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投稿日:2026年01月06日







 精霊と獣人と人間、それに従う獣たちと木人形──三種族がかいした奇妙な一行は、東の山岳地帯を目指して、長い長い山道を辿っていった。

 時に雨風にさらされながら、険しい道のりを十日ほどかけて進み続ける、過酷の旅路であった。
だが、それだけの時間、苦楽を共にしても、エイリーンとガロウたちはいがみ合ってばかりであった。
出会った初日に、獣臭に発狂したエイリーンが指先から放った魔術により、ガロウの頭部に直線状のハゲができてしまったことも影響しているのだろう。
ちょっとしたことで言い争いになる二人を、リーヴィアスがなだめて収め、しかし、その数刻後にはまた別のきっかけで口論が始まる。
エイリーンもガロウも、互いに利用価値がある内は殺すまい、と考えられるくらいの理性はあるらしく、死闘にまで発展しないのは幸いであったが、一方で、口喧嘩とはなかなか決着がつかないものだ。
毎日毎日、飽きもせずひたすらにけなし合っている。
そういう日々が五日も続けば、二人は一周回って気が合う者同士なのかもしれない、などと傍観できる余裕が、リーヴィアスにもできていた。

 そんな両者が、一切口を利かなくなったのは、セルーシャ探しの旅に人狼族たちが加わって、七日目のことであった。
まず、目的地である東の山々が見え始めたあたりで、ガロウたちの口数が減り始めた。
馬など比ではない体力を備えた、頑健な人狼族たちだ。
疲弊して黙り込んでいるわけではない。
彼らに話す余裕がなくなり始めたのは、風に乗って流れてくる、馴染みのない悪臭が原因であった。

 ずっと先頭を歩いていたガロウの足取りが、次第に重くなっていき、最終的には、リーヴィアスとゴーティの後ろをヨタヨタと歩くようになった。
彼に追従する狼たちも、クンクンと鳴きながらしきりに鼻を掻き、えずいている。
全く影響を受けていないのはレクエスくらいなもので、特別に嗅覚が優れているわけではないリーヴィアスとエイリーンも、山麓に着く頃には、その悪臭のせいで頭痛を催していた。
それは、例えば腐敗臭や糞尿臭、この世に存在するありとあらゆる悪臭を混ぜたと表現しても過言ではない、胃液が迫り上がってくるような強烈な臭いであった。

 見渡す限り茂っていた木々の密度が、徐々に下がり始めた。
青々としていた葉は黄色く、溶けたようにしおれ始め、太く伸びていた幹枝は、病人の四肢のように痩せて細くなっていく。
リーヴィアスの記憶にある、数年前に見た豊かな東の山々の景色とは、全く程遠い惨状だ。
一行は、既に麻痺し始めた鼻を覆い、吐き気を堪えながら、腐った落ち葉の上を進むしかなかった。

 やがて、目につくのが朽ちた倒木ばかりになり、視界が開けた。
落ち葉すら見当たらなくなった森道の先に広がっていたのは、一切の緑がない、おぞましい光景であった。

 足元には、もはや原型の分からない、溶けた草花の腐乱死体が積み重なっている。
森を腐らせている原因は、おそらく悪臭の発生源でもある、暗紫色のヘドロだ。
ヘドロは、至るところに溜まって小さな沼を作っており、時折粘性のある泡をぷくりと浮かべては、パチンと破裂させている。
まだかろうじて生きて立っている木々もあったが、葉は落ち、樹皮にはこぶが無数に生じ、抜けかかった根が地面から露出しているような有様であった。

「……山の中腹あたりまで、どこもこんな状況だ。ヘドロ連中が通った後には、このくせえドロドロが落ちていて、これに触れると動物も植物も腐っちまうんだ。俺たちの仲間も、ドロドロに呑まれて死んじまった」

 鼻呼吸を止めて、ガロウが唸った。
その背後に控える狼たちは、耳を伏せ、尾を垂らして、悄然しょうぜんとガロウの説明を聞いている。
怒りは湧いているが、この強烈な悪臭のせいで、その怒りを露わにする元気はないといった様子であった。

 腐った木にたかる小バエを手で払いながら、リーヴィアスは辺りを見回した。

「確かに、これはひどいですね……。肝心の沼畔ニヴェル族はどこにいるんでしょう。エイリーン、分かりますか?」

「…………」

 エイリーンは返事をせず、鼻を袖で覆ったまま、レクエスから下りて草花の死骸の上を歩いて行った。
それから、ふと立ち止まり、倒れかかっている大木に触れた。
袖から伸びた細い腕が、紫白色の樹根に変わり、枝分かれして、大木に巻きついていく。
樹根は大木をバキバキと粉砕し、覆い隠して取り込むと、再びエイリーンの腕の形に戻った。

「あ、あれは何をやっているんだ……?」

 気味悪く思ったらしいガロウが、リーヴィアスの身長に合わせて身を屈め、ぼそぼそと問いかけてくる。
エイリーンに視線を据えたまま、リーヴィアスも小声で答えた。

「多分、死にかけた木を食べてるんじゃないですかね。葬樹そうじゅ屍肉食しにくしょくの樹なので」

「枯れた木も屍肉に入るのか……? 葬樹そうじゅも木なのだから、あれじゃあ共喰いしているようなものだろう」

「共喰い、というか……取り込んでるっていう表現の方が近いのかな。まだ葬樹そうじゅの森があった頃には、寿命が近いものなら何でも、それこそ精霊であっても、寄ってきたものは全て取り込んで糧にしていたようですよ」

「はあ……ヘドロ連中を悪食だの何だのと言っていたが、あいつも大概だな。精霊族の暮らしは、俺には理解できん」

 それはきっとそれぞれの種族がお互いに思っていることだ、という反論は飲み込んで、リーヴィアスは苦笑だけを返した。
そんなやりとりをしている間にも、エイリーンは次々と、周囲の木々や草花を樹根で絡め取っていく。
既に腐りきっているものに関しては取り込まずに、強制的に微精霊を殺して枯らしているようだ。
エイリーンが通った後には、葉先から根元まで枯死した植物たちの死骸が、燃え尽きた灰のように散らばっていた。

 一層荒涼とし始めた視界の端で、不意に、何かが動いた。
一同がそちらを見やると、遠くに見える朽木の影で、泥のようなものがうごめいていた。
見た目は足元に溜まっているドロドロと同じ、形は定かではない。
だが、時折膨らんだり、萎んだり、伸び縮みしたりしながら、ゆっくりと移動している。

 ハッと瞠目したガロウが、その汚泥を指差し、大声で叫んだ。

「──そいつだッ! そいつが群れを襲ったヘドロ野郎だ‼︎」

 悪臭ですっかり大人しくなっていた狼たちが、一斉に駆け出していき、激しく吠えながらヘドロを取り囲んでいく。
ヘドロ──沼畔ニヴェル族は、その吠え声に萎縮したように、ブルブルと表面を震わせながら縮こまった。
それから突然、そびえ立つ崖壁の如く、広く伸び上がった。
地面に散っていたドロドロも吸収しながら、沼畔ニヴェル族はどんどん大きく、高くなっていき、天を覆い隠して影を作っていく。
このまま地上に覆い被さってきて、全員を呑み込むつもりなのかもしれない。

 リーヴィアスはゴーティから下り、キャンキャンと逃げ帰ってきた狼たちを守るように結界を張ってから、エイリーンの方に振り返った。

「エイリーン! どうすれば良いですか⁉︎ これ、下手したら巨人リオット族より大きいんじゃあ──」

「──散々喰って膨張しているだけだ。本体は大した大きさじゃない。片っ端から燃やして、小さくなるよう消耗させろ。追い出すにせよ、この大きさで移動されては通った森が全て腐る」

 言いながら、エイリーンが指先を振ると、広範囲の朽木が見る間に灰化した。
地中を巡っていた根も枯れ、地面が揺れ、沼畔ニヴェル族の足場が沈下する。
直後、リーヴィアスの杖先から火球が放たれたのと、ガロウが担ぎ上げた大岩を投げつけたのは、ほとんど同時であった。

 命中した火球と大岩が、広がった沼畔ニヴェル族に穴を開ける。
巨大なヘドロの壁は、じゅうじゅうと蒸気を上げ、熱さと痛みに喘ぐようにうねり、そして──爆散した。

「うわぁ……っ!」

 濁ったヘドロが、雨のように降り注いでくる。
咄嗟にリーヴィアスが、結界を傘のように拡大させたお陰で、直接ヘドロを浴びることはなかったが、それだけでは、新たに撒き散らされた悪臭までは防げない。
鼻だけではなく、目にまで沁みてくるような強烈な悪臭に苛まれて、一同はウッと呼吸を詰まらせた。

「……っ、役立たずども! 誰が貫けと言った⁉︎ 小さくなるように消耗させろということは、端から燃やせという意味だ!」

「す、すみませんエイリーン。まさかこんな風に飛散するとは……」

「分裂して動けるんなら、最初にそう言っヴェエエ……ッ」

 ガロウを含む狼たちは、もう立っている余裕すらないらしく、喘鳴しながらうずくまっている。
一方の沼畔ニヴェル族は、攻撃を受けたことで、エイリーンの存在に気づいたのだろう。
飛び散ったヘドロたちは、まるで蛇に遭遇した鼠のような素早さで、腐った葉の下や朽木の隙間に入り込んでいく。

 チッと舌打ちをして、エイリーンは、唯一平然としているレクエスに命令した。

「──おい木偶でくの坊! 突っ立っていないで追え! 散らばった沼畔ニヴェル族を囲い込んで、もう一度一つになるよう誘導しろ!」

 慌てて駆け出したレクエスが、逃げ惑う沼畔ニヴェル族たちを、一ヶ所に集めようと走り回る。
リーヴィアスに術式を施され、更にこの長旅を経たことで、レクエスは、呼ばずとも寄ってきたり、自分で判断して危険な道は避けたりと、かなり自発的に行動できるようになっていた。
だが、見慣れない場面に出くわした時には、やはりエイリーンの命令なしには動けない。
良くも悪くも所詮は木人形で、ゴーティのように感情を持つこともないのだから、レクエスの思考力はこれくらいが限界なのだろう。

 朽木を小さな檻のように変形させ、手近にいたヘドロの塊を捕らえると、エイリーンはその檻を裸足で踏みつけた。

「手間をかけさせおって汚泥おでい共が。貴様ら、一体何をどれだけ喰ってここまで増殖した? まさかセルーシャを呑み込んではおらんだろうな……!」

 大気が振動するほどの凶悪な魔力を放ちながら、足裏で朽木の檻をガタガタと揺らす。
言葉の意味は理解できずとも、エイリーンに本能的な恐怖は感じているらしい。
ヘドロの塊は、なんとか檻から抜け出そうと、身体の形を変えて大暴れしている。
稀に見るくらい巨大化して、ヘドロの身体のみならず態度まで大きくなっているのかと思ったが、葬樹そうじゅに対するこの反応を見る限り、身の程は弁えているようだ。
仮にセルーシャがこの地を訪れていたとしても、沼畔ニヴェル族がその身に近付いて、吞み込んだ可能性は低いだろう。

 エイリーンは、檻ごとヘドロを枯らすと、沼畔ニヴェル族の一部を強制的に殺した。
次いで、視線をあげ、逃げ回っているヘドロたちを見やった。
とても目では追いきれない数が地を這っており、レクエスの速さでも、全てを追い立てて集めることは難しそうだ。


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