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投稿日:2026年01月06日






  *   *   *


 どれほどの長い時間、眠っていたのだろう。
覚醒するより先に、肌を突き刺すような冷たさを感じて、エイリーンは意識を取り戻した。
息を吸えば、痛みにも似た冷気が喉に沁み込んでくる。
凍った睫毛をゆっくりと開くと、目の前に広がっていたのは、天と地の境すら分からない真っ白な世界であった。

 ふと隣を見ると、ほとんど凍りついたレクエスが、足元の氷床に半分ほど埋まっていた。
その口の中には、セルーシャの欠片が入っている。
移動陣に呑まれた衝撃の中でも、ずっと口を閉じていたのだろう。
エイリーンは、硬い樹根に変化させた腕で地面の削ると、レクエスを氷の中から救出した。
ただ、ここには一切木々が生えていなかったので、リーヴィアスに破壊されたレクエスの四肢は、修復してやることができなかった。

 胴だけになったレクエスを引きずるようにして、辺りを彷徨っていると、白くけぶった景色の先に、ぼんやりと巨大な氷山が見えてきた。
高さはそれほどないが、横に長く、まるで城壁のように形成されている氷山。
レクエスを一旦その場に残し、エイリーンは、かじかむ手足でその氷山に登った。

 氷山を登り切り、目線が高くなると、氷が途切れた先の遠くに、鉛色の水面が揺れているのが見えた。
──海だ。
エイリーンは、この朧げな景色を知っている。
まだ巨大な一本の葬樹そうじゅだった頃に、毎日見ていた。
つまりここは、焼き尽くされた葬樹そうじゅの森の跡地──改め、グレアフォールの言っていた北地の墓場、アルファノルだ。

 セルーシャが帰りたがっていた、我が故郷。
エイリーンとセルーシャが人型になって霧の森に移る前は、焼けた葬樹そうじゅの残骸が氷の表面を覆っていたので、これほど寒くなかった。
しかし、その残骸も更に積もった氷雪に埋もれて、森ができる以前と同じ極地の環境に戻ったらしい。
氷の先には海しか見えず、続いていたはずの陸がない。
今のこの時代が、グレアフォールたちによる大陸の分断が起こって、何年も経った後である可能性も考えられた。
もしかしたら自分は、移動陣で飛ばされてから、随分と長く眠っていしまっていたのかもしれない。

 吹き上がる冷たい風に耐えかねて、氷山から降りようとした時。
エイリーンは、足場の氷の中に、灌木かんぼくが根付いた巨大な岩のようなものが閉じ込められていることに気づいた。
下まで降りて、改めて氷山の全体を見回して、エイリーンは絶句した。
その氷山は、倒れ込んだまま凍りついた巨人族、ガルガナディエの死骸だったのだ。

 よく見ると、その下に潜り込むようにして、他にも数多くの死骸がびっしりと並んでいた。
巨大なガルガナディエの身体に隠れて、吹雪をしのごうとしたものの、そのまま凍死したのだろう。
精霊族なのか、獣人族なのか、人間なのかももはや分からない。
形も大きさも様々なその氷の彫像たちは、互いに身を寄せ合いながら、身を丸めて息絶えていた。

 白く濁った息を吐き出し、エイリーンは、不意に乾いた笑みをこぼした。
随分と懐かしい光景だ、と思うと、何故だか笑いが止まらなかった。
昔と違うのは、古代樹の森と陸続きでなくなったので、もう糧となる生物が迷い込んでくることがない、というところ。
そして、実体を持ったセルーシャが隣にいない、というところ。
ここは、一切の希望がない、隔絶された死の大地であった。

 エイリーンは、笑いを収めた。
それから、全身を震わせると、腕から生えた樹根で、力任せに足下の氷を叩き割った。
もう何年前のことなのか定かではないが、グレアフォールとリーヴィアスの言葉は、今でもはっきりと思い出せる。
彼らの言っていた通り、この場所は、新大陸に渡れなかった非選別者たちの墓場アルファノルというわけだ。
同時に、不要になった葬樹そうじゅの種を"一応"存続させておくための、掃き溜め。
だがエイリーンは、連中の思惑通りに、生き永らえるつもりなどなかった。

 腕から伸びる葬樹そうじゅの樹根を、一層硬く鋭く尖らせると、エイリーンは、その先端で自らの胸部を貫いた。
ひび割れるような激痛が全身に広がり、胸部を中心に、灰白の皮膚が木肌と化していく。
白い息を忙しなく吐きながら、エイリーンはその場に膝をついた。
糧になる死骸が供給されないとなると、セルーシャに力を取り戻させて、その身を再び実体化させることは不可能だ。
幸い、蘇生魔術がどうのとかいうグレアフォールの気まぐれのおかげで、セルーシャは完全な消滅は免れ、微精霊化に留まった。
であれば、エイリーン自身も、微精霊化すればセルーシャと同じところに行けると考えたのだ。

 血が流れていくように、貫かれた胸部の穴から、魔力が抜けていく。
けれども、望んでいる微精霊化の瞬間は、いつまで経っても訪れなかった。
更に樹根を捻じ込み、傷口を抉るが、痛みが増すだけで意識も途切れない。
仕方なく樹根を引き抜いてみて、エイリーンは唖然とした。
胸部に空いた穴が、樹根を抜いた途端、何事もなかったかのように塞がったからだ。

(どういうことだ……?)

 混乱したまま、今度は腹部を貫いたが、やはり微精霊化はせず、樹根を抜いた直後から傷口は再生していく。
首を斬っても、片腕を落としても、痛みは伴うが結果は同じ。
自傷行為を繰り返す内に、ふとエイリーンの脳裏に浮かんだのは、移動陣でここに飛ばされる前に聞いた、グレアフォールの言葉であった。
 
── 葬樹そうじゅの力は、不要となることが望ましいが、貴重なものでもある。故に、片割れは残すと決めた。この世が真に完成するまで、そなたは実体を保って生きなければならない……。

 グレアフォールはあの時、そう言って、リーヴィアスが確立した召喚術と思しき魔術をかけてきた。
どういった効力があるものなのかは分からなかったが、この不自然な現象に原因があるとすれば、あの魔術くらいしか思い当たらない。
世のことわりを創り上げたグレアフォールの手によって、自分は非理の存在に──不死の精霊になってしまったのだろうか。

 うずくまったまま呆然としていると、ガルガナディエの下で凍える彫像たちと、目が合ったような気がした。
彼らは、寒さに震えながら、羨望の眼差しをこちらに向けている。
己らは無念の死を遂げたのに、お前は何故生きているのかと、氷の奥で問うてきている。
エイリーンは、望んだとしても、その並びの中に加わることはできない。
──本当の絶望は、ここから始まった。


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