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投稿日:2026年01月06日




 リーヴィアスの身に纏う赤黒い空気は、なかなか消えなかった。
怒りをぶつけてくるようなことはなかったし、話しかければ、以前と同じ柔和な笑みで受け答えするのだが、それでも、セルーシャの目には、まだ彼の周囲に漂う怒りの色が映っていた。
結局、馬を譲ってくれる気配もない。
一月近くもそんな状態が続いたので、流石のセルーシャも、リーヴィアスの怒りの解き方を考えることが、億劫になってきた様子であった。

 直接理由を尋ねても、リーヴィアスは「もう怒っていない」と笑うばかりである。
最初はそれも嘘だろうと疑ったが、時間が経つにつれ、彼は本当にセルーシャ達に対しては怒っていないのかもしれない、とも思えてきた。
移り気で感情豊かな人間のことだから、日常的に起こるあらゆる事象に一喜一憂して、結果、怒りが長く継続しているように見えているだろう、と。
馬をくれないのも、セルーシャ達とは関係ない、何か別の原因があるのだ。
しかし、だとすれば尚更、エイリーンとセルーシャにリーヴィアスの機嫌を直すことはできないので、取り付く島がない状況なのであった。

「……リーヴィアスも馬をくれないってなると、野生馬を見つけて、手懐けるしかないのかなぁ。……ねえ、エイリーン。我々に出来ると思う?」

 湖面に足先を浸し、ポチャポチャと白い水面を蹴っていたセルーシャが、不意に呟いた。
小さな波音が寄せては返し、森を覆う霧の中に吸い込まれていく。
日没と同時に、湖畔を囲み立つ木々や、獣達は眠ってしまったのだろう。
セルーシャが立てる水音以外には、一切の喧騒がなく、辺りは静まり返っていた。

 湿った木の根元に腰を下ろし、目を瞑っていたエイリーンは、セルーシャの声を聞いて、ふと目を開けた。

「……もう馬にこだわらずとも良いだろう。家畜といえども、獣は扱いが厄介だ。リーヴィアスの顔色をいちいち窺うことにも、いい加減 飽きた」

 ため息混じりに、エイリーンが答える。
セルーシャは、顔だけ振り返って、こてんと首を傾けた。

「なら、どうする? 獣が駄目なら、いっそ獣人族にお願いしてみる? 最近、彼らも人語を覚えたらしいから、会話はできると思うよ」

 顔を引き攣らせて、エイリーンは首を振った。

「奴らに乗るということか? 勘弁してくれ。獣人族は獣以上に凶暴で、手のつけられん種族だ。あれなら、こちらで手綱を握れる分、まだ馬の方がマシだ」

「だったら、竜族や巨人リオット族に相談してみる? 竜族は飛べるし、巨人(リオット)族は遅いけど大きいから、移動が速い。古代樹グレアフォールの支配下にないから、協力してくれるかもしれないよ」

「……奴らは目立ちすぎる。動くたびに周辺の地形が変えてしまう連中だ。気取られずに動くことが難しいだろう」

「うーん……他にグレアフォールの影響を受けない精霊だと……あとは、炎(アルルゥ)とか?」

アルルゥきちがいとは関わりたくない」

「えぇ? じゃあ、エイリーンはどうするのが良いって思うの? グレアフォールに従いたくないって言ったのはエイリーンなんだから、エイリーンも何か案を出してよ」

「…………」

 批難の視線を向けられて、エイリーンは、やれやれと腰を上げた。
そして、木の下から出てきて、その指先をスッと高く持ち上げた。
まるで、セルーシャがこちらに頼ることを予想していた、と言わんばかりの迷いのない仕草だ。

 エイリーンの指先に、魔力が灯る。
刹那、霧の中で微睡んでいた木々の微精霊が、ザワザワと騒がしく震え始めた。

 ほとりに根を張る木々の枝葉が、エイリーンの発した魔力に吸い寄せられるように、次々と幹から切り離されていく。
それらは、まるで蛇のように身をくねらせ、地を這い、エイリーンの指差す先に集結した。
夜霧を掻き分け、幾重にも折り重なった枝葉が、かごでも編むように細かく捻れ、絡まり合っていく。
エイリーンの指先の動きに合わせて、緻密に、しなやかに──太い枝を芯として、何重にもつるが巻きつき、葉や樹皮をまとって、見上げるほど大きな何かをかたどっていく。

 やがて、作り上がった胴から首が伸び、四肢が伸び、それが馬の形になったのだと気づくと、セルーシャはワッと声を上げた。

「えっ、すごいよ、これ! もしかして、君の使い? エイリーン、こんな器用なこともできたんだね……」

 湖面から足を引き上げたセルーシャが、濡れた足のまま木の馬の元へと駆け寄っていき、ペタペタと長い顔を触る。
エイリーンは、フンと鼻を鳴らした。

葬樹そうじゅに意思のある"使い"は作れん。これはただの木偶でく人形だ。が、わたしの魔力を注いで動かすことは出来るから、使いのようなものと言っていいだろう。……人間なんぞに頼る前に、もっと早く思いつくべきであった。動かすのに慣れは必要だろうが、我々の脚で歩くよりは確実に速いはずだ。こいつに乗って、葬樹そうじゅの森に還ろう」

「うん!」

 快活に頷くと、セルーシャは早速、馬の背によじ登った。
馬具を装着していない、硬い木肌が剥き出しになっている馬の背は、またがりづらく、座り心地も悪かったが、これで葬樹そうじゅの森に還れるのだと思うと、そのような心地悪さは気にならなかった。

 セルーシャの後ろに乗り込むと、エイリーンは指先を動かして、木の馬に命じた。

「──進め」

 木の馬は、ギッと軋み音をあげて、両の前肢を同時に突き出した。
ガクン、と背が沈み、体勢が崩れる。
にも拘わらず、尚も前進しようとした木馬は、後肢をもつれさせ、そのまま前のめりになって、勢いよく地面に倒れ込んだ。

「ぎゃあっ!」

 エイリーンとセルーシャは、前方に投げ出され、湿った土の上に転がった。
木馬は前肢を伸ばし切り、頭を地面に突っ伏した状態で硬直している。
エイリーンとセルーシャは、しばし呆然とした後に起き上がり、長い黒髪についた泥を落としながら、木馬の元へと戻った。

「……いきなり二人で乗っちゃったから、重かったのかな?」

「……いや……おそらくわたしが脚の動かし方を間違えた。ゴーティはこんな歩き方はしていなかった……ような気がする。少し練習をさせてくれ」

 ゴーティや栗毛馬の脚の動きを思い出しながら、木馬を再起させ、エイリーンは、四肢のそれぞれに細かく魔力を送り込んだ。
木馬の胴が傾かないように、脚を一本ずつ、順番に動かしていく。
想像以上に集中力と制御力を要する作業であったが、慎重に操作すれば、木馬は転ぶことなく前へと進んだ。

「歩けた……けど、これじゃあ、我々が歩く速度と変わらないね」

「……そうだな……」

 ぎこちなく直進していった木馬が、目の前の木に激突して、ドシャッと崩れ落ちる。
魔力で動かしているだけの木の塊なので、仕方がないことは分かっているのだが、それでも、なんとも言えない弱々しさ、鈍臭さを感じてしまう。
生まれたての仔馬でも、もう少し上手く走るのではないかと思われるような、心許ない歩調であった。

 エイリーンが木馬を再修復している様子を眺めながら、セルーシャが提案した。

「脚の動きっていうより、蹴る力を強くするべきなんじゃない? 地面を強く蹴って高く跳ねれば、もっと速く進むだろうし、浮かす脚が一本ずつじゃなくても、跳んだ勢いで体勢が保てるんじゃないかな」

「……そうか。なら、膝をもう少し深く曲げてみるか」

 エイリーンは、指をクイクイと曲げて、木馬の四肢の膝に、局所的に魔力を込めた。
ギギギ、と音を立てて、木馬が膝を折っていく。
続いて、跳ね上がるように指示したのだが、次の瞬間、バキッと乾いた音を立てて、木馬の膝がへし折れた。
支えを失った木馬は、またしてもその場に倒れ込み、ぴくりとも動かなくなった。

 壊しては直し、壊しては直しを繰り返して、膝が折れないギリギリの曲げ加減を覚えて操作すると、木馬はようやく、ピョンピョンと跳ねながら走れるようになった。
だが、跳ねるたび頭はガクガクと左右に揺れているし、地面に足裏を叩きつけるような覚束おぼつかない走り方にも、生物らしからぬ違和感を感じる。
到底、二人を乗せて、無事に葬樹そうじゅの森に辿り着けるとは思えない動きであった。

「やっぱり、骨や肉で出来ている生き物の身体を、木だけで再現するのは難しいのかなぁ? ……そう考えると、木だった我々を自我のある人型にしたグレアフォールは、すごく器用なことをやってのけたんだね。一体どうやったんだろう」

 自身の腕の皮膚や黒髪をまじまじと見つめ、触りながら、セルーシャが呟く。
エイリーンは、ずっこけて動かなくなった木馬を踏みつけ、粉々に破壊した。
そして、散らばった木片に魔力を注ぎ直しながら、淡々と答えた。

「創世期に得た古代樹グレアフォールの誕生と再生の力は、葬樹そうじゅの力と同様、唯一無二の特別なものだ。理屈を理解したところで、真似できるものではない。我らは我らのやり方で、脚を得るしかないだろう」

 次いでエイリーンは、木馬に向けて、古語を唱えた。

「……ほら、混ざれ。形を成し、立ち上がれ。脚は四本、頭と胴は一つ。耳、目、鼻は二つで、口は無し。主、葬樹そうじゅのエイリーン (木下で眠るもの)に従い、ただ走れ。
──なんじの名は、《レクエス》だ……」

 その呼びかけに応じた木片が再集結し、新たに馬の形を形成する。
といっても、見た目は先ほどの木馬とほとんど変わらない。
ただ違うのは、エイリーンが《レクエス》という名前を木馬につけたことであった。

「名前で縛ったの? レクエス (速く走るもの)かぁ……。速度優先でお構いなしに走っちゃいそうだから、さっきよりもうんと頑丈な身体にしないと、またすぐに壊れちゃうね」

 再び近寄ってきたセルーシャが、生まれ変わった木馬──レクエスの四肢を撫でる。
同じように強度を確かめるため、ゲシッゲシッとレクエスの脚を蹴り付けながら、エイリーンは首肯した。

「先程より頑丈にはしたが、まあ、壊れたらまた直せばいい。こちらで考えながら操作すると、どうしても鈍足になることが分かったからな。《速く走れ》という名で縛り、その命令を自立的に守れる人形にした。わたしは身体の強度を保つことに集中したほうが、面倒な操作が減って良いだろう。
──ほら、走れ!」

 命令すると、レクエスはギギッと後肢を縮めた。
そして、走るというよりは、蛙が跳ねるような動きで、ビュンッと茂みに突進していった。
ドシンッ、と大きな音が響いて、茂みや大木の葉が揺れる。
木製の脚で速く走るためには、細々と動かすよりも、跳んだ方が速度が出ると判断した結果だったのだろう。

 近づいて安否を確認すると、レクエスは、ピクピクと前肢を動かしながらも、仰向けになって倒れていた。
どうやら、茂みの先に立つ大木に、思い切り頭突きをかましたらしい。
頭部と後肢が粉々になっている。

「ああ……早速壊れちゃったね」

「こいつ、思いの外 扱いづらいな。走らせるだけで、これほど手間がかかるとは」

「我々は、あまり煩雑な魔術は得意じゃないしね……」

 セルーシャは肩をすくめ、エイリーンは苛立たしげに舌打ちをする。
その後も身体を一層頑丈に作り直したり、走り方の指示を変えたりして、どうにかレクエスが二人を乗せて走れるよう試行錯誤を重ねたが、望む結果は得られなかった。


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