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投稿日:2026年01月06日





 血を拭った大剣を崖の壁に突き立てると、男は振り返った。
山道には、先程斬った六人のウェーリン兵たちが倒れ伏している。
男は、彼らの死体も斜面の近くまで運び出すと、一人一人、崖の底へと葬った。

 最後の一人には、まだ息があった。
私兵同士で刺し違えた内の片方で、傷が浅かったのだろう。
ずっと死んだふりをしていたのか、あるいは、今になって意識を取り戻したのか。
なんとか男から逃れようと、血のあぶくを吐き出しながら、痙攣する手足を動かして、雪の上を這っている。

 男は、億劫そうに息を吐いて、一度捨てた湾刀わんとうを再び拾った。
そして、とどめを刺そうと刃を持ち上げたが、すぐに構えを解いた。
その時、木立の影から、トワリスが姿を現したからだ。

「……早かったね。古城の様子はどうだった?」

「…………」

 湾刀わんとうを下ろして、男──ルーフェンが問いかける。
トワリスは、真っ赤に染まった一面を見回しながら、しばらく黙りこんでいたが、やがて、ルーフェンに向き直ると、感情を殺したような、平坦な声で答えた。

「……ちょうど、魔導師たちが地下道から古城内に侵入して、残っているウェーリン兵と『蛇の毒牙』を捕縛している頃かと思います。人質の中には、殿下の言っていた通り、ストンフリー夫人がいました。彼女は、シュベルテに戻って教会に見つかるわけにはいかないと言うので、私が先に連れ出しました。今は、麓の無人の山小屋に匿っています」

「……そう。付いていてあげたほうが良かったんじゃない? 山小屋ったって、こんな雪の中で、一人は危ないだろう」

「ルーフェンさんがすぐに戻ってきてたら、そうしてましたよ。……それに夫人は、貴方と違って、仮に魔導師に見つかっても、保護されるだけで危害を加えられることはありません。大勢の魔導師が巡回してる中じゃ、賊や獣も出ないでしょうし」

「まあ、それはそうだけど……」

 反論してから、トワリスは改めて、全身に返り血を浴びたルーフェンの姿を見つめた。
辺りには、濃厚な死の気配と、強烈な金臭さが満ちている。
こうして一人、血溜まりに佇むルーフェンを見るのは、これで何度目だろうか。

 シャルシスからゼナマリアの存在を聞き、彼女だけは魔導師たちに任せられないからこちらで助けてやりたい、と提案したトワリスに、ルーフェンは、それならば一旦別行動を取ろうと返してきた。
表向きの理由としては、魔導師の目を逃れて古城に潜入するなら、単独の方が動きやすいため。
しかしトワリスは、ルーフェンはおそらく、一人でイヨルドを確実に殺しに行くつもりなのだろうということに、なんとなく気づいていた。

 手を汚す時、ルーフェンは、いつも一人になりたがる。
十四年前、国王サミルを狙った賊が、レーシアス邸に入り込んだ時も。
サイ・ロザリエスがセントランスの間諜だと分かって、アルヴァン侯の城館に乗り込んだ時も。
アーベリトが没落した時も。王宮から失踪した後に、追跡してきたジークハルトたちに急襲された時も。
最後に相手を殺すのは、決まってルーフェン一人で、トワリスは、血臭を纏った彼の姿を見ているだけだった。
おそらくトワリスが知らないところでも、ルーフェンは何度も、誰の手も借りずに、誰かを殺し、その犠牲の上で、何かを守ってきたのだろう。
でなければ、軍を持たなかったかつてのアーベリトが、王都としての地位を確立できていたはずがない。

 召喚師としての生を忌み嫌っているルーフェンにとって、見られたくない側面なのだろうということは、今ではよく分かっている。
それでも今回は、この場に間に合って良かったと、トワリスはそう思っていた。
正当化してはならない。
けれども、今はまだ必要な、誰かが為すべき人殺しの業を、ルーフェンだけに背負わせていることに、ずっと罪悪感を感じていた。
トワリスとて、魔導師として生きてきて、罪人と扱われる者たちの命を奪ったことはある。
今更、理想ばかりを並べ立てるつもりはない。
果ては魔導師団を裏切り、自分自身も追われる身となったが、日の当たらない道で共に業を背負って生きていく覚悟は、アーベリトでルーフェンの孤独さを知った昔から、とうにできている。

 片剣を抜くと、トワリスは、足元で呻いているウェーリン兵の男を見下ろした。
腹部の深傷から出血しており、治療をしたところで、助からないだろう。
仮に救える命だったとしても、追い詰められたイヨルドに尚付き従っていた敵方の忠臣ならば、情けをかけてはならない。

 内乱首謀を捕らえて全ての真相を明かせば、シュベルテは──次期国王シャルシスは、イヨルドを含める関係者全員を見せしめに処刑して、ウェーリンとの関係にひびを入れるか、マイゼン家との和解を試みて、自領内のカーライル王家の権威を貶めるか、その二択を迫られることになるだろう。
ルーフェンはきっと、己が味わってきた、たった十四の少年が思い知るには残酷すぎる選択と苦悩を、シャルシスには経験させたくないと思っている。
無論トワリスも、その考えは同じだ。
だから、自分たちが、イヨルドの一派を消す適役なのだ。
今や召喚師派ではない、シュベルテにも属さない、既に罪人の身分と言える、自分たちが──。

 驚き、制止しようとしたルーフェンに構わず、トワリスは、片剣で私兵の首を斬った。
落ちて転がった頭部が、赤い軌跡を描きながら、斜面をころころと下っていく。
刃の血を払って納刀すると、トワリスは、その胴体も引きずっていき、崖の底へと落とした。
おびただしい血痕の上には、既に薄らと雪が積もり始めている。
あとは何もせずとも、雪が罪の跡を、白く覆い隠してくれるだろう。

「……無理しなくても良かったのに」

 何か言いたげにこちらを見ていたルーフェンが、ぽつりと呟いた。
トワリスは首を振り、ルーフェンの前に立つと、手を伸ばして、その汚れた頭巾を外した。
月光を透かしたような銀髪にも、作り物めいた白皙はくせきにも、赤い血がこびりついている。

 髪に触れ、頬に触れ、どこか傷を負っていないか確かめながら、外套に隠れていた右腕を引いた時。
ふと、また"あの違和感"が頭をよぎって、トワリスは瞳を揺らした。

「……無理をしているのは、貴方の方です。腕の怪我、見せて下さい」

 そう言って、トワリスが右手を掴もうとすると、ルーフェンは、やんわりと拒絶するように、腕を引っ込めた。

「……怪我はしてないよ。全部返り血だ」

「そんなわけありません。右腕、出血してるでしょう」

「してないよ」

「いいから、見せて下さい。本当に返り血なら、外套の内側には血が染みてないのに、中の袖が真っ赤なんてこと、ありえないです」

「…………」

 ルーフェンは、肩をすくめてから、血が滴るほどに濡れている袖をめくって、トワリスの前に右腕を出した。
晒された肌には、ルーフェンの言う通り、傷一つついていない。
それを見て、トワリスは、泣き出したい気持ちになった。
長らく心の中で膨れ上がっていた違和感が、ついに破裂して、確信に変わってしまったからだ。

(……どうして……?)

 本当は、ずっと聞いてみたかった。
けれども、口に出したら、全てが終わるような気がして、言えなかった。
震える喉で息を吸い、トワリスは、ついに尋ねた。

「……いつからですか?」

「……何が?」

「いつから……禁忌魔術なんて、使ってるんですか……?」

 ルーフェンの目が、微かに見開かれる。
トワリスは、必死に動揺を抑え込んでいるような、不安定な瞳で、その表情を見つめていた。

 何も答えずにいると、痺れを切らしたように、トワリスがルーフェンの右手を掴んだ。

「怪我、したはずです。それなのに、傷が跡形もなくなってる。ギールとバーンズさんに攻撃されて、ノーラデュースの底に落ちた時もそうでしたよね? 絶対撃たれて、致命傷を負っていたはずなのに、私が目覚めた時、貴方は無傷だった」

「…………」

「……シルヴィア様が使っていた禁忌魔術と、同じじゃないんですか? シルヴィア様、アーベリトにいた時に、言ってたんです。自分は禁忌魔術で肉体の時間を巻き戻しているから、若い姿を保てるし、傷を負ってもすぐに治るんだって。……違いますか? 私の勘違いなら、そうだって言って下さい」

「…………」

 違う、勘違いだと、そう言ってほしかった。
ルーフェンは、実母シルヴィアのことを、ひどく嫌っていた。
だから、その母と同じてつを踏むなんて愚かなこと、するわけがないだろうと。

 しかし、トワリスの願いも虚しく、ルーフェンは否定しなかった。
長い長い沈黙の後、右腕を掴むトワリスの手を外すと、ルーフェンは、睫毛まつげを伏せて微笑んだ。

「……君が、シルヴィアからそんな話を聞いていたなんて、知らなかったな」

 おもむろに持ち上がった湾刀わんとうが、ルーフェンの腕の皮膚を浅く切る。
溢れた血が、足元の雪を赤く汚していく様を眺めながら、ルーフェンは続けた。

「……君の言う通りだよ。俺は、王宮を出る少し前から、禁忌魔術を行使している。母が使っていたものと同じ、魔力が尽きるまで、発動時の肉体を保ち続ける魔術だ」

 息を呑んで、トワリスは、ルーフェンの腕を見つめた。
腕の傷が、みるみる塞がっていき、やがて、血の跡だけを残して消える。
同時に、ルーフェンの背後に、ぼんやりと淡く光る、巨大な砂時計が現れた。
夜陰に浮かぶ月影のようなそれは、くるりと反転すると、中の砂をさらさらと逆流させていく。
それは、かつてシルヴィアが、トワリスに見せた事象と全く同じであった。
砂を落とし切った砂時計が、闇に溶けるように消えると、ルーフェンは、傷のなくなった腕を袖の中にしまった。

「な、なんで……なんで、そんなことしたんですか……?」

 瞳を揺らしながら、トワリスは、もう一度問いかけた。
ルーフェンは勿論、トワリスも、この禁忌魔術を使ったシルヴィアの末路を知っている。
彼女は牢で亡くなってから、巻き戻していた長い時間を一気に取り戻して、老いさらばえたら姿となった。
つまり、この『時を操る魔術』は、断じて傷を治癒するものではない。
魔力供給が維持されている間に限り、肉体に起こった変化が巻き戻されているだけで、その変化は、消えてなくなるわけではないのだ。

 トワリスは、青ざめた顔でルーフェンを見上げた。
彼は、王宮を出た時にも、ジークハルトやギールに追撃された時にも、決して軽くない傷を負っていた。
もしかしたら、トワリスが知らない所でも、負傷していたかもしれない。
術を解いて、それらの致命傷を身体に戻したら、一体彼はどうなってしまうのか。
心のどこかで覚悟はしていたが、考えたくなかった。

 湾刀わんとうを地に刺し、赤くなったトワリスの目元を指先で拭うと、ルーフェンは眉を下げた。

「……そんな顔をしないで。……ごめんね」
 
「……何の謝罪ですか」

 声だけは、鋭く気丈に返す。
ルーフェンは切なげに、けれども、迷いのない眼差しを、トワリスに向けた。

「……これから先、ずっと一緒にいられるわけじゃないのに、君を、この旅に同行させてしまって、ごめん」

「────……」

 トワリスは、声を詰まらせた。
何が起ころうとも受けて立つと決心して、旅への同行を望んだのは、トワリスのほうだ。
だから、同行を許したことに関しては、後悔してほしくないし、謝られたくない。
そんなことより、嘘をついていたこと、禁忌魔術の使用を隠していたことについて謝ってほしかったが、今は、何よりも絶望感が勝って、言い返す言葉が思い浮かばなかった。

 白い吐息をついて、ルーフェンは、何かを思い出すように目を細めた。

「……こんな旅、俺一人で良かったんだ。最初からそのつもりで、召喚師の座を退いたはずだったんだけどね」

「…………」

「……俺はもう、君には何もしてあげられない。涙を止めてあげることもできないし、未来の約束もできない。だからやっぱり、ノーラデュースで再会した時に、君を拒むべきだった。……そう、分かってたんだけど……できなかった。君が全てを捨ててでも、召喚師じゃなくなった俺を選んでくれたことが、嬉しかったから」

「…………」

 トワリスは、再びルーフェンの腕を掴んだ。
そして、自分が来た山道を示した。

「どこか傷を治療できるところに行きましょう。そこで、禁忌魔術を解いてください! これ以上怪我を負わない内に治せば、きっと……きっと回復します」

 言いながら、腕を引っ張ったが、ルーフェンは動かなかった。
指先が白くなるほど強く、震えながら腕を掴んでくるトワリスの手甲てこうを、ルーフェンはそっと撫でた。

「行けない。今は、倒れられないんだ。……まだやることがある」

「やること……?」

 振り返ったトワリスに、ルーフェンが頷く。
それから、彼女の手を取り直すと、ルーフェンは、下りの道に視線を移した。

「……君には、全て話すよ。なぜ俺が、召喚師制を廃する手段に、王宮から出ることを選んだのか。……少しだけ、付き合ってくれる?」

「…………」

 トワリスは黙って、ルーフェンに手を引かれるまま歩き出した。
話を聞けば最後、彼はまた去っていくのかもしれないという嫌な予感があったが、それでも、全てを話すと言われると、着いていくしかなかった。
ずっと明かされずにいたルーフェンの真意を、その決断を、自分は聞かなければならないと思ったからだ。

 ルーフェンは、下山道を途中まで下ってから、細い獣道へと入っていった。
方向的には、トワリスがゼナマリアを匿った山小屋に近づいていく道程であったが、麓に出る様子はなく、どんどん森奥へと進んでいく。

 一刻ほど雪道を歩き通して、少し息が上がってきた頃に、ルーフェンはようやく足を止めた。
そこは、断崖に面した、凍った沢の通る山の奥地であった。
沢の前で立ち止まり、「そこで待っていて」とトワリスに告げると、ルーフェンは、凍りついた沢水を踏んで渡り、断崖の岩壁に掌を当てた。

──次の瞬間。
突然、耳鳴りがするような膨大な魔力が、辺りに満ち始めた。
岩壁をなぞり、ルーフェンが唱える。

「……汝、頂点と終点を司る地獄の公爵よ。従順として求めに応じ、可視の姿となれ……」

 雪に覆われた地面が、ドクドクと脈打つ。
岩壁に浮かび上がった、ぞろりと動く巨大な鱗のようなものを見て、トワリスは、慌ててルーフェンの元に駆け寄った。

「だ、駄目です! こんなところで召喚術を使ったら──」

「──古城から距離は取った。イヨルド派と交戦中の魔導師たちに、魔力を感知する余裕はないだろう。仮に気付かれたとしても、もう遅い」

「遅い……?」

 戸惑うトワリスに構わず、ルーフェンは、岩壁に新たな移動陣を展開した。
魔力の混じった夜気が、より濃く、より重くなって、唸るように振動している。
ややあって、完成した魔法陣が、カッと眩い光を放つと、満ちていた魔力は霧散した。

──と、その時。巨大な何かが、目前に迫ってきた。
反射的に避けようとしたが、それは、まるで濁流の如く広範囲に覆い被さってきて、とても避けられない。
咄嗟にルーフェンがかばってくれたので、トワリスは、その身をさらわれずに済んだ。
だが、信じられない光景を前にして、困惑する気持ちは変わらなかった。
移動陣から唐突に噴き出したそれは、一本一本が人の胴よりもずっと太い、巨大な木の根の束だったのだ。

 木の根は、互いに絡まり合い、触手のように伸びて沢や周囲の裸木を飲み込むと、やがて、そこで成長を止めた。
見たことのない、薄紫に光る、不気味な樹皮をしている。
トワリスが、恐る恐る根に触れようとすると、ルーフェンがその手を止めた。

「触らないで。……君は、絶対に」

 そのまま手を取り、ルーフェン自身は木の根を素手で退けて、二人は、伸び切った樹根の檻から脱した。
毒でもあるのかと思ったが、根に触れたルーフェンの手に異常は見られないし、禁忌魔術を使った様子もない。
樹根と移動陣をまじまじと見つめて、トワリスは尋ねた。

「……これ、何なんですか? どうして移動陣から、急に木の根が……?」

 トワリスの横に並び立って、ルーフェンは、唇を開いた。

「……これは──」


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