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投稿日:2026年01月06日





「…………」

 不意に、目から涙がしみ出してきた。
ごしごしと目を拭って、シャルシスは、震え声で言った。

「……ルーフェンと、トワリスも、一緒に王宮に帰ろう……」

 二人の目が、わずかに見開かれる。
拒絶が返ってくる前に、勢いよくルーフェンに抱きつくと、シャルシスは、強い口調で繰り返した。

「──これは命令だ! 二人とも、余と共にシュベルテに戻れ! 召喚師や魔導師の地位にいるのが嫌なら、他の立場で良いから、これからもずっと、カーライル王家に仕えてくれ……!」

 頭を横に振れないように、シャルシスは、ルーフェンの首のあたりに腕を回し、ぎゅっとしがみついた。
ルーフェンは、「締まってる締まってる」とうめいて、シャルシスの背を叩いたが、シャルシスは、力を緩めただけで、腕を離しはしなかった。

 苦笑混じりの声で、ルーフェンが答えた。

「命令だなんて言われても、無理だよ。戻ったら、俺もトワも、色んな罪に問われて、即刻 処刑台送りになっちゃうもん」

 滂沱ぼうだの涙を流しながら、シャルシスは首を振った。

「そんなの、全部帳消しにしてやる! 余を人質にとって誘拐したのは、余がそう望んだからだし、ルーフェンもトワリスも、国家転覆なんて考えてない!」

 ルーフェンは、苦笑を深めた。

「……無茶苦茶だなぁ。『シャルシス王子、帰還早々にご乱心』って、王都中で騒がれちゃうよ?」

「別にいい! 余は、征討王エルディオの子で、サーフェリアの次期国王だぞ! 異論を唱える者は、全員黙らせてみせる!」

「…………」

 とんでもない暴論を展開されて、ルーフェンも、流石に返答に詰まったようだった。
ルーフェンは、しばらく困ったように、シャルシスの震える背をさすっていた。
だが、やがて、その肩を掴み、強引に身体を引き剥がすと、ルーフェンは、打って変わった真剣な声で告げた。

「そのエルディオ王や、君の兄王子たちを殺したのは、俺の母、前召喚師のシルヴィア・シェイルハートだ」

「──えっ……?」

 シャルシスの濡れた瞳が、大きく揺れる。
この反応を見るに、やはりバジレットは、十四年前に起こった王位継承者たちの連続死の真実を、シャルシスに伝えてはいなかったのだろう。

 薄い笑みを口元に戻し、ルーフェンは言い募った。

「君がバジレット様から、何をどこまで聞かされていたのかは知らないけれど、本当のことだよ。
……先代召喚師は、エルディオ王やその妃たち、高位の王位継承者たちを、何人も暗殺した大逆人。当代の俺もまた、君を攫った大逆人で、アーベリトの没落やミストリアの次期召喚師の逃亡も幇助ほうじょした売国奴。……シェイルハート家は、もはや、カーライル王家に取り憑いてる呪いみたいなものなんだよ。召喚師なんて特殊な地位にいなければ、とっくに排除されていておかしくない罪人の一族で、サーフェリアの血濡れた歴史書にこびりついた、古い汚れのようなものだ」

「…………」

 シャルシスは、しゃくりあげながら、唖然とルーフェンを見上げていた。
何を言われているのか、理解が追いつかず、混乱を隠しきれない様子であった。

 少ししてから、もう一度首を振ると、シャルシスは、辿々しい口調で返した。

「……よ、余は……気にしない。アーベリトの没落や、ミストリアの件は、そなたの悪意によって起こったことではないだろう? 王位継承者たちの死に関しては、そなたの母の罪であって、そなた自身の罪ではない。確かにお祖母様は、父上は馬車の転落事故で亡くなったと言っていたが、余とて馬鹿ではないのだ。カーライル王家の者ばかりが立て続けに死んだと聞いて、暗殺の可能性くらい考えていた。……それがまさか、前召喚師シルヴィアの企てたことだとは知らなかったが……だからといって、ルーフェン、そなたを憎もうとは思わない」

 揺れていた瞳を定め、シャルシスは、はっきりとそう言い切った。
エルディオを暗殺したのが、その寵妃ちょうひシルヴィアであったという事実は、かなり衝撃的なものであった。
しかし、それを知ったところで、ルーフェンを恨む気持ちは、本当に湧かなかった。

 勿論、シャルシスにとってのエルディオは、尊敬すべき父親であり、国王である。
もし父王が生きていてくれたなら、と考えたことは何度もあるし、肖像画や史実に見聞きするその勇猛な姿には、今でも憧れている。
しかし、会ったことはないし、話したこともないので、正直、実際の人となりはよく分からない。
シャルシスが生まれたのと同時期に亡くなってしまった、いないのが当たり前の存在なので、言わばエルディオ王は、ならうべき昔の偉人のようなものだ。
シャルシスには、身近に感じたことのない父王や兄王子の死の真相よりも、一緒に時間を過ごしてきたルーフェンやトワリスとの別れの方が、ずっと辛いことだった。

 再びシャルシスがしがみつかれて、ルーフェンは自嘲気味に笑った。

「……君が気にしなくても、王家に仕える人たちは、俺の存在を受け入れられないよ。俺は既に、討たれたはずの人間だ。死んでいるべき罪人を、新王になる君のそばに置こうなんて、特に教会の司祭たちは、許すはずがない」

 シャルシスは、ぐっと歯を食いしばった。

「分からない! そんなの、説得してみなければ分からないだろう! お祖母様だって、父上を殺したのがシルヴィアだと知りながら、シルヴィアを王宮に置いていたではないか」

「それは、十四年前のサーフェリアには、まだ召喚師制があったからだよ。レーシアス家に王権が一時委譲されて、俺もアーベリトに移っていたから、当時のシュベルテには、現召喚師の代理として、シルヴィアを軍部の上層に据える必要があったんだ。彼女の罪は、公にはなっていなかったしね」

「ならば、やはり召喚師制を復活させる! そなたが罪人であっても、何であっても、他に代わりが勤まらない召喚師の座に戻るならば、周囲もその存在を認めざるを得ないはずだ!」

「……駄目だよ。これから先の治世に、召喚師制はあるべきじゃない」

 はっと身を引いて、シャルシスは顔を上げた。
ルーフェンは、相変わらず困ったような笑みを浮かべていたが、今の言葉には、有無を言わせぬ力がこもっていた。

 掠れた声で、シャルシスは尋ねた。

「……何故だ? 余は、そんな風には思わない。召喚師がカーライル王家に仕えている限り、他領はシュベルテを侵そうとはしない。戦が起きなければ、民は平穏に暮らせるだろう。そうして長く続いてきた、カーライル王政下での召喚師一族の功績は、そなたやシルヴィアが犯した罪を、償って余りあるものだ。
今回のウェーリンの件だって、召喚師制の廃止や、シュベルテ軍部内での悶着もんちゃくを知られたから、起こったようなものだ。でも、今からでも遅くはない。そなたが召喚師として戻ってきてくれれば、教会による弾圧だって止められるだろうし、イヨルドだって、上に付け入る隙を失って、余や兄のガシェンタを弑殺しいさつしようなどという考えを改めるかもしれない。そうだろう?」

 ルーフェンは、一瞬言葉を止めて、何かを思い出すように目を伏せた。
その表情から、徐々に笑みが消えていく。

「……俺は、君と同じくらいの年齢だったときに、エルディオ王の命令で、イシュカル教の急進派の信徒たちが留まっている集落を、潰したことがある。召喚術を意図的に人に向けたのは、あれが初めてだったけど、その時に思ったよ。召喚師制があるということは、こういう、一方的にねじ伏せる選択肢が生まれるってことなんだろうなと」

「…………」

 シャルシスは瞠目して、ルーフェンの顔を見つめた。
ふと脳裏に蘇ったのは、イヨルドの発言だった。

──エルディオ王は、かつてのマイゼン領をセントランスから解放した後に、自治を認めるなどと言いながら、我々から軍事権を剥奪した。 

──王家が我らにしてきたことは、今、私が殿下にしていることと同じです。カーライル王家は、己だけは軍に守られた状態で、召喚師一族という剣を首に突きつけながら、『結ばれた協定が反故にされぬ限りは守ってやる。今後も仲良くやろう』と、懐に入れた属領を脅し虐げてきたのです。

 嘆息して、ルーフェンは、淡々とした口調に戻った。

「他にもいろんなことがあって、いろんなことをしてきたけど、俺は、自分のやったことを、理由をつけて正当化するつもりはないよ。召喚師一族なんて、手に負えない力に振り回されている、ただの人殺しだ。そんなもの、いつまでも横に据えていたって、守れるのは、独りよがりで血生臭い王権だけだろう。まあ俺は、こんな性格だしね。王宮の空気は、どうも肌に合わない。それに、いざこざを起こすのは得意でも、丸く収めるのは苦手みたいだ。だから、この辺りが、良い引き際なんだと思う。
……召喚師一族の系譜は、俺で終わり。勿論国や、その中心となる王家を守る力は必要になるけど、それは、今ある軍部が担えることだから。……君は、俺のことなんて忘れて、自分の道を進むといい」

「…………」

 シャルシスは、握り込んでいたルーフェンの袖を解放して、その身から離れた。
旅に出てからずっと、ルーフェンの言うことはいまいち理解できないと思っていたが、今言っていたことの意味は、分かったような気がした。

 鼻をすすって、シャルシスは唇を尖らせた。

「……そなたが王宮を出た、本当の理由が、少し分かったような気がする。……が、それにしたって、奔放で、薄情な奴だな。誰に何の相談もなく、いきなり罪人として失踪して、強制的に召喚師制を無くすなんて。
火消しや後始末をするのは、こちらなんだぞ。国内での揉め事もそうだし、今後、もしまた他種族が攻めてきたら、どうすればいい? ミストリアには恩が売れているとはいえ、他国の考えることなど分からんし、それ以外の国にも、まだ召喚師一族は存在するんだろう」

 わずかに視線を横にやってから、ルーフェンは肩をすくめた。

「……そうだね。じゃあ、他国の敵意ありそうな召喚師に関しては、こっちでなんとかできないか考えておくよ」

「な、なんとかって……」

 曖昧すぎる、適当な返答をされて、シャルシスは、反論する気力を失くしてしまった。
こちらは真剣にサーフェリアの行末を考えて、ルーフェンに戻ってきてほしいと言っているのに、渦中の一人であるはずの当の本人は、まるで憂いなど感じていない様子だ。
ルーフェンと話していると、国の過渡期に立たされていることを不安に思い、悩んでいることが、なんだか馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 王子に戻れたら、やることが山ほどある。
まずは、ナジムたちや徴集兵たちの保護。
そして、マイゼン家と決着をつけ、ウェーリンとの関係を清算しなければならない。
それが終わって、シュベルテに帰った後も、きっと息をつく暇などないだろう。
すぐにバジレットに会いに行って、それから教会の暴走を止め、軍部の再編成も行わなければならない。
一年も行方不明になっていたせいで、元からシャルシスの即位に反対していた勢力は、おそらく勢いを増しているだろうから、王族として周囲に認めてもらえるような一層の努力も必要だ。

 もしかしたら、その努力が報われず、結局王座にはつけず、カーライル王家が衰退する未来だってあるかもしれない。
あるいは、何か別の苦難が訪れて、シャルシス自身が、王族として生きる道を選んだことを後悔する日がやってくる可能性もある。
これから先、シャルシスが直面するのは、どれもこれも、尽力したところで解決するとは限らない、難しい問題ばかりだ。
それでも、悩んでいるだけでは何も変わらないのだから、"なんとか"するしかないのだろう。

 ため息をついて、シャルシスは、呆れたようにルーフェンを見た。

「……余がなんと言おうと、王宮に戻ってくる気は、ないのだな。……これから先、ずっと」

 肯定のつもりなのか、ルーフェンが眉を上げる。
シャルシスも苦笑してから、今度はトワリスの方を見た。

「トワリスも、やはり、ルーフェンと一緒にいくのか」

 トワリスは、少し言い淀んでから、首肯した。

「……はい。私は……そのつもりです」

「…………」

 シャルシスは、もう一度ため息をついた。

「命令だと言っておるのに、こうも頑として聞かぬとは……そなたたちは、やはり大逆人だ。ここまで堂々と背かれると、流石の余でも、罪をかばいきれん。余とて、償う気のない罪人を侍らせる趣味はないから……もう、好きにしろ」

 ぶっきらぼうに言いながら、荷を背負い直すと、シャルシスは、二人に背を向けた。
それから、顔だけ振り返って、ぽつりと問うた。

「……また、どこかで会えるか?」

 ルーフェンは、穏やかに微笑んだ。

「どうかな。……会うことはなくても、俺たちは、君に味方してるよ」

「…………」

 シャルシスは、答えようとして、言葉を詰まらせた。
唇を震わせ、つかの間、目を瞬かせながら俯いていたが、ややあって顔を上げると、笑顔を浮かべた。

「……なんだかんだで、二人との旅は、楽しかったぞ。ルーフェン、トワリス……ありがとう。──さようなら」

 前を向いて、シャルシスは、北部支部へと続く街道を歩いて行った。
夕暮れの光が、道脇に積もった雪を、鮮やかな黄金色に染めている。
シャルシスの後ろ姿が、黄昏の向こうに見えなくなると、ルーフェンとトワリスも、林道の薄闇に姿を消したのであった。


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