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投稿日:2026年01月06日





 翌日、エイリーンとセルーシャが『弔いの儀』に顔を出すと、グレアフォール率いる古代樹の精霊たちは、変わらぬ淡白な態度で二人を迎えた。
無断で二日も儀をすっぽかしたことを指摘されはしたが、それだけだ。
エイリーンたちが精霊を葬って魔力の蓄蔵を行う代わりに、古代樹の一族が葬樹そうじゅの森への帰還と再生の手助けをする、という約定を破棄されることもなかった。
とはいえ、この二日の内に魔力化されることなく消滅した精霊がいることは事実で、これ以上約束を反故にすれば、いよいよグレアフォールに見放されかねない。
結局、馬を手に入れられていない現状、古代樹の一族との関係まで切れれば、葬樹そうじゅの森へ還る手段を失ってしまう。
エイリーンとセルーシャは話し合い、しばらくの間は、またグレアフォールに従うしかないと決めたのであった。

 古代樹の精霊たちはいつも通りの態度であったが、同席していたリーヴィアスは、いつも通りではなかった。
普段なら、儀が終わると鬱陶しいくらいに話しかけてくるのだが、今日は一言も声をかけてこない。
エイリーンは、そんな彼の変わり様を訝しみながらも、静かで良いと思ったが、セルーシャはリーヴィアスと話をしたがった。
人間たちの集落を追い出された今、馬についての交渉をできる相手は、もうリーヴィアスの他にいないからだ。

 古代樹の精霊たちが姿を消した後に、無言でゴーティにまたがって森から出て行こうとしたリーヴィアスを、セルーシャは呼び止めた。

「──待って、リーヴィアス。頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」

「…………」

 リーヴィアスはゴーティを止め、こちらに振り返った。
だが、微かに目を細めただけで、何も言わなかった。
いつもは柔和な笑みを浮かべているのに、今日は無表情で、昨日剣やほうきを振り回していた集落の人間たちと同じような、赤黒い空気を纏っている。

 それでも躊躇いなく近寄っていって、セルーシャは話を続けた。

「あのね、もしかしたらミランから聞いたかもしれないんだけど……わたしたち、馬が欲しいんだ。だから、リーヴィアスから集落の人間たちに命令して、飼っている馬を我々に一頭譲ってくれないかな? そこのゴーティでもいいんだけど……ゴーティは、リーヴィアスの相棒なんだもんね?」

「…………」

 次いで、エイリーンが口を開いた。

「言うことをよく聞いて、葬樹そうじゅの森まで走れる、従順で頑丈な馬が好ましい。……あと、我らは馬を操る術に長けておらん。せがれからも教わったが、不十分だ。もっと詳しく教えろ。くらや手綱といった、必要な道具も寄越せ」

「…………」

 リーヴィアスは更に目を細めて、沈黙していた。
彼が何故なにも答えないのか分からず、エイリーンは眉を寄せ、セルーシャは首を傾げた。
二人の反応を見て、深々と嘆息すると、リーヴィアスは、ようやくゴーティの上から降りた。

「……ミランからも、屋敷の者たちからも、貴方たちの暴れっぷりは聞きましたよ。おかげでこちらは、兵が三人負傷、馬一頭は行方不明、厩舎きゅうしゃが半壊しました」

「…………」

 今度は、セルーシャ達の方が黙り込んだ。
少し言葉を選ぶ素振りを見せてから、セルーシャは、ぺこりと頭を下げた。

「暴れたというほどのことはしてないと思うけど……被害を出してしまったことは、謝るよ。ごめんね。悪気はなかったんだ」

「頭を下げるな、セルーシャ。兵の負傷と厩舎きゅうしゃの半壊に関しては、人間共が自ら招いた結果ではないか。先に手を出してきたのは、向こうなのだからな」

 不愉快そうに顔を歪めたエイリーンが、セルーシャの肩に手を置き、リーヴィアスを睨みつける。
セルーシャは、少しだけ頭を上げて、エイリーンにも謝罪するように促した。

「でも、リーヴィアス、すごく怒ってるみたいし……。これ以上怒らせたら、昨日の繰り返しだよ。もう他に馬をくれそうな人間はいないんだから、エイリーンも謝っておいた方がいい」

「…………」

 痛み出したこめかみをさすりながら、リーヴィアスは返答に迷った。
こうも素直に謝罪されると、怒る気も失せてくるが、一方で、馬欲しさにとりあえず深く考えずに謝っているのだと思うと、余計に腹立たしい気もしてきた。

 自尊心と戦っているエイリーンが、形だけの謝罪などしてしまう前に、リーヴィアスは答えた。

「……別に、怒ってはいませんよ。被害が出たことに関しては、エイリーンの仰る通り、お互い様です。こちらが最初に武器を向けたのは事実のようですし、それについては、私からもお詫びさせて下さい。
……ただ、集落の者達は、私とは違うんです。既に戦は終わった、精霊族とも獣人族とも不戦協定を結んだ、と周知してはいますが、それでも、いきなり異種族が現れたら、力の弱い人間側は臨戦態勢にならざるを得ません。その点を理解して頂いて、今後は、私に無断で集落に近づくのはやめて下さい。私や古代樹の一族を除き、必要以上に異種族に接触することは、グレアフォール王からも禁じられているでしょう?」

 セルーシャが、ゆっくりと顔を上げる。
キュッと瞳孔を縮め、エイリーンは刺々しく言い放った。

「勘違いをするな、別に人間と接触するために森を出たわけではない。我々の目的は、馬だ。馬さえ手に入れば、貴様らに用はない」

「うん、そうだよ。前にリーヴィアスが、我々とは友好関係を築きたい、って言ってたからお願いしてみただけで、やっぱり関わりたくないっていうなら、二度と話しかけないよ。馬さえくれたら、もう集落にも近づかない」

「い、いや、そういう意味ではなくて……」

 あっさりと絶縁宣言を突きつけてきた葬樹そうじゅ二人に対し、リーヴィアスは頭を抱えた。
エイリーンとセルーシャは、古代樹の一族よりは人間に近い感覚を持ち合わせていると感じていたのだが、やはり根底部分は大きく異なる。

 鬱陶しそうに前髪を掻き上げて、リーヴィアスは言い換えた。

「……私は今も、貴方たちとは友好的な間柄でありたいと考えていますよ。目的が馬であろうと、人間に興味を示してくれるのも、有難いとは思います。ただ、持っている価値観や力に大きな差がある以上、誰も彼もがそう簡単には打ち解けられないのが現実です。つまり、何か頼みごとがあるなら、まずは距離感とか力関係を考えて、相手を選んで頼んで下さいねって言ってるんです。私に対しては構いませんが、ミランや集落に住む一般の民達をいきなり脅さないでほしい、って意味です」

「…………」

 一層混乱した様子で、セルーシャは眉間に皺を寄せた。

「ええっと……要は、他の人間は駄目だけど、リーヴィアスになら頼んでもいいってことなんだよね? じゃあリーヴィアスは、どうしてまだそんなに怒っているの?」

「……だから、怒ってはないですって」

「嘘だよ。人間は感情の種類が多いから読み取りづらいけど、わたしにはえるんだ。今のリーヴィアスは、すごく怒っている。昨日のミランや、我々を集落から追い出した人間達と同じ色……頼みごとなんて聞いてくれない時の感情の色だ」

「────……」

 一瞬、表情を硬くしたリーヴィアスに、セルーシャは、ふと唇で緩やかな弧を描いた。

「ああ、でも、顔や口調には、感情が出ないようにしてるんだよね? たかが馬や身内数人のことで、折角結んだ協定が破棄されたら困るし、もしここで感情的になって、本気の争いに発展しちゃったら、リーヴィアスもエイリーンには敵わないから。ね、そうでしょう?」

「…………」

 滅多に変化しないリーヴィアスの瞳が、わずかに動く。
橙黄色の光を帯びたセルーシャの双眸そうぼうは、彼の纏う、複雑な赤黒い揺らめきを捕捉している。
感情の色を視認できないエイリーンも、その小さな表情変化を見て、リーヴィアスは確かに怒っているのだろうと思った。

「……賢明なことだな。人間の回りくどい嘘や建前は、セルーシャには通じぬし、貴様の独力であろうとなかろうと、その魔力がわたしを凌駕することはない。力関係を考えて立ち振る舞いを選ぶべきは、我らではなく弱いほうだ。分かったら、大人しく従え」

「ごめんね、リーヴィアス。グレアフォールの手前、我々も争いたくはないし、リーヴィアスを脅したいわけでもないんだ。でも、自力で葬樹そうじゅの森に還るには、効率的な移動手段が必要だから……」

 エイリーンが威圧的に声を低め、セルーシャは申し訳なさそうに目尻を下げる。
リーヴィアスは再び沈黙して、長い間、そんな二人をじっと見つめ返していた。
だが、やがて短く息を吐くと、感情の色を変えぬまま、薄い微笑みを見せた。

「……私の嘘や力が、通じない? 何故そう思うんです? お二人に、私の何がどんな風に見えているのかは分かりませんが、表面的な情報だけで、人間の全てが精霊族に劣っていると一方的に決めつけられるのは、確かに怒りを覚えますね。貴方達は、私のことを何も知らないし、その思考が読めるわけでもないのですから」

 セルーシャは、キョトンとした顔になった。

「読めるよ? ただ、人間の言葉や価値観を覚えたのは最近のことだから、共感まではできないってだけ。わたしはいろんな生き物の感情が読めるし、理解できる。特に怒りとか恐怖、絶望、悲嘆、動揺、諦め……死ぬ直前に纏いがちな感情の色は、沢山見てきた。その変化の仕方や濃淡を見ると、その生き物があとどれくらいで死ぬのかも、なんとなく分かるんだ」

「感情と思考は違いますよ? 現にセルーシャは、感情の種類は読み取れても、こちらが何故怒っているのか、全く分かっていないじゃないですか」

「…………」

 セルーシャは瞠目して、エイリーンと顔を見合わせた。
それから、リーヴィアスに向き直ると、その周囲に漂う色や銀の瞳を凝視した。

「……そうだね。確かに、理由までは見ただけじゃ読み取れない。だけど、前後のやりとりを知っていれば分かるよ。リーヴィアスが怒っている理由は、さっき自分で言ってたじゃない。我々が馬を逃したり、集落の人間達を怪我させたり、厩舎きゅうしゃを壊したりしたから、怒ってるんでしょう?」

「いいえ? それに関してはお互い様、とも言ったはずです。私や集落の者達が怒っているのは、別の理由ですよ」

 セルーシャは目を瞬かせてから、昨日の出来事を思い返すように、そっと睫毛まつげを伏せた。

「集落の人間たちは……我々がミランが泣かせたから、怒ったんだよね? リーヴィアスもそうなの?」

 口元だけ微笑んだまま、リーヴィアスは頷いた。

「ええ、まあ、そうです。あの後……私が帰った後も、ミランは一晩中泣いていました。泣き疲れてようやく眠ったのは、今朝のことですよ」

 肩を落として、セルーシャはもう一度謝った。

「本当に申し訳なかったよ。人間が死を本能的に恐れていることは知ってたんだけど、あれほど|導き蝶《むし》が反応するのは珍しいことだから、つい気になって口に出しちゃって……。教えてあげようと思っただけで、怖がらせるつもりはなかったし、あんなに泣くとも思わなかったんだ」

「……いや、それは外れてますね。ミランは、死期が近いことを告げられて泣いたわけじゃありません」

「え? そうなの?」

 否定したリーヴィアスを見上げて、セルーシャは不思議そうに首を傾げた。

「外れ……てはいないと思うけどな。ミランは、自分がもうすぐ死ぬかもしれないって知って、気が動転したんでしょ? 口では怖くないって言ってたけど、恐怖の色を出していたし」

「全く違うとは言いませんが、当たっているか否かで言えば、やはり外れです。そもそもミランは、少なくとも私が生きている間は、死にません。なんなら、私が死んだ後も長生きしてもらう予定です。……あの子が泣いたのは、貴方達が『天国はない』なんて言ったからですよ」

 刺々しさを内包した冷たい口調で、リーヴィアスが答える。
その時、面倒臭げに話を聞いていたエイリーンが、はあ? と呆れたように口を挟んだ。

「まさかとは思うが、貴様も天国とやらが存在すると考えているのか? その怪しげな妄想は、一体どこから来たのだ? 信じ込んでいるなら改めて正してやるが、死者が昇る天上の国など無いぞ。人間や獣人は、死んだら土になる」

「…………」

 一拍置いて、深いため息をつき、リーヴィアスは静かな口調で返した。

「出所──というか、作者は私なので、作り話だということは分かっていますよ。ですが、ミランや集落の人々には、天国は実在すると伝えています。生前、善行を積んだ者は天国に行き、悪行を重ねた者は地獄に落ちるのだ、と。……本気で信じている者も多いので、死んだら腐って終わりだの、土になるだの、無情な真実を不必要に流布するのはやめて下さい」

 セルーシャは、ますます訳がわからない、といった風に、捻っていた首の角度を更に傾けた。

「どういうこと? リーヴィアスは、ミランのことが大切なのに、嘘をついて騙しているの? 何のために?」

「そうとでも思い込まなければ、耐えられないことが沢山あるからですよ。今は辛くとも、きっと死後には報われる……そう盲目的に信じなければ、この世では善人なんて演じるだけ損ですし、失ったもののを忘れられなくなります」

 セルーシャは、うーん、と訝しげに唸った。

「でも、実際には死んだって何も無いわけだから、天国なんていう幻想を信じ込んでいる人間は、無駄な希望を抱き続けてるってことにだよね。その方が虚しいというか、可哀想な気がするけど、人間の感覚的にはそうでもないの?」

 リーヴィアスは、ふっと笑みを消した。

「それでもミランは、自分をかばって死んだ母親が天国で幸せに暮らしているのだと聞いて、やっとまともに食事を摂れるようになったんです。死は避けられない、恐ろしく辛いことだけれども、その先に待つものは絶望ではない。道をたがわず生き抜けば、最終的には自分も天国に行けるのだ。そう信じるようになって、ようやく夜もうなされずに眠れるようになりました。そうしてなんとか生きる意欲を取り戻した、私の息子が抱いているものは、無駄な希望なんでしょうか?」

「…………」

 並び立っているセルーシャとエイリーンを、まっすぐに見つめて、リーヴィアスは言い募った。

「……私の言葉に、無理に共感してほしいとは思いません。前にもお伝えしましたが、私だって、精霊族の価値観には、理解は示せますが共感はできませんからね。葬樹そうじゅの一族は他の精霊族とは少し違いますから、お二人とは分かち合える部分もあるんじゃないかと思っていましたが……それでも、我々は異種族同士です。和解はできても、同じ空間で共存することは難しい。難しいどころか、相互理解の強制は、むしろ争いの火種になるでしょう」

「…………」

 ざわりざわりと、古代樹が枝葉を擦り合わせ、森全体が騒ぎ始める。
セルーシャたちの返事を待たずに、リーヴィアスは、あぶみに足をかけてゴーティに乗った。

「ちなみにですが、私が怒っているという読みも、半分当たりで、半分外れです。私の不在中に貴方たちが集落を荒らしたと聞いた時は、正直焦りましたし、怒りも湧きました。しかしお二人は、協定を守ってくれています。ミランたちを皆殺しにし、馬を奪うことも可能な立場で、そうしなかった。グレアフォール王による抑止が理由であっても、踏み止まってくれたことには感謝しています。
……大陸が分かれ、種族が隔絶されるまでの残り時間……同じように、か弱い私たちには、情けをかけてもらえると助かります」

「…………」

 皮肉にも思える口ぶりでそう言ってから、リーヴィアスは手綱を握り、ゴーティの腹を踵で軽く蹴った。
歩き出したゴーティが、斜陽の差し込む森道を進んでいく。
ハッと目的を思い出したエイリーンが、「おい、馬は!」と問うと、リーヴィアスは、「考えておきます」と一言返して、そのまま生い茂る木々の先に消えていったのであった。


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