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投稿日:2026年01月06日
* * *
アルファノルと繋がる移動陣から根差して、葬樹は、ついにサーフェリアへと渡ってきた。
芽を出し、急激に成長した幹は曇天の空を貫いて、枝葉は雲をまとっている。
王宮の一角に生えていた木に宿り、つかの間眠っていたエイリーンの思念体は、地中に広がってきた葬樹の根から幹、枝へと移動して、ようやく実体と一つになった。
何千年もの間、数多の屍を糧として生き永らえてきた巨大な寄生樹──これが、エイリーンの本来の姿である。
枝の一本から派生し、再び人の姿をとったエイリーンは、眼下で小さな人間たちが虫のようにひしめいている、王都シュベルテの様子を見下ろした。
扇状に広がる街の、その頂に位置する王宮には、仰々しい結界が張られている。
だが、大半の人間が住む居住区は無防備な状態だ。
他の都市でも、人々が樹根を斬ったり焼いたりしようとしている感覚は伝わってくるが、街を捨てて遠くへ逃げ出そうとする様子はない。
枝に腰を下ろし、人間たちが混乱する様子を俯瞰しながら、エイリーンはふっと笑った。
「……どのような気分だ? お前に売られた哀れな人間たちを、こうして異種族の手中から見下ろすのは」
「…………」
片足を枝にかけると、ギッと軋む音がする。
エイリーンの隣に降り立つと、ルーフェンは外套の頭巾を取った。
「……特に何も。自国に思い入れがあるわけじゃないんでね」
淡々とそう答えたルーフェンを一瞥し、笑みを深める。
再び視線を落とし、枝の上で立ち上がると、エイリーンは魔力を込めた掌をシュベルテの街へと向けた。
これからエイリーンは、今ある魔力を総動員して、大規模な召喚術を行使する気だ。
発動した召喚術は、移動陣を通じて広がった葬樹の樹根を伝い、サーフェリア中の人間たちを襲う。
──ルーフェンは、エイリーンの魔力が移動陣に達した瞬間に、術式を逆展開させ、その効力を跳ね返すつもりでいた。
澱んだ魔力が一層濃度を増し、空気が冷たく濁っていく。
葬樹の幹が脈打ち始め、枝葉がざわつき始める。
なびく黒髪の隙間から、橙黄色の目を光らせ、エイリーンはルーフェンに宛てるでもなく呟いた。
「……この力は、遠い昔に、我が二代目の人間の召喚師を喰って奪ったものだ。この世界の在り方を望んだ始祖の力で、その後胤である人間たちも、古代樹の一族たちも、残らず葬ってやろう……」
耳元で風が唸り、肺まで強張らせるような凍てついた魔力が、容赦なく吹きつけてくる。
うまく息が吸えなくなって、ルーフェンは、用意していた木杖を握り込むと、自身の周囲に結界を張った。
人間では抗いようのない、膨大で重々しい魔力だ。
これを跳ね返すことによる負担と反動は、正直計り知れない。
だが、全てを捨ててエイリーンを止めることを選んだのだから、やり通すしかない。
黒い靄が、エイリーンの身を包み込む。
広げた掌の前に、巨大な召喚術の陣を展開させると、エイリーンは唱えた。
「……汝、衝動と腐敗を司る地獄の侯爵よ。従順として求めに応じ、我が身に宿れ……」
詠唱に応えるように、葬樹全体がブルブルッと大きく身震いした。
葉が騒ぎ、幹枝の樹皮がキシキシと音を立て、地中で蠢く根が、地盤を押し上げて大地を揺らす。
エイリーンから樹根に伝わった黒い魔力が、四つの移動陣に到達した──刹那。
移動陣が反転し、魔力が逆流した。
「────っ⁉︎」
葬樹の樹根が、移動陣を境に弾けて分断される。
跳ね返された衝動が、一瞬にして根を潰し、幹を裂き、枝葉を散らしていく。
足元の枝が崩落したのと、エイリーンの肉体が爆ぜたのは、ほとんど同時であった。
その口から、悲鳴とも笑いともつかぬ声が、ヒュッと漏れる。
同じく反動を受けたルーフェンの右腕も、激痛と共に裂けた。
みるみる肩口まで到達した傷から、勢いよく血が噴き出す。
反転させた魔語が皮膚に焼きつき、骨の髄まで熱を刻む。
──が、ルーフェンの背後にぼんやりと浮かんだ銀色の砂時計が、くるりと半転すると、破裂した腕の筋骨が再び繋がり、皮膚が再生した。
血の跡だけを残して右腕が戻ると、ルーフェンは、落としかけた木杖を握り直した。
肉片、いや木片と化したエイリーンが、目の前でバラバラと崩れていく。
しかし、まだ終わりではない。
木片は震えながら集まり、シュルシュルと伸ばした蔓を絡めあって、またエイリーンの形を成そうとしている。
ルーフェンは、木片めがけて木杖を振り上げた。
そして、崩落していく足場に構わず、唱えた。
「──汝、支配と復讐を司る地獄の王よ! 従順として求めに応じ、可視の姿となれ……!」
轟音と共に、天が光った。
厚みを増した雲の中に、白紫の光が幾筋も走る。
ルーフェンが木杖を振り下ろすや、無数に迸った稲光が、雷鳴を伴って落ちた。
目を灼くような閃光が、次々に葬樹の樹体を貫いていく。
一閃、また一閃と走る迅雷。
再生しかけていたエイリーンの身体も、雷撃に打たれて、たちまち焼失した。
視界が絶えず発光し、明滅し、稲妻が雨のように降り注ぐ。
葬樹は黒く焼け焦げ、跡形もなく崩れ去ったが、それでもルーフェンは、魔力が許す限り雷撃を落とし続けた。
一発でサーフェリア全土を掌握せんとするような、大規模な召喚術の発動を阻止させられて、エイリーンは予想外に消耗したはずだ。
その身の完全に死滅させるなら、この好機を逃してはならない。
やがて、舞っていた葉の一枚すら残さず焼き払うと、ルーフェンは葬樹の灰の上に着地した。
辺りは一面焦土となって、燻った火がゆらゆらと黒煙を上げている。
木杖を支えに立ちながら、ルーフェンはつかの間、目を閉じた。
一気に大量の魔力を消費したせいで、眩暈がする。
焦臭さに咳き込むと、喉の奥が焼けるように痛み、口内に血の味が広がった。
その時、風の音に混じって、何かが引きずられるような音が聞こえてきた。
ハッと顔を上げると、遠くで立ち上がった炭の塊が、ズリズリと脚のようなものを動かして、こちらに近づいてくるのが見えた。
灰の海を掻き分けて動く内に、その脚は肉付けされていき、徐々に太く長くなっていく。
盛り上がった灰が、意思を持っているかの如く集まって、炭の塊にまとわりついた。
焼き尽くした細かな欠片が、頭部や腕も形成して、人らしい輪郭を作り上げていく。
(……そう簡単には、いかないか……)
ルーフェンは、血に濡れて重くなった外套を脱ぎ捨てると、木杖を構え直した。
先程の一撃で仕留められなかった場合も、無論想定はしていた。
だが、全力の一撃だったので、あれで殺せないとなると、正直他の対抗手段は浮かばない。
炭の塊は、やがて元通りのエイリーンの姿になると、ルーフェンの前で立ち止まった。
その唇が、怪しく弧を描く。
くつくつと喉を鳴らして笑い、それからふっと笑みを消すと、エイリーンは首を傾けて、ルーフェンをじろりと見た。
「やはり裏切ったか……愚かな人間めが」
持ち上がったエイリーンの指が、スッと空を切る。
その瞬間、灰の山を巻き上げて、地中から数十もの葬樹の根が飛び出してきた。
鞭のように打ちかかってきた樹根が、視界を覆い尽くす。
避け切れる量ではないので、ルーフェンは結界を張った。
しかし、代わる代わる激突してくる樹根の一撃は重く、破壊されるのは時間の問題だ。
結界を維持しながら、ルーフェンは木杖の向きを変え、その先端に魔法陣を展開した。
「責められる、謂れはないね! 裏切られる方が悪いって言ったのは、あんたの方だ──ろ!」
魔法陣から噴き出した炎が、蠢く樹根を次々と呑み込んでいく。
とぐろを巻いた炎は、樹根を炭化させながら、エイリーンをも焼き尽くさんと迫った。
しかし、すんでのところで、新たに地面から突き出してきた樹根にかき消されてしまう。
舌打ちをして、ルーフェンは結界を張り直した。
今の炎も、詠唱なしで出来うる最大限に強力な魔術のつもりだったのだが、エイリーンには全く届いていない。
立ち込めた煙を、鬱陶しそうに樹根で払いながら、エイリーンはゆったりとした足取りで距離を詰めてきた。
「愚かだと言ったのは、貴様の無謀さに対してだ。人間は無知だが、低脳ではない。牙を剥いて良い相手と、そうでない相手の区別くらいはつくだろう……?」
際限なく現れる樹根が、再びルーフェンに狙いを定める。
召喚術で消耗して尚、エイリーンの周囲には、圧縮されたどす黒い魔力が、陽炎のように立ち上っている。
汗がこめかみを伝っていくのを感じながら、ルーフェンは、木杖を握り込んだのであった。
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