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投稿日:2026年01月06日




 やがて、夜が訪れた。
日中でも薄暗い霧の森は、夜更けになると、夜目が利くエイリーン達ですら手元が見えないほど暗くなる。
一時練習を中断し、レクエスを湖の側に放ると、エイリーンとセルーシャは、木の根元に並んで座り込んだ。

 今日はもう眠ろうと目を閉じたところで、不意に隣で身じろいだセルーシャが、ぽつりと言った。

「……ねえ、エイリーン。ふと思ったんだけどさ。走らせるのが難しいなら、飛ばすのはどうかな? 飛ばした方が速そうだし、空なら障害物も少ないでしょう? 明日、弔いの儀が終わったら、試してみようよ」

 今のところ失敗続きだが、自作の馬で葬樹そうじゅの森に還れる可能性が出てきたことは、嬉しいのかもしれない。
提案してきたセルーシャの声は、心なしか弾んでいるように聞こえる。
薄く目を開いて、しかし、エイリーンは苦言を呈した。

「頑丈にした分、レクエスの身体は重くなった。我々も乗せた状態では、更に重くなる。身の軽い蝶や鳥のように、高く飛ばすことは不可能だろう。下から風で支えたとしても、前方に飛ばせば墜落することが目に見えている」

「でも竜族は、レクエスや我々よりももっと大きな身体で飛んでいるよ?」

「竜族の翼は、それだけ巨大だからな。……まさか、あの規模の翼をつけろと言っているのか? それこそ目立ちすぎて、グレアフォールに裏切りを勘づかれるだろう」

「そうかなぁ? 確かに飛ばすまでは難しそうだけど、もしできたら、山も谷も関係なく葬樹そうじゅの森まで一直線だよ。結構良い案だと思うんだけど……」

 エイリーンの返答に納得できなかったのか、何やらぶつぶつと溢してから、セルーシャは黙り込んだ。
そのまま眠るのかと思いきや、しばらくすると、セルーシャはまた口を開いた。

「じゃあ、角をつけるのはどう? 木にぶつかったり、岩にぶつかったりしても、それを破壊して進み続けられるような、鋭くて硬い大角。これがあれば、レクエスが木や岩に激突して再起不能になることを防げるし、他の精霊や獣がちょっかいかけてきた時の威嚇にも使えると思うんだ」

 エイリーンは、首を横に振った。

「そんなものをつけたら、頭の方に重さが偏って、また転倒するだろう。木製の角では岩を砕くことはできんしな。威嚇も必要ない。障害物や敵に出くわしたら、こちらで破壊すれば良いだけの話だ」

「でもエイリーン、さっきはレクエスを動かすのに手一杯で、その進行方向にある木や岩にまで目を配れていなかったじゃないか」

 むっと眉を寄せると、エイリーンは、わずかに語気を強めた。

「配れていなかったわけではない。レクエス自身が壊したり避けたりできるようになったほうが都合が良いから、手を出さなかっただけだ。明日も改造を加えて、それでも走るしか能がないようなら、わたしが開いた道を進ませることにする」

「だから、その改造で角をつけてみたら? って言ってるんだよ。……あ、なんなら、脚も六本くらいに増やせばいいんじゃないかな。そしたら安定感が増すし、下半身も重くなるから、角を増やしても体重の偏りがなくなるよ」

「いらん。これ以上複雑な造形にしても、操作しづらくなるだけだ。頑丈さを保つための重量は必要だが、速く走らせるなら、身軽にすることも考えなければならない。余計なものを増やそうとするな」

「……余計……」

 やや低めた声で呟いてから、セルーシャは、再び押し黙った。
塗り潰したような暗闇の中で、互いの顔は見えない。
だがエイリーンは、じっとこちらを凝視するセルーシャな視線を感じていた。

 長い沈黙の後に、セルーシャが、静かに尋ねてきた。

「……エイリーン、どうして怒ってるの?」

「……怒る……?」

 不可解なことを問われて、エイリーンは、思わず聞き返した。
エイリーンは、他者の感情を見抜く、セルーシャの目の正確さを知っている。
だが、自分がセルーシャに対して怒りを向けるなんてことは、ありえなかった。

 エイリーンとセルーシャは、悠久の時を共に過ごし、全ての感覚を共有してきた一本の葬樹そうじゅだ。
人型になって、肉体も意思も能力も二つに分かれたが、元は一本の精霊体なのだから、別々の意見や思考を持つことなんてない──はずだ。
そもそも精霊族には、多少の快不快はあれど、人間が見せるような激しい喜怒哀楽の情はない。

 闇の先にあるであろう、セルーシャの目を見つめ返して、エイリーンは答えた。

「……わたしが、お前に怒るわけがないだろう。仮にわたしが怒っているのだとしたら、それは、お前も怒っているということだ」

 髪を揺らして否定する、セルーシャの息遣いが聞こえた。

わたしは怒ってないよ。でも、エイリーンは怒ってる」

「怒っていない」

「怒ってるよ」

「怒って──」

 ──いない、と更に言い返そうとして、エイリーンは口を閉じた。
強い口調でむきになって反論する、その衝動的な言動こそが、怒りの証明になるような気がしてきたからだ。

 エイリーンが黙ると、セルーシャも黙りこんだ。
二人はそうして、何も言わずに睨み合っていたが、不意に吐息をつくと、セルーシャは顔を背け、木の根元に座り直したようであった。

 ややあって、セルーシャの微かな寝息が聞こえ始めた。
セルーシャが眠ったことを悟ると、エイリーンも体勢を変え、木の根に背中を預けた。
胸の底で、ザワザワと葉擦れの音が響いている。
この耳障りな騒々しさから意識を遠ざけるように、エイリーンも、目を瞑ったのであった。



 葉を伝い落ちた朝露が、ポツンと地を打つ。
その小さな音で、エイリーンは目を覚ました。
枝葉をくぐり抜けた陽光が、漂う霧の粒子を照らし出し、淡くぼんやりと輝かせている。
鼻を抜ける湿った空気からは、澄んだ朝の匂いがした。

 緩慢に立ち上がったエイリーンは、木の根元から離れると、湖ですくった水を飲み、喉を潤した。
胸に滑り込んだ冷たさが全身に染み渡ると、微睡んでいた意識が、はっきりしてくる。
そこで違和感に気づき、エイリーンは辺りを見回した。
──昨夜、一緒に眠ったはずのセルーシャの姿が、木の根元にも、湖の周辺にも、どこにもなかったのだ。

「……セルーシャ……?」

 名前を呼んでみたが、答える声はなかった。
波一つ立たない湖面も、まだ眠っているらしい草木も、エイリーンに放置されてからずっと立ち尽くしていたのであろうレクエスも、皆、一様に沈黙を貫いている。
耳障りな騒々しさが、胸の底に蘇ってくるのを感じながら、エイリーンは、レクエスに詰め寄った。

「……おい、セルーシャはどこだ? お前、ずっとここに立っていたなら、セルーシャがどこへ行ったのか知っているだろう」

「…………」

 レクエスは、何の反応も返さなかった。
エイリーンがそのように作ったのだから、当たり前だ。
つると葉で、目と耳を模した器官は作ったが、正直どれくらい見聞きできているのか分からないし、口に関しては、鳴いたらうるさそうだと思って無くした。
自立して走るように魔力を注いだとはいえ、レクエスは、指示をせねば動かない、馬の形をしただけの木人形だ。
木というものが、強い自我や感情を持たず、ただそこに立っているだけの存在であることは、葬樹そうじゅであるエイリーンも、よく分かっているはずであった。

 ──が、頭がカッと熱くなるような感覚を覚えて、エイリーンはレクエスを突き飛ばした。
体勢を崩したレクエスが、地面に倒れ込む。
しかし、命令しなければ、立ち上がることもしない。

 エイリーンは、レクエスには構わず、周辺に漂うあらゆる精霊の魔力を辿った。
目視でも湖畔を見回し、木々の合間も巡って、自分と同じ姿を探した。
だが、やはりセルーシャの気配は感じられない。
朝起きて、片割れが近くにいないなんてことは、生まれて初めてのことであった。

(なぜ……? 一体どこへ行った、セルーシャ……)

 急な耳鳴りに苛まれ、くらりと眩暈めまいがする。
胸の奥でざわめく葉擦れの音が、次第に大きくなっていく。
水脈から唐突に溢れ出した、どす黒い何かに急き立てられるようにして、エイリーンは駆け出した。

「──来い! レクエス!」

 呼ぶと、跳ね起きたレクエスが、ガクガクと横揺れしながら走り寄ってきた。
エイリーンの速度に合わせた走り方をしようと思うと、この横揺れ走りになるらしい。
エイリーンは、レクエスの硬い背中によじ登ると、その首に腕を回して、なんとか振り落とされないようにしがみついた。
それから、指先を古代樹の森の方角へ向け、レクエスに進むよう命令した。
もしかしたらセルーシャは、自分を置いて、先に弔いの儀に出たのかもしれないと思ったからだ。

 ギギッと後肢を曲げたレクエスは、強く地面を蹴って、蛙のように跳ね上がった。
そして案の定、着地先に頭から突っ込んで、思い切り頭部をへこませた。
背から放り出されて転倒したエイリーンは、しかし、すぐさまレスエスの折れた頭部と後肢を修復すると、もう一度その背に乗り込んで、また走るように指示した。
昨夜と同様、跳んでは転び、跳んでは転びを繰り返す。
あまりにも危険で、効率の悪い進み方だったが、跳んだ瞬間には速度が出ている。
自分一人で歩いていくよりは、早く古代樹の森に辿り着けそうであった。

 苔むした木々が、幽然と頭をもたげる霧の森を抜け、陽の光が降り注ぐ古代樹の森へと入る。
最後の上り坂も一跳びと一転びで越え、エイリーンは、いつもなら半日近くかかる道程を、レクエスに乗って瞬く間に駆け抜けた。
その代償に、エイリーンとレクエスは泥まみれになっていたが、今のエイリーンの頭は、消えたセルーシャの行方のことしか考えられていなかった。

 弔いの儀が始まる時間よりも随分早くに到着したので、静寂に包まれた広間には、人型のグレアフォールも、その他の精霊たちも、まだ集まってはいなかった。
探し求めているセルーシャの姿も、そこには無い。
立っているのは、圧倒的な存在感を放つ古代樹と、それに付き従うように並んでいる巨木たちだけだ。

 レクエスから下りると、エイリーンは広間の真ん中に転がり出て、再度セルーシャの名前を呼んだ。
誰も、なんの返事も寄越さなかった。
だが、何度も呼んでいると、風が吹いて、巨木たちがザワザワと枝葉を揺らし始めた。
それは、汚れ切った哀れなエイリーンを嘲笑っているようにも聞こえるし、知らない知らないと、首を横に振っているようにも見える。
普段通りの鬱陶しさだ、取り立てて伝えたいことはないらしい。

 踵を返し、再びレクエスに乗り込むと、エイリーンは来た道を戻った。
霧の森にはいない、古代樹の御前にもいない、となると、他にセルーシャが行きそうな場所は思い浮かばない。
道中ですれ違っていた可能性に賭けるしかなかった。


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