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投稿日:2026年01月06日
やんわりとセルーシャの手を退けて、トワリスは後ずさった。
「し、死ぬ運命だったとかいきなり言われても、釈然としませんが……。子供の頃に死にかけた私を救ってくれたのは、確かに、人間の召喚師一族です。リーヴィアスさんではなく、今代の召喚師で、ルーフェン・シェイルハートという名前ですけど」
「ルーフェンって、さっき、その耳飾りの持ち主だって言ってた人?」
首を傾げたセルーシャが、手中の耳飾りを一瞥する。
トワリスは、ぎゅっと耳飾りを握り込んで答えた。
「はい、そうです。……あ、いえ、さっきそう言ったのは、記憶が混乱してたからで、この耳飾りの本当の持ち主は、リーヴィアスさんの息子のミランさんですけど……。
アルファノルに飛ばされて、七十年くらい経った頃に、ミランさんがエイリーンの元に来たんです。自分の父親がしたことの責任を取ると言って、多分、エイリーンを消滅させようとしたんだと思うんですが……エイリーンが、逆に彼を殺してしまって。ミランさんの魔力と遺体を取り込もうとするエイリーンに抗っている内に、私の意識は分離して、身体から弾き出されました。それで、ミランさんが使った移動陣の上に落ちて……気づいたら、ここにいたんです」
「…………」
トワリスの顔をじっと凝視して、セルーシャは黙り込んだ。
しばらくそうして何かを思案していたが、やがて、そうなんだ、と静かに呟くと、吐息混じりに続けた。
「……だったら、トワリスがここに来てしまったのは、非理であることと、ミランに関わったことが原因なんだろうね。ミランもまた、特別な非理だ。死者は生き返らない、という古くから存在する理を破った、自然の摂理に反した非理の子」
言われている意味が理解できず、トワリスは顔をしかめた。
「どういう意味ですか? そもそも、ここはどこなんでしょう。過去の時代ではないんですよね?」
セルーシャは、闇一色の辺りに視線を投げかけて、答えた。
「ここはどこでもないし、いつでもないよ。過去でも現在でも未来でもない。我が微精霊になる寸前で、無理矢理に留まるために、エイリーンの中に作った空間。言うなれば、外界の影響を一切受けない時空の狭間……みたいなものかな」
トワリスは、耳飾りを懐にしまって立ち上がると、訝しげに尋ねた。
「ミランさんが、移動陣で私をここに送り込んだ、ってことですか? なんのために?」
セルーシャは首を振った。
「いや、ミランが原因とは言ったけれど、君がこの場所に送られてきたのは、彼の意思ではないんじゃないかな。彼が関わっているのは、移動陣の設置まで。移動陣も、海を超えた先にいる異種族に干渉してはならない、時間を操ることはできない、という二つの理に背いた非理の術だからね。その特異さ故に、グレアフォールとリーヴィアスは、種族の隔絶を終えた後、移動陣の一般的な使用を禁じたんだ。例外的に使用を認められているのは、人間の召喚師一族、すなわち最初に移動陣を作り出したリーヴィアスの血族と、グレアフォールに仕える一部の大精霊だけ。要は、膨大な魔力と発動の知識を持っている者たちだね。それ以外の普通の人間や獣人が、自力で移動陣を使用しようとすると、魔力不足で時間を歪めた長距離移動に身体が耐えきれず、消滅してしまう」
「消滅……」
ごくりと息を呑んで、トワリスは自らの掌を見つめた。
つまり、移動陣を使用して世の理を超えた存在になってしまった者は淘汰される、というグレアフォールによる自浄作用が、元から非理であるトワリスには働かず、運良く消滅を免れた──ということだろうか。
いよいよ人智を超えた話になってきたが、言われてみれば、思い当たる節はあった。
移動陣は、サーフェリアでも禁忌魔術に近い扱いをされている魔術だ。
トワリスやリオット族、ユーリッドやファフリなんかは何度か使ったが、毎回ルーフェンの魔力に依存していた。
召喚師一族が関わらない形で発動させる場合には、勅令が発せられた時などの緊急時に限り、大勢の魔導師を動員して行使しなければならなかった。
過去に単独での行使を試みた魔導師が、移動陣に吸い込まれて失踪した、という事件が多発したためである。
召喚師一族が操る魔語による術式は、解読しきれていない部分も多いため、魔力不足を起こした魔導師が消滅する原因は、はっきりとは分かっていなかった。
そのため、未知のものを恐れた魔導師たちによって、移動陣は禁忌魔術と同様の扱いをされていた。
だが、人体消滅などという他に例のない現象も、グレアフォールが使用者を淘汰するか否かを魔力量で線引きして振り分けていたのだと考えると、話の辻褄は合う。
穏やかな口調も保って、セルーシャは言い募った。
「トワリス、君も魔力が少ないから、本来なら独力で移動陣を通った時点で消滅するはずだった。だけど、君は最初からグレアフォールの敷いた理に反した存在だし、何故かエイリーンの魔力まで備えている。おそらく移動陣の使用中に、足りないトワリス自身の魔力を補完する形で、体内に宿っていたエイリーンの魔力が無意識に放出されて、肉体と自我を守ったんだろう。
……結果、エイリーンの魔力に身体を乗っ取られた君は、その魔力が本来あるべき場所──エイリーンの意識の中に運ばれた。君が見た昔の映像は、おそらく今もアルファノルで眠っている、エイリーンの悪夢の一部だ。それは、ミランの移動陣を通じて、エイリーンが干渉しようとしている過去の一部でもある。そしてこの場所も、エイリーンの意識下の端みたいなところなんだ。グレアフォールたちに弱体化させられた我が、未だ消滅せず微精霊の手前でいられるのは、エイリーンの魔力からできたレクエスに寄生できているおかげだからね」
「…………」
セルーシャの言葉をなんとか脳内で咀嚼しながら、トワリスは言った。
「えっと……ちょっと、待ってください。まとめると、移動陣の使用で危うく消えかけた私は、エイリーンの魔力のおかげで助かって、そのまま魔力に行き先を操作されて、エイリーンの意識下に落とされた……ってことで合ってますか? でも、そうとは知らずに私は、その意識下から強引に抜け出そうとして、今度はミランさんの移動陣を通ってしまった。それで、また消滅しかかって、次に来たのが同じエイリーンの魔力で構成されたレクエスの中だった、と……?」
「うん。あくまで我の推測だけどね。これまで非理の存在を沢山見てきたけど、ここまで理を連続で無視した非理の子は初めてだよ。君の存在を知ったら、グレアフォールもびっくりすると思う」
「…………」
いまいち呑気なセルーシャの反応に突っ込む気力もなく、トワリスは、次の質問を繰り出した。
「……あの、そもそもどうして私の中にエイリーンの魔力が宿っていたんでしょう? 最初にエイリーンの意識下に落とされた原因が、その魔力に身体を乗っ取られたことなら、私は一回目の移動陣を使う前から、エイリーンの魔力を持っていた、ってことですよね……?」
「さあ? それは外界での出来事だから、知らないよ」
肩をすくめてそう答えてから、セルーシャはふと睫毛を伏せた。
「君がエイリーンの意識から弾き出された後……というか、エイリーンがミランを殺して、召喚術の才も含めた魔力の一部を吸収した後。根を伸ばす体力を回復させたエイリーンは、今まで届かなかったアルファノル中の非選別者たちの死骸を取り込んで、全快とはいかないまでも強い力を得た。それからずっと……千年以上もの間、エイリーンはミランの移動陣を使って、グレアフォールに復讐する方法を探している。具体的には、過去や他国に意識を飛ばして、アルファノルの外に干渉しようとしている」
「…………」
「……我も、その行動を全て追えているわけじゃないから、把握しきれてはいないけれど……エイリーンは、君ともどこかで接点を持ったんじゃないかな? 何か心当たりはない?」
「…………」
心当たりを尋ねられただけなのに、トワリスの手は、自然と自身の右肩に触れていた。
そこには、醜く皮膚の盛り上がった古傷がある。
以前、ミストリアのロージアン鉱山に行った時に、エイリーンから負わされた傷だ。
しかし、攻撃を受けたことで、エイリーンの魔力が身体に移るなんてことが起こりうるんだろうか。
もう塞がったはずの古傷が、じくじくと疼き出す。
ぶり返してきた痛みが、またあらゆる光景を記憶の底から引きずり出してきた。
リリアナとカイルの怯えた顔、心配げにこちらを覗き込んでくるハインツと、一瞬敵意を滲ませたルーフェンの銀の瞳──。
最後に、光る蝶が舞う幻想的な森と、岩場に施された移動陣から飛び出す葬樹の樹根の映像が脳裏をよぎると、トワリスは、次の瞬間、反射的に腰の双剣に手を伸ばしていた。
(──そうだ、私は……)
考えるより先に抜刀して、剣先をセルーシャに向ける。
敵うはずのない相手であったが、刃を突きつけずにはいられなかった。
記憶が混乱していたとはいえ、どうして自分は、こんな肝心なことを忘れていたのだろう。
──エイリーンとセルーシャは、敵だ。
エイリーンは、グレアフォールへの復讐のため、アルファノルからルーフェンに接触した。
そして、彼を巻き込んで、無関係の人間たちまで自らの糧と傀儡にしようとしているのだ。
元はと言えば、トワリスが移動陣を通ろうとしたのも、エイリーンがいるアルファノルへ行こうと考えたことが理由であった。
ルーフェンの狙いに勘づいたジークハルトが、エイリーンの実体がサーフェリアへと渡るための移動陣の発動を阻止せんと動き出したので、トワリスは当初、それを止めようとしたのだ。
しかし、その過程で、移動陣から生えた葬樹の樹根は、自分が斬れば何故か再生しない、ということに気づいた。
最初に移動陣を破壊しようとしたジークハルトとギールの証言によれば、葬樹の樹根は斬っても焼いても再生してしまうという話だったのに、トワリスが斬り払った時は、再生する気配が一切なかったのだ。
今思えば、実体のエイリーンに傷がつかないのは、その樹体にグレアフォールによる不死の召喚術がかかっているからで、その効力がトワリスに対して発動しなかったのは、トワリスがグレアフォールの影響を受けない非理の存在だからだ。
しかし、その時は過去の出来事も、エイリーンが置かれている状況も知らなかったので、自分がエイリーンに何かしらの有効打を与えられる可能性に賭けて、アルファノルと繋がっているはずの移動陣に手を伸ばした。
そして、魔力不足に陥り、エイリーンの意識下に取り込まれてしまった。
移動陣を発動できるほどの魔力が自分一人にないことは分かっていたから、トワリス自身、捨て身同然のルーフェンの計画を聞いて、投げやりになっていた部分もあるだろう。
刃を向けられても、セルーシャは動揺を見せなかった。
それどころか、きょとんとした顔で目を瞬かせた後、薄い笑みを浮かべた。
「急にどうしたの? 今の我は、実体のない微精霊に近い存在だから、斬ることはできないよ」
「…………」
剣の柄を握り込んで、トワリスは硬い声を発した。
「……今、全て思い出しました。エイリーンは、ルーフェンさんの力を利用してアルファノルから脱出し、サーフェリアの人間達を巻き添えにして、グレアフォールに復讐しようとしている。私は、それを止めたくて移動陣を使おうとしたんです」
「…………」
「……ここから出る方法を教えてください。それから、エイリーンを止めることに協力してください」
「…………」
セルーシャは返事をせず、しばらく沈黙していた。
だが、不意に眉を下げ、その笑みに翳りを落とすと、小さく首を振った。
「できないよ。今の我は、エイリーンのわずかな魔力によって残存している思念体のようなもの。君もまだ実体が残っているというだけで、似たような存在だ。エイリーンの魔力に依存して意識を保っている我々が、エイリーンの中から抜け出す方法はない。仮にできたとしても、そんなことをしたら、今度こそ糧を失って消滅してしまう」
トワリスは、訝しげに眉をひそめた。
「魔力さえ取り戻せれば、また実体化できるんでしょう? 貴方にも葬樹の力があるなら、アルファノルにある非選別者の亡骸を食べるなりして、どうにか回復できないんですか?」
セルーシャは、もう一度首を振った。
「それもできない。今の我には、そうするための実体が──自分から伸ばせる根がないからね。アルファノルには、かつての北地と違って、流れ着いてくる生物もいない。だから、回復する手立てがない。我が宿っているレクエスに、エイリーンがまた魔力を注いでくれれば、あるいは、それを吸収することはできるかもしれないけれど……。エイリーンも万全ではないし、我々が一本の葬樹でなくなって、もう随分と長い時が経ってしまった。力の受け渡しが上手くいくかどうかも分からない」
「……可能性があるなら、やってみるべきです。エイリーンに、そうしてほしいと伝えることはできないんですか? 貴方の復活は、エイリーンだって願っているはずでしょう?」
「伝えてるよ。……ずっと言ってる。エイリーン、こっちに来て、我を見てって。だけど、声は届かないみたい。我は、外界に少しの影響も与えられないほど弱ってしまったみたいだ。一度はグレアフォールに消滅を言い渡された身だしね」
トワリスは、セルーシャに詰め寄った。
「声は伝えられないにしても、何かエイリーンに意思を届ける方法はないんですか? さっき、大陸の分断後には非理の子が多く生まれたとか、ミランさんの死後にエイリーンが他国に干渉しようとしているとか、外の出来事を知っているようなことを言っていましたよね? つまり、外界の景色は見えているんでしょう?」
宙に差し出した指先に、淡く光る導き蝶を止めて、セルーシャは答えた。
「我が外で起こったことを知っているのは、導き蝶が教えてくれるからだよ。直接この目で見ているわけじゃない。今の我は、葉の一枚を生やすことさえ叶わないちっぽけな存在だ。
エイリーンも……もう我のことは消滅したと思って、忘れたのかもしれない。前みたいに、レクエスに寄り添って眠らなくなってしまった。ミランを殺して、リーヴィアスの死を知った後、エイリーンを取り巻くものは、グレアフォールに対する怒りと憎悪ばかりになってしまったから……」
淡々として見えるセルーシャの態度に腹が立って、トワリスは口調を強くした。
「その怒りと憎悪の原因は貴方なんですから、忘れてるわけないでしょう! そんな簡単に諦めないで、エイリーンを止める方法を考えてください。貴方にも複雑な思いはあるでしょうけど、だからって無関係なサーフェリアの人々を巻き込んだ復讐なんて、見過ごされていいはずがありません!」
「……なら、どうしろっていうの?」
ふと声を低めると、セルーシャは目を細めた。
「我だって、これ以上苦しむエイリーンは見たくないし、グレアフォールへの復讐も望んでいない。だけど、我一人では成す術がないんだよ。
……簡単に諦めてなんかいない。ここにいる間、ずっとどうすれば良いのか考え続けて、エイリーンにも何度も語りかけてきた。本当に、気がおかしくなるくらい、何度も何度も……。過去の一部を夢で垣間見ただけの君には、想像もできないだろうという長い期間、ずっと、ずっとだ」
穏やかだったセルーシャの語気に、苛立ちのようなものが混ざる。
驚いて、トワリスは言葉を詰まらせた。
一瞬、苦しげに歪められたセルーシャの表情は、トワリスが見たエイリーンの記憶の中にはないものであった。
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