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投稿日:2026年01月06日





 密に生える下草を踏み、古代樹の樹根に押し潰されているエイリーンの前まで来ると、グレアフォールは立ち止まった。

「エイリーン、抗うのはやめよ。片割れを弔い、その力を古代樹に返したら、そなたは再び北地で眠りにつくのだ」

 精霊族であれば、絶対に逆らうことは許されない王命。
別の内容であったならば、釈然としない思いはありつつも、従う他ないと諦められたかもしれない。
だが、セルーシャを葬って消し去り、自分だけが残る選択は取れなかった。
葬樹そうじゅ葬樹そうじゅでなくなる運命は、どうしても受け入れられないのだ。

 抵抗しようにも、古代樹の樹根は枯らしたそばから再生してしまって、全く振りほどけない。
きつく縛り上げられて、身体が軋んでいく感覚を味わいながら、エイリーンは、血反吐を吐くような声を絞り出した。

「消滅させるならば、わたしの実体も壊せ……! わたしとセルーシャ、どちらか一方が失われることは、絶対にあってはならない……」

 グレアフォールは、瑠璃色の目を細めた。

「それはできぬ。葬樹そうじゅの力は、後々不要となることが望ましいが、永遠の命ある世界が実現しなかった場合には、貴重なものでもある。故に、片割れは残すと決めた。この世が真に完成するまで、そなたは実体を保って生きなければならない……」

 言いながら、グレアフォールは、木杖をエイリーンの目前に突きつけた。
そして、平坦な低い声で、今度は何やらブツブツと詠唱し始めた。
エイリーンの下に、巨大な魔法陣が展開する。
魔法陣から発せられた光が、エイリーンの身に染み込んでいく。
魔力はグレアフォールのものだが、精霊族は魔法陣や詠唱といった術式を用いないので、この魔術の考案者はきっとリーヴィアスだろう。
どういった影響をもたらす魔術なのかは分からないが、詠唱の文言から察するに、おそらく『召喚術』というやつだろうと予測がついた。

 やがて詠唱を終え、魔法陣が消えると、グレアフォールはもう一度言った。

「そなたの力で、セルーシャを弔え。今すぐ、この場でだ」

「…………」

 エイリーンは、傍で崩れかけている、セルーシャの生気のない顔を見た。
古代樹の樹根に潰されて、その身体は一層崩れ、ほとんど木屑きくずと化している。

 エイリーンが何も答えずにいると、グレアフォールが、長い指先をふっと動かした。
すると、腕に絡みついた古代樹の樹根が動き、エイリーンの意思に反して、その葬樹そうじゅの樹根をセルーシャに向けさせた。

「弔え」

 単調ながら、威圧感のあるグレアフォールの声が、身体を操ってくる。
エイリーンは腕を人型に戻し、必死に手を下ろそうとしたが、古代樹の樹根はびくともしない。
灰白の肌が裂けるほどの力で腕を引いても、その指先は、グレアフォールによってじりじりとセルーシャに近づけられていく。

 抵抗をやめようとしないエイリーンを見下ろして、グレアフォールは、更に目を細めた。

「何故そこまで拒絶する? 葬樹そうじゅの一族は、今までも多くの者達を葬ってきたであろう」

 食い縛った歯の隙間から、エイリーンは掠れ声を押し出した。

「セルーシャは、我が同胞だ……。我々は、共に生きて、共に死ななければならない……!」

「そのような性質は、葬樹そうじゅにはない。妙な思い込みはやめよ。執着を捨てよ。わたしに背こうなどという、叶わないことを願っても、全て無駄になる」

「……っ」

 古代樹の樹根の締め付けが極限まで強まり、乾いた音を立てて、エイリーンの腕がへし折れた。
力の入らなくなった手が、樹根に操られるまま、セルーシャの頭部を掴む。
触れたところから、セルーシャの肌が変色し、じわじわと枯れ始めた。
みるみる崩れていく顔面を見ながら、これ以上は抗っても無駄なのだろう──という思いが、エイリーンの中にふと浮かんだ。
セルーシャだって、グレアフォールには抵抗するだけ無駄だと思ったから、消滅の運命を受け入れたのだろう。

 グレアフォールは、創世の時代から万物の誕生を見守ってきた、最も長命な精霊族の王だ。
並みの精霊ならば、反抗心を抱こうという考えすら浮かばない、強大すぎる存在だ。
その王を相手に、自分は愚かで、無謀で、無意味なことをしているという自覚はあった。
しかし、それでも、従おうという気にはならなかった。
身の内で燃え滾っている熱が、諦観も合理性も焼き尽くしてしまったのだ。

 セルーシャから手を退けたい──けれど、思うように動かない。
その身悶えするようなもどかしさが、目の奥にまで迫り上がってきて、目頭が熱くなった。
生まれて初めて、涙が流れた。
その涙に気づいたグレアフォールは、不意に瞠目すると、ぴたりと古代樹の樹根の動きを止めた。

「何故泣いている。同胞の死を悼んでいるのか」

「…………」

 エイリーンは、無言でグレアフォールを睨み殺した。
その涙は、古代樹の精霊たちが形だけ流す涙とは、全く違った。
怒りや悲しみ、悔しさや憎しみに表情を歪ませた、感情のこもった泣き方である。

 グレアフォールは、不意に瞳を揺らして、沈黙した。
そのまましばらく、何かを考え込んでいる様子であったが、ふとセルーシャを指差すと、唐突に尋ねてきた。

「そなた、セルーシャを喰らった後、その肢体を蘇らせることはできるか?」

「……は……?」

 突拍子もない問いに、エイリーンが困惑を見せる。
グレアフォールは、リーヴィアスのほうを一瞥いちべつして、続けた。

わたしは、再生の力を持つが、完全に力を失って消滅した精霊や、死した人間や獣人を蘇らせることはできない。だがリーヴィアスは、その短い生の中で、一度死んだ息子を蘇生させる魔術を完成させた。おそらく、人間が子に強く執着する種だからこそ成せた術だ。過去に消滅した大精霊たちに、同じ術を施そうとしても、わたしには出来なかった。……セルーシャに執着するそなたなら、蘇生の術を完成させることが可能か? エイリーン」

「…………」

 エイリーンは、うまく回らない頭で、グレアフォールの言葉の意味を考えながら、再び傍で崩れかかっているセルーシャを見やった。
微精霊化に留まらず、完全に消滅した精霊を蘇らせることなんて、できるはずがない。
枯れかけた植物に水を与えること、死にかけた生物を治療して回復させることはできても、完全に枯れ果てた、もしくは死んで腐敗した生物を生き返らせることはできない。
それは、何人なんびとも覆しようのない、世のことわりであり絶対の摂理である。

 リーヴィアスが蘇生の魔術を完成させたなどという話も、初めて聞いた。
蘇らせたというのは、息子のミランのことだろうか。
確かに普通の人間とは違う、導き蝶ユリ・ファルアに魅入られた奇妙な子供であったので、『非理』の『死人返り』なのではないか、なんて与太話をセルーシャともしたが──。

 浅く呼吸しながら、エイリーンは、グレアフォールを見上げた。
自分の手で弔ったセルーシャを、再度蘇らせる方法など見当もつかない。
だが、できると言えば、この状況を打開できるだろうか。
古代樹の樹根による拘束さえ解かれれば、セルーシャの身体の一部を持って、どこかへ逃げられるかもしれない。
セルーシャは、実体を壊されてはいるが、今ならまだ微精霊化に留まれる段階だ。
微精霊化であれば、時間はかかるだろうが、力を取り戻すことでまた実体を得られるはずだし、それが無理でも、最悪エイリーンが微精霊化すれば、もう一度一緒になれる。
共に微精霊化すれば、記憶も自我も失うことになるだろうが、それでも、引き離されている状態よりはずっといい。

 エイリーンのこの後の行動を未来視しようとしているのか、グレアフォールは、じっとこちらを凝視している。
乾き切った唇を開いて、エイリーンは、辿々しく答えた。

「そのような魔術は、聞いたことがない。できるのかどうか、やってみなければ、わからん……」

「……そうか。では、やってみるがいい」

 グレアフォールは、魔力を込めた指先を、ゆっくりと下ろした。
思いがけず古代樹の樹根の拘束が解かれ、エイリーンの身体が解放される。
更に、へし折れたエイリーンの四肢を再生させると、グレアフォールは、やってみろ、という風に視線でセルーシャを示した。

 エイリーンは、おずおずとセルーシャの方に手を伸ばした。
──ひとまず、解放されることには成功した。
残る問題は、このまま弱ったセルーシャに触れれば、強制的に力を吸い取って枯らしてしまうだろう、ということと、そもそも退避する隙がグレアフォールに生まれるのか、ということだ。

 何かグレアフォールの気を逸らせるものはないか、と必死に考えている間にも、伸ばした手は、セルーシャに近づいていく。
未だかつて感じたことのない緊張感が、指先を震わせる。
ついに、崩れかけたセルーシャの頬に、エイリーンの掌が触れかけた時。
古代樹の根元の方から、不意にしわがれた声が響いてきた。

「──待ってください、グレアフォール」

 声の主は、リーヴィアスであった。
よろよろと立ち上がり、脇腹を抑えながらグレアフォールの元に歩いてくると、リーヴィアスは言った。

「蘇生の魔術は、大きな代償を伴うものであると説明したはずです。そう易々と試験感覚で行っていいものではありません」

 グレアフォールは、リーヴィアスの方に振り返った。

「易々とではない。わたしは、お前が死ぬ前に、人間に近い才覚を持つ長命の精霊族を見出さねばならない。その可能性を作り出すために、葬樹そうじゅの実体にはお前の血を混ぜたのだ」

 グレアフォールの意識が、一瞬、リーヴィアスに逸れる。
その隙に気づきながらも、エイリーンは、思わずその会話内容に聞き入ってしまっていた。

 ──その時だった。
突然、草地を蹴る不規則な足音が近づいてきたかと思うと、エイリーンの背を、何かが勢いよく突き上げた。
驚いて浮いた身体が、グンッと押し上げられ、硬いものに着地する。
何も命令していないのに、いきなり走り寄ってきたレクエスが、エイリーンの胴を頭ですくい上げて背に乗せたのだ。

 予想もしていなかった木馬の乱入に、グレアフォールとリーヴィアスの反応が遅れた。
続いてレクエスは、崩れているセルーシャの胸部にガッと鼻面を突っ込むと、その一部を口に含んだ。
そして、反射的に首にしがみついたエイリーンを乗せたまま、大きく、高く跳ね上がった。

「────……っ!」

 耳元で風が唸り、襲いくる浮遊感で、腹の底がざわりと疼く。
エイリーンは、乱れた自らの黒髪の隙間から、ただ呆然と、表情のない木馬の横顔を見つめていた。
レクエスは、何も思って、こんな行動を取っているのだろう。
命令でしか動けない役立たずの木偶でく人形が──魔術によって自立しているように見えるだけの木の塊が、一体なぜ、何を考えて、勝手に動き出したのだろう。

 古代樹の樹根を飛び越え、グレアフォールたちの射程内から離脱する。
レクエスは、いつも通りの無様な着地を遂げると、折れた前肢を引きずったまま、転がるようにして森道めがけて駆け出した。
しかし、次の瞬間、乾いた爆裂音と共に、残りの三肢も吹き飛んだ。
倒れたレクエスの背から投げ出され、エイリーンも地面に叩きつけられる。
振り返ると、長杖をレクエスに向けたリーヴィアスが、鎮痛な面持ちでこちらを見ていた。

「ごめんなさい、エイリーン……」

 四肢を失ったレクエスは、立てずに地面の上でもがいている。
その焦げた腹部には、刻んだ覚えのない術式が、鈍く光りながら浮かび上がっている。
──リーヴィアスの魔術だ。
古代樹の広間に到着してから、今までの間に、彼がレクエスに何かを施す時間はなかった。
細工できたとすれば、おそらく、二十五年前──。最初にセルーシャが行方不明になった時、レクエスが生きた馬の如く走れるように術式を刻もうと、リーヴィアスが初めてその樹体に触れた、あの時だ。

 エイリーンは歯噛みすると、地面にうずくまったまま葬樹そうじゅの樹根を放った。
絡め取られて変色した木々が、グレアフォールとリーヴィアスに迫る。
──が、それ以上の物量で押し寄せてきた古代樹の樹根が、枯れた木々を次から次へと再生させ、やがて、濁流のようにエイリーンたちを呑み込んでしまった。

 またしても古代樹の樹根に拘束され、身動きを封じられる。
近づいてきたグレアフォールは、冷ややかな瞳でエイリーンを見下ろすと、静かに言った。

「これが最後だ。セルーシャを弔い、この場で蘇らせてみせよ。それが不可能ならば、その力は古代樹に還元せよ。従わないというなら、約定を反故にしたと見なして、葬樹そうじゅの森は古代樹の庇護下からは切り離す」

 樹根に強く締め上げられ、自身の身体が、バキバキとひび割れていく音が聞こえる。
いっそこのまま、セルーシャと同じように破壊してくれれば良いという思いで、エイリーンはフッと鼻を鳴らして見せた。

「愚かしい精霊王、それは脅しのつもりか……? 葬樹そうじゅの森に帰りたがっていたのは、セルーシャの方だ。そのセルーシャが消滅するというなら、森の復活には何の意味もない。元より我らは、古代樹に属さぬ屍肉食の種。貴様から離れられれば、むしろ清々せいせいするだろう」

「…………」

 腹立たしいほどの無表情で、グレアフォールは黙り込んだ。
それから、リーヴィアスの方を見ると、グレアフォールは言った。

「リーヴィアス、エイリーンを北地の墓場アルファノルへ送れ」

「え……しかし、それではセルーシャは……」

 戸惑ったように眉を寄せたリーヴィアスに、グレアフォールは淡々と返した。

「良い。このまま送れ。消滅させるのが惜しくなった。……糧にできる大精霊は他にもいるが、これほどの執着を見せた精霊種は他にはいない」

「…………」

 リーヴィアスは、ぎゅっと長杖を握りしめると、エイリーンとレクエスの目の前に歩いてきた。
長杖に魔力が集結し、その唇が、滑らかに魔語を紡ぐ。
宙に浮かび上がった魔語は、リーヴィアスの詠唱に従って整列し、エイリーンたちの足元に魔法陣──移動陣を描き出した。

「──汝、頂点と終点を司る地獄の公爵よ。従順として求めに応じ、可視の姿となれ……」

 ややあって、完成した移動陣が、カッと光を放った。
エイリーンは、懸命に身をよじったが、強固な樹根が皮膚に食い込んでくるばかりだ。
得体の知れない力が、自分たちをどこかへ引きずり込もうとしている、その危機感だけが、エイリーンの中に募っていった。

 詠唱を終え、銀の睫毛まつげを伏せると、リーヴィアスは感情を押し殺したような、抑揚のない声でつぶやいた。

「エイリーン……許してくれとは言いません。ただ、恨むなら、どうかこの私を……」

 移動陣の淡い光が、次第に強く、眩く輝いて、エイリーンたちを呑み込んでいく。
胸の底から突き上がってきた激情が、一周回って狂気へと転じ、エイリーンの口から、くつくつという笑みをこぼした。

「言われずとも、許してなどやるものか……! グレアフォール、貴様もだ‼︎ いつか必ず消滅させてやる……!」

 呪いの言葉を紡ぐように、一言一言を強調して吐き出す。
エイリーンは、爛々と光る橙黄色の瞳で、グレアフォールとリーヴィアスを射抜いた。

 舞い上がった光の粒子が、視界を白く埋め尽くしていく。
音も、匂いも徐々に遠のいて、意識までもが朧げに霞んでいく。
それはまるで、冷たい水底に沈められたかのような、恐ろしく不安定な感覚であった。

 全身に絡みついていた樹根の締め付けが消えると、エイリーンは、水を掻くように腕を動かし、指先に当たったものを手繰り寄せた。
もう目は見えなくなっていたが、微かに感じるセルーシャの気配と硬い感触で、それはレクエスだと分かった。

 両腕を広げ、そこから更に枝葉を伸ばし、根を伸ばす。
レクエスの身体を包むように抱えると、エイリーンは、静かに目を閉じたのであった。



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