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投稿日:2026年01月06日
深緑だった葉々が、黄や朱に染まり、吹き抜けていく風は、日に日に冷たく乾いていく。
沼畔族たちの残り香はすでに遠くなり、山々は澄んだ初秋の匂いに包まれている。
ガロウら人狼族の協力を得て、更に一月近くが経った。
エイリーンたちは北東部に留まり、セルーシャおよび竜族の捜索を再開させていたが、依然としてその痕跡は見つかっていなかった。
短気な人狼族たちは、進展のない退屈な日々に、苛立ちを募らせている様子であった。
群れの中では、棲家を奪った奴との約束など守る必要はない、という憤りの声が上がっていたし、そもそも精霊族に手を貸す義理はないだろう、と事態を疑問視する声も上がっていた。
ガロウが直接、リーヴィアスに不満をこぼしに来ることもあった。
それでも彼らが、付き合い切れないと言ってすぐに約束を放棄しなかったのは、あのエイリーンが、セルーシャ探しに関しては、誰よりも必死になっているように見えたからだろう。
エイリーンは、口を開けばやれ人と獣は無能だの、もっと真剣に探せだのと、変わらぬ尊大な態度で周りを雑に扱っていた。
しかし、ふとした時に見る横顔には、なんとも言えぬ寂しさや、悲壮感が漂っているように見えた。
精霊族は感情が薄いと聞くし、あるいは、リーヴィアスやガロウが、その華奢な後ろ姿に勝手にそういう印象を抱いていただけだったのかもしれない。
ただ、エイリーンがセルーシャに対し、一切揺るがない執着を見せていることは確かであったし、その執着ぶりには、なんとなく放っておけない危うさを感じるのであった。
金にきらめく繊細な木漏れ日が、揺れる枝葉を透かして、頭上に降り注いでくる。
今日も朝から山道を歩き通して、ゴーティや狼たちは疲労を見せ始めている。
一行がカサカサと落ち葉を踏む、乾いた音だけが続く中で、不意に、馬上のリーヴィアスに向けて、ガロウが小声で囁いた。
「……なあ、リーヴィアスよ」
「なんです?」
「セルーシャとやらは、本当にこの辺りにいるのか? 北部から南下してきて、もう南東にかかるぜ? 俺たち、見当違いな場所を歩き回ってるんじゃねえの」
「…………」
リーヴィアスは、レクエスに乗ってずっと先を歩いている、エイリーンの小さな後ろ姿を見つめた。
レクエスの鞍には、木の籠がくくりつけられている。
そこに閉じ込められているらしい導き蝶も、ガロウの鼻も、この一月の間で一度も反応していない。
捜索範囲を見直すべきではないか、というガロウの意見は、尤もであった。
うーん、と肩をすくめて、リーヴィアスは苦笑いした。
「……正直私も、こんな山岳地帯にはいないんじゃないかなぁ、と思ってたんですよね。エイリーンもそうですけど、セルーシャは、古代樹の森へのほんの数刻の山道すら歩くのを嫌がっていた精霊ですから。こんな山中に留まるかなぁ? って」
「はあ? 思ってたんなら、なんでそう言わねぇんだよ」
「エイリーンが、古代樹の森の周辺にいないんだったら、竜族か巨人を訪ねたんだろうって言い張るもので。他に手掛かりもありませんでしたし……」
ガロウは、うんざりしたように嘆息した。
「つったってよぉ、俺らが加わってもう一月、お前なんて二月近く同行してるんだろう? 寿命も気も長ーい精霊族様の捜索ごっこにいつまでも付き合ってやるほど、俺たちは暇じゃねえ。お前だってそうだろう」
「……それはそうなんですけどね……」
リーヴィアスは曖昧な笑みを浮かべて、返答を濁した。
もう一度嘆息して、ガロウは、リーヴィアスを咎めるように睨んでやった。
リーヴィアスは昔から、悠長に振る舞っているように見えても、頭の中ではあらゆる思索を巡らせている男だ。
それ故に、きっと今回も何か考えがあるのだろうと、沼畔族を追い払ってくれた礼も兼ねて、強くは反抗せずに従ってきた。
しかし、この先もずっと同じ調子で無駄骨を折り続けられるかと問われれば、ガロウの答えは否だ。
ガロウとて、己の身は自分一人のものではない。
優先すべきは、人狼族の現族長として、存続している群れを守り導くことだ。
そんなガロウの想いを、リーヴィアスも理解してはいるのだろう。
しばし考え込んだ末に、リーヴィアスは、エイリーンに向かって声をかけた。
「……エイリーン、この辺りで少し休憩しませんか?」
疲れた疲れていないの問答の末に、一行は岩陰の窪地を見つけて、そこに荷を下ろした。
こうして集まって休む時、いつもゴーティと狼たちは、お互いを警戒して落ち着かなさそうにしていたが、最近ではすっかりそれぞれの匂いに慣れたらしい。
ガロウの命令で、狼たちがゴーティを襲うこともないし、今や両者とも同じ空間で気にせず休んでいる。
また、基本無感情なレクエスの存在が、良い緩衝材にもなっていたのだろう。
ゴーティと狼たちの間には、よくレクエスが置物のように居座っていた。
焚き火を囲んで座り、手持ちの肉や干した果物などを食べて昼食を終えると、不意にリーヴィアスが切り出した。
「──セルーシャが失踪して、かれこれ二月近く経ちます。この辺りで一度、状況を整理しましょう」
言いながら、背嚢から引っ張り出した地図を、エイリーンにも見えるように地面に広げる。
エイリーンは、こちらを一瞥しただけで黙っていたが、リーヴィアスは構わず続けた。
「まず私達は、古代樹の森から出発して、西部にある我々人間が住む集落へと行きました。そこから北上し、巨人族を訪ね、竜族の痕跡発見を期待して沼畔族を追い払い、やや南東に下って、現在はこの辺りの東部地方の山間にいます。つまり、古代樹を中心に、半径千ガロ近い範囲はおおよそ捜索してきた、ということになります。……といっても、集落より西の地域は都市部で、精霊族が踏み込める森がない、という理由からほとんど探していません。古代樹以南の領域に関しても、樹の精霊たちの『森に異変はない』という証言だけを聞いて、セルーシャはいないと判断しているに過ぎません。
この状況を踏まえた上で、今後どうするか……私が考えている案は、現状二つです」
地図上の該当地域をなぞってから、リーヴィアスは、指を二本立てて見せた。
「一つ目は、もう一度古代樹の森に戻って、同じ千ガロ圏内を再捜索すること。一度探した場所を巡り直すわけですから、徒労に終わる可能性も高いですが、今はガロウたちが加わってくれているので、私たちが出発した時よりも正確かつ効率的に探せるでしょう。可能ならば、グレアフォール王に事情を説明して、風詠みたちの力を借りるのも良いですね。西部地方も、古都サルバランの辺りには手出しできませんが、それ以外の地域であれば、私も協力してくれそうな領主に何人か心当たりがあります。
二つ目は、セルーシャがもっと遠くへ行っている、と仮定して、捜索範囲を広げることです。正直、今の人手だけで更に広い範囲を探し続けるのは無理がありますし、この先に行くとなると、我々を敵視する精霊族や獣人族の領域に入ることになります。きっとこれまで以上に厳しい道程になるでしょう。それでも、他にセルーシャが行ったと考えられる場所があるというなら、その地域に限定して探した方が、同じ千ガロ圏内を闇雲に探し回るより見つかる可能性は高いと言えるかもしれません。……エイリーン、どうしますか?」
「…………」
エイリーンは、導き蝶の入った籠を膝上で抱え、尚も沈黙していた。
今度こそセルーシャは見つかるはずだ、と自分にもリーヴィアスたちにも言い聞かせて北東部を巡ってきたのに、結局一切の足跡を掴めていないので、少なからず気落ちしているのかもしれない。
何も答えないエイリーンを見て、ガロウが苛立たしげに口を挟んだ。
「言っておくが、俺たちも無期限で付き合ってやる気はねえぞ。まだ協力しろってんなら、限度はあと一月だ。それから、見つかるはずだっつう思い込みで歩き回るんじゃなくて、確実にセルーシャとやらが行ってそうな場所を考えて、もっと捜索範囲を絞れ。鼻が利くっつっても、時間が経てば経つほど匂いは薄れて、俺たちが辿れる範囲も狭くなっていくんだからな」
「…………」
「……お前らの故郷、葬樹の森? だったか。セルーシャがそこに一人で帰った、って可能性はないのか? お前ら、元々そこに帰りたかったんだろう」
「…………」
ガロウの咎めるような物言いが、癪に障ったのだろう。
エイリーンは、橙黄色の目を細めて、ガロウをギロリと睨んだ。
しかし、いつものように魔力で脅すような真似はせず、身構えたガロウと対峙した末に、静かに首を振った。
「……ありえん。葬樹の森があったのは、ここから更に北、いくつも山を超えた先にある雪深い荒地だ。セルーシャがその長い道のりを、一人で歩き切るつもりで北上していったとは考えられない」
「そんなの、断言はできねえだろう。現に、同種でチビのお前がこうして旅に出ているんだ。セルーシャだって、走る木の馬を作ったのかもしれんし、人間の馬乗りを捕まえて、北部に送るよう脅しているのかもしれん」
腕組みをして、ガロウが鼻息混じりに反論する。
エイリーンは珍しく、それでも攻撃に転じなかったが、頑なな態度を変えることもしなかった。
「……セルーシャは、そんな回りくどい真似はせん。仮に何かしらの移動手段を得ていたのだとしても、自らの意思で、我を置いて一人で還ることなんぞしない」
「本当にそうかぁ? セルーシャが失踪する直前、お前ら喧嘩したんだよな。もうお前の顔なんて見たくねえ! ってくらいに腹を立てて、一人で帰っちまった可能性もあるだろ」
「ない。そもそも我らは、喧嘩などしておらん。少し意見が食い違っただけだ。人型になって、思考にわずかな差が出たのだとしても、我とセルーシャが離れて存在することはありえない。……そのはずなのに姿が見当たらぬから、こうして思い当たる場所を探しに来てはいるが……本来であれば、我を置いて霧の森から消えたこと自体が、全く考えられぬことだ。ましてや、腹を立てて追いつけぬほど遠くへ行ってしまった、などということは絶対にない。セルーシャが意思に反して遠くへ拐かされた、という可能性であれば考えられるが、そのような無茶を通せる者もそう多くはあるまい。よって、こちらの見落としを疑い、捜索は古代樹の森周辺からやり直す」
「…………」
リーヴィアスとガロウは、互いに目を見合わせてから、やれやれと肩をすくめた。
『セルーシャが自らの意思で自分の元から離れるなんてありえない、だからそう遠くへは行っていないはずだ』という理屈は、もはやエイリーンの常套句と化していた。
リーヴィアスがセルーシャの行方に心当たりはないのか、と尋ねた時も、ガロウがセルーシャは本当に北東部にいるのか、と疑った時も、エイリーンは毎度同じように返答している。
確かに、エイリーンとセルーシャは、他種族から見ても分かるほどに、深い絆で結ばれた間柄だ。
けれど、現にセルーシャは二月も行方不明なわけだし、思い当たる場所にもいなかった以上、盲目的な信頼や理屈を唱えているばかりでは、事態は解決しないだろう。
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