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投稿日:2026年01月06日





  *   *   *


 それから、更に五年の年月が経った。

 獣人族の新王、キプトルによって選ばれた複数の獣人たちは、無事に東の大陸へと渡り切った。
一族の象徴であった翼も爪牙そうがも捨て、新たな獣人族の在り方を確立した彼らは、グレアフォールによって大地が分断され、獣人の国ミストリアが独立するその時を待っているという。

 ほどなくして、次は人間たちが西の大陸へと移動した。
元より人語を話す彼らの選別基準は、リーヴィアスの掲げる理想、すなわち三種族の隔絶と不戦協定に賛同できるか否かだ。
集落で暮らしていた者たちをはじめ、リーヴィアスが新たに立てた国王の統治下に入った者は、老若男女問わず、長い旅路の末に人間の国サーフェリアを築いた。
一方で、リーヴィアスによって陥落した古都サルバランの住民たち──旧シェイルハート王政の残存勢力とその支持者は、新大陸には渡れない非国民として取り残された。

 同時期に、選別で選ばれなかった人間と獣人族の間で、大規模な戦が起こった。
統治者不在となり、無法地帯と化した中央の旧大陸で、自らも新天地へと渡ろうとした非選別者たちが、必要な食糧資源などを巡って争い始めたのだ。
しかし、グレアフォールとリーヴィアスは、まるでこの争いを予見していたかのように、迅速に介入した。
見放された者たちの戦いは、グレアフォールの圧倒的な魔力とリーヴィアスの策の前に、呆気なく収束した。
奪い合いに乗じなかった者たちもいたが、捨てられた土地で、残りかすのような資源で食い繋いで暮らす彼らの未来に待つのは、緩やかな滅びのみだろう。
これは、選別という名の淘汰である。
選ばれなかったことで荒廃した旧大陸は、血生臭い静寂と不気味な虚無の空気に覆われていた。

 そのような状況でも、戦火の及ばない古代樹の森では、来たる大陸分断に備えて、弔いの儀が繰り返されていた。
弔うのは、力を失った精霊たちに加えて、一部の非選別者たちだ。
外界での人間と獣人族の栄枯盛衰を耳にしながら、エイリーンとセルーシャは、変化の生じない精霊たちの聖域に粛々と通い続けた。
──否、この五年で変化したこともあった。
ガロウたちが殺された獣人族の新王選別の日以来、エイリーンが再び儀への参加を渋るようになり、その拒絶の姿勢は、日に日に頑なになっていったのだ。

 それが、グレアフォールに従属することに対する嫌悪感からくるものなのか、リーヴィアスへの不信感からくるものなのか、それとも別に理由があるのか、セルーシャには分からなかった。
聞いても、エイリーンは明確なことを答えなかったし、また言い合いになっては、それこそ二人で取引を遂行することができなくなると思ったので、セルーシャも深くは追及しなかった。

 やはり儀への協力はやめよう、とエイリーンが言い出したのが、もう少し早ければ、あるいはセルーシャも、二人だけで葬樹そうじゅの森へ帰る方法を再び模索しようという気になっただろう。
だが、既に三十年近くグレアフォールに力を貸してきて、葬樹そうじゅの森の復活という大願はもうすぐ叶う、というところまで来ている。
たかが三十年だが、ようやく葬樹そうじゅの森に戻れると思うと、たった一日でも長く感じられる。
セルーシャとしても、今更になってグレアフォールとの取引を破棄するのは、いくらエイリーンの望みでも簡単には了承できなかった。

 エイリーンの非協力的な態度は、最後の弔いの儀が行われる日になっても、相変わらずであった。
あと一回だけ、一日だけ古代樹の森に行けば、エイリーンとセルーシャは、グレアフォールとの約定を果たしたことになる。
明日には、人語を獲得してグレアフォールに選ばれた精霊たちが、南方にある現在地──古代樹の森周辺で精霊族の国ツインテルグを興す。
その後ついに、大地が裂かれ、リーヴィアスの移動陣により陸地が離され、各種族が築いた国が個々に独立することになる。
そして、エイリーンとセルーシャは、北地のある葬樹そうじゅの森に帰ることができるのだ。



 夜明け前の霧の森、濃霧に濡れる大木の根元で、セルーシャは目を覚ました。
隣でまだ眠っているエイリーンとは、最終の弔いの儀に出るか否かで、前夜に言い合いになったばかりだ。
エイリーンを起こさないよう、そっと身を起こすと、セルーシャは大木の根元から離れた。
そして、エイリーンがセルーシャの行方に気づけるよう、踏みしめた下草を枯らしながら、古代樹の御座みざへ向けて歩き出した。

 二十五年前に起きた失踪騒動の後、しばらくは気を張って、夜でもセルーシャの気配が離れないように感覚を尖らせていたエイリーンだが、最近はやっと深く眠るようになってきた。
起きてセルーシャがいないとなれば、例の如く大騒ぎするだろうが、行き先さえ明示していれば、以前のようにすれ違うことはないはずだ。
追ってきたエイリーンが、古代樹の元に辿り着くのは、グレアフォールが葬樹そうじゅの森復活の確約と、帰還の許可を出してくれている頃だといい。
──そう、エイリーンがやりたくないというなら、自分がグレアフォールとの最後の約束を果たせば良いのだ。

 登り道に出た時、不意に、背後でガサガサと音が聞こえた。
振り向くと、湖畔で休んでいたはずのレクエスが、おぼつかない足取りで立ち上がって、じっとこちらを見ていた。
しーっと人差し指を唇に当て、ひらひらと手を振ると、セルーシャは、森道を登って行ったのであった。

 まだ木々たちも寝静まっている森中を抜け、セルーシャが古代樹の御前にたどり着いたのは、ちょうど夜が明ける頃であった。
いつも弔いの儀を行なっている夕刻より、かなり早い時分に到着したが、そこには既に、グレアフォールと従ずる精霊たち、そしてリーヴィアスの姿もあった。

 セルーシャが古代樹の間に入ってくると、グレアフォールと何かを話していたらしいリーヴィアスが、驚いたようにこちらを見て、しわがれた声をかけてきた。

「セルーシャ……どうしたんですか。今日は随分と早いですね」

 一度見開かれた銀色の目が優しく細められ、目尻に刻まれたしわが、一層深くなる。
この五年間で、リーヴィアスは更に老いた。
衣の下の四肢は枯れ枝のように細くなり、背は曲がり、特徴的な銀髪は、完全に色味を失った。
おそらく、病にでもかかったのだろう。
その身体からは、セルーシャにだけ視える死相が出ている。

 広間の中央まで歩み出てから、セルーシャは答えた。

「最近のエイリーンは、腰が重いからね。昨夜も、今日の儀と選別には参加しないって言い張って、説得していたら朝になってしまいそうな調子だったんだ。だから、もう連れてくるのは諦めて、エイリーンが眠っている隙にわたしだけ来たよ。……最後の弔いの儀は、わたしがやる」

「…………」

 リーヴィアスは、少し躊躇ったように口ごもってから、グレアフォールをちらりと見た。
グレアフォールは、変わらぬ無表情で、じっとこちらを見下ろしている。
何か問題があるのだろうか、と首を傾げたセルーシャに、古代樹の精霊の一人が応じた。

「最後の儀と選別は、片割れだけでは成立しない。エイリーンもこの場に連れて来るのだ」

「どうして? エイリーンほど強力ではないけど、わたしにも葬樹そうじゅの力はあるよ」

「ならぬ。これはグレアフォール様のご命令である」

「だから、なぜ? どうしてもって言うならエイリーンを説得してくるけど、説得するのにも理由は必要だよ」

 セルーシャの問いに、精霊は、何の躊躇も逡巡もなく答えた。

「──今回の儀で選別され、弔われるのは、他でもないエイリーンだからだ」

「…………」

 セルーシャは、ゆっくりと目を見開いて、そのまま硬直した。
一瞬、言われたことが理解できず、反応を返すことができなかった。

 しばらく沈黙した後、「え……?」と聞き返すと、セルーシャはグレアフォールとリーヴィアスの方に視線を戻した。

「……どういうこと? 精霊族で選別淘汰されるのは、人語が話せない古い精霊一族か、力の弱い一部の微精霊だけなんだよね?」

 長杖を握り込んで、リーヴィアスは答えた。

「……正確には、人語を話せないほど自我が薄いものや、力の弱いもの、今後の世にさほど影響力を持たないであろう精霊一族が、選別淘汰の対象となります。知っての通り、彼らには、葬樹そうじゅの力に頼った弔いの儀を通じて、古代樹に魔力を還元してもらっています。逆に、世界の継続に必要な力を持つ精霊一族には、これからも実体を保って、グレアフォール王と共に万物の維持に従事して頂きます。……短命な人間や獣人族とは別離し、大陸が完全に分断されれば、古代樹の下に残るのは、半永久的な命を持つ選ばれた精霊一族だけになります。つまり、この南国ツインテルグは、明確な死が存在しない場所になります。……死骸を糧とする貴方たち葬樹そうじゅの一族は、今後の世には不要……ということです」

「…………」

 昇り切った朝日が、枝葉の隙間から燦々さんさんと差し込む。
木々のざわめきと共に響いている、耳鳴りのようなリーヴィアスの声を聞きながら、セルーシャは黙り込んでいた。



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