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投稿日:2026年01月06日





  *   *   *


 月が黒雲に覆われ、再び雪が降り始めた。
六人の私兵を伴い、自らも私兵と同じ防寒用の外套を纏ったイヨルドは、凍った息を忙しなく吐きながら、崖道がけみちを下っていた。

 灰のように舞う雪片は、断崖の底へと吸い込まれていく。
一行は、白く覆われた崖の縁を、足を滑らせないように踏み場を確かめながら、一歩一歩進んでいった。
秋頃まで使っていた確実な下山道には、シュベルテの魔導師たちが回り込んでいたために、このような危険な迂回路からの逃走を試みるしかなかったのである。

 掲げた松明の炎が、不安定に揺れる。
照らした先に、ようやく崖道の終わりが見え始めた。
しかし、裸木の並ぶ広い山道に入ったとしたところで、一行は足を止めた。
闇に沈んだ木立の間から、ふらりと、一人の人影が現れたからだ。

 その顔は、目深く被った頭巾に隠されていて、口元しか見えない。
古城に突入してきた魔導師たちの別働隊かと思ったが、身につけているのは、魔導師団を象徴するローブではなく、どこでも手に入るような雪除けの外套だ。
そして、その手には、なぜか『蛇の毒牙』たちが使っていた、湾刀わんとうが握られている。
異質な空気を纏った、得体の知れぬ男であった。

「……何者だ。そこをどけ」

 イヨルドは、獣の唸りのような声を発した。
周りにいた私兵たちが抜刀し、男を取り囲む。
男は、わずかに顔を上げ、頭巾の下の唇に、ふっと薄い笑みを浮かべた。

「その目元の古傷、あんたがイヨルド・マイゼンだな。……なるほど、一般兵に扮して、命からがら脱出してきた、ってところか。で、魔導師たちは今頃、古城に残った身代わりと睨み合っている、と……。念の為、ここに張っておいて良かったよ」

「…………」
 
 男の発言を聞いて、イヨルドは身構えた。
今まで表舞台に立ってこなかったイヨルドの顔を知り、それが一連の騒動の黒幕であると把握しているのは、古城で"シャル"と名乗っていた王子を語る間諜かんちょうと、そのやりとりを把握している、ごく一部の人間だけだ。
男の声に聞き覚えはなかったが、声色などは、演技でいくらでも変えられる。
目の前にいる男が、あの場にいた『蛇の毒牙』に紛れていた間諜かんちょうの一人だと考えれば、湾刀を所持していることも頷けた。

「……貴様、王子の命で潜り込んでいた、間諜かんちょうの一人か?」

 ほとんど確信的に、イヨルドが尋ねる。
しかし、男はとぼけたように首を傾げ、否定をした。

「間諜? そんな大層な身分じゃない。ただの通りすがりだよ」

「……ならば退け。この場を死地しにちとしたいか」

「いいや。……悪いが、ここで死ぬのはあんたらの方だ──」

 ──言うや、何の予備動作もなく、男が湾刀わんとうを振り抜いた。
側面にいた私兵の一人が、突然の攻撃に反応しきれず、首から血を噴き出して倒れる。
剣の扱いに慣れた者とは思えない、無茶苦茶な太刀筋であったが、殺しには慣れた、躊躇のない一撃であった。

 たじろいだ他の私兵たちが、剣を振りかぶる前に、男は素早く身を翻して、二人目のみぞおちを刺し貫いた。
そこに生じた隙を狙い、背後に私兵が迫る。
その斬撃を、男は身を捻ってかわし、振り向き様に、三人目の首も落とした。
次いで男は、左右から同時に斬りかかってきた二人の私兵を認めると、後方に下がって、一方の足を引っ掛けた。
つんのめった私兵が、剣を構えたまま、もう一人の私兵にぶち当たる。
もつれた拍子に、互いに刺し違えて転がった二人を尻目に、男は、六人目の懐に飛び込んだ。
そして、防御に出た剣を打ち飛ばし、ひるんだ最後の私兵の脇腹を、深く斬りつけた。

 見る間に致命傷を負わされた六人の私兵たちが、雪の上に伏している。
流れ出した鮮血で、白が真っ赤に染まっていく。

 イヨルドは、愕然と目を見開き、しばし目前の惨状を見つめていた。
だが、やがて、腰の大剣を抜くと、何かを悟ったような、静かな口調で言った。

「……良いのか。ここで私を殺せば、カーライル王家自らが、内乱の火種を生むことになるぞ」

 刃に付着した血を振り払い、男は、イヨルドと対峙した。

「それは、つい耳を傾けたくなる脅し文句だね。実際、王子や魔導師たちは、あんたの扱いをどうするべきか、頭を悩ませているだろう。……が、俺の考えとしては、ここであんたを逃して、再挙兵されるのが何より厄介だ。これから変事が起こって、シュベルテの統治体制が変わるかもしれないって時に、面倒事の種は残しておきたくないんでね」

 言いながら、くるりと回した剣先を、イヨルドに向ける。

「それに、さっきも言った通り、俺はただの通りすがりだ。俺があんたを殺しても、王家がマイゼン家に手を下したことにはならない……」

 先手を打ったイヨルドが、大剣を振りかぶり、男に肉薄にくはくした。
一歩後ずさった男が、低い位置から湾刀わんとうを振り上げ、大振りの一撃を弾く。
イヨルドの大剣と、男の湾刀わんとうが交差し、甲高い金属音が響いた。
やはり男は、剣術の経験は少ないようであった。
しかし、だからこそ読みづらい突飛な太刀筋で、確実に急所を狙ってくる。

 イヨルドは、首を裂かんと横薙ぎに振られた湾刀わんとうを弾き返すと、男に突進して、大剣を振り下ろした。
体重の乗った重い刃が、男にのしかかる。
防ぎ切ることは叶わず、イヨルドの渾身の一撃は、わずかに軌道を逸らして、男の腕をかすった。
だが男は、痛みなど全く感じていないような所作で、湾刀わんとうの向きを変えると、下がるどころか踏み込んで、大きく振り切ったイヨルドの右腕を断った。

「────っ!」

 血を振り撒く右腕と、握られていた大剣が、ぼたりぼたりと雪上に落ちる。
自らの血に塗れ、低く呻きながら、イヨルドは膝をついた。
その首めがけて、迫る湾刀わんとうが閃く。
──が、裂かれる寸前に、イヨルドが口を開いた。

「──貴様の正体が、何であれ……」

 湾刀わんとうが、首筋に添えられて止まる。
血走った眼で男を見上げ、イヨルドは言い募った。

「私の死体が上がれば、その死は、否応いやおうなく魔導師団の出動と結びつけられる。後々、逃げた間諜やガキどもから、どのような証言が出ようとも、世間は、王子殿下の命で動いた魔導師団が、内乱予備"疑い"の段階で、イヨルド・マイゼンを討ったのだと受け取るだろう」

 少し沈黙してから、男は、ふっと鼻を鳴らした。

「なら、死体が上がらなきゃ良い話だ。誤魔化す方法なんて、いくらでもある。……そうだな……」

 言うや、イヨルドの大剣を器用に蹴り上げて拾うと、男は湾刀わんとうを捨て、右手に大剣を持ち替えた。
次いで、イヨルドを崖道の方に蹴り飛ばし、今度はその首筋に大剣を突きつける。
覗き込んだ崖間がけあいは、風雪にけぶって、底が見えないほどに深い。
イヨルドを崖のきわひざまずかせてから、男は、淡々と語った。

「……例えば、こんな筋書きはどうだろう?
古城から逃げ出したイヨルド・マイゼンとウェーリン兵たちは、何の報いか罰か、逃亡中に凍った崖道で足を滑らせ、あえなく転落。咄嗟に岩壁に剣を突き立て、ぶら下がって持ち堪えるも、寒さにかじかむ腕では体重を支えきれず、やがて崖の底へ……。誘拐された子供や奴隷たちの救出に来た魔導師たちは、あくまで生け捕るためにあんたを捜索していたが、岩壁に残された大剣を見て、こう判断するわけだ。『ああ、騒動の真相を明かす前に、哀れマイゼン卿は転落死してしまったのだ……』と」

「……っ」

 不意をついて、イヨルドが大剣の刃を素手で握り、身をよじって男に殴りかかった。
しかし男は、その拳を流して腕を掴むと、肩の関節を捻り、イヨルドを雪に叩きつけた。
うつ伏せの状態で、関節を後ろに曲げられて、肩から骨の軋む音が響く。
関節をとったまま、激痛に呻くイヨルドの背を踏みつけると、男はそのまま、何事もなかったかのように続けた。

「魔導師たちだって、本当はあんたをシュベルテに連れ帰って、公正な処断を下したかったし、疑いの段階で殺すつもりもなかった。けれど、本人が勝手に逃げて勝手に死んだのなら、仕方がない。雪に埋れた死体を、崖下に降りて探すなんて途方もない作業だし、ここらで引き上げるか……と。まあ、ここまで思い通りに動いてくれるかは分からないけど、聞いていて納得しやすい筋書きだろう。俺と争った足跡や血痕は、明朝には白く覆われる。……あんたらの死の真相は、永遠に雪に中、というわけだ」

 ぎりぎりと歯を食いしばりながら、イヨルドは、痛みと怒気に震える声を絞り出した。

「……納得しやすい筋書きだと? 捕縛した私をおおやけに処刑し、取った首を城門に掲げねば、その罪を白日の下に晒したことにはならん。罪を証明できなければ、マイゼン家や徴集兵たちを処断することも難しくなる。そうなれば、カーライル王家は、宣戦布告を目論んだウェーリンを許したのだと、シュベルテの民たちに罵られることになるであろうな。イシュカル教の狂信者たちに侵され、召喚師制を廃したカーライル王政は、いよいよ凋落ちょうらくするのだと」

「…………」

 男は、鋭く目を細めた。
勢いよく突き下ろされた大剣が、イヨルドの首の皮膚をかすって、地に深く刺さる。
首筋から溢れた血が、パタパタと雪を汚す。

 イヨルドの耳元に顔を近づけると、男は不意に、威圧的に声を低くした。

「……詭弁きべんだ。いくら挑発したって、あんたの話に乗る気はない。どうも勘違いしているようだが、今の筋書きで手を打ってやろうと、譲歩しているのはこちらの方だ。
承知の上だろうが、謀反は重罪。世が世なら……それこそ、エルディオ王の時代だったなら、内乱を目論んだ、その疑いがある時点で、あんたはこんな風に楽に死ねなかっただろう。実際、それだけの罪を犯した。巻き添いで、当主のマイゼン伯は勿論、一族郎党、強引に集められただけの罪のない徴集兵たちも、ウェーリンの開戦準備に加担した者は、全員が首だけになっていたはずだ。……それがあんたの本懐であっても、なくてもな」

 こめかみから噴き出した脂汗が、イヨルドの鼻筋を伝って落ちる。
男は、穏やかな口調に戻った。

「……けれど、開戦を煽り、憎しみを買ってまでウェーリンとの揉め事を大きくするのは、今のシュベルテが望むところではない。年若いシャルシス王子に、他への見せしめのためだからと、そんな掃討命令を下す決断をさせたくもない。この先のサーフェリアに、必要以上の犠牲を払って他領を脅すような権威を示し方は、もう必要ない。……こんなやり方は、今代で終わりだ」

「…………」

 冷たい夜風が吹いて、雲間から、仄かな月光が降り注いだ。
目を動かして、イヨルドは、憎々しげに男を見上げた。
逆光を受けた男の顔立ちは、黒々としていて、やはりはっきりとは分からない。
だが、頭巾の影からこちらを見下ろす瞳が、風に靡いて月に照らされた髪が、一瞬、冴え冴えとした銀色に光っているように見えた。

 ふっと身体から力を抜き、イヨルドは、諦めたように呟いた。

「……愚論だな……。解放する気がないのなら、さっさと殺せ。この状況で、無様に命乞いを続けるつもりはない。今果てようとも、後に捕らえられて討たれようとも、私の行く先は、地獄と決まっている」

 男は、大剣を地から引き抜き、振り上げた。

「……なら、いずれまた、会うことがあるかもしれないね──」

 振り下ろされた刃が、イヨルドの首を断つ。
噴き出した血潮が湯気を上げながら、辺りに飛散する。
男が手を離し、イヨルドを斜面に放ると、死体は、何かに誘われるように、崖の底へと吸い込まれていった。


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