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投稿日:2026年01月06日
ふと脳裏に蘇ったのは、二十五年前にリーヴィアスが尋ねてきた質問だった。
──もしもリーヴィアスが、エイリーンかセルーシャ、どちらか片方を殺してしまったら、残された方はどうするのか──という問い。
確かあの時、セルーシャは、リーヴィアスはきっと微精霊化のことを人間の感覚で死と表現しているのだろうと思い、それは無意味な問いであると返した。
エイリーンも、人間が何をほざいているのかと、不愉快そうに「やれるものならやってみろ」と返していた。
だが、グレアフォールも関わった状況となれば、話は別だ。
創世の時代から存在する古代樹の主、精霊王グレアフォールの決定は、運命であり、自然の摂理であり、世の理である。
グレアフォールが消滅せよと命令するなら、それを拒める精霊はいない。
力を根こそぎ奪われた上での消滅は、力を取り戻せば再び実体を得られる微精霊化とは異なる、精霊族にとっての本当の死だ。
たかが人間一人がエイリーンを消滅に追い込むことは不可能だが、グレアフォールならば可能なのだ。
古代樹の御座を見上げると、セルーシャは、微かに声を低めた。
「……グレアフォール……我々が弔いの儀に協力したら、葬樹の森を復活させるって言ったよね。リーヴィアスが移動陣っていう魔術を使えるから、帰還にも手を貸してくれるって言ったよね。……約束を破るの……?」
穏やかだった風が逆巻き、セルーシャの足元の下草が枯れていく。
その身体から禍々しい魔力が立ち昇り、周囲の精霊たちが、警戒したように身構える。
橙黄色に光るセルーシャの瞳を見下ろしながら、グレアフォールは口を開いた。
「葬樹の森は、復活させる。エイリーンを弔い、その魔力を古代樹に還元したならば、そなたは葬樹の森に帰るが良い。葬樹の森には、そなたの他にも不要とされた者たちを送っている。そなたは、それらを喰らい、力を蓄えるのだ。
我々は永遠の命を持つが、完全な不死ではない。ツインテルグに残る選ばれた精霊種が、何らかの外部要因により弱ることがあれば、それをまたツインテルグから葬樹の森に送る。その死骸を喰った魔力を、そなたが再び古代樹に還元することで、消滅した精霊に代わる新たな精霊種を実体化させる魔力が供給される。この循環を守ることで、万物の維持と、世界の流転は保たれる」
決定事項を読み上げているような、揺らぎがない口調であった。
実際にグレアフォールの口から聞かされると、これから迎える葬樹の末路が、回避しようのない現実として目前に迫ってくる。
身にまとった魔力をゆっくり収めていくと、セルーシャはうつむいた。
──グレアフォールがそう言うなら、従うしかない。
逆らったとて敵うわけがないのだから、別に『どうもしない』。
そう諦観した一方で、単なるリーヴィアスの戯言だったら良かったのに、と一瞬考えた自分の思考が、なんだか奇妙で信じられなかった。
「……いつかまた葬樹の力が必要になる可能性があるなら、消滅までさせなくていいのに。我もエイリーンも、一緒に微精霊化されるだけなら構わないよ。元々、自我を持たされて実体化されることは、別に望んでいなかったし……」
「必要になる可能性があるから、片方のみ微精霊として残す。二人はいらぬ」
セルーシャの呟きに、端的に返してから、グレアフォールはリーヴィアスを一瞥した。
「リーヴィアスは、じきに死ぬ。あと数十年だけでも生きるならば、弔いの儀を更に続け、完全淘汰する精霊種の生命力だけで、大地の分断に必要な魔力を賄うこともできただろう。しかし、リーヴィアスはそこまで生きられぬし、リーヴィアスの子は、その力の半分も受け継いでおらぬ。……時間がないのだ。故に、今すぐ必要分の魔力を補填できる大精霊の中で、最も不要になる葬樹の片割れを、弔って古代樹に還すことに決めた」
「…………」
セルーシャは、リーヴィアスを見つめた。
リーヴィアスは、唇を結び、こちらを見まいとするように目を伏せている。
その周りには相変わらず、老体に似合わぬ強い怒りの色が浮かんでいた。
彼はずっと、何に怒っているのだろうか。
長年の計画が結実することに愉悦するでも、安堵するでもない。
己の死期が近いことを、嘆き哀しんでいるわけでもない。
最終的に葬樹の片割れを殺すことは、おそらく二十五年前に出会った頃から計画されていた。
それはきっと、リーヴィアスの策略に必要な過程の一つで、今、その宿願が成し遂げられようとしているのに、一体何が不満だと言うのか。
長いこと黙り込んでから、不意に吐息をつくと、セルーシャは呟いた。
「……そう。……まあ、グレアフォールが決めたなら、仕方がないね」
それから、言葉の真意が読み取りづらい、平坦な声で続ける。
「でも、それってエイリーンじゃなきゃ駄目? 我々葬樹は、二人で一本の大樹だ。だから、片方だけ消滅して、片方だけ微精霊として残されるくらいなら、二人一緒に消し去られる方が良いんだけど……もし絶対に片方だけって言うなら、エイリーンじゃなくて、我を殺してほしい」
その時、初めてグレアフォールの表情が動いた。
古代樹の精霊たちも、同時に眉をしかめる。
セルーシャの問いに答えたのは、リーヴィアスであった。
「セルーシャ、貴方を消滅させれば、きっとエイリーンは冷静さを失うでしょう。取引通りに貴方の遺体を弔ってくれるとは思えませんし、私達に敵意を向けてくる可能性も高い。二十五年前、私は実際に、エイリーンのそういう姿を見ました。少しの魔力も惜しい状況で、今エイリーンに暴れられると困るんですよ」
セルーシャは、くすりと口端を上げた。
「……確かに、それはそうかもしれないね。だけど、葬樹の力を残したいと思うなら、やっぱりエイリーンを残した方が良いよ」
「…………」
リーヴィアスは、どう返答するか迷った。
セルーシャは、感情論でエイリーンの方を残してくれと言っているのか、それとも、理由のある理性論として語っているのか。
前者ならば耳を貸したくないのだが、常に調子が一定なセルーシャの声音からは、いまいち真意が読み取れない。
セルーシャは、凪いだ湖面のような、澄ました表情で言い募った。
「先ほども言ったけれど、葬樹としての力が強いのはエイリーンの方だ。我は、混ざり合った時に力をもらっただけ。我らは元々、寄生樹と宿主の関係で、葬樹の力は、寄生樹であるエイリーン由来なんだよ」
「……どういうことですか?」
「二人で一本の葬樹だけど、一人で一本に変わるなら、その一人はエイリーンであるべきだ、ってこと。要は、我々の根源がどちらにあるのか、って話だよ」
「……根源……?」
怪訝そうなリーヴィアスに、セルーシャは吐息を返した。
「……まあ、人間には、なかなか理解が及ばないだろうね。これは、リーヴィアスなんて影も形も生まれていない、千年以上も前の出来事だ。風詠みの目すら届かない北地で起こったことだから、グレアフォールもきっと知らないし、昔のことすぎて、エイリーン本人ですら覚えていないだろう」
その瞬間、リーヴィアスがハッと顔を上げた。
セルーシャのどの言葉がきっかけだったのか、銀色の瞳が動揺して揺れている。
ようやくこちらを見たリーヴィアスに、セルーシャは語りかけた。
「……我は元々、北地で生まれた晶樹の種だった。常に寒いところだったけど、我が芽を出した年は特に寒くて、積もった雪がなかなか溶けなかった。気づいたら我は、冷たい氷の中に閉じ込められていて、それ以上には成長できなくなっていたんだ」
遠い昔を懐かしむように、セルーシャは目を細めた。
「きっと自分は、このまま凍りついて、微精霊としてすら留まれず、消滅するのだろうと思っていた。でも、ある時、氷の上に見慣れない寄生樹の種が転がってきた。風か何かで飛ばされて、こんな極地に流れついてしまったんだろう。運が悪い精霊だな、と思った。同時に、あの種をこちらに呼ばなきゃ、とも思った。だって、寄生樹の精霊は本来、寄生できるものが多い暖かい地域に根付くから、こんな寒い極地では生きられない。そして我も、このままでは生きていけない。我々は、互いに助け合って生き永らえる……そういう種になるんだって、本能的に分かったんだ」
「…………」
リーヴィアスは、震える喉で息を吸った。
そして、まるで知っている物語の結末を語るように、呟いた。
「……その寄生樹が、エイリーンだったんですね。貴方たちは、一つになる定めだった」
「うん」
セルーシャは、深く頷いた。
「エイリーンは、氷を割って根を伸ばし、死にかけていた我を取り込んだ。こうして我々は混ざり合って、成長して、広げた葉を天に向けた。寒いのは相変わらずだったけど、氷の中から出ると、やっと日の光を感じられた。
エイリーンは、死骸を養分にして成長する寄生樹だった。その力が顕著に残ったおかげで、一本に生まれ変わった葬樹は、その後も迷い込んできた死骸を糧に生き伸びることができた。我が今ここにいるのも、根を張れる土壌がない極地で森を作ることができたのも、全てエイリーンのおかげだ。葬樹の森の創造主は──その力の根源となっているのは、我ではなくエイリーンなんだよ。だから、残すならエイリーンを残すべきだと思う。……お願い」
「…………」
セルーシャが語り終えると、辺りはつかの間、水を打ったように静まり返った。
葉擦れの音だけが、遠くからさわさわと響いてくる。
リーヴィアスは長らく、虚ろな顔つきでセルーシャを眺めていたが、やがて目を閉じ、開いた目に光を戻すと、手にしていた長杖の先を傾けた。
「……分かりました。……では、セルーシャ、貴方の力を、古代樹に還すことにします……」
目を細めたグレアフォールが、「良いのか」とリーヴィアスの横顔を見る。
リーヴィアスは、「ええ」と硬い声で言って頷いた。
少しの沈黙の後、セルーシャに視線を戻すと、グレアフォールは言った。
「……どちらにせよ、そなたの力を取り込むのに、エイリーンは必要だ。今すぐこの場に連れてこい」
セルーシャに代わって、リーヴィアスが答えた。
「エイリーンは、呼ばずともじきに来るでしょう。目が覚めて、隣にセルーシャがいないと気づけば、慌てて古代樹の御座に駆けつけてきます」
セルーシャは、わずかに目を見開いてから、ふわりと表情を緩めた。
「……多分、夕刻頃に来るよ。本人に自覚があるのかは分からないけど、エイリーンはさっきも言った通り、元々暖かい土地の種だからね。寒い場所や、霧深くて暗い場所にいると、眠る時間が長くなるみたい。いつも日が昇るまでは眠ってるんだ。だから、たどり着くのは夕刻頃。……ああ、レクエスに乗ってくるなら、もう少し早く到着するかもしれないけど」
リーヴィアスは、微笑もうとして唇を歪めた。
「だったら、急がなければなりませんね……。私たちがセルーシャを消滅させようとしている現場に居合わせたら、エイリーンはきっと、全力で止めてくるでしょうから」
それから、リーヴィアスは、傾けた杖先に魔力を込めた。
「感謝します、セルーシャ。貴方が礎となることを受け入れてくれたおかげで、世界の未来が拓かれる。──その魂は、きっと光差す天上の国へと導かれ、安らかな眠りを得ることになるでしょう」
セルーシャは、目を丸くしてから、フッと吹き出した。
「それって、前に言ってた『天国』ってやつ? ……リーヴィアスは、年をとっても変な作り話が好きだね。人間はどうか知らないけれど、精霊族にそんな創作を聞かせても無意味だよ。葬樹の糧になる死骸の末路は、我自身がよく知っている。微精霊としてすら残らない弱った精霊は、無になるんだ。……ねえ、グレアフォール」
唇で弧を描いたセルーシャが、グレアフォールに問いかける。
グレアフォールは、すっと掌を上げて周囲の精霊たちに指示を出すと、淡々と返した。
「そうだ。精霊族に限らず、力を失ったものは、やがて朽ちて無になる。……今回、そなたが還るのは、葬樹ではなく古代樹だがな」
鋭い刃のような枝先を持ち上げて、周囲の木々が、セルーシャに狙いを定める。
リーヴィアスの杖先に宿った魔力が、熱をまとって発光する。
また無断でいなくなってしまったから、エイリーンは怒るだろうな、と考えながら、セルーシャはゆっくりと瞑目したのであった。
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