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投稿日:2026年01月06日





 そんなエイリーンの疑心を、読み取ったのだろうか。
不意に、こそこそと隣まで近づいてきたガロウが、小声で問いかけてきた。

「……なあ、お前、リーヴィアスのことどう思う?」

「…………」

 エイリーンは、怪訝そうに瞳孔を細めて、ガロウを睨んだ。
ガロウも、少し気まずげな様子で、こちらを見つめている。
一月も一緒にいるが、ガロウがリーヴィアスを介さずに話しかけてきたのは、これが初めてかもしれない。
今までは、目が合うや互いに罵詈雑言を浴びせていたので、落ち着いて言葉を交わす機会はほとんどなかったのだ。

「……どう、とは?」

 エイリーンが威圧的に聞き返すと、ガロウは、もごもごと口ごもりながら尋ね直した。

「だから……リーヴィアスはなんつうか、色々特別だろ? 不可侵だった古代樹の森に入り込んで、精霊王と手を組み、人間の言葉を異種族に広め、俺たち人狼族とも不戦の協定を結んだ。長く生きてきたお前ら精霊族でも、やっぱリーヴィアスは変わった人間に見えるのか、って聞いてんだよ」

「…………」

 しばし沈黙した後に、エイリーンは冷ややかに答えた。

「グレアフォールが森に迎え入れた最初の人間、という意味では、確かに特殊な存在と言えるのだろう。……が、じきに死ぬ。これまでにも、突拍子もないことを言い出して世を変えようとする人間はいたが、皆、数十年の内に死んで無になった。今後、三種族の隔絶と大陸の移動が実現して、本当に世が変わるのだとすれば、それはリーヴィアスというよりもグレアフォールの力だ。人間は人間である以上、一人では、この世にとっての特別な何かにはなり得ない」

「い、いや、まあ……生きる年数を引き合いに出されたちまうと、リーヴィアスも俺たちも、お前らにとっちゃ、あっという間に死ぬちっぽけな存在ってことになるんだろうが……」

 ガロウは、エイリーンというよりは、自身に言い聞かせるように呟いた。

「それでも、長らく傍観を決め込んでいた精霊王を動かしたのは、リーヴィアスなわけだろ? 魔力が少なかろうが、短命だろうが、三種族隔絶のきっかけになっていることは事実だ。きっかけになる奴ってのは、大業を実行する奴と同じくらい、重要な存在だと言えるんじゃねえかな……」

 ガロウの発言の意図が分からず、エイリーンは、苛立たしげに舌打ちをした。

「仮にそうだとして、だからなんだ? 何が言いたい? 精霊族は人間よりも劣っている、とでも言えば満足か?」

「そういう話をしてるんじゃねえって!」

 言いたいことが上手く伝わらず、自分でもじれったくなったのだろう。
ガロウは、ぐしゃぐしゃと後頭部の毛を掻き乱し、大きく嘆息してから、言葉を一新した。

「そうじゃなくて……現状に躊躇いや葛藤はないのか、ってことを聞きてぇんだよ。お前さっき、セルーシャが葬樹そうじゅの森の復活を望んだから、グレアフォールに従ったって言っただろ。ってことは、本意ではねぇが、セルーシャのために、グレアフォールとリーヴィアスの計画に乗ってやってる、っつうことだよな?」

「それがどうした」

「……俺も同じだ。人狼族の存続のために、リーヴィアスとつるんでる。だが、本当にこれで良いのか、最近分からなくなってきてな……」

「…………」

 ガロウは、更に声の調子を落として、吐息をつくように言った。

「俺は正直、人間は好きじゃねえ。奴らは狡猾で、残忍で、俺の父母を殺した時も、必要以上に死体をいたぶって高笑いしていやがった。小さかった俺を捕まえて、鎖で繋いで、まだ栄えていた古都サルバランで売っ払った時も、下卑た目で俺や他の生きた売り物を品定めしていた。……が、人間だからって、そういう奴ばっかりじゃねえってことも、俺は分かってる。商人に噛みついて脱走して、道端で倒れ込んでいた俺を助けてくれたのも、人間のリーヴィアスだったからな」

「…………」

 エイリーンは返事をしなかったが、ガロウは構わず続けた。

「そん時は、リーヴィアスもまだガキだった。ガキっつっても、王子の一人だったから、俺を捕まえた商人連中を含む大勢の人間を、一言で黙らせることができる立場のガキだった。
リーヴィアスは、自分が住んでいるでっかい屋敷の一室に俺を匿って、毎日しきりに何かを話しかけてきた。今思えば、『どこから来たのか』とか、『何を食べるのか』とか聞いてきてたんだろうが、当時の俺は、人間の文化も言葉も一切知らなかったから、あいつが何を言っているのか全く理解できなかった。……だから俺は、人間の言葉を覚えてみようと思ったんだ。人狼族にも言葉はあるが、人間ほど表現の種類が多くない。俺はただ、命を救ってくれたリーヴィアスに、礼を言いたかった」

「…………」

「屋敷に滞在して、いくつかの言葉を覚えた俺は、思い立って、リーヴィアスに『助けてくれてありがとう』と言った。それから、元は太陽が昇るヴォル・グルの山に棲んでいたが、仲間の多くを人間に殺されて捕まったことや、人間共のメシも悪かないが俺はやっぱり肉が好きなことなんかを伝えた。そしたらリーヴィアスは、嬉しいのか、悲しいのか、よく分からん顔で笑って、『こんな風に異種族間でも言葉が通じれば、避けられる争いもあるんだろうね』と返してきた。俺も、その通りだと思った。人間でも精霊族でも、何を言っているのかが分かれば、そいつがこちらに敵意を持った殺すべき相手なのか、そうでない相手なのかが判別できる」

「…………」

 エイリーンは黙ったまま、リーヴィアスに視線を戻した。
ガロウは、少し離れた場所で魔法陣の光に目を細めている、人狼たちを見やった。


「一年近く人間の都に滞在して、身体を回復させた俺は、リーヴィアスに見送られ、やっと故郷の山に帰ることができた。といっても、生まれた群れはもう滅んでいる。しばらく一頭で放浪して、東の森で出会った別の人狼族の群れに、俺ははぐれ者として加わることになった。
……リーヴィアスと再会したのは、それから十年以上が経った頃だ。ある日、東の森に、古都サルバランを陥落させて精霊王と不戦協定を結んだ、と噂の人間が訪ねてきた。銀色の髪をした人間だと聞いて、まさかと思い、顔を見に行ったら、そいつがリーヴィアスだった。俺はもう人間の言葉などすっかり忘れていたが、他の人狼たちよりは意思疎通が図れるだろうということで、リーヴィアスと話をすることになった。長い時間をかけ、昔覚えた言葉を思い出し、新しいことも教えてもらいながら、なんとかリーヴィアスの目的を聞き取った。あいつの主張は、こうだった。『三種族を物理的に隔絶させ、未来永劫 争わないようにするために、精霊王グレアフォールと協力して大陸を分断する。獣人族には東の大陸に移り住んでもらおうと考えているが、故郷を離れることに抵抗を感じる者もいるだろうし、移動陣で送れる数にも限りがある。だから、新大陸に渡る種を選別して後に統率する、獣人族の王となる一族を決めたい。王は、協定と大陸の分断に賛同し、異種族とも会話ができるよう、人間の言葉を話せる者でなければならない。王には、以後の同種族間の争いも制圧できる絶対的な強さを──特別な魔術と魔力を与えることも考えている。その王の候補の一種に、人狼族が挙がっている』。
……単純に、すげえなと思った。本当にこれが実現して、種族間のいさかいがない世界へと変わるなら、俺たち獣人族も賛同するべきだと思った。
俺がリーヴィアスの話を当時の族長に伝えると、族長も頷いた。かつては全土に繁栄していた獣人族も、魔力を持たないという点で精霊族には劣るし、軍事技術を発展させた人間たちにも、もう敵わない。こんなこと、一族の尊厳を考えれば口に出したくはねえが、異種族と共存している限り、俺たちに再びの栄華はありえないという思いが、族長にもあったんだろう」

 大きく息を吸い、ガロウは声を低くした。

「人狼族以外では、鳥人族や猫人びょうじん族、鼠人そじん族なんかも候補に挙がっていると聞いた。……新大陸で王族となれるのは、一族のみ。俺は、すぐさま群れの連中に人間の言葉を──人語じんごを教え広めた。
そんな折、族長が老いて死に、次の長には俺が選ばれた。俺は人狼族の中で、特別に力が強いわけでも、脚が速いわけでもない元はぐれ者だったが、人語を誰よりも流暢に喋れた。この時には既に、群れの中で優秀とされるか否かの価値基準が、肉体的な強さや血筋、年齢なんかよりも、いかに異種族と意思疎通できるかどうかに変化していたんだ」

 つかの間沈黙してから、ガロウは表情を歪めた。

「……最初は、俺も嬉しかった。族長として群れを任されることは誉高いことだし、後に獣人族の王として絶対的な力を手に入れられれば、人狼族の仲間たちに、より安全な暮らしを約束できる。俺は、リーヴィアスに感謝して、人語の普及に一層注力した。なかなかうまく話せるようにならない者もいるが、それでも、他の獣人族に比べれば、人狼族の言語能力は抜きん出ているはずだ。リーヴィアスも、そうだと言ってくれていた。
……だが、もはや人狼族のように鳴くことはできず、人語しか話せなくなった俺の子を見て、ふと、本当にこれで良いのか? と思った。巧みに話すガキ共の姿に、努力が報われたという満足感を感じるのと同時に、なんつうか……獣人らしさが奪われてたような、虚しさみたいなものも感じた。その虚しさは、リーヴィアスに『言葉の次は、二足で歩く練習をしたらどうか。今後は獣人たちも前足を手として使い、道具を操り、力の弱い者も強い者も対等に生きていけば良い』と言われた時に、一層深まった。リーヴィアスはただ、俺たちが平和で進んだ暮らしを送れるように、助言してくれているだけだ。頭ではそう理解しているが……そのために、まるで人間のようになれ、と言われているようで、心から賛同できなくなった。リーヴィアスの言葉を聞いていると、従来の獣人族の在り方を否定されているような、今までの俺たちを殺されて内から侵されているような、そういう気分になるんだ」

「…………」

 ガロウは、己の考えを振り払うように、首を振った。

「かといって、もう後戻りができないことは分かっている。リーヴィアスの言っていることが、無用な争いの回避に必要な正論なのだと言うことも、理解はしている。今更人語の習得を拒否して、新大陸に渡らず、言葉の通じん沼畔ニヴェル族みたいな連中と残っても、人狼族は絶えるだけだからな。
在り方を否定されようと、未来の人狼族が爪も牙も失って人間のようになろうと、実際に殺されて一族の血が潰えるよりはマシだ。他の種は知らんが、俺は何よりも、仲間の命を存続させることを優先したいと思っている。だから、今もリーヴィアスに従っているが……どうにも、躊躇いが拭いきれない……」

「…………」

 ガロウが口を閉じると、リーヴィアスの放った黒煙の矢が行き交う、鋭い風切り音が大きくなったような気がした。
長い銀髪が、魔法陣の光の上で、黒い風を纏って翻っている。
エイリーンは、しばらく無言でその様を眺めていたが、やがて、面倒臭そうに嘆息すると、ようやくガロウの問いに答えた。

「……グレアフォールやリーヴィアスの主張が正しいか否かなど、わたしにとってはどうでも良いことだ。グレアフォールには、我々にない葬樹そうじゅの森を再生させる力があり、セルーシャがそれを望んだ。一方で我々には、グレアフォールにない死骸を喰って糧とする力がある。互いに互いの力を必要とする状況であったから、その貸し借りに応じた。一方的に従わざるを得なかったわけではなく、これは両者に決定権のある対等な取引なのだから、躊躇いなどあるものか。
……勘違いをするなよ。我々は、貴様らのような噛み裂くしか能がない、弱々しい獣風情とは違うのだ」

「……お、お前なぁ……」

 思わず唸って、拳を震わせたガロウに、エイリーンは指先を突きつけた。

「種差はあれど、わたしの知る限り、獣人族というものは低脳な集団だ。愚直で、単純で、くだらん意地や誇りを捨てられず、無謀に突っ走って死ぬ阿呆が多い。貴様の執着する『獣人らしさ』が、そういう性質のことを指すならば、それは種を殺す原因でしかない。その上で、変化を受け入れて存続するか、拒絶して遠からず滅びるか、この二択で貴様は前者を選ぼうとしている。それだけのことだろう」

「…………」

 勢いで言い返そうとしたが、結局反論が思い浮かばず、ガロウは押し黙った。
セルーシャのために、グレアフォールとの意に沿わない取引に応じた葬樹そうじゅの森の王エイリーンと、群れのために葛藤を抱えながらも、リーヴィアスに従っている人狼族の長ガロウ。
もしかしたら自分たちは、存外似た境遇の者同士なのかもしれない、と思って打ち明けてみたのに、エイリーンは、そんなガロウの心情を一応理解しながら、「聞いても仕方がない話をするな」とたしなめてきた。
なんと性根の悪い、血も涙もない精霊なのだろうか。
躊躇いなどない、と言った言葉が嘘か本当かは分からないが、やはりエイリーンは、腹を割るべき相手ではなかったようだ。

 その時だった。
突然、遠くへ散っていたはずの無数の黒煙の矢が、枝葉の合間を縫って帰ってきたかと思うと、それらが再び球状に集まって、パッと霧散した。
同時に、鈍い光を放ち続けていた魔法陣も停止し、薄くなって消える。
辺りの空気に、元の静けさが戻ると、リーヴィアスは、ふっと目を開いた。

「──見つけました、導き蝶ユリ・ファルア

 短く呟いて、地面に放置していた地図を慌ただしく拾い上げる。
会話を切り上げ、身を起こしたエイリーンとガロウも、リーヴィアスの元へと急ぎ駆け寄った。

「どこだ? どこにいる? 今すぐそこへ向かうぞ」

 焦りを抑えるような口調で矢継ぎ早に言って、エイリーンが地図を覗き込もうとする。
リーヴィアスは、全員に地図が見えるように屈むと、紙面のある一点を指差した。

導き蝶ユリ・ファルア自体は、大陸中に広く散っていました。……が、最も多く集まっていたのは、ここです」

 リーヴィアスが示した場所を見て、エイリーンは息を呑み、ガロウは「は⁉︎」と大声を上げた。

「おいおい嘘だろ? 本当かよリーヴィアス。本当なのだとしたら、エイリーン、お前……こんだけ駆けずり回って、そもそも『失踪してませんでした』は冗談きついぜ?」

 苦言を呈したガロウと、エイリーンの間に割って入り、リーヴィアスはどうどうと両手を動かした。

「早合点しないでください、ガロウ。まだここにセルーシャがいるとは断定できません。特徴的な場所なので、魔術の結果に間違いはないと思いますが、私が辿ったのは、あくまで『エイリーンの魔力を帯びた導き蝶ユリ・ファルア』の集まりです。入れ違いでセルーシャが先に戻っていた、という可能性も考えられますし……」

「…………」

 そんな二人のやりとりなど耳に入っていない様子で、エイリーンは唖然としていた。
正直なところ、リーヴィアスの出した結果を疑いたい気持ちが強かった。
彼が指し示したそこは、この旅路の出発点であり、最初にセルーシャを見失った場所──。
古代樹の森と人間たちの住む平地の境にある、霧の森だったのだ。


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