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投稿日:2026年01月06日






  *   *   *



 立っていられないほどの大揺れに続いて、今度は耳をつんざくような雷鳴が鳴り響いた。
白光が目を灼き、つかの間、前後不覚の状態に陥る。
それはまるで、ヘンリ村で幼いルーフェンが見つかった、二十年前の夜を彷彿ほうふつとさせるような、不自然なほどに激しい落雷であった。

 モルティスも軍部の現幹部たちも、ギールとゼナマリアに槍を突きつけていた兵たちでさえ、まともに目を開けていられず、床にうずくまるしかなかった。
軍務卿のジョナルドや司祭たちに至っては、ひっくり返った椅子の下に潜り込んで、胸元の女神像を握り込みながらブルブルと震えている。
雷鳴が収まった後も、しばらくは目と耳が使い物にならず、皆その場から動けなかった。

 床に手をついた瞬間、掌に痛みを感じて、ギールは目を開けた。
掌からにじんだ赤が、徐々にはっきりと見え始める。
落下して砕けたシャンデリアの装飾硝子そうしょくガラスに触れてしまい、軽く切ったようだ。
痛みを皮切りに、光や音が戻ってくると、ギールはようやく立ち上がることができた。

 よろよろと大窓に近づき、外の様子を確認すると、先ほど城壁の向こうに突然現れたはずの巨木が、いつの間にか跡形もなく消え去っていた。
代わりに、その巨木が立っていた辺りから、濛々もうもうと黒煙が上がっている。
よく見ると、城下の方からも微かに煙が上がっていた。
まさか、今の落雷は、エイリーンによる攻撃だったのだろうか。
その割に、街への被害はほとんど出ていないように見えるが、樹根の出現により既に建物の崩落などの損害は出ている状況だったので、遠目からでは違いがよく分からないだけなのかもしれない。
ただ、召喚師一族が関わっているであろう、大規模な魔術がどこかで行使されたことは確かだ。

 とにかく早く城下の人々を避難させなければ──とギールが振り返ろうとした、その時だった。
今度は、背後でいきなり、モルティスの悲鳴が上がった。
朦朧としていた他の面々も、驚いて顔を上げる。
モルティスの方を見て、ギールは絶句した。
ゼナマリアが、一体どこに隠し持っていたのか、短刀をモルティスの腹部に突き立てていたのだ。

「──ゼ、ゼナマリアさん⁉︎ 何してるんですか⁉︎」

 ギールは慌てて駆け寄り、ゼナマリアの腕を掴んで引っ張った。
しかし、ゼナマリアは、握り込んだ短刀を決して離そうとしなかった。
モルティスも呻きながら、彼女の顔面や腕を司教杖しきょうじょうで殴りつけているが、皮膚が腫れて変色しても、ゼナマリアは力を緩めない。
それどころか彼女は、凄まじい力でギールたちに抵抗しながら、モルティスの腹部に更に刃をねじ込んだ。

 ごふっ、とモルティスの口から血泡が噴き出し、その手から杖が滑り落ちる。
法衣ほうえがみるみる赤く染まった。
傷口から刃を伝って落ちた血が、床にも広がっていく。
これ以上は致命傷になると踏んだギールが、ゼナマリアの両脇に腕を差し込み、強引にモルティスから引き剥がすと、彼女はやっと短刀を手放した。

「ゼナマリアさん! お、落ち着いてください! 今、実質的に軍部の指揮を取っているのは猊下げいかです! ここで殺しては、避難指示を出そうにも統率が取れなくなります……!」

「いやっ、止めないで! 離しなさい……! こいつは夫や家人かじんを焼き殺した外道よ‼︎ 私は仇を討つためにここに来たの……‼︎」

 ゼナマリアは、髪を振り乱して叫びながら、無茶苦茶に腕を振り回して抵抗を続けた。
だが、ギールが羽交い締めにして押さえつけると、思いの外簡単に動きを封じることができた。
──当然だ。ゼナマリアは壮年の華奢な女で、軍部に属する軍人というわけでもない。
先程は、モルティスに対する憎悪と執念のあまり、一時的に限界以上の力が出ていたのだろう。

 焦った様子で駆け寄ってきた衛生兵が、ぐったりと倒れているモルティスの腹部を止血している。
我に返ったらしい衛兵達が、怒りの表情で剣を抜き、ゼナマリアを取り囲む。
けれどもゼナマリアは、自分の身の危険など全く意に介していないようで、モルティスに向かって「夫を返せ」と怒鳴っている。

 ギールが腕に力をこめると、ゼナマリアは、細い体を震わせてうめいた。
痛い思いをさせたいわけではない。
しかし、少しでも動ける余地を与えると、大暴れしてギールの腕から抜け出し、斬りかかってくる兵士達に構わず、再びモルティスに飛びかかりかねない勢いなので、拘束を緩めることはできない。

 ギールは、何を言うべきなのか分からず、ただ黙ってゼナマリアを押さえつけていた。
抵抗が叶わないと悟ると、ゼナマリアは暴れるのを止めたが、叫ぶことはやめなかった。
モルティスを睨みつけ、身を振り絞るような掠れた声で、尚も「返せ返せ」と絶叫している。

 その痛々しいほどの必死さ、取り憑かれたような激昂ぶりを見ている内に、なんとも言えない複雑な感情が込み上げてきた。
息が苦しくなってきて、気づけばギールは、目から涙を流していた。

 どうして自分は、ゼナマリアを止めているのだろうか。
冷静になれ、落ち着け、と彼女をいさめる権利なんて、自分にはない。
ゼナマリアの気持ちは、痛いほど分かる。
今は内輪揉めをしている場合ではないのだ、などという正論は、モルティスがギールにとっての仇ではないから言えることだ。
ゼナマリアからすれば、憎い相手が目前にいるこの状況で、国の非常事態なんぞを気にかけている場合ではないのである。

 ギールは、ぐっと歯を食いしばった。
そして、意を決すると、手首に仕込んでいた麻酔針をゼナマリアの首筋に打った。
ややおいて、ゼナマリアの身体から力が抜けていく。
ギールは、眠った彼女を床の上に横たえると、その前に立ち、敵意を剥き出しにしている衛兵たちと向かい合った。

「おのれ異端者め! その女をこちらへ渡せ! さもなくば、貴様共々この場で八つ裂きにしてくれる……!」

 兵士の言葉を無視して、ギールは涙を拭った。
そして、椅子のそばで震えているジョナルドの方を見た。

「クライン卿、ご覧の通りの有様ですから、猊下に代わり貴殿に指揮を執って頂きたい。もし防護結界の展開に必要な魔導師が揃えられないようであれば、世俗魔導師団にも招集をかけてください。貴殿あなた方が追放した魔導師達は、すでに城下で人々に聖堂へ逃げるよう声をかけています。サーフェリアを守るため、協力しましょう。今は、我々の間で争っている場合ではありません」

 黙殺されて、腹が立ったのだろう。
肩を怒らせながら近づいてきた衛兵の一人が、至近距離で剣先を突きつけてきた。

「協力しましょうだと⁉︎ ふざけるな! その女が何をしでかしたのか、貴様も見ていただろう!」

 銃剣などは、この謁見の間に入る際に没収されてしまったから、仕込みの針などを除いて、ギールは武器を所持していない。
無防備な状態で剣を向けられたまま、ギールは答えた。

「ゼナマリアさんがしたことは、確かに罪深いことです。しかし、元はといえば、貴殿方イシュカル教会が、ストンフリー卿をはじめとする多くの魔導師たちにいわれのない罪を着せ、理不尽な弾圧を行ったことが原因でしょう。ゼナマリアさんを罰するというなら、猊下を含む貴殿方も罰せられるべきです」

 衛兵は、唾を飛ばして怒鳴り返してきた。

「弾圧などではない! あれは、神のご意志の下で行われた粛清だ! 我々は、イシュカル神を愚弄ぐろうする異端者たちに、正当な裁きを下したのだ!」

「愚弄することが、極刑に値する罪なのですか? 私には、自国の民を一方的に排除することを望む神が、清浄で崇高な存在だとは思えません」

「なんだと⁉︎ 貴様もイシュカル様を否定するつもりか──‼︎」

 怒号と共に、衛兵の剣が勢いよく突き込まれてくる。
ギールは、反射的に上体を逸らして腕を上げると、籠手こてで剣先を受け止めた。
怯んだ衛兵の懐に飛び込み、肘で鳩尾みぞおちを押し上げる。
息を詰まらせた衛兵が、後方に転倒する。
床に落ちた剣を、拾えないように踏みつけると、ギールは大声を張り上げた。

「──神なんて! 信じて祈ったところで、守ってはくれないでしょう……⁉︎」

 唇をついて出た思いが、広間に響き渡る。
一瞬、辺りが静まり返った。
ギョッと目を見開いた司祭たちが、真っ赤になってこちらを睨みつけてきたが、彼らの抗議をかき消すように、ギールは続けて叫んだ。

「僕は、信仰心まで否定したいわけではありません! 信じることで気持ちが救われるなら、それも良いのでしょう。
実際、僕の叔母は、イシュカル神に救われました。八年前のセントランス戦で、全てを失い途方に暮れていた時……甥の僕は何もできなかったけど、彼女は、イシュカル神の加護を信じることで、希望を取り戻したようでした。
……だけど、それでも! 実際に動いて人々を救ったのは、神ではありません! 襲撃から王宮を守ったのは、世俗魔導師団だった。その後セントランスを討ち滅ぼしたのは、当時アーベリトに属していた召喚師だったし、人々の支援や街の復興に駆けずり回ったのは、他ならぬ貴殿方だった! そうでしょう⁉︎」

 わなわなと肩を振るわせた老年の司祭が、ギールを指さして糾弾した。

「思い上がるな異端者がっ! 聖典を手にしたこともない不浄な輩が、神を語ろうなどと……!
イシュカル神は、実体を持たぬ大いなる意志そのものだ。この世に起こる全ての事象は、創造主たる神のご意志によって決定されており、我々の行動もまた、神によって促されている。救われなかった、助けてもらえなかった、などと感じるのは、貴様が何も捧げず、ほどこしだけを求める卑しい異端者だからだ!
降りかかる災いは、神による罰であり試練である! 先の戦災に喘いだ者たちは、罰せられたことで改心し、神を信ずるように変わった。故に我々教会の信徒たちに救われたのだ! 信じなかった貴様ら世俗の魔導師団や、召喚師制が瓦解がかいしたことが、神の存在を証明する何よりの証拠だろう……!」

 首を振って、ギールは怒鳴り返した。

「我々は前線に立ち、この身を盾にして国を守ってきたつもりです! それをやれ暴力的だ旧時代的だなどと不当に弾圧して、世俗魔導師団を瓦解がかいさせたのは、神ではなく教会でしょう⁉︎」

「違う‼︎ 先程から申しているであろうが! 我々は、神のご意志を受けて動いている! 異端を貫く貴様らは、神のお怒りを買って罰せられたのだ……!」

「じゃあなんですか⁉︎ 今そこで死にかけているリラード猊下も、神を怒らせて罰せられたっていうことですか⁉︎ 誰よりも神を信じ、敬虔けいけんな祈りを捧げてきたはずの、イシュカル教会の大司祭様が?」

「猊下を刺したのは、神のご意志を無視したそこの女だろうがぁ‼︎」

 ギールは、いきり立つ衛兵たちから、ゼナマリアを庇うように立った。

「ええそうです! その通りですよ! だから猊下は、瀕死の状態に陥っているんでしょう⁉︎ 猊下を刺したのも助けるのも、人間であって神じゃない! どんなに強く願ったって、神が出てきて直接その傷を癒してくれるわけじゃない! 我々自身が助けようと動かなければ死ぬ! これが現実でしょう⁉︎」

 喉が裂けんばかりの大声で、ギールは強く主張した。
散々喚き散らした司祭も、ハアハアと息を切らしている。

 一旦呼吸を整えてから、ギールは言い募った。

「……信じることで救われたいという、貴殿方の理想や信条も、理解できないわけじゃありません。教会の教えは、祈ることしかできなかった弱い立場の人々に寄り添い、その心を慰めてきた。だけどそれは、神に全てを託して、現実から目を逸らしていいという言い訳にはならないはずです!」

 再びジョナルドの方を向いて、ギールは窓の方を示した。

「クライン卿、街の様子を──現実を見てください! そして、騎士会と魔導師会を動かしてください! 城下に散っている世俗魔導師団の魔導師たちだけでは、呼びかけるにも限界があるのです! ──もう一度言います、民への避難指示と防護結界の展開を! どうか、お願いします……!」

「…………」

 ジョナルドは、どうすれば良いのか分からない、といった様子で、おろおろと目を動かしながら、司祭たちの反応を伺っている。
司祭たちは、頑なな顔つきで黙り込んだままだ。
未だ剣を構えている衛兵たちは、隙を見てゼナマリアを斬り捨てんと、ギールを睨んでいる。
モルティスを囲んでいる衛生兵たちに至っては、治療に必死になっていて、こちらの話など耳に入っていない様子だ。
ゼナマリアがモルティスを刺したことで、全員がギールたちのことを完全に敵視してしまっているのだ。

 やはり自分の立場で教会を説得することはできないか──と、ギールが諦めかけた、その時だった。
突然、広間の大扉が開き、数人が何の許可もなく、謁見の間に踏み込んできた。

「──良いだろう、余が許可する。王宮と聖堂、防護結界を張れる場所に民を集めて、厳戒態勢を敷け」

 先頭にいた少年が、堂々とした態度で命じる。
その姿を見て、ギールたちは驚愕した。
護衛の魔導師たちを伴い、唐突に広間に入ってきたのは、件の誘拐事件から先日ようやく王宮に帰還してきた第二王子──シャルシス・カーライルだったのだ。


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