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投稿日:2026年01月06日
二人がリーヴィアスの暮らしているらしい集落にたどり着いたのは、夜が明けて、遠くに見える山々の稜線が、眩い銀色に縁取られ始めた時分であった。
降り続いていた小雨は、森を抜けた頃には止んでいた。
木々が雨粒を防いでくれていたおかげで、身体はさほど濡れていなかったが、一晩中ぬかるんだ森道を裸足で歩いてきたので、足や衣の裾は、跳ねた泥水でひどく汚れてしまっていた。
集落は、エイリーンたちが想像していたよりも大きかった。
ぐるりと巡らされた高い木柵と、簡易的な結界の中には、木造の家々や小さな畑が点在している。
かつて西方に築かれていたのだという、石積みの城砦と防御壁に守られた堅牢な大都市に比べれば、目の前の集落は貧弱で、吹けば飛びそうな造りをしていたが、棲んでいる人間の数は、都市一つ分に相当するほど多いように見えた。
故国を捨てたリーヴィアスと、彼を支持して追順してきた人々が、古代樹に近いこの土地に居を構えて、早数年。
いずれ三種族が隔絶される時がくれば、ここに棲む人間たちは、また棲家を捨て、今度は精霊族も獣人族もいない遠い地へと旅立っていくのだ。
この集落は、難民による一時の避難場所とは思えぬほどの規模だったが、それでも、いつかは再び手放す前提で築かれているような、簡素な造りをしていた。
人間たちはまだ寝ているのか、集落の中は、薄暗く静かだった。
けれども、木柵と結界が途切れている入口には、起きた人間の男が、二人立っていた。
おそらく、この集落を守る兵士だろう。
それぞれ短槍を持ち、周囲を警戒している。
手を繋いだまま、エイリーンとセルーシャが近づいていくと、兵士たちはハッと顔を強張らせ、短槍を構えた。
「──止まれ! 何者だ!」
セルーシャたちは、言われた通りに立ち止まった。
朝日に照らし出された二人の姿を見て、兵士たちは目を見張った。
「……お前たち、精霊族か? 精霊族が、森の外に何の用だ」
エイリーンが鋭く瞳を光らせると、兵士たちの表情が引き攣る。
突きつけられた槍の穂先を、やんわりと掴んで退け、セルーシャが答えた。
「我々は、リーヴィアスに会いに来たんだ。君たち、彼のこと知ってる? 知っているなら、どこにいるのか教えてほしいんだけど……」
兵士たちは、ちらっと互いの顔を見遣ってから、厳しい口調で返した。
「リーヴィアス様は、まだお戻りになられていない。先にそちらの要件を言え。必要であれば、私たちの方からお伝えする」
セルーシャは、兵士たちの背後に視線をやって、すっと目を細めた。
つかの間、何かを見据え黙り込んでいたが、ややあって、兵士たちに視線を戻すと、小さく首を振った。
「……嘘だよ。集落の周りに、リーヴィアスと同じ魔力の色が漂っているもの。木柵に沿って張られている結界も、彼が作ったものでしょう? リーヴィアスは、その中にいるはずだよ」
ギョッと瞠目した兵士たちに、エイリーンは指先を向けた。
「虚言は通じぬぞ。死にたくなければ、今すぐリーヴィアスの居所を吐け」
空を切ったエイリーンの指先の動きに合わせて、兵士たちの持っていた短槍の柄が、真っ二つに折れた。
慄いた兵士たちが、息を呑んで後ずさる。
使い物にならなくなった短槍を捨て、震える彼らの手が、腰の剣に伸ばされた──その時。
集落の入口の方から、いつもより高い、リーヴィアスの声が響いてきた。
「──誰だ? そこで何をしている?」
手を止めた一同が、そろって顔を上げる。
いつの間にか、リーヴィアスが、柵沿いに立ってこちらを見ていた。
暁の光を受けて、その銀髪が輝きを増す。
リーヴィアスは、足元まである長い羽織を風になびかせながら、エイリーンたちの側まで歩いてきた。
目前に立ったその姿を見て、しかし、エイリーンとセルーシャは、ぱちぱちと目を瞬かせた。
近くでよく見ると、今日のリーヴィアスは、なんだか普段と様子が違う。
背が自分たちよりも低くなっているし、腰まであるはずの銀髪は、肩のあたりで短く切り揃えられている。
彼の頭から爪先までを、じろじろと眺めながら、エイリーンは訝しげに尋ねた。
「リーヴィアス……貴様、全体的に縮んだか?」
「…………」
少し間おいて、兵士たちが、えっ、と困惑したような声を漏らした。
縮んだリーヴィアスは、ぽかんとした顔になってから、何かを察したらしく、深いため息をついた。
「……僕は、ミラン・シェイルハート。リーヴィアスの息子だ。父上はご不在ゆえ、何か言伝があるなら、僕が預かろう」
「むすこ……」
同時に呟いて、エイリーンとセルーシャは、改めてミランを見つめた。
血縁関係にある人間は、ここまで似通るものなのかと驚いたが、正直、今まで個々の人間の顔を覚えようと思ったことはなく、人間を識別する能力には自信はなかったので、反論はしなかった。
確かリーヴィアスは、父王に妻子を殺されたと言っていたが、生き残りの息子がいたのだろうか。
「リーヴィアス、本当にいないの? 結界の中から、魔力を感じるんだけどな……」
セルーシャが再び問うと、ミランは、二人の前に掌を差し出した。
「父上は、昨朝から出かけている。貴方が感知しているのは、多分僕の魔力だろう。あの結界も、大元の術式を作ったのは父上だが、維持は僕がしている。ほら、感じるのは──……これだろう?」
ミランの掌上に、ぽっと小さな炎が灯った。
セルーシャは、瞳孔を細めて、その炎の揺らめきを凝視していた。
しばらくそうして、魔力の色を確かめていたが、やがて、感心したように吐息をつくと、ゆっくりと頷いた。
「──うん、これだ。……すごいな。人間の親子って、こんなに魔力が似るものなの? 我とエイリーンでも、ここまでは似てないよ」
「…………」
ミランは、その質問には答えなかった。
手を握り込み、炎をかき消すと、話を戻した。
「……で、要件はなんだ? 僕が伝えておこう。それか、どうしても父上に直接会いたいなら、悪いが、明日の朝に出直してくれ。多分、今夜には戻ると思うから」
エイリーンとセルーシャは、どうするべきか困って、顔を見合わせた。
出直せと言われても、霧の森まで帰って、またこの集落を目指すのは一苦労だ。
この付近でリーヴィアスの帰りを待っても良いが、それは、先程からこちらを睨みつけている、二人の兵士たちが嫌がるだろう。
ミランはともかく、彼らはエイリーンたちを警戒している様子である。
リーヴィアス以外は、グレアフォールの寵人ではないので、攻撃してくるようなら、返り討ちにしてやっても良いのだが、集落の人間を殺したとなると、おそらくリーヴィアスを敵に回すことになる。
そしてそうなれば、結果的にグレアフォールの不興を買いかねないし、人間から馬をもらうことも難しくなるはずだ。
悩んだ末に、別にリーヴィアスにこだわらなくても良いか、という結論に至ると、セルーシャは、ミランに向き直った。
「あのね、まず最初に聞きたいんだけど……人間が乗ってる馬って、どこから調達してきてるの? その辺で捕まえてきてるわけじゃないよね?」
「……え? 馬?」
突然訪ねてきた精霊族に、馬について聞かれるとは思わなかったのだろう。
ミランは、呆気に取られたような表情になった。
「……調達、っていうか……基本的には、厩舎で繁殖させて、人に慣らす訓練をしながら育てている。野生馬なんて、そう簡単に飼い慣らせるものじゃないからな」
セルーシャは、ミランに顔を近づけた。
「じゃあ、この集落でも、人間に慣れた馬が飼われているの?」
「あ、ああ……いるぞ。馬は、何をするにも必要だから」
ミランは、不審そうな目をセルーシャを向けながら、一歩後ろに下がった。
しかしセルーシャは、更に近づいて、ミランとの距離を詰めていく。
「なら、飼われている内の馬の一頭を、我々に譲ってほしいんだ。なるべく足が速くて、頑丈で、従順なやつがいいな」
ミランは、怪訝そうに眉を寄せた。
「精霊族が、馬なんてどうするんだ? ……食べるのか?」
「違うよ、乗るんだよ。還りたいところがあるんだ」
「だが、精霊族は風に乗って飛んだり、巨大化して一歩で山一つ越えたりできるんだろう? 馬よりよっぽど速く移動できるんじゃないのか?」
「そんなことができるのは、風語りの一族か、地の巨人族くらいだよ。我々葬樹の一族は、樹の精霊だから、動くのはあんまり得意じゃないんだ」
「葬樹……?」
問答しながら、後退していったミランが、ついに、柵際まで追い詰められた時。
すぐそばで、気を揉んでいた兵士の一人が、その瞬間を見計らったかのように、腰の剣を抜刀した。
「異種族め! ミラン様から離れろ……!」
素早く持ち上がった剣が、セルーシャ目掛けて振り下ろされる。
──が、その刃が、セルーシャを傷つけることはなかった。
エイリーンが振った指先の動きに合わせて、兵士の剣が、見えない盾に弾かれたかの如く、勢いよく砕け散ったからだ。
「────うっ⁉︎」
跳ね返った刃の破片が、兵士の頰をかすっていく。
パッと、鮮血が噴き出した。
真っ赤な頰を押さえながら、硬直している兵士を睨みつけて、エイリーンは凄んだ。
「……貴様、そこから一歩でも動いてみろ。次は両の目を潰してやるぞ」
竦み上がった兵士の瞳に、怯えの色が走る。
続いて、もう一人の兵士が剣の柄を握ったのが見えたので、エイリーンは、今度はそちらに指先を動かした。
重々しい魔力が、兵士の全身にのしかかる。
だが、半狂乱になって剣を抜こうとした兵士を、すんでのところで、ミランが制した。
「──やめろ!」
顔色を変えたミランが、慌ててエイリーンと兵士の間に割って入る。
兵士をかばうように立ち、ミランは叫んだ。
「お、落ち着いてくれ! 急に斬りかかったりして、申し訳なかった。この者たちは、ただ、僕を守ろうとしただけなんだ。敵意があったわけじゃない! だから、どうか、気を収めてほしい……!」
「…………」
ミランは、真っ青になった顔で、エイリーンと対峙した。
エイリーンは、何も答えず、ミランに指先を突きつけたままでいる。
けれども、セルーシャに肩を叩かれると、億劫そうに腕を下ろした。
「ごめんね、ミラン。エイリーンも、ただ我を守ろうとしただけなんだ。こちらにも争う意思はないよ」
セルーシャの穏やかな声を聞いて、安堵したのだろう。
ミランの顔に、ゆっくりと血の気が戻っていく。
額にびっしりと浮いた汗を拭き、肩を撫で下ろすと、ミランは、ゆるゆると首を振った。
「……いや、先に手を出したのは、こちらだから……」
ミランは、ちらりとエイリーンの顔色を窺った。
それから、頭を下げて、躊躇いがちに言った。
「詫びになるかは分からないが……もし、馬が欲しいなら、厩舎に案内する。今回のことは、それで許してくれると有難い……」
「え、いいの? 馬をくれるなら、こちらこそ有難いよ」
セルーシャは、目元を緩めると、ミランの真似をして、ぺこりと頭を下げた。
エイリーンは、未だ不機嫌そうな顔で、兵士たちを睨みつけている。
だが、その指先に灯っていた魔力の圧は、完全に消え失せていた。
死人が出なくて良かったと、内心ほっとしながら、ミランは、もう下がるように、と兵士たちに目配せをした。
頬の切り傷に外套を押し当てている兵士が、去り際に、おずおずとミランに歩み寄り、そっと進言した。
「で、出過ぎた真似を……申し訳ありません。しかし、恐れながら申し上げます。この者たちを招き入れれば、次は民間に被害が及ぶやもしれませぬぞ」
ミランは、囁き声で返した。
「拒絶したところで、強硬手段に出られては、僕たちでは太刀打ちできない。争う意思はないと言っているし、今はその言葉を信じよう。父上の知り合いではあるようだしな」
「な、何故そう言い切れるのですか⁉︎ 会いに来たというのは嘘で、リーヴィアス様のお命を狙っている可能性もあります……!」
小声で会話していたが、断片的に聞き取れたのだろう。
長い耳をぴくりと動かすと、セルーシャが口を挟んだ。
「争う意思はないって言ったのも、リーヴィアスに会いに来たって言ったのも、嘘じゃないよ。彼、古代樹から帰る我々に、毎日のようについてくるから、最近よく話すようになったんだ。ちなみに、馬が欲しいと思うようになったのは、ゴーティがきっかけだよ」
兵士たちは、不服そうな表情を浮かべながらも、セルーシャの口からゴーティの名前が出ると、ようやく押し黙った。
リーヴィアスの名前はともかく、その愛馬の名前なんて、確かによく話す間柄でないと知らないだろう、と思ったのだろう。
納得したように微笑んで、ミランは肩をすくめた。
「父上のやりそうなことだ。疑う余地はない。……というか、その肌と目の色を見た時点で、貴方たちが『葬樹』であると気づいて、然るべき礼儀を払うべきだった。重ねて申し訳ない」
葬樹、という言葉に反応して、兵士たちが、いよいよ目を丸くする。
セルーシャは、小さく首を傾げた。
「なんだ。我々のことを知っていたの?」
ミランは、困ったように眉を下げた。
「いや……まさか、そのような小柄な姿を取っているとは知らなかった。だが、灰白の肌と炎の瞳をした『葬樹の一族』と聞けば、人間でも、知らぬ者はいない。北方、死の森の主で、精霊王グレアフォールに次ぐ大精霊の一種。……父上の謳う叙事詩にも、登場するからな」
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