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投稿日:2026年01月06日







 奇妙な樹根の発生は、王都シュベルテ内のみならず、各地で確認されていた。
流石に只事ではないと判断して、モルティスが謁見の間を開放すると、他領の伝令役の兵士たちが、入れ替わり立ち替わりで報告にやってきた。

 ほぼ同時刻に、突如として各所に現れた樹根は、這い出した手指の如く地を引っ掻き、現在は不気味な静寂を保っているのだという。
遠方の土地や、シュベルテに属さない領の状況などはまだ把握できていないが、地図上に記録した分布から判断するに、樹根はサーフェリア全土に広がっていると考えられた。

 伝令役からの報告を一通り受け、最後に、ギールとゼナマリアを謁見の間に通した時。
ギールがまとう雰囲気の変わりようを見て、モルティスは、謁見を許可したことを後悔した。

 モルティスが知るかつてのギールは、復讐心と情熱をたぎらせ、抑えきれない感情を分かりやすく表に出している男だった。
だが今、謁見の間に入ってきた彼の眼には、手負いの獣のような鋭さが宿っている。
疲労のにじむけた顔つきで、薄汚い旅装をまとい、一見すれば脱獄犯に堕ちた哀れな元宮廷魔導師なのだが、その瞳は以前よりも成熟した仄暗さをたたえている。
衛兵たちに囲まれていても、一切怯む様子を見せないその立ち振る舞いを見ながら、モルティスは、彼の真意を測りかねていた。

 ひざまずき、頭を垂れたギールとゼナマリアの前に立つと、モルティスは口を開いた。

「……レドクイーン卿。まさか、生きて再び言葉を交わすことになろうとは思わなんだ。……あのような騒動を起こしておきながら、一体どのつらを下げて戻ってきたのか、この私に見せてみよ」

 ギールは片膝をついたまま、ゆっくりと顔を上げた。
空席の王座へと続く、高壇の階段の手前に、モルティスは立ちはだかっていた。

 久々に見た謁見の間は、随分と様変わりしていた。
嗅ぎ慣れない、やけに甘ったるい香の匂いが、広間に充満している。
高い天井には、イシュカル神の金刺繍が施された見慣れぬ垂れ幕が飾られ、この広間を、王の威厳を象徴する場所から神を祀る祭壇へと変えている。
壁際には、複数の司祭たちや修道騎士会の兵、軍務卿のジョナルド・クラインらも控えており、ギールとゼナマリアを油断のない眼差しで見据えていた。

「……リラード猊下、まずはその寛大な御心みこころに感謝を。異端の者に屈し、その脱獄を見逃した罪深い私に、お目通りの機会を与えてくださりありがとうございます。……私は、己の愚かさ、弱さを悔いております」

 モルティスは、怪訝な面持ちのまま、ギールの斜め後ろで膝をついている、縛られた女に視線をやった。

「……なるほど。その贖罪しょくざいの証に、今度は異端の女を捕らえてきたと。──おい、その女の頭巾フードをとれ」

 モルティスの命令を受けて、二人に槍先を向けていた兵士が、ゼナマリアの頭巾を乱暴にとった。
弱々しくやつれた、しかし凄絶な憎しみの炎を宿した目が現れ、モルティスを睨みつける。
露わになったゼナマリアの顔を見て、モルティスは、口角を釣り上げた。

「いやはや驚いた……。偽の売女ばいたでも攫ってきたのかと思いきや、これは間違いない。ご無沙汰しております、ストンフリー夫人」

「…………」

 ゼナマリアは、無言のままモルティスだけを見据えている。
笑みを消してから、モルティスはギールに視線を戻した。

「レドクイーン卿、よくぞ夫人を捕らえてくれた。貴殿がどこまで把握しているのかは分からぬが、その女は、イシュカル神を冒涜した重罪人の妻だ。ストンフリーの一族を粛清した際に、あろうことかその女は、夫を見捨てて屋敷から逃げ出した。以来我々は、長らくその行方を探していたのだ」

 ゼナマリアの華奢な肩が、怒りで震えているのを横目に見ながら、ギールは、努めて表情を変えずに、モルティスと睨み合っていた。
葬樹そうじゅの樹根が出現し、城下は──いや、サーフェリア全体が今まさに危機的状況であるというのに、どうしてモルティスは、神の威光とやらを保つことばかりに躍起になっていられるのだろう。

 周囲に控えている司祭たちも、悠長な態度でモルティスの発言に頷いている。
異端の話を切り出したのはギールの方だが、だんだん苛立ってきた。
王都内に限らず、各地から多くの伝令も押し寄せているのに、樹根の出現に気づいていない、というはずもあるまい。
それとも、王宮や聖堂は現時点では無事だから、大した被害は出ていないと認識しているのだろうか。

 ギールの焦りは全く意に介さず、モルティスは言い募った。

「……して、そなたの要求はなんだ? 免罪か、修道魔導師会への入団か……。そなたの犯した罪は易々とは許されぬものだが、謝罪の意は伝わった。更なる弁明があるならば、何なりと申すが良──」

「──そんなことより!」

 モルティスの言葉を遮っていきなり叫ぶと、ギールは、衛兵の槍先を押し除けて立ち上がった。
驚いた兵たちが、慌てて短槍を握り直す。
そんなことより? と片眉を上げたモルティスに、ギールは構わず切り出した。

「猊下、外の様子をご覧になりましたか? 突如現れた巨大な根が地を割り、人家を壊し、人々を脅かしております! あの根は、単なる地変ではありません。アルファノルの闇精霊、エイリーンによる侵攻です! 発生源はおそらく、ルーフェン・シェイルハートによって敷かれた移動陣。ハインツさんによれば、エイリーンによる人間への攻撃はこれだけに留まらぬと。シュベルテにも各領にも、今すぐ緊急事態を宣言してください! そして、人々を移動陣のない場所へ──防護結界を展開できる北西の大聖堂へ避難させてください!」

 広間中に響く大声で、ギールは一気にまくし立てた。
一瞬の沈黙の後に、司祭たちの間でどよめきが起こる。
その動揺を制するように手を挙げると、モルティスはフンと鼻を鳴らした。

「また異端の戯言か……。あんなもの、単なる木の異常増殖だろう。軍部には根の焼き払いと、市街の復興を命じておる。取り立てて騒ぐことではない」

 ギールは眉を寄せ、更に声を強めた。

「単なる木でないことは一目で分かるでしょう⁉︎ 燃やしたり斬ったりしても再生すると、伝令による報告でも言われていたはずです!」

「魔術による増殖ならば、魔力の元を辿って対処せよとも指示してある。じきに修道魔導師会の魔導師たちが原因を特定し、根を根絶させるだろう」

「だから、発生源は移動陣で原因は闇精霊族なんですよ! 優先すべきは避難で、発生源を潰すのであれば大元の移動陣を探してください! 至急です! いずれこの王宮にも、根が侵入してくるかもしれないんですよ⁉︎」

 前のめりになったギールを、衛兵たちが慌てて槍で抑える。
モルティスは、途端に白けたような顔になって、億劫そうに吐息をついた。

「闇精霊が移動陣を使って、サーフェリアに侵攻してきた? そんなことはあり得ぬ話だ。異端のリオット族が、罪を免れたいがために発した嘘を鵜呑みにして、妄言を吐き散らかすのはやめよ」

「妄言などではありません! あの場にいたヴィルマン卿からも証言は得ていますし、私は実際にノーラデュースに行き、地下の移動陣からあの根が生えているところを見ました。どのような攻撃も通じず、再生することも確かめて──」

「──黙れ! やはり異端の思考に染まっているようだな、ギール・レドクイーン!」

 司教杖の石突でダンッと床を鳴らし、モルティスは語気を強めた。

「愚かな異端者よ、言葉はよく考えてから口にせよ。かつて、世の平和を望んだ女神イシュカル神は、凶悪な異種族を人間たちから遠ざけるため、サーフェリアの周辺に超えられぬ『隔たり』を作った。異種族がその隔たりを破って侵攻してきた、などという妄言を吹聴し、人々の恐怖心を煽ることは、神の威光を疑わせる行為に他ならぬ!」

 ギールは、負けじと言い返した。

「妄言を吹聴しているのはそちらでしょう! 実際、過去にはミストリアの獣人たちがサーフェリアに渡ってきたではありませんか!」

「あれは、イシュカル神と対立する邪悪な召喚師によって引き起こされたことだ。災いを呼び寄せる召喚師を葬り、召喚師制を廃止した今、神によって完成された隔たりが侵されることは考えられぬ!」

「その召喚師が過去に敷いた移動陣を利用して、再び災いが呼び寄せられたのだと言っているんです! リラード猊下、今軍部を動かせるのは実質貴殿しかいないんですよ! お願いですから、再度城下の被害状況をご覧になって、正しいご判断を! 神話上の出来事を信じきって、現実から目を逸らしては、救えるものも救えなくなります!」

 ギールは、モルティスだけでなく、広間にいる全員に訴えかけるように周囲を見回した。
召喚師ルーフェンがまだ生きている可能性があり、今度は闇精霊と通じて根の侵攻を手引きしたのだ──と主張してやろうかとも思ったが、そんなことを明かせば、モルティスの思考はますます人々よりも神の威光を守る方に傾いていくだろう。
今はとにかく、モルティスが軍部を動かすように促して、サーフェリアを救うことが最優先だ。

 司祭たちに混じり、壁際に立っていた軍務卿ジョナルドは、ギールと目が合うと、おどおどした様子で口を開いた。

「そ、そうは言いましても……仮に避難指示を出したとして、避難先の建物全体を覆えるほどの大型の防護結界を一から張るには、大勢の高位の魔導師が必要なのでしょう? どうにかして根を焼き切る方法を探す方が良いのでは……」

 モルティスに睨まれて、ジョナルドはすぐに押し黙った。
だが、ギールは、彼の言わんとしていることを察した。
──そうか。モルティスたちには、そもそも大勢の高位の魔導師を揃えることができないのだ。

 修道魔導師会は、召喚師制が廃止になってから設立されたため、騎士会よりも更に歴史が浅い。
加えて、属しているのは、教会が操りやすい若手の魔導師や、弾圧に屈した下位の魔導師たちばかりだ。
反抗的な高位の魔導師たちは、大半が異端者として罰せられ、あるいは王都から遠ざけられたためである。

 それにより、後々力不足に陥ることが分かっていたから、モルティスは、表向き軍務卿を立て、召喚師を討った宮廷魔導師団に軍部の実質の権限を握らせようとしていた。
しかし、ジークハルトまでもが異端として投獄され、他の面々もエイリーンとの一件により退団し、宮廷魔導師団はほとんど解散状態となったため、それは叶わなくなった。

 そういう状態であったから、修道魔導師会は、ギールのような一度寝返った魔導師でも、反教派を謳ってさえいなければ引き入れる、という杜撰な管理体制にならざるを得なかったのだろう。
モルティスがギールの進言を拒むのは、教会の教えを通したい、という思いもあるのだろうが、そもそも現在の教会には、世俗魔導師団と同程度の軍事力がない、ということが大きな理由に違いない。

 モルティスが失言したジョナルドを怒鳴りつけようとした──その時だった。
突然、足元が大きく震えた。
地の底が突き上がるような衝撃が走り、石壁が悲鳴をあげ、垂れ幕がバサバサと揺れる。
ギールやゼナマリア、モルティス、司祭や衛兵たちも、全員が立っていられず、その場に膝をつく。

 誰かが悲鳴を上げたが、それ以上の地鳴りが鳴り始め、割れた石床から破片が飛び上がった。
天井に吊るされていたシャンデリアが鎖ごと落下し、高壇の階段上に叩きつけられる。
床についた手足からは、骨に響くような轟音が伝わってくる。
まるで何かが、地中で激しく暴れているようだった。

 しばらくすると、揺れが鎮まっていき、人々は恐る恐る立ち上がった。
一体何事だったのかと、唖然とした表情で、皆一様に周囲を見回す。

 不意に、一人の司祭が、大窓の方を指差してウワッと叫んだ。
つられて外の景色を見たギールたちも、思わず目を疑った。
シュベルテの城壁よりも向こう──丘陵の彼方に、雲を突くほどの巨木が、忽然と姿を現していたからだ。

 それは、街中に出現した樹根と同じ、薄白い幹枝を広げた、見たこともない不気味な巨木であった。
枝周りに茂る紫白の葉は、陽光を遮り、風を堰き止め、濁ったもやをまとっている。
ギールは、ごくりと息を呑んで、大きく目を見開いた。

(もしや……あれが葬樹そうじゅか……?)

 ぐらりぐらりと、まだ足元が揺れているような感覚がある。
巨木の異様な存在感に気圧けおされ、うまく言葉が出てこない。
モルティスたちは、先程までの論争を忘れ、しばし沈黙して、その光景に見入っていたのであった。


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