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投稿日:2026年01月06日






  *   *   *


 吹き荒れる灰混じりの風を、葬樹そうじゅの樹根が切り裂いた。
煤塵ばいじんに視界が覆われ、標的を見失った樹根を、今度は炎を伴った風が焼き尽くす。
だが、焼けた樹根はすぐに再生した。
黒く焦げた断面から、新たな根が出て、急速に伸び上がる。
その速度は、ルーフェンが次の魔術を打ち出す速度よりもずっと速い。
詠唱して、再び召喚術を使う余裕はなかった。
ほとんど反射的に防御と攻撃を繰り出さねば、絶え間なく襲ってくる樹根を退けることはできない。

 轟音と共に足元が揺れ、数十の樹根が新たに地から突き出した。
雨のように降り注いできた樹根の槍が、ルーフェンを貫かんと迫る。
結界を張るのと同時に、炎の渦を発生させて樹根を焼き払うが、即席で噴き上げられた炎は、根の勢いを削ぐだけで、完全に燃やし尽くすことはできない。

 樹根は黒煙を纏いながら、次々と結界に突き刺さった。
結界でその動きを捕捉したところで、再度炎を放つと、ようやく樹根は灰になる。
──が、新たに伸びた根が、無限に押し寄せてくる。
終わりの見えない戦況に、疲労感が積もり始める。
着々と蓄積されていく絶望感が、思考を鈍らせていく。
うねる樹根と舞い上がった灰煙かいえんで、エイリーンがどこにいるのかも分からなかった。

 エイリーンとて、大規模な召喚術を阻止され、それなりに消耗しているはずだ。
周囲に糧がない焦土では、魔力の回復だってできない。
そう信じたいが、樹根の動きは全く衰えていないように見えた。
エイリーン自身に攻撃が届かないので、防戦に徹して消耗戦に持ち込んだのだが、この勢いでは、魔力不足を起こすのはルーフェンが先だ。
かすった傷の再生が遅くなっているのを見て、ルーフェンも限界が近いことを自覚していた。

(仕方ない──)

 結界を張らずに、防御を放棄して、ルーフェンは木杖を地に突き刺した。
樹根が肩の肉を抉ったが、構わず詠唱する。
今、ルーフェンが動けているのは、禁忌魔術で一時的に身体を無傷の状態に巻き戻しているからだ。
痛みで動きが鈍るので負傷したくはないが、実際には、新しい傷が増えようが増えまいが、既に致命傷を負っているという事実は変わらない。

 木杖から放たれた青白い光が、地中を駆け巡った。
ひび割れた大地が跳ね、地中から炙り出された樹根が、焦げた木片となって飛び出してくる。
樹根の再生が滞り、視界が開けた。
粉塵の向こうに、エイリーンの影を見つけると、ルーフェンは木杖を振って、そちらに雷撃を放った。

 ほとばしった一閃が、雷鳴の追いつけぬ速度で大気を走る。
エイリーンは指先を振り、即座に樹根を引き寄せて盾にしたが、間に合わなかった。

 灰煙かいえんの中で、光が爆ぜる。
塞がり始めた肩の痛みを堪えながら、ルーフェンはつかの間、その場に膝をついた。
これで、エイリーンを仕留められたとは思っていない。
だが、一方的に攻撃を受け続ける状況を打破して、少しでも息をつける瞬間がほしかった。

 やがて、巻き上がる粉塵の中から、エイリーンが姿を現した。
片腕が焦げて形を失っているが、それも近づいてくる内に再生してしまう。

 舌打ちをして、ルーフェンは再び木杖を振ろうとした。
──が、それを見たエイリーンが指先を動かすと、木杖を握る右手がぴたりと止まってしまった。

「……っ⁉︎」

 腕が、指が、勝手に動いて、杖先を自分に向ける。
まるで、皮膚の下に樹根が入り込んできて、操られているような感覚だ。

 ルーフェンは、慌てて魔力を収め、右手を左手で押さえた。
エイリーンが使う魔術には、人間が用いるような術式がない。
故に、どのようなたぐいの魔術なのかが読み取れないし、解術方法も分からない。
ただ、このまま雷撃を放ってしまえば、それはエイリーンではなくルーフェン自身を穿うがつことになる。

 ふうぅ、と黒煙を吐き、皮膚の焼け爛れた顔で薄く嗤うと、エイリーンはルーフェンの顔を覗き込んできた。

「……貴様、本気でわたしを殺せると思っているのか? 存外に分別のない奴だ」

 足元から伸びてきた樹根が、硬直しているルーフェンの身体に巻きついていく。
ルーフェンは、ふっと笑みを返した。

「……そっちだって、俺を殺せないだろう?」

 エイリーンは、鋭く目を細めた。
まだ大口を叩く余裕があるとは、意外である。
ルーフェンがいなければ、新しい移動陣を敷くことはできなくなるので、殺されるはずがないと高を括っているのだろうか。

 エイリーンは、くいと指先を動かした。
すると、背後から伸びてきた樹根が、ルーフェンの胸部を貫いた。
ごぷっと口から鮮血が滴って、ルーフェンの表情が苦痛に歪む。
彼を縛り上げている樹根を退けると、エイリーンは、血溜まりに崩れ落ちたルーフェンの身体を蹴った。

「……何を思い上がっている? わたしがサーフェリアに渡った時点で、貴様の役目は終わりだ。あとはグレアフォールを引きずり出す餌にでもなれ」

 吐き捨てるように言って、踵を返すと、エイリーンは樹根の一本に足をかけた。
エイリーンを乗せて、樹根がスルスルと上へ伸びていく。
視点が高くなると、人間たちがひしめくシュベルテの街並みを一望できた。

 ルーフェンが、サーフェリアの各所に敷いた移動陣を無効にしたせいで、エイリーンは、召喚術を一気に全土へ行き渡らせることができなくなった。
ルーフェンの死体を喰えば、彼が持つ召喚術の才も手に入れることはできるが、移動陣の知識まで継承できるわけではないので、すぐに行使することはできないだろう。
かつて、ミランを喰った時もそうであった。
人間の編み出した魔術は、術式とやらが絡んでいて、なかなか直感的には扱えないのだ。

 魔力を集めた掌を、エイリーンは、眼下のシュベルテへと向けた。
こうなったら、人間が多く集まっている場所を、一箇所ずつ襲撃していくしかない。
手間ではあるが、裏切った人間ルーフェンを生かして側に置いておくよりは、面倒事にならないだろう。
人間の召喚師一族が、狡賢く信用ならない連中であることは、千年以上前から知っている。

 それに、ルーフェンを殺せば、グレアフォールは異変を察知して、きっと誰かしら遣いを寄越してくる。
その遣いたちをサーフェリアで消していけば、いずれはグレアフォール本人を引きずり出せるかもしれない。
彼は、召喚師一族の血を絶やさないことにこだわっている。
元々は、人間たちを根絶やしにして手駒と糧を揃えたら、移動陣でツインテルグに向かうつもりであったが、ルーフェンが使えないのであれば、グレアフォール側をこちらに呼び出すしかない。

 詠唱すると、エイリーンは召喚術の魔法陣を展開した。
魔法陣から噴き出した毒煙が、霧のように天を覆い、やがて無数の黒矢を形成する。
エイリーンが翳した手を振り下ろすと、黒矢がシュベルテに向かって、雨のように降り注いだ。

 空を切る風切り音と、矢尻が物に当たる矢音が、重なって響き続ける。
シュベルテの街全体に、濛々もうもうと毒霧が立ち込めていく。
しばらくして、矢が尽きると、辺りは重苦しい静寂に包まれた。
風が止み、物音も聞こえず、人々が騒ぐ気配も感じられない。

 一人残らず、息絶えたのだろう。
そう思ったが、晴れてきた毒霧の向こうを見下ろして、エイリーンは眉をしかめた。
シュベルテの街並みは、変化していなかった。
樹根によって建物や城壁は崩れているが、割れた石畳の上に、人間の死体は転がっていない。
一体どこへ逃げたのか、動く人間たちの姿すら見当たらない。

 完全に毒霧が霧散すると、揺らめく熱気のようなものが、街の上空を覆っていることに気づいた。
ルーフェンの魔力によるものではない。
人間たちが作る結界とも、少し違う。
信じられないことだが、この熱の膜が、エイリーンの攻撃からシュベルテの街を護ったのだ。

(なんだ……?)

 地上を見回していると、視界の端で何かが光った。
ドッ、と息が詰まるような衝撃が走り、突然飛来した青い魔槍まそうが、エイリーンの腹部を貫く。
掴んで引き抜こうとすると、槍はまるで意志があるかの如く、エイリーンの肉体を突き抜けた。
そして、宙で旋回し、放たれた方向へと戻っていく。

 魔槍が戻っていった方を見下ろして、エイリーンは目を見開いた。
黒煙の切れ間に、三人の人影が見えた。
魔槍を投擲とうてきしてきたのは、見知らぬ人間の男であったが、他の二人の獣人には見覚えがある。
ミストリアの現召喚師である鳥人族の女と、それに付き添っていた人狼族の男であった。

「……獣人共が……」

 忌々しげに呟いて、エイリーンは指先をファフリたちに向けた。
──が、次の瞬間。
今度は、天が光を孕み、続けて大地を揺るがす雷鳴が轟いた。
直撃した稲妻が、樹根ごとエイリーンを灰に変え、地面に焼き付ける。
再び灰煙が舞い上がり、辺り一面が夜のように暗くなる。

 崩れ落ちた樹根と共に落下してきたルーフェンは、なんとか宙で体勢を立て直すと、ファフリたちの近くに片膝をついて着地した。

「──ルーフェンさん……! ごめんなさい、遅くなっちゃって……!」

 言いながら、ファフリが駆け寄ってくる。
一緒にルーフェンの側までやってきたユーリッドは、その姿を見てギョッとした。
ルーフェンは、纏っているローブから革靴に至るまで、全身血まみれだったからだ。

「お、おい、大丈夫なのか? その怪我……」

 再会の挨拶も忘れて、ユーリッドは思わず問いかけた。
ルーフェンは、口内に溜まっていた血の塊を吐き捨てると、木杖を構えたまま後方を一瞥いちべつした。
遠くに朧げに見えるシュベルテの街並みは、まだ形を保っている。
ファフリが召喚術によって張った結界は、エイリーンの召喚術に対しても有効だったということだ。
ミストリアの召喚師一族が使役する悪魔の内の一体、フェニクスには、他の召喚術を打ち消す効力があるのだ。

 ルーフェンは、ユーリッドとファフリに向き直った。

「……俺は大丈夫。ありがとう、二人とも。助かったよ」

 それから、二人の後ろに立っているジークハルトを見て、ルーフェンは目を丸くした。

「……なんで君まで? 王都を離れて大丈夫なの?」

 ジークハルトは、ルマニールを片手にルーフェンの隣に並び立つと、先程エイリーンが落ちていった方に視線をやった。

「俺は今、魔導師団の人間じゃない。それより、さっきの奴がアルファノルとやらの召喚師か?」

「そうだけど、どうして君がそれを……」

 ルーフェンが聞き返そうとした時、地鳴りの音が響いて、樹根の束が地面から噴き上がった。
樹根から発せられる魔力が、強烈な衝撃波となって四人を襲う。
吹き付けてくる灰に、四人が反射的に顔を背けた瞬間、地が大きく揺れ、足元に亀裂が走った。

 地の底から這い上がってきた樹根は、蘇った死人の手指の如く寄り集まって、焦土に爪を立てた。
しっかりと樹根が根付くや、割れた地盤の隙間から、再び巨大な葬樹そうじゅが現れる。
あっという間に枝葉までつけた葬樹そうじゅは、低く唸るような葉擦れ音を上げながら、太い枝の一本を、腕のように振り下ろしてきた。

「──伏せろっ!」

 ルーフェンは叫ぶや、木杖を振った。
伏せたファフリたちの頭上を通って、横合いから業火が発生する。
燃え盛る炎が、轟々とうねって枝葉を包み込んでいく。
火の粉を払いつつ、顔を上げたジークハルトが、傾いてきた枝葉に風を纏った一突きを食らわせると、炎はより一層燃え広がった。


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