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投稿日:2026年01月06日






 シャルシスは、割れた硝子ガラスが散乱している絨毯の上を構わず歩き、長らく空いていた王座に、躊躇いなくドカッと座った。
その周りを守るように、護衛の魔導師たちが立つ。
一同が、唖然とシャルシスを見上げる。
シャルシスは、血塗れになって倒れているモルティスと、気絶しているゼナマリア、最後に抜刀している衛兵たちを見やると、訝しげに眉を寄せた。

「……何をやっておる。ここは謁見の場であって、殺し合いの場ではないぞ。剣を持って突っ立っておらずに、早く怪我人を運ぶなり何なりしろ」

 衛兵たちが、渋々といった様子で納刀する。
衛生兵たちは、モルティスだけを外套マントに包んで、慎重に運び出していく。
司祭たちは、我に返ってひざまずいた。
その内の一人が、まるで子供に言い聞かせるような、猫撫で声で言った。

「で、殿下、いかがなされたのです? 陛下のご容体を見舞われ、そのままご一緒におられるものと存じておりましたが……」

 シャルシスは、むっと唇を尖らせた。

「そうだが、これほど外が騒がしい状況で、恐れをなして部屋に引き籠もっているわけにもいかぬだろう。聞けば、城下では正体不明の巨大植物が暴れ、民間にまで害が及ぶほどの天変地異が起こっているというではないか。……お前たち、その対策について話すのに、どうして余を呼ばなかった? 今、お祖母様から王座を預かっているのは、このシャルシスなのだぞ」

 司祭は口ごもってから、曖昧な笑みを浮かべて頭を下げた。

「……も、申し訳ございません。その、陛下とのお時間に、水を差してしまうやもと……」

 シャルシスは、つかの間沈黙してから、ため息をついた。

「……分かっておる。そんなことだろうとは思っていた。今後は余の許可なく、謁見の間を開くでないぞ」

「仰せのままに」

 ギールは、あっさりと司祭たちの無礼を許してしまったシャルシスを見て、内心落胆した。
司祭たちは、本当にバジレットとシャルシスの時間に水を差したくなくて、彼らに報告を上げなかったのではない。
病に臥した老王と、一時失踪した気弱な王子など、もはやお飾りの王族でしかないと軽んじているから、あえて声をかけなかったのだ。

 シャルシスが登場した時は、一瞬希望を感じたギールであったが、その期待は外れてしまった。
失踪前には、モルティスの出世の足がかりにされいた、年若い哀れな王子。
臣下たちに完全に舐められている──そのことに気づけてすらいないシャルシスでは、この教会優位の現状を、変えることはできないだろう。

 青ざめているギールを一瞥いちべつしてから、シャルシスは大扉の方を見た。

「話を戻すが、経緯のあらましはハインツから聞いた。今はとにかく、民を守ることを優先し、根の侵攻を阻止せよ。各領の伝令たちにもそう伝えるのだ」

 ハインツ、という名前を聞いて、ギールは慌てて振り返った。
大扉の影に隠れていたので、見えていなかったが、広間の外にハインツが佇んでいる。
長い地下牢生活のせいか、少し痩せたようには見えるが、五体満足でいる。
無事に生きている──。

 思わず駆け出しそうになったが、ギールは、その衝動をぐっと堪えた。
今ゼナマリアのそばを離れると、衛兵たちが彼女に何をするか分からない。

 顔色を変えた司祭たちが、杖でハインツを示しながら、声を荒げた。

「で、殿下! 一体どういうおつもりですか⁉︎ あのリオット族の男は、地下牢に収監されていた異端の囚人ですぞ⁉︎ 危険です!」

 シャルシスは、表情を変えずに首を振った。

「危険ではない。あの妙な根に出入口が塞がれて、余がお祖母様のいる離宮から出られなくなっているところを、助けてくれたのだ。地下牢から脱出してきた、と聞いた時は驚いたが……どうやら根が現れた事情を知っているようだったし、リオット族には個人的な恩もある。だから、余が釈放して良いと許可を出した」

 あっさりと答えたシャルシスに、司祭たちは憤慨した。

「騙されてはなりませぬ! 殿下はご存知ないのかもしれませぬが、異端者というものは、あの悪魔憑きの召喚師と同じく、妄執に取り憑かれた狂人でございます! 実際そこのリオット族は、宮廷魔導師団に在籍していた頃、召喚師派に属しておりました!
闇精霊族がどうの、アルファノルがどうのと申すのは、すべて異端の妄言に他なりません! そう易々と信用なさいますな!」

 困ったように、シャルシスは肩をすくめた。

「別に易々と信用したわけではない。仮にハインツや、他の世俗魔導師団の魔導師たちが言っていることが妄言だったとしても、民は避難させるべきだと判断したまでだ。妙な根が出現したり、疾雷しつらいが起こったりしていることは事実だからな」

「戦下でもないのに、民に家を捨てさせ、防護結界を展開なさろうというのですか? 城下だけではありませぬ。他領にも異端の妄言を吹聴し、不必要な不安を煽ることになります。これで単なる地変と分かれば、殿下は大恥を晒すことになりますぞ!」

 シャルシスは、小さく笑った。

「そうやってお笑いぐさになって終わるならば、上々ではないか。何事もなく拍子抜けする結果になったなら、『騒いで申し訳なかった』と詫びればいい。大丈夫だろうと高を括って何もせず、結局大事になって大勢の犠牲を出してしまうよりかは、ずっと良いだろう」

「いや、し、しかし……」

「……なんだ、余の言うことが聞けぬのか?」

 ふと笑みを消して、シャルシスが声を低めた。
唐突に口調の雰囲気が変わったので、司祭たちは驚き、一瞬耳を疑った。
だが、勘違いではない。
見上げた王座に君臨するシャルシスの表情には、先程までの幼さや柔和さが、一切なくなっていた。

 シャルシスは、静かに息を吐いた。

「余の命令が聞けぬと言うなら……仕方がない。そなたたち全員、今すぐこの王宮から出ていけ。
……ハインツ、レドクイーン卿、逆らう者は即刻捕え、縛り上げよ」

「──しばっ……な、は……⁉︎」

 あんぐりと口を開けて、司祭たちが硬直する。
ギールも狼狽えて、身を強張らせた。
シャルシスが、いきなり別人になったかのように見えた。

 絶句している面々を見下ろして、シャルシスは、唇にだけ笑みを戻した。

「ハッ、何を驚いている。同調しない者は追放し、歯向かってくる者には罰を与える……教会がしてきたことと同じだろう」

「…………」

 突然、広間の空気が変わった。
口端を引き攣らせて、司祭が答える。

「わ、我々が罰したのは、イシュカル神の意向に逆らった、愚かな異端者でございます。意見しただけの者を罰することとは、訳が違──」

「──違う? 何が違う?」

 不意に立ち上がると、シャルシスは面々を見下ろした。

「そなたら、陛下が伏せっているのを良いことに、随分と都合の良い夢を見ているようだな。余が叩き起こしてやるから、目を覚ませ。……この王宮の主は、一体誰だ?」

「…………」

 血の気の失せた顔で、司祭たちは黙り込んでいる。
シャルシスは、一言一言を区切りながら、もう一度、ゆっくりと尋ねた。

「ほら、言ってみろ。この王宮の主は……そなたらが仕えている、この国の、現王の名は?」

「…………」

「かつて、少数派に過ぎなかったイシュカル教を受け入れ、召喚師一族と並んで登城することを許してやった。聖俗干渉せぞくかんしょうまで認めてやった。……その王母おうぼの名は? 早く答えよ」

「…………」

 触れれば切れてしまうのではないか、というほどの緊張が、この場を支配している。
長い沈黙の末に、おずおずと唇を開くと、やがて、司祭が答えた。

「……バ、バジレット・カーライル王、です……」

「…………」

 シャルシスは頷くと、目を細めて微笑んだ。
それから、急に雰囲気を元通りに緩めて、すとんと王座に座り直す。

「うむ、その通りだ。……ちなみに、よく分かっておらぬようだから教えてやるが、バジレット陛下の嫡子ちゃくしがイシュカル教会を引き入れた先代王、エルディオ・カーライルで、余はその息子、現王家の第一位の王位継承者だ。その余に逆らうということは、すなわち、王家への反逆を意味する」

「…………」

「……まあ、余は意見されただけで相手を火刑に処そう、などという暴虐非道な振る舞いをするつもりはないが? 王族の権威を守るため、泣く泣く非情な決断を下さねばならぬ時もあるからな。余はまだまだ未熟な次期王だ、あまり泣かせてくれるなよ」

「……む、無論、承知しております。あの、我々は、決してそのようなつもりでは……」

「そうか? ならば良いのだが」

「…………」

 司祭たちは、汗にまみれた顔で俯き、再び黙り込んだ。
動揺が収まらず、ギールもしばらく何も言えなかった。
シャルシスは、臣下たちが、自分やバジレットを軽んじていることに気づいていなかったわけではない。
その慢心を、最初から押さえつけるのではなく、あえて利用していたのだ。

 何も知らない子供のような、無垢な笑顔やむくれ顔が、全て演技だったのかと思うとゾッとした。
彼は、こんなことができる王子だっただろうか。
エルディオやバジレットも、おおやけでは威圧的な振る舞いをする王だったが、シャルシスの権威の示し方は、それとは少し違う。
にこやかに、内心を悟られぬように柔らかく話して、相手が警戒心を忘れている内に、さりげなく喉元に刃を押し当てている──そういうやり方であった。

「──では、行け。騎士会は総出で避難指示を。魔導師団は、防護結界の準備を進めてくれ」

 シャルシスが改めて命令を下すと、弱々しく返事をした衛兵や司祭たちが、慌ただしく広間を出て行った。
ゼナマリアを抱き起こして、ギールもハインツの元へ向かう。

 臣下たちが謁見の間から出ていくと、シャルシスは、護衛の魔導師たちにばれないように、身体の力を抜いた。

 ──正直、危なかった。
ハインツやギールたちがいたとはいえ、今の王宮内では、教会派が圧倒的に多数だ。
広間にいた司祭たちが、この場で捕えられることを恐れず、反乱の道を選んでいたら、後々教会の全勢力と敵対することになっていた。
仮にそうなっていたら、シャルシスの地位も危うかっただろう。
狡猾なモルティスが相手ではなかったことも、幸いした。
軍部出身ではない、教会通いを続けているだけのあの司祭たちだけならば、なんとか脅迫して言いくるめられるだろう、と踏んでの勝負に出たのだが、どうやらその読みは当たったようだ。

 王座の背もたれに寄りかかり、シャルシスは宙を見上げた、
こういう、誰かさんがやっていたような、王族らしからぬ小賢しいやり方で臣下たちを丸め込んだと知ったら、バジレットは、きっと眉をひそめただろう。
しかし、今は緊急事態だ。
ひとまず賭けに勝てて良かったと、シャルシスは、ほっと息を吐いたのであった。


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