいきたいと思ってしまいます。その人が殺されたのなら、殺した相手を恨んで、復讐してやろうとも思います。こんなことを考えるのは間違いだと、頭では分かっているんですけどね」

「間違いなの?」

 問い返してきたセルーシャに、リーヴィアスは頷いた。

「間違いですよ。生きとし生けるものは、死んだら全てが終わり……そうあるべきですからね。後追い自殺や復讐なんてしても、更に失うばかりで、生まれるものは何もありません。ですから、感情的になりそうな時は、自分で自分に言い聞かせるんです。失ったならば、まだ残っているものをせめて護れるように、前を向いて尽力するべきだと。……それこそ、貴方たちの王、グレアフォールのようにね」

「…………」

 不快そうな顔つきのまま、エイリーンは、ハッと鼻を鳴らした。

「訳の分からぬことをごちゃごちゃと……種族間の思考の差異など聞いて、一体どうするというのだ。古代樹の一族に比べ、大地の意思を優先させない我々葬樹そうじゅの一族が、劣っているのでも言いたいのか」

 リーヴィアスは、首を横に振った。

「間違いとは言いましたが、これは理性では制御できない気持ちの問題なので、優劣をつけるようなことじゃないですよ。……私がこんな話をしたのは、ただ、それぞれの価値観の違いを知っておいた方が、今後も貴方たちと仲良くできるだろうと思ったからです。お互いの考え方や大切なものを把握しておけば、知らずにそれを傷つけることもなくなり、無用な争いを避けられますから」

 セルーシャは、目を瞬かせた。

「リーヴィアスは、我々と仲良くしたいの? てっきり人間は、精霊族や獣人族を敵視しているものだと思っていたけれど……」

 リーヴィアスは、不意に視線を落としてから、再び凪いだ湖面を見やった。

「……異種族に家族や友人を殺された者は、そうでしょうね。でもこの時代、それはお互い様です。だからといって、簡単に許し合えるものではありませんが、それでも、憎しみの連鎖は、どこかで断ち切らねばならない。……私は、精霊族とも獣人族とも、仲良くしたいと思っていますよ」

 セルーシャは、少し逡巡してから、薄笑うように唇を歪めた。

「……それは難しいんじゃないかな? 多分、君が生まれるよりも前の話だけど、今までにも、停戦を申し入れてくる人間は何人かいたんだ。でも、しばらく経つと、人間たちは約定を忘れて、また森を焼く。それで何度も争いになって、行き場を失った人や精霊が獣人族の縄張りに逃げ込んで、怒った獣人たちまで参戦して、被害が広がって、沢山死んで、ずっとその繰り返し。まあ、仕方ないとは思うんだけどね。人間や獣人は寿命が短くて、代替わりも速いから、祖先が精霊族と交わした約束なんて覚えていないんだもの。
……リーヴィアス、君だって、我々と人間たちが仲良くなる未来なんて、夢物語だと分かっているんだろう? だから、グレアフォールと組んで、大陸を三つに分断すると決めたんじゃないのかい? 三種族を隔絶させることで、異種族同士が、二度と争わないようにするために」

「…………」

 エイリーンの意識の中で、トワリスは、固唾を飲んで両者の会話を聞いていた。
やはりここは、各種族が海を隔てて分たれる以前の世界なのだ。

 湖上に漂う、霧の向こうに視線を据えたまま、リーヴィアスは返した。

「……ええ、その通りですよ。綺麗事を盾にすれば、全てが治まるとは考えていません。グレアフォールと話し合い、凄惨な争いを、未来永劫、確実に終わらせるには、もう物理的に距離を取るしかない、という結論に至りました。
しかし、世界の分断を実現するには、あと数十年はかかるでしょう。大陸を割るだけの膨大な魔力の蓄蔵、新大陸へ各種族を送る移動陣の準備、そして、転送する種の選別……やることは山積みです。それらが完了するまでの数十年で、また争いが起こるようなことがあってはなりません。同じ大陸上に種族が混在している残りの期間も、私は、皆さんと平和的、友好的に過ごしたいと願っているのです」

 セルーシャは、ふうん、と淡白に吐息をついた。

「そういうものなんだね。我々は、たったの数十年で終わる関係作りなんて、無駄だと思ってしまうけど」

 リーヴィアスは、苦々しく微笑んだ。

「……それにね、私は感謝しているんです。二人が私のことを何とも思わなくても、私は、セルーシャとエイリーンのことを、恩人としてずっと忘れずにいたいのです。貴方たちには、汚れ役を引き受けてもらっていますからね」

「……汚れ役?」

 何のことか分かっていない様子の二人に、リーヴィアスは続けた。

「精霊族をも本当の意味で殺し、その死体から魔力を得られるのは、葬樹そうじゅの一族だけ。グレアフォールと私は、大陸をわかつだけの魔力を得るため、葬樹そうじゅの力を利用し、望まぬ貴方たちに人型をとらせ、更には汚れ役を押し付けてしまっている。……弱った同胞にとどめを刺し続けるのは、とても辛いことでしょう。エイリーンが同胞を喰う姿を見て、快く思わない精霊たちもいるはずです。嫌な役目を負わせてしまって、本当に申し訳ないと思っているんです」


 エイリーンが、素っ気なく答えた。

「我は元より、屍肉食しにくしょく葬樹そうじゅだ。この姿になる以前から、死期を悟って森に寄ってきた生物たちを、日常的に捕食していた。それに、我が同胞はセルーシャだけ。精霊族であろうと、その他であろうと、葬樹そうじゅ以外の死骸を喰うことに、今更何の躊躇いも湧かない。
まして、あの儀に参加している連中は、グレアフォールの命令で焼けた森の再生に力を注ぎ、自らの意思で消耗していった者たちだ。奴らは、我々がその身を喰わずとも、明日には形を保つ力すら失い、微精霊になっていただろう。無力な微精霊になって霧散する前に、その死骸を魔力に変換して返上せよ、と望んだのは、他ならぬグレアフォールだ。そして、グレアフォールの望みは、一族全体の望みでもある。古代樹まで通わねばならんのは面倒だが、自ら身を差し出してくる者を喰うことには何も感じないし、表立ってグレアフォールの意向に反し、こちらの行動に異を唱えてくる精霊もおらん。いたとしても、我らには遠く力及ばぬ小物だ。気に留めるようなことではないし、貴様が口を出すことでもない」

 頷いて、セルーシャが言葉を継いだ。

「さっきも少し説明したけど、我々は、いずれ葬樹そうじゅの森を再生させることを条件に、グレアフォールの望みに協力しているんだ。我々にも利のあることだから、汚れ役とは思っていないよ」

「…………」

 リーヴィアスは、返答に迷った様子で、セルーシャたちの顔をじっと見ていた。
だが、ややあって目を伏せると、視線を湖面に戻した。

「そうですか……そう思えるのなら、それで良いのですが……」

 ざわっと葉が震え、夜闇の中を、黒い鳥が飛び去っていった。
静かな水面に、さざなみが立つ。
鳥の行方を目で追いながら、セルーシャが尋ねた。

「今の話を聞いていて思ったけど、リーヴィアスこそ、こんな風に森に通って、他の人間たちに何か言われないの? 君は、人間たちの王なんだろう。王が憎き異種族と仲良くしたいだなんて言っていたら、それこそ、快く思わない者もいるんじゃないのかい?」

「……王? 私がですか?」

 二人の方を向いて、リーヴィアスは、驚いたように目を見開いた。
セルーシャが、不思議そうに首を傾げる。

「違うの? 人間の王だから、グレアフォールにも、森の出入りを許されているんだろう」

 一拍おいて、リーヴィアスは、顔の前でブンブンと手を振った。

「いやいや、違いますよ。私は、王なんかじゃありません。王族ではあったのですが……子供の頃から、どうにもまつりごとの勉強や軍稽古いくさげいこが苦手で、サボって遊び暮らしていたら、王位継承権を剥奪されました。まあ、王位に興味もなかったので、そのまま気楽な放蕩ほうとう生活を続けていたのですが、気づいたら、こんな年齢としに。物語やうたを作るのは好きだったので、宮殿に語り手として仕えたこともありましたが、そう長くは続きませんでしたね。ははは」

 エイリーンとセルーシャは、同時に眉を寄せ、リーヴィアスを見上げた。
言われてみれば確かに、リーヴィアスの言動からは、王たる威厳や風格といったものは感じられない。
しかし、だとすれば、何故グレアフォールは、統治者でもない、ただ語り好きなだけの人間の男を側に置いているのだろうか。
最近異例ずくめの王の考えが、ますます分からない。

 呑気に笑っているリーヴィアスの顔を、セルーシャは、まじまじと眺めた。

「なら、人間の王は、一体どこで何をしているんだい? 君が精霊王や獣人族の長と不戦協定を結び、勝手に三種族を隔絶させようとしているなんて、人間の王からすれば、面白い話じゃないだろう。それとも、君は王命で動いているの?」

 ブルルッと小さく鳴いて、ゴーティが、リーヴィアスの肩のあたりに鼻面を寄せた。
ゴーティの顔を撫でてやりながら、リーヴィアスは、さらりと告げた。

「今、人間の王は不在なんです。元老院の構成員たちも、政務官も軍務官もいませんから、この地に越してきた人間たちは、誰の支配下にも入っていないと言って良いでしょう。……時の権力者たちは、皆、私が殺してしまったので」

 穏和な口調と表情に似合わぬ、とんでもない真実を告げられて、エイリーンとセルーシャは、思わず耳を疑った。

 西方に築かれていた人間の大国が分裂し、住む場所を失った一部の者たちが、古代樹の認可内でこの森の外に集まっていることは、なんとなく風の噂に聞いていた。
グレアフォールが、自領の近くに人間が住むことを許すなんて、今までにはなかったことだ。
けれども、人間たちの小競り合い自体はよくあることだし、その詳細に興味はなかったから、敗戦して王座を追われた国王リーヴィアスが、これに懲りて国外との戦もやめようと、異種族にも声をかけているのだろう、と適当に予想していた。
だがまさか、王を弑虐しいぎゃくし、勝戦して人間の現王政を打ち壊した逆賊が、リーヴィアスの方だったとは──。

 家畜の一頭も殺せなさそうな優しい手つきで、リーヴィアスは、ゴーティのたてがみいた。

「私が分不相応にも、精霊族や獣人族との外交役をやっているのは、ただ、王殺しの責任を負わねばならない、と思ったからです。王の支配下には、ままならぬ不自由さがありましたが、同時に、侵略や飢渇きかつから守ってくれる剣杖けんじょうと盾、そしてまつりごとがありました。それを奪った者として、せめて、私についてきてくれた者たちと、その子々孫々には、心穏やかに暮らせる世を遺していきたいのです。だから、異種族の皆さんにも、もう争うのはやめましょう、とご提案しました。……この大仕事を終えたら、シェイルハートとは別の一族の者を新王に立て、私はまた、気ままな生活に戻り、ひっそりとした余生を送るつもりです」

「…………」

 エイリーンは、表情を曇らせた。

「貴様、自分は王族であった、と言っていたな。ということは、その死んだ王とやらは、貴様の親類なのだろう。王位を簒奪さんだつしたかったわけでもないのに、何故同じ一族の同胞をを殺したのだ?」

 リーヴィアスは、一瞬だけ、その瞳に冷ややかな色を宿した。

「私と兄王の一派とでは、最期まで意見が合わなかったから……ですかね」

 それから、ふと表情を戻し、唇だけで微笑む。

「兄といっても、己にまつろわぬ者を頭ごなしに拒絶して、政争には無関係な私の妻子まで殺した人なんです。私にとっては、姓が同じだけの親兄弟とその支持者たちよりも、自分で新しく作った家族の方が、ずっと大切でした。ですから、私のしたことは、二度と天光の下には戻れない、大きな過ちなのでしょうが……後悔はしていません」

「…………」

「……なんて、私の身の上話など、どうでよいですね。もしかしたら、貴方たちには、理解しづらい話かもしれません。同じ地に生まれた一族同士の繋がりを重んじ、何千年もの間、グレアフォールを唯一絶対の王として崇め続けている、精霊族の貴方たちには」

 リーヴィアスは、先刻のエイリーンとセルーシャと同じようなことを呟き、口を閉じた。
二人は、何も返さず、その銀眼の奥に揺蕩たゆたう色を、黙って見つめていた。

 妙な人間だ、と、エイリーンは思った。
たったの数十年しか生きていない、精霊族に比べれば、雫程度の魔力しか持たないような脆さは同じなのに、他の人間たちとは違う、妙な求心力を備えている。

 この銀眼の奥にグレアフォールも何かを見たのだろう、と、セルーシャは思った。
不変に固執し、一定のことわりの中で、いかなる種も滅ぼさず、しかし栄えさせず、生命の均衡を保つことが大地の維持に繋がるのだと預言し続けてきたグレアフォールが、リーヴィアスの出現によって初めて預言を変え、地殻変動と各種族の断絶を決めたのだ。

 湖面が揺れ、さあっと冷たい夜風が吹き抜ける。
つかの間 霧が晴れ、雲が流れ、冴えた月明かりが、幾筋も湖畔に降り注いだ。

 リーヴィアスの長い銀髪が、繊細な絹糸の如くなびき、キラキラと輝いている。
しかし、その細面ほそおもてには、光とは対照的な影が差していた。
清廉に見える顔立ちにそぐわぬ、暗い影だった。
暗く、そしておぞましい、ささやかな月光すら届かない、複雑で狂気的な闇であった──。



To be continued....


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