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投稿日:2026年01月06日





 眼下に流れる大河が遠ざかって、やがて糸のように細く、見えなくなっていった。
ごうごうと唸る水音だけが、風音と共に崖間がけあいに木霊している。
セルーシャを探すために森を出て、精霊王グレアフォールの庇護が届かない北東を目指して、早半月ほど。
巨人リオット族が棲まうのだという切り立った山岳地帯に入って、エイリーンとリーヴィアスは、馬一頭がようやく通れるほどの危険な崖道を、ひたすら歩き続けていた。

 下から噴き上がる乾いた風が、バタバタと衣の裾や髪をはためかせる。
ゴーティやレクエスの重みによって崩れた足場の端が、小石となってカラカラと崖下に転落していく。
古代樹の力が及ばない北東部の山々を支配するのは、青々と茂る巨木や草花、生命を育む優しい風などではなく、棘を持つ灌木かんぼくと露出した岩肌、そして来訪者を拒むような鋭く荒々しい風であった。

 崖道が途切れたところで、エイリーンは、つるで作った手綱を引き、レクエスを止めた。
リーヴィアスによって様々な術式を施されたレクエスは、今やエイリーンの脚として立派に機能している。
見た目が木人形である点と、草や水の代わりに大量の魔力を消費する点、命令が継続する限り進み続ける疲れ知らずな点を除けば、普通の生きた馬と変わらないくらいの完成度だ。

 エイリーンが止まったので、後続していたリーヴィアスもゴーティを止めた。
風の強さに目を細めながら、「どうしました?」と声をかけると、エイリーンは、それには答えず、前方にそそり立つ岩山に向かって叫んだ。

「──おい、ガルガナディエ! 聞こえるか、エイリーンだ」

「…………」

 エイリーンの声は、風音にかき消されて、あまり響かなかった。
応えるものもおらず、依然として聞こえるのは、吹きすさぶ唸り声だけだ。
耳を澄ませてから、リーヴィアスはエイリーンに尋ねた。

「……エイリーン。もしかして巨人リオット族って、微精霊なんですか?」

「は? 何を言っている」

 視線だけリーヴィアスに向けて、エイリーンは否定した。

「連中は我ら葬樹そうじゅと同じ、千年近く存続している古い一族だ。微精霊ではない。貴様、以前この辺りの山には来たことがあると言っていただろう。知らなかったのか?」

「まだ西国暮らしだった頃に来たことはあるんですけど……その時は、巨人リオット族には会えなかったんですよ。その名の通りなら大きいはずなのに、いくら探しても姿が見えないから、もしかしたら微精霊なのかな、と……」

 周辺を見回しながら、リーヴィアスが答える。
フンと鼻を鳴らして、エイリーンは前方の岩山を指差した。

「奴らは見かけの割に臆病で、よそ者嫌いだ。特に若い内は、人間ともそう変わらぬ大きさで、ろくに力もないからな。異種族に対してはとりわけ警戒して、姿を見せることが少ないのやもしれん。……が、おさのガルガナディエなら、目の前にいる」

「……え?」

 リーヴィアスが聞き返した時、突然、前方の岩山がズズズと動いた。
その岩肌に自生する低木から、驚いた鳥たちが一斉に飛び立っていく。
崖壁がいへきから切り離された脚のような岩塊が、ズシンッと一歩を踏み出すと、周辺一帯の山々が揺れる。
リーヴィアスは思わず目を疑ったが、岩山は、遠雷にも似た重々しい轟音を立て、ガラガラとつぶてをこぼしながら、確かに動き始めたのであった。

 岩山は、地の底が震えるような軋み音を上げながら、ゆっくりと屈みこみ、巨大な顔をエイリーンの前に出した。
といっても、山頂部分の岩壁が前に突き出されただけなので、それが顔なのかどうかは定かではない。
ただ、なんとなく目鼻らしい窪みや出っ張りがあるように見えるので、おそらく顔だろう。
途切れた崖道の下を見下ろして、動いた岩山全体をよくよく眺めると、身体の部分も、なんとなく四肢を持つ人型に近い形態をしているように見える。
その時になってようやく、リーヴィアスは、この岩山がガルガナディエなのだと思い至った。

 リーヴィアスが愕然としている一方で、エイリーンは、一切動じずに問いかけた。

「……ガルガナディエ、セルーシャがこの辺りに来ていないか。半月ほど前から、行方が分からなくなっているのだが」

 言葉の代わりに、大地が低くうめくような、低い音が響き渡った。
ガルガナディエの頭部の灌木かんぼくがざわざわと揺れ、噴き上げていた風の流れが変わる。

 低い返答が止むと、エイリーンは、心なしか気落ちした様子で返した。

「……そうか、分かった。もし我々が去った後にセルーシャを見かけたら、風詠みを介して伝えろ」

 地の底が震えるような応答が、また一つ響く。
ガルガナディエは、声を上げ終わると、バラバラと砕けた礫を撒き散らしながら、緩慢な動きで背を伸ばして立ち上がった。
そして、崖壁がいへきに腰掛けるようにして定位置に戻り、再び岩山の一部となった。
揺れていた木々が鎮まり、やがて、飛び交っていた鳥たちが巣に帰ってくる。

 全てが元通りになってから、リーヴィアスはわずかに声をひそめて、エイリーンに尋ねた。

「さっきの……セルーシャのことは見てない、って言ってたんですか?」

 エイリーンは、淡々と答えた。

「なんと言っていたのかは分からん。こちらの言葉が、正しく伝わったのかも分からん。ただ。普段通りの様子だったから、『特に変わったことは起こっていない』ということだろう。つまり、セルーシャはここには来ていない」

 ぱちぱちと目を瞬かせてから、リーヴィアスは、感心したように息をついた。

「へえ……人語を介さない精霊族同士の会話は、なんというか、雰囲気で乗り切る感じなんですね」

巨人リオット族はとりわけ口下手だ。というより、口周りも岩でできているが故に、細かい動きが取れんのだ。我らは元来、多くの一族が、音として出す独自の言葉を持たない。こうして貴様と話しているのは、我々が人間に合わせてやっているからだ」

「言われてみると確かに、精霊族の皆さんは、元の姿では口や目を持たないですもんね。グレアフォール王に従わず、人型を得ていない者は、そもそもあまり話せないのか……」

 顎をさすりながら、リーヴィアスは興味深げに呟いた。
普段、彼が森で関わっている精霊族は、人前では人型を取って人語を話す、グレアフォールに従属する一族出身者ばかりだ。
昔は諸国を旅していたとは言っているが、精霊族は基本的に争いを好まないので、異種族が現れた際には警戒して身を隠すし、微精霊などはその場にいたとしても目に見えない。
古代樹の力が及ばない領域で、こうして精霊族同士のやりとりを見るのは、リーヴィアスも初めてのようだった。

 狭い崖道から落ちぬよう、慎重にレクエスの向きを変えると、エイリーンは来た道を示した。

「……セルーシャがこの山にいないのであれば、次は東に向かうぞ。一度麓まで戻る」

「次は竜族を探しに行くんですね。分かりました」

 思索の世界から戻ってきて頷くと、リーヴィアスは、同じくゴーティの向きを変えて、辿ってきた崖道を戻り始めた。

 といっても、竜族はそうそう姿を見せない希少種なので、どこに行けば会えるのか、全く見当がついていなかった。
彼らが現れる時には、必ずと言って良いほど大規模な火災や水害が起こり、周辺の町や村が大騒ぎになるので、聞き込みをすれば噂くらいは入手できるだろう。
被災地でなくとも、巨大な二枚の翼を羽ばたかせ、鱗に覆われた身体を躍動させて飛翔する姿は、通り過ぎていくだけで非常によく目立つので、どこでも話題にはなりやすい。
しかし、見つけられたところで、遙か上空を飛ばれていては声をかけられないし、追いつくこともできない。
生態も謎に包まれているので、そもそも意思疎通が可能なのかどうかも不明だ。
そんな竜族を、歩くのが苦手なセルーシャが、一人で探し回っているとは正直思えない。
だが、リーヴィアスは、それを口に出してエイリーンを止めることもしなかった。

 表面上は落ち着きを取り戻しているようにも見えるが、セルーシャがいなくなってからのエイリーンは、全く冷静ではない。
リーヴィアスが制止したところで、セルーシャが行ったと考えられる場所、その可能性を全て潰さない限り、エイリーンは止まらないだろう。
見つかる望みが薄いか否かに拘らず、今のエイリーンは立ち止まっていられない、とにかく探さずにはいられない心理状態だ。
その姿は、例えるならば、見えなくなった母親をあてもなく闇雲に探し回る、無垢で不安定な幼子のようであった。

──エイリーンとセルーシャ、双方が監視できない領域外に出ることは、リーヴィアスにとっても、グレアフォールにとっても問題である。

 崖の底から噴き上がった、強烈な山の息吹に苛まれながら、二人と二頭は、黙々と崖道を下っていったのであった。


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