トップページへ
目次選択へ
投稿日:2026年01月06日
持っていた短刀を仕込みの鞘に納めて、トワリスはセルーシャを見た。
「……仮にここから出られたとしたら……その後は、どうなるんですか? 貴方は、寄生先をレクエスから私に変えて、そのまま私の中に残るってことですか?」
セルーシャは、こくりと首肯した。
「おそらくね。耳飾りの魔力は有限だし、君の魔力だけじゃ、葬樹としての樹体を取り戻すことはできな。だから、一度一つになったら、君と我が独立した実体を持つことはないと思う。
といっても、君の意識が勝てば、我は今度こそ実体も自我もない正真正銘の微精霊になるだろうから、君は君の身体で、これまで通りの生活を送れるようになるはずだよ。もし我の意識が勝ってしまった場合は、肉体の主導権が我になって、君の自我は失われてしまうかもしれないけれど……」
「…………」
「君が、この賭けに乗ってくれるなら、この空間から出られないかどうか試してみよう」
トワリスは、耳飾りをしまい込んだ衣のあたりに手を当てて、再び沈黙した。
もしセルーシャに意識を乗っ取られたら、自分はもう死んだも同然の状況になる。
リリアナたちに生還の報告をすることはできないだろうし、ルーフェンの助けになることもできない。
だがそれは、この空間でいつまでも悩んでいたって同じことだ。
躊躇や抵抗感は無論あるが、答えは、既に定まっていた。
目を閉じ、決意を固めると、トワリスは目を開いた。
「……分かりました。でも、実行する前に、さっきこちらからしたお願いの返事をください」
「返事?」
首を傾げたセルーシャに、トワリスは頷いた。
「エイリーンを止めることに協力してください、というお願いに対する返事です。脱出後、もし私の意識が消えたとしても、エイリーンの復讐を止めてほしいんです。……いや、状況次第では、私の意識を押し除けてでも、貴方が私の身体を使ってエイリーンを止めてください。貴方の言葉であれば、エイリーンも耳を傾けるかもしれないと思うから……」
自我の消滅と引き換えにしてまで、エイリーンを止めることを優先して頼んできたトワリスに、驚いたのだろう。
セルーシャは、大きく目を見開いて、つかの間黙り込んだ。
それから、泣き笑うようにして唇を歪めた。
「……そんなの、断る選択肢はないよ。むしろ、君の身体を使わせて欲しいと、こちらからお願いしたいくらいだ」
セルーシャは、スンと鼻を啜った。
「……ずっと、どうにかエイリーンを解放してあげたいと思ってた。微精霊になろうが、樹体を得ようが、形はどうだっていい。形じゃなくて、共に在ることが大事なんだって……分かっていたはずなのに、分かっていなくて……。ここに落ちてから、すごく後悔していたんだ」
「…………」
「グレアフォールとリーヴィアスに、『古代樹に還れ』と言われた時は、エイリーンが消滅して我々が葬樹でなくなってしまうのは嫌だ、と思ったんだよ。だから、我が消滅することを選んだ。でも、結果的にエイリーンだけを外界に残して、こうして離れ離れになるくらいなら……グレアフォールに逆らって、二人で消滅すれば良かった。もし叶わなくても、逆らうことで我も同じ思いだってエイリーンに伝わっていたら、結末は変わっていたかもしれないのに。いつだって我々は、一緒にいることを一番に望んで動くべきだったのに……離れてしまってごめんって、エイリーンに謝りたかった……」
歪んだ唇が震え出し、橙黄色の瞳から、ぽろりと雫が落ちる。
積年の悲しみと後悔が滲んだ、本物の涙だ。
記憶を見たからといって絆されるつもりはないし、セルーシャとの口約束など無闇に信用すまいと心を律していたが、今、吐露されたセルーシャのエイリーンに対する想いだけは、本物であると信じられた。
セルーシャは、涙を拭うと、濡れた掌を不思議そうに見下ろした。
長い間そうして、掌に視線を落としていたが、ふと顔を上げると、セルーシャは呟いた。
「……ねえ、トワリス。我からも、一つお願いをしてもいいかな?」
「なんですか……?」
思わぬ申し出に、自然とトワリスの背筋が伸びる。
セルーシャは、どこか寂しげに微笑んだ。
「力は尽くすけど、何度も言う通り、我はいつ消えてもおかしくない弱い存在だ。さっきトワリスは、エイリーンを止めるためなら私の意識を押し除けてでも出ていい、って言ってくれたけど、そうしたいと思っても、上手く出来ずに我の意識が霧散するかもしれない。
だから……もし君が、君としてエイリーンと対時することになったら……『セルーシャが、うんって頷いてた』って、それだけ伝えておいてくれる?」
「うん……? 何の返事ですか?」
問い返すと、セルーシャは、昔を思い出すように目を伏せた。
「前に我が、レクエス用の角を探して湖に潜って、騒動になった時にね。霧の森で我を見つけ出したエイリーンが、聞いてきたんだ。『その想いが永劫に変わらないと誓え。我々は、この先もずっと一緒だろう?』って」
セルーシャは、か細く息を吸った。
「……芽を出してから、長年共に生きてきて、我はそんなの当たり前だと思っていた。だから、『エイリーンは大袈裟だなぁ』なんて返しちゃったんだけど、全然当たり前じゃなかった。あの時、『うん』って頷いておけば良かったんだ。もしそう返事をしていたら、こうしてお互いの姿が見えなくなっても、意思疎通ができなくなっても、我々は一緒にいるって、百年でも千年でも信じられたのかもしれないのに……」
「…………」
込み上がってきた感情を噛み殺すように、硬い表情で、トワリスは唇を引き結んだ。
彼女のまとう色を見て、セルーシャは、やはり異種族は分かりづらいな、と思った。
特に人間は、複雑で本当に理解し難い。
何年も親しく過ごしたはずの相手を平気で裏切り、無感情に切り捨てる残忍な側面を持っている一方で、会ったばかりの異種族に同情して、心を砕いてしまうような感情的な部分もある。
しかし、だからこそ──その予測不能さ故に、望みが薄い願いでも叶えてしまうのではないか、という可能性を感じてしまうのだ。
セルーシャは、華奢な両腕を伸ばして、トワリスの両頬に手を添えた。
それから、穏やかな声で囁いた。
「……欲を言うなら、もう一度エイリーンと話して、同じところに逝きたい。だけど、もし我の意識が消失して、それが叶わないのなら……『うん』っていう返事だけでも伝えたい。これが、我のお願い……」
答える前に、針でこめかみを刺されるような鋭い頭痛が、トワリスを襲った。
セルーシャが触れた辺りから、形のない葬樹の根が、頭皮の中に入り込んできた。
皮膚の下を這う、奇妙な感覚だけが、頭蓋を伝って首筋へと突き進んでいく。
やがて、胸まで達した樹根は、心臓に絡まり、複数に枝分かれして伸びていった。
左右に分岐して、二本は両腕へ、もう二本は両脚へ、血管に沿って指先まで広がっていく。
ついに、全身の隅々まで樹根が回ると、身体の自由が利かなくなった。
動くことはおろか、呻き声の一つもあげられない。
息も吸えないし、瞬くこともできない。
目の前に立っていたセルーシャの姿が、すうっと自分の中に溶け込み、液体のように混じり合っていく。
そこで、トワリスの意識は途切れたのであった。
To be continued....
- 60 -
🔖しおりを挟む
👏拍手を送る
前ページへ 次ページへ
目次選択へ
(総ページ数84)