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投稿日:2026年01月06日






 苦々しい表情のまま、セルーシャは続けた。

「……わたしが消滅したところで、葬樹そうじゅとしてのエイリーンが残るなら、それでいいと思ってたんだ。別にお互いの姿が見えなくたって、共に在る実感があるなら、それでいい。本来の姿をしていた頃だって、互いを自分以外の存在だという認識なんてしてなかったし、会話もしたことがなかった。どんな状態でも、我々は混じり合って生まれた一つの葬樹そうじゅ。自我や実体の有無は、大した問題じゃないって思っていたんだ」

「…………」

 セルーシャは、声を震わせた。

「……でも、そうじゃなかった。今の我々は、近いようであまりにも遠いところにいる。分離した別々の自我を持ったまま、生と死の壁に隔たれては、わたしの意思はエイリーンに届かない。エイリーンの苦痛も、わたしには伝わってこない。この状態が、何百年、何千年と続くと……我々はそれでも共に在るのだということが、信じられなくなってくる……。グレアフォールは、どうしてこんな残酷なことを我々に強いるんだろう……」

「…………」

 トワリスは、つかの間黙り込んで、俯いたセルーシャの横顔を眺めていた。
だが、不意に片剣を強く握り直すと、思い切りその剣先を足下に突き立てた。

 甲高い金属音が響き、刃が弾かれる。
岩のように硬い地面を、ひたすら斬りつけているトワリスを見て、セルーシャは眉を寄せた。

「……何をしているの? 無駄だよ、この空間に終わりはない」

 剣を振り上げては下ろすことを繰り返しながら、トワリスは答えた。
 
「そうですか、じゃあ諦めます、って引けるほど潔くはなれません! これからずっとこの空間にいるなんて無理です。時間がないんです。外界では、もうルーフェンさんがエイリーンと合流しちゃったかもしれないのに……!」

「合流……? 今代のサーフェリアの召喚師は、何をするつもりなの?」

 トワリスは、その問いには答えなかった。
無言で奥歯を食いしばり、ひたすら剣を突き立てる。
カンッ、カンッと鋭い音が虚空に響く。
壁はないから、崩せるとしたら地面だけ。
セルーシャの言う通り、無駄な足掻きなのかもしれないが、何もせずにはいられなかった。

 何度目かの一撃で、嫌な亀裂音が走り、剣が叩き折れた。
跳ね返った刃が、トワリスの頬をかすって闇に消える。
折れた剣を地面に落とし、トワリスは唇を噛んだ。
もう片方の剣を抜いたとて、結果は同じだろう。

 懐にしまい込んだ耳飾りを取り出して、トワリスは目を瞑った。
何か──何か方法はないだろうか。
例えば、エイリーンの魔力に依存してこの空間から出られないのなら、エイリーン以外の魔力で、自我と実体を保ったまま、自身を回復させることはできないだろうか。

 ミランの耳飾りを握り込んだ時に、トワリスは、エイリーンの意識下から弾き出された。
おそらくあの時は、耳飾りに宿った魔力がトワリスに流れ込んできたから、一瞬だけでも意識を独立させられたのだ。
他人の魔力に触れると拒絶反応を起こす場合がほとんどだから、基本的には魔力の受け渡しはできないはずなのに、どうしてあの時、ミランの魔力はトワリスに馴染んだのだろう。
エイリーンと同化していたから、魔力を取り込む葬樹そうじゅの力が、トワリスにも一時的に移っていたのか──。

 耳飾りを強く握りこんで、トワリスは、何かが変わるようにと祈った。
しかし、耳飾りから魔力が発せられることはなく、エイリーンの中から抜け出せた時のような、身体が白熱するような感覚もない。
焦燥感と絶望に打ちひしがれているトワリスを見て、セルーシャが尋ねた。

「……今度は何をしているの? 祈っても、ここには願いを聞いてくれる神や王なんていないよ」

 目を微かに開いて、トワリスは言い返した。

「そんなの、現実にもいないってわかってますよ。……耳飾りに宿っているはずのミランさんの魔力を、私に移せないか試しているんです。アルファノルでエイリーンの中から弾き出されて、この場所に落ちた時、記憶こそ曖昧でしたが、私は自分の意思で動けていました。あの時と同じことがもう一度起これば、エイリーンの魔力に依存した思念体ではなくて、独立した個人として、ここから抜け出せるんじゃないかと思うんですが……」

 トワリスに向き直って、セルーシャは嘆息した。

「危険だよ。さっきも言った通り、下手に抜け出そうとすると消滅してしまう。君は精霊族ではないのだし、消滅したら本当に終わりだよ」

「……それでも、何もせずここに留まっているよりはマシです」

 トワリスは、はっきりと言い切った。

「ここで呼吸を繰り返していることが、生きていることだとは思えません。何もできないからって放心して、後になって、さっきの蝶から外界の情報を聞かされるだけなんて、そんなの私には耐えられない。
……無力感に苛まれながらも生き続けられる可能性と、死んでもこの状況を変えられるかもしれない可能性なら、私は後者を選びます。最初に移動陣をくぐった時だって、魔力不足で倒れるかもしれないとか、エイリーンに出くわしたら殺されるかもしれないとか、そういうことは覚悟してました」

「…………」

「平穏無事に生きていてほしいって、そう言ってくれる人がいるなら、その言葉に従おうとも一瞬思いました。でも、やっぱり嫌です。ルーフェンさんが命を賭けてサーフェリアを守るって言うなら、私もそうします」

 役に立たない耳飾りをしまって、トワリスは、残りの片剣を抜刀した。
再び地面に刃を叩きつけるが、やはり弾かれるばかりで、黒々とした足場には傷一つつかない。

 虚しく響き続ける、甲高い金属音を聞きながら、セルーシャは口を開いた。

「……命をかけても、何も変えられなかったら、それはただの無駄死にじゃないか。かつて、葬樹そうじゅの森には、そういう無力な人間や獣人が沢山流れ着いていたけど、幸せそうな者は一人もいなかったよ」

「…………」

「……トワリス、仮にここから出られたとしても、君にはエイリーンを止められる策なんてないんだろう? 力を失ったとはいえ、エイリーンは人間では及ばない魔力を持つ大精霊だ。接触した今代のサーフェリアの召喚師が、何をしようとしているのかは分からないけれど、そこに君が加わったところで、何も変わらないよ」

 ガキンッ、と音を立てて、残りの片剣が折れる。
頬から垂れてきた血を拭って、トワリスはセルーシャを睨んだ。

「……だから、協力してくれないか、って聞いたんでしょう。貴方なら、エイリーンを止められるかもしれない。……だけど、長い時間をここで過ごす内に、心が折れて、もう諦めたって言うなら、私が自力でどうにかするしかないじゃないですか」

 震えながら深呼吸して、トワリスは、使えなくなった片剣も捨てた。

「自分が行って何も出来なかったとしても、それでも、安全圏で怯えるだけの部外者になるのは嫌なんです。……貴方はいいんですか? どうせ変えられないからって、エイリーンの選択を自分の目で見られなくても。
言っておきますけど、人間だからって下に見てると足元すくわれますよ。ルーフェンさんは、結構な頑固者ですからね。こうと決めたら、手段を選ばす押し通そうとしますから。自分が見ていないところで、エイリーンが彼に消滅させられたって聞かされて、後々後悔することになっても知りませんよ」

「…………」

 いきなり啖呵を切ってみせたトワリスを、セルーシャは訝しげに凝視した。
こちらを煽っているつもりなのか、それとも、自棄になって怒り出したのか。
実際に彼女がまとっている色は、焦燥感や不安、恐怖といった負に近い感情だ。
にも拘わらず、口では威勢のいいことを言い放ってみせるのだから、やはり人間の感情と行動は、整合性が取れていなくて理解しづらい。

 無反応のセルーシャに、良い返事を期待するだけ無駄だと思ったのだろう。
トワリスは、今度は仕込みの短刀を取り出して、懲りずに地面と向かい合った。

 奮闘しているトワリスを眺めながら、セルーシャはふと、リーヴィアスの言葉を頭に浮かべた。
幾度も思い出しては反芻している、「もしどちらか片方が死んでしまったら、残された方はどうしますか?」というリーヴィアスの問い。
答えた時は、エイリーンが隣にいない状況を想像できていなかったし、自分が本当に実体を失うことになるとは予想できていなかった。

「…………」

 だから、今度はちゃんと、復讐の末に消滅してしまう、エイリーンの姿を思い浮かべてみた。
意思疎通を果たせぬまま、根深い憎悪と憤怒に呑まれ、消滅していくエイリーン。
自分は、その無念を晴らせず、エイリーンの苦悶を感じ取ることも出来ずに、後になって消滅の事実だけを知ることになる……。
──そう考えると、トワリスの主張自体も、少しは理解できるような気がした。

 セルーシャは、ゆっくりと目を開いた。
それから、地面の脆い場所を探してうずくまっているトワリスに、そっと声をかけた。

「……トワリス。一つだけ、思いついたことがある」

「え……?」

 短刀を振り下ろそうとしていた手を止めて、トワリスが顔を上げる。
彼女に近づいて、セルーシャは言った。

「ここから出るには、まずエイリーンの魔力に依存している現状から抜け出し、実体を取り戻して、移動陣の出口から外界に出なければならない。つまり、必要なのは多量の魔力と、それに耐えうる意識と実体、それから移動陣に関する知識だ。わたし一人では不十分だったけれど、君がこの場に来たことで、条件がそろったと言える」

「……えっと、私も貴方も、魔力に関しては枯渇状態なんじゃ……?」

 トワリスの返しに頷いてから、セルーシャは、その懐を指差した。

「そう。我々には、もう魔力が残っていない。だけど、その耳飾りには、ミランの魔力が宿っている。もう死んでしまったミランの魔力を、君が吸収することはできないけれど、わたしなら、その魔力ごと喰って取り込むことができるし、多量の魔力を貯める器にもなれる。そして君には、実体と知識がある。……要は、わたしが君に寄生して、その身体と知識、耳飾りの魔力を操れるようになれば、全ての条件がそろってこの状況から抜け出せるようになるかもしれない、ということだよ」

「き、寄生……?」

 思わず身構えて、トワリスは後ずさった。
エイリーンの記憶で見た通りなら、確かに葬樹そうじゅは、死骸に寄生して、その養分を糧に成長する樹である。
葬樹そうじゅの森ができたのだって、寄生樹の種であったエイリーンが、弱ったセルーシャに寄生し、その力を養分として成長したことが始まりであった。
すなわちセルーシャは、トワリスに「養分になれ」と提案しているのである。

 トワリスの動揺を感じ取ったのだろう。
眉を下げて、セルーシャは言葉を補った。

「そんなに怖がらないで。この場で喰い殺そうって話ではないよ。君を殺してしまったら、実体は残っても、知識が無くなってしまうからね。分かりやすく言うと、君の肉体を貸してくれないか? っていうお願いだよ」

「…………」

 警戒した様子で、トワリスは尋ねた。

「要するに、貴方に身体を乗っ取られるってことですよね。……そうした場合、私の意識はどうなりますか?」

 セルーシャは、言いづらそうに口ごもった。

「それは……正直なんとも言えない。葬樹そうじゅは本来、屍肉しにく食だから、意識のない死骸に寄生して、内側からその肉を侵食していくのが普通なんだ。だから、生きた獣人や人間に寄生した場合に、その宿主しゅくしゅわたし、どちらの意識が表に出るのか分からない。君の身体だから、君の意識との結びつきの方が強いだろうし、わたしも自我を持つことに執着はないから、身体の主導権を奪いたいとも思わないけど……。移動陣を使う上で、膨大な魔力の行使に耐えうるのは精霊族の方だろうから、わたしの意識の方が表に出てしまう可能性もある」

「…………」

 強張った顔つきのまま、トワリスは黙り込んでいた。
長らくエイリーンの過去を体験していたせいで、セルーシャとは、つい知った仲であるかのように錯覚してしまうが、今のセルーシャにとって、トワリスは、つい先程出会ったばかりの利用価値のある非理に過ぎない。
そしてトワリスにとっても、葬樹そうじゅの二人はサーフェリアを脅かす敵である。
身体を開け渡すなんて、許すべきではない。
そう思う一方で、他に方法がないのであれば、腹を括るしかないと覚悟している自分もいる。


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